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マヤ・ナイラの残響  作者: よるん、
第三章「卒業試験」
37/50

第37話

「だめ……触っちゃ……」


 アンのか細い声がする。反響すらしない。私にしか聞こえないほどの声だ。

 よく見ると、アンを抱きしめたところから、肌が黒く変色していた。瘴気が入り込んでいるのかもしれない。それでも、私はアンを離さなかった。いっそう強く抱きしめる。


「私はね、何にも逆らえない自分が嫌だった」


 ぽつりと呟く。アンはびくりと肩を震わせた。


「もしかしたら、無駄な足掻きなのかもしれないかど……それでも、私は抵抗したいんだ」


 アンは顔を上げる。黒く変色した顔に、苦悶の表情を浮かべている。


「苦しいの?」

「……苦しい」

「それなら、一緒に」

「……だめっ」


 アンは私を思い切り突き飛ばす。不意のことに、私は受け身も取れずに転がった。


「ナツさん!」

「……っ!」


 肌がじくじくと痛む。闇の力が侵入しようとしているらしい。自分の身体を抱いて、負けまいとする。


「どうして……」


 オリハ先輩が震える声で私を呼ぶ。私は必死に自分の体内の魔力を活性化させた。それでも、闇の力は暴れ出そうとする。


「は、ぁっ……」

「ナツさん。保健室に戻ろう。戦える状態じゃない」

「っ……」


 私は揺らぐ意識の中でアンを見る。泉のほとりで、瘴気に包まれ、かくんと無機質な表情でうなだれている。

 私は胸に手を当てた。首に下げたものを引きちぎる。それはレンリ先生からもらったペンダントだった。


「お願い、浄化を……っ」


 魔力を込めると、ペンダントは光り出して私を蝕む瘴気を吸収した。役目を終えた光の結晶は音を立てて割れる。身体が軽くなったのを感じると、めまいがしてその場に倒れ込んだ。


「ナツさん!」


 オリハ先輩のひどく焦った声を聞いて、私はほっと胸を撫で下ろす。オリハ先輩がいてくれるなら、安心だ。私は妙に安心して、すっと意識を失った。



 目覚めると、無音だった。

 音だけではない。視界も白い。誰の気配もしない。だから、一瞬、自分が起きたと認識できなかった。もしかしたら夢の中にいるのかもしれない。ぼんやりとした頭を回そうとして、痛みが走る。


「……う」


 何をしていたんだっけ。

 上体を起こす。どうやら学校の保健室のようだった。ここに来るのはもう慣れっこになってしまった。

 頭がうまく回らなくて、自分の身体を見下ろす。魔力が少ない。じわじわといたぶられたような、欠けた痕跡がある。


「……は、ぁ」


 息をすることさえ辛い。喉の奥に引っかかりがある。魔力修復に使っている脳のリソースは、肉体の保全に注力しているらしい。現状の把握もままならない。ただ、息が苦しい。


「っ……」


 ただひとつ分かっていることがある。オリハ先輩がいない。保健室にいる時は、オリハ先輩といることが多かった。だから、きっとどこかにいるはずなのだ。


「……探さないと」


 本能的にそう思って、鈍い頭と重たい身体を動かす。このまま一人でいるのは危ない。理由は分からない。ただオリハ先輩を探さなければいけない、と思った。


「っは、はぁ……っ!」


 身体中がねじれるような感覚がする。熱く脈動している血潮を感じながら、壁に手をついた。


「さ、がさ、ないと……!」


 もはや、確信めいた何かだった。私は言うことをきかない身体に鞭打って、一歩ずつ歩き出す。

 保健室から出ると、誰もいない廊下に出る。まるで人の気配がない。それでも、この広大な敷地から、オリハ先輩を見つけ出さなければ。

 オリハ先輩がいそうな場所なんて知らなかった。私たちは、待ち合わせをして、課題やお手伝いという目的のためだけに集まっていただけだった。オリハ先輩が好きな場所、好きな食べ物、好きな授業、だなんて、話したこともない。それが今、後悔に変わっていく。


「っは……! う、ぁ」


 身体にねじ切れるような痛みが走る。思わず廊下でしゃがみ込む。探さなきゃいけないのに。こんな時にまで不甲斐ない自分が嫌だった。こんなの、課題の時とまるで変わらない。マヤ・ナイラに抗うと決めたはずなのに、バディであるオリハ先輩がいなくなった時、探す手立ても見つからない。


「……っ」


 身を引きずるように、壁を伝って進む。しばらく進むと、実習室の看板が見えた。私たちが初めて出会った場所。私は祈るように実習室へと歩みを進める。

 ドアに触れると、中から声が聞こえてきた。


「っ……!」


 慌てて声を上げそうになるのを抑えて、聞き耳を立てる。


「オリハ。オリハが……」

「うん」


 アンの声だった。そして、応えているのは間違いなくオリハ先輩だった。うまく内容は聞き取れないが、声で誰がいるのかは分かる。

 アンとオリハが何かを話している。私はそれを聞いてもいいのだろうか。もし、立ち会ってしまったことでオリハ先輩の身に何か起きたとしたら。思わずぶるっと震える。でも、なんとなく、聞かないといけないような気がした。もうオリハ先輩からも逃げたくなかった。


「オリハは、アンと似てる」


 ひどく無機質な声が、やけに耳にしっかりとどいた。


「人間? うん、人間。でもそれだけじゃない」

「……そうか。やっぱり」


 頭がフリーズする。どういうこと?


「だから、アンはオリハが好き。同族の匂い」

「ふふ、僕は嫌いだよ」


 オリハ先輩が言葉に反して柔らかく笑う。それすら信じられなくて、私は固まっていた。


「いいこと。いいこと教えてあげる」


 アンはけらけらと笑った。


「その扉の向こうに……」


 はっとする。思わず立ち去ろうとする。でも、遅かった。

 扉が勝手に開き、怯えたように見開いたオリハ先輩の目が、私を捉えた。


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