第36話
振りかざされた腕の前に土の盾が現れる。オリハ先輩がとっさに反応したのだ。私はすぐに攻撃準備を始めた。オリハ先輩の言う通りだ。同情なんて、あってはならない。
「水よ、集え」
足元に術式を描く。時間ならオリハ先輩が稼いでくれる。オリハ先輩はちらりとこちらを振り向いて、口角を上げた。
術式に魔力を注ぐと、呼応して周囲の水のエネルギーが渦のように集まってくる。
体内の魔力がしっかりと大地と連動している。これなら。
「……いくよ」
大地が微かに震える。私の言葉に応えるようだった。私の周りで渦巻いた水は、生き物のように天へ伸びた。竜の形をしたそれは、アンの懐へ伸びていく。アンはそれを見て、ニィと笑って黒い手を伸ばした。
「……まずい」
オリハ先輩が小さく呟いて、私の腕を取った。そして空へ浮き上がる。
その瞬間、アンが私の魔法をまるで物であるかのように掴んで、放り投げた。
「な……っ!」
私がさっきまでいた地面を、自分の魔法が削る。威力は自分が一番よく分かっている。えぐれた地面からも明らかだ。でも、アンはそれを、素手で掴んでみせた。
「……冗談じゃない」
思わず呟く。アンは高らかに笑った。
「普通に攻撃して勝てる相手じゃないみたいだね」
「はい……でも、どうしたら」
オリハ先輩はじっとアンのいる方を見つめている。口を大きく開けて笑っている少女と、後ろに蠢いている瘴気の塊。
「……殺すことだけが、勝利ではないかもしれない」
「え?」
「……卒業試験が殺し合いだと言うのは、アンが言っているだけの可能性がある」
オリハ先輩は私の腕を引いたまま、アンの目の前に降り立った。アンは顔をしかめて、笑いを収める。
「殺されに。殺されに来た」
「いや。殺されるつもりはないよ」
なにか、策があるのだろう。でも、私には何も分からなかった。どうすればこの状況を突破できるのかも。
「聞きたいことがある」
オリハ先輩の言葉に、アンは口をへの字に曲げた。興が削がれたとでも言うように、泉のほとりにぺたんと腰を下ろす。
「君は校長の命令で僕たちを襲っているのか?」
「そう。そう」
「君は魔物なんだろう? どうして校長の言うことを聞いている?」
オリハ先輩の言葉に、アンはぴくりと反応した。
「なにか影響力があるのか? 校長は何者なんだ?」
低く問い詰めるオリハ先輩の瞳は暗い。もしかしたら、オリハ先輩自身も、ずっと持っていた問いなのかもしれない。
「われらは。われらは」
アンの声がひび割れていく。苦しむように身悶え始める。私は驚いてその様子を見ていた。
「逆らえない。逆らえない」
「校長に?」
「魔物。魔物は、より強い力に従う」
はっとして、私は声を上げた。
「校長が、あなたよりも強い闇の力を持っているということ?」
「ウ。ウゥ。ウ」
唸るような声を上げて、アンは大きく咆哮した。空間が歪む。私は思わず耳を塞いだ。だが、彼女の強い叫び声は私の手のひらを貫通していった。
「っ……!」
胸にズキズキとした痛みが走る。これは、自分のものではない。空間から伝わってくる、アンの悲痛の声だ。
「アン……!」
思わず手を伸ばす。
「ナツさん、ダメだ!」
オリハ先輩の焦ったような声が聞こえる。でも、手を伸ばさずにはいられない。何かに縛られて、服従を強いられて、苦しんでいるアン。彼女が魔物だと分かっているのに、自分を殺すものだと分かっているのに、近付かずにはいられない。
「ゥ……」
ひどく怯えたように恐慌するアンの肩に触れる。だが、まるで感触を感じない。温度も、触感も、ほとんどない。ただ。無機質な物体がそこにあるだけだ。そのことが、やけに哀しかった。
「アン……っ」
「なんで。なんで!」
アンが振り払おうとする。だがその手は弱々しかった。
もし。殺し合う以外の選択肢が、あるのだとしたら。
「私は、あなたのことが、知りたい」
「っ……!」
「あなたが、どうしてここにいるのか。どうして校長に逆らえないのか。知りたい」
「……っ、ナツ」
苦しげに私を呼ぶ。頭に鳴り響く警鐘を無視して、私は彼女の体に両手を伸ばす。そのまま抱きしめると、石膏のような感触がした。
「殺さなきゃ。殺さなきゃいけない」
「殺させない」
私は言う。
「殺したくないんでしょ」
「ない。殺したく、ない」
うああ、とアンが泣き叫ぶ。
耳を塞ぎそうになるのを耐えて、私はアンをしっかり抱きとめた。




