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マヤ・ナイラの残響  作者: よるん、
第三章「卒業試験」
35/50

第35話


「……来た。来た」


 独特の声が聞こえて、一瞬で緊張が走る。空間全体がぐわんと揺れる。森が風でも吹いたかのようにざわめいた。


「逃げたのに。逃げたのに」


 見渡すと、奥の木の上に少女がいた。太い枝に座って、つまんなさそうにこちらを見ている。


「ここは、あなたの住処?」


 そう聞くと、彼女はふんと鼻を鳴らした。


「森じゃない。じゃない」

「じゃあ……」

「全部。全部わたしの」


 アンは木から下りて、てくてくとこちらに寄ってきた。あまりにも敵意がない。存在感も、やはりない。先程とは別人のようだった。


「全部分かるよ。全部」


 じっと私を見つめる。真っ黒な瞳だ。まるで黒曜石のように深みのある黒。それに見つめられて、私はぐっと動揺を隠した。


「ナツ。ナツは」


 不意に名前を呼ばれ、ごくりと唾を飲み込む。


「オリハ。オリハのことが好き」

「え?」


 その言葉に、胸がわしづかみにされたように固まってしまう。思わず動揺を隠せなくなる。そんなことはない、と言いたい。オリハ先輩とはただの先輩後輩の関係で、卒業試験のバディだ。だが、反論しようとする口が動かない。


「ナツさん。耳を傾けちゃだめだよ」


 オリハ先輩の冷静な声に窘められてはっとする。相手の言葉に飲み込まれそうになっているのを自覚した。それでも、動揺は収まってくれない。


「ひひ。ひひ」


 アンは口の両端を上げた。


「マウ。マウと似てる」

「……っ!?」


 突然出てきた名前に驚く。


「なんでマウ先生? 私が?」

「おいで。おいで」


 アンは軽やかに奥へと駆けていった。その先は泉だ。マップは頭に入っている。追わない理由はない。

 オリハ先輩と頷き合うと、泉へ走り抜けた。そして、そこに待っていた光景は。


「……なに、これ」


 まるでマヤ・ナイラのものと違う。泉にたたえられているのは清浄な水などではない。溢れんばかりの、瘴気だ。闇の魔力、なんて優しいものではない。闇を濃縮してヘドロ状にしたようなものが、泉に満ちていた。

 そして、そのほとりに、少女がぽつんと佇んでいる。その異様な光景に、寒気がした。少女は振り返って、無機質な目で私たちを見た。


「これ。これが、アン」

「これが……?」


 この、おぞましい瘴気の塊が、アンだというのか?


「じゃあ、レンリ先生の魔法生物って……」

「……あれは。あれは、レンリが。アンの一部を持ってった」

「アンの、一部……?」


 つまり、魔法生物という訳でもないのだろうか。いや、それにしたっておかしい。あの魔法生物はこんな異様な雰囲気をしていなかった。


「レンリが。レンリが、世界を見せてくれるって」

「……レンリ先生が?」


 アンは泉のほとりでしゃがみこんだ。黒々とした水面を見つめている。


「アンを。アンを封印する代わりに、友達。友達になってくれた」

「友達……」

「マウ。マウも。反対してたけど。了承してくれた」


 アンの声はどこまでも抑揚がなく、無機質だった。殺し合いをして笑い声を上げていたアンとは別人みたいだ。


「アンは。アンは大人しくしてる。レンリが。レンリが。世界を見せてくれてるから」

「……世界を見せるって……」

「……そうか」


 オリハ先輩が得心がいったように私を見た。


「レンリ先生と魔法生物は魔力で繋がっていた。魔法生物は森にいたけど、魔力を通じてずっとレンリ先生の目を通して世界を見ていたんだ」

「……え、でも、それって」

「うん。……相当な、魔力使用量だ」


 背筋が冷えた。レンリ先生は、そんな約束で、この化け物を抑え込んでいるというのか。


「校長は。校長は言った。オリハとナツを殺せって」

「……それが、私たちにとっては、卒業試験の内容なんだよね」


 アンはかくんとうなだれた。


「アンは。アンは、殺したくない。レンリが見せてくれた世界が、好きだ」

「……アン……」


 心が揺れる。卒業のためには、アンと殺し合いをしなければいけないという。でも、私にこの少女を殺せるだろうか。レンリ先生が見せてくれた、外の世界を好きだという、この子を。


「……ナツさん。同情しちゃだめだよ」

「……分かってます。けど」

「ナツさんがやらないなら、僕がやるから」


 オリハ先輩は、口元に笑みを浮かべた。それを見て、私はなんだか傷付いたような気分で視線をそらした。

 アンが立ち上がり、ゆらりと振り返る。その背中から、めきめきと音を立て、邪悪な翼のようなものが生えてくる。


「アンは。アンは。役目を果たさなきゃ」

「……校長の、言う通りにしなきゃいけないの?」

「そう。そうだよ」


 空間が揺れる。アンの声が反響する。ぐわん、とアンの周りの魔力が歪んでいく。質量のある瘴気の塊が、アンを包んだ。


「殺し合い。殺し合い。しなきゃ」


 アンは、真っ赤な瞳をこちらに向ける。そして、真っ黒な鋭い爪を持った手を掲げたのだった。


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