珠臣お兄さま
「嘘は、誰かを守るために紡がれる」
六兄弟と一人の宝石職人見習いを中心に “守るための嘘” が巡っていく物語です。
香子茶小連の初投稿作です。
「では李汀、前へ」
「はい先生」
灯世に名前を呼ばれ、李汀は胸を張って講壇に立つと、書簡を両手で広げ肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
「ぼくの大好きなもの。煌李汀」
澄んだ声が学堂に満ちてゆく。
「ぼくにはお兄さまが、たくさんいます。いちばんめの真明お兄さまはとても立派で、王様になるためのお勉強を毎日たくさんしています」
そう言い切って李汀は迷いなくにかっと笑った。真明は腕を組み満足げに頷いた。
「にばんめの珠臣お兄さまは宝石職人で、毎日お家に居られないけれど、ぼくとたくさん遊んでくれます。さんばんめの豊珠お兄さまは───」
工房ではカチ、カチと金属を打つ繊細な音が続いていた。にばんめのお兄さまとして課文に登場した男、珠臣は手を止めない。昼を回った頃、元気な声が玄関から響いた。
「しゅしんおにーさまー」
「珠臣、邪魔するぞ」
真明も一緒だ。工房の机のそばまで来て
「李汀が、すぐにでも珠臣に見せるんだと聞かないんだ」
李汀は胸に抱いていた課文を珠臣に手渡した。
「李汀様。では、拝見します」
恭しく手に取り珠臣が課文に目を通している間、李汀は真明の後ろに隠れたりくるくると回ったりしている。
「───読みました。よく書けていましたね」
「えへへ」
ほんの一瞬だけ、珠臣の視線がある一文の上で止まったがそれを避けた。
「ただ、私はまだ宝石職人ではなく見習いですよ」
「細かいことは気にするな」
真明が口を挟んだ。李汀は珠臣の手から課文を取り去ると、茶菓子の置いてある客堂の方へ足取り軽く駆けていった。
「ほうら、そろそろ帰る時間だ。講義がまだ残っているし、それに他の兄上たちにも課文を見せるんだろう?」
「……うん。珠臣お兄さま、またね?」
「うん、またおいで。この菓子は持って帰るといい」
李汀が何度も振り返って手を振るのを見送った。そして入れ違いになるように太く陽気な声が玄関に響いた。
「珠臣、戻ったぞ」
「───父上、と望鏡陛下」
珠臣は咄嗟に深々と拱手礼をした。
「楽にせよ」
望鏡は珠臣を一瞥すると客堂へと向かった。珠臣も急いで追いかける。李汀たちが散らかした茶卓の上の菓子くずがそのままだ。
「李汀が来たのか、どれどれ」
「はい、課文を見せに。あ、忘れてる……」
李汀はさておき、真明にはうっかりしているところがある。置き去りの課文はあとで届けてやろう、と珠臣は思った。
望鏡は饅頭に手を伸ばしながら課文を読んでいる。
「ンッフ」
早々に吹き出して饅頭を落としそうになる。こうして見ると望鏡と真明はよく似ている。
「珀暁よ、ここを見てご覧」
「はぁ……うちの珠臣がすっかり李汀様の兄ですね」
「珠臣はもうね、煌家の子だよ」
「陛下、隙あらばうちの一人息子を狙うのはおやめください。跡継ぎがいなくなってしまいます」
「それは困る」
珠臣は湯を注ぐ。茶葉が舞い踊り、客堂に「わはは」と声が広がる。
程なくして望鏡は邸を後にした。珀暁は仕事の片付けが残ってるのだと言ってバタバタしている。時折このようにして望鏡は暇を見つけては珀暁とゆるい雑談をしに訪れる。幼い頃からの付き合いがそうさせているのだ。
今日は来客が多かったなと、茶道具を片付けながら珠臣は課文の内容を反芻する。李汀は珠臣を本当の兄と信じて疑わない。その事実を思うたび、珠臣の心は茶碗の底の茶葉のように黙り込んでしまう。
───あの澄んだ瞳を濁らせられなかった。
三歳になったばかりの李汀が、珠臣に尋ねたことがあった。
「しゅしんおにいさまは、ほんとうのおにいさまだよね?」
他の兄弟の会話から違和感を覚えたのだろう、李汀の瞳には不安が滲んでいた。潤んだ瞳は水晶のように美しかった。
「そうですよ、李汀様の本当のおにいさまです」
水を打ったように周囲が静まり返った。その中で唯一、李汀の声だけが弾んだ。
「よかった!しゅしんおにいさまだーいすき!」
その瞬間、この場にいた兄弟全員が理解した。李汀の無垢な世界を壊せないと。




