第48話
森の泉は、以前と同じ雰囲気を見せていた。魔力の様子も、そう変わったところはない。相変わらず闇の魔力で満ちている。だが、直接アンと戦った私には分かる。これは、アンの魔力ではない。泉を封印している校長の魔力だ。でも、直接関わることがなかった人……たとえばホノ先生なんかは、今までと変わらず森で研究を続けている。
「……魔物はいないけど」
ぼそりと呟くと、森はがさりと風を受けて揺らいだ。文句を言いたげな様子だ。でも、一度私の支配下となった森は、支配が外れても妙に従順だった。
もう魔法生物もマッピングも必要ない。まっすぐ奥の泉へ向かう。不思議な静謐さを湛えた水は、清浄を保っている。これは、レンリ先生とは逆で、校長先生が闇の力をもって光の力を操っているのだろうか。最近になって、そう考えるようになった。
「開けて」
首元のクラウンを握りしめると、泉がかすかにたわんだ。空間がねじれて、私はそのねじれへ一歩踏み出す。そのまま、光の中に閉じ込められた。
光が霧散すると、一気に温度が下がった。ぶるっと身を震わせる。この感覚はいつまでも慣れない。
目の前に広がるのは、一面に張り巡らされた氷だった。鋭利な冷気を纏って、私を迎え入れている。
「……こんにちは、オリハ先輩」
封印されたままの永久氷晶に話しかける。中央の巨大な氷の中で、未だオリハ先輩は眠っている。最初に立ち入った時のまま、変わったところはない。
私はひとつ息をついて、手を氷に沿わせた。冷たさが痛みを伴って伝わってくる。
あれから半年間、私は毎日この場所に通っていた。眠ったままのオリハ先輩を見て悲しむことも減ってきた。代わりに、あるひとつの決意をしていた。
「私、今日、教師として初めての授業をしたんですよ」
軽く話しかけながら、氷を撫でる。すると、表面に刻んだ術式が鈍く浮かび上がった。普段は隠してあるものだ。
「レンリ先生もようやく落ち着いてきたみたいです」
当時のレンリ先生は、酷いものだった。マウ先生を失い、一人で塞ぎ込むことが多かった。だが、さすが教師と言うべきか、生徒の前では空元気で笑うのだ。見ていられなくて、なんとなく避けることさえあった。
「今日も職員室でマウ先生の話をしてて……」
術式をなぞる。私の魔力と繋がり、永久氷晶の解析を進める。周囲の魔力を常に吸っている永久氷晶は、私の魔力も毎日吸っている。氷を構成する内容に、私の魔力の割合が微量ずつ増えていっている。刻んだ術式には、それを安定させるための魔力保持機能がある。
「……レンリ先生は諦めてるみたいですけど」
低い声で話しかける。応答はない。
「私は絶対、諦めませんから。だって、まだオリハ先輩が、ここにいるから」
睨むように、中で眠るオリハ先輩を見据える。
「抗い続けます」
術式に魔力を込める。少しでも多く、自分の魔力を溶け込ませるように。
「……っ、はぁっ」
身体が熱くなる。冷気と、魔力の減少で、軋んでいるようだった。
「……はぁ、は」
術式から手を離し、隠す。万が一にも見られるわけにはいかない。校長が何をするのか、私には想像がつかないのだ。
「っ、オリハ先輩」
見上げる。美しい青灰色の髪が、流れるような動きのまま凍っている。あの日のまま、なにひとつ変わらない姿だ。私はもう、この恐ろしいほどの美しさに魅了されてしまっているのかもしれなかった。毎日この光景を見るたびに、後悔を思い出す。助けられなかった。何もできなかった。課題で負傷した時も、オリハ先輩が暴走した時も、私には何もできなかった。だから、今度こそは。私自身の手で、オリハ先輩を助けるのだ。
「……待ってて、ください」
強い意志を向ける。オリハ先輩は変わらず、透明な氷の中で美しい彫像と化していた。




