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マヤ・ナイラの残響  作者: よるん、
第二章「長期休暇と祝祭」
29/35

第29話

 その夜、私はマヤ・ナイラを訪れていた。夜間、校舎は施錠されている。でも、私の目的は別にあった。

 敷地内、校門の外に立ち並んでいる学生寮。その一角に、足を運んだ。今まで立ち寄ることのなかった場所だ。私は迷わないよう、慎重に辺りを確認する。

 オリハ先輩にチャットを送ったのは1時間前のことだ。話がしたいと伝えると、学生寮の部屋番号を教えてくれた。危機感がなかったわけではない。それでも、彼と会わなければいけない、と思ったのだ。


「……杜撰だなあ」


 すんなり学生寮に忍び込めてしまい、思わず呆れを漏らす。警備も監視もないらしい。オリハ先輩が住んでいる男子寮の棟に入るまで、私は誰とも会うことがなかった。仮にも上流階級の子供たちが住む寮が、こんな管理でいいのだろうか。でも、今はそれがありがたかった。

 チャットを見返し、オリハ先輩の部屋の前に辿り着く。ごくりと喉を鳴らした。他の部屋と見分けがつかない、ただの扉。でもその向こうに、私のバディとなる人が住んでいる。

 チャットを送ると、すぐに扉が開いた。オリハ先輩が部屋着姿で現れて、私は思わず息をのんだ。


「……入って」


 オリハ先輩は、そんな私を気にもせず無表情に言った。慌てて中に入ると、オリハ先輩は振り返って身を寄せてくる。


「……っ」


 身を固めて様子を窺うが、オリハ先輩は私のすぐ横に手を伸ばし、部屋の鍵をかけた。そのまま離れたオリハ先輩の背中に、少なからず安堵を感じた。

 最低限の設備しかない狭いワンルームの部屋は、新品のように何も置かれていなかった。まるでホテルの一室のようだ。オリハ先輩の個性のようなものを、この部屋からは何一つ感じられない。


「話って、何?」


 振り返って問うオリハ先輩の声は、いつもより冷ややかだ。それだけで震え上がってしまうのを感じながら、言わずにはいられない。


「オリハ先輩、言いましたよね。負けたくないって」


 オリハ先輩は胡乱げに首を傾げる。


「……私、その言葉を信じます。私も、負けたくないから」


 足が震える。オリハ先輩の冷たい瞳が、刺すように痛い。体が凍えてしまいそうだ。それでも、私は声を上げる。


「卒業試験、受けます。オリハ先輩のバディとして」

「……そう」


 オリハ先輩は無感情に応える。


「話はそれだけ?」

「……オリハ先輩、は」


 言葉に詰まる。何かを言い募ろうとする。でも、うまく声にならない。もどかしく口ごもる私に、オリハ先輩は手を伸ばしてきた。

 私の腕を引き、至近距離で見つめてくる。彼の青灰色が、私の頭をぴしりと凍らせてくる。

 オリハ先輩が唇をゆっくりと開く。何かを言おうとする彼の動きに、目が離せない。

 オリハ先輩はそんな私を見て、ふうっとため息をついた。気付けば私は解放されていて、オリハ先輩は奥のベッドに腰掛けていた。


「帰った方がいいよ。ここにいるのはよくない」

「オリハ先輩!」

「帰って」


 それは、明確な拒絶だった。私は、この先に行くことができない。彼の心に立ち入ることは許されない。彼の部屋にいるのに、明確な線がそこにあった。


「……っ」


 唇を噛んで立ち尽くしていると、オリハ先輩は怪しく笑った。


「帰らないなら、こっちにおいでよ。優しく撫でてあげる」

「そういうつもりじゃ……!」


 怒りを顕にするが、オリハ先輩の態度は変わらなかった。誘惑に乗るなんて、願い下げだ。魅了体質を持つ彼は、何度もこうやって誰かを誘惑してきたのだろうか。そう思うと煮えくり返る心地がした。でも一番腹が立つのは、その誘惑する対象の一人に私を加える、という彼の行動だった。


「じゃあ、どういうつもり?」


 オリハ先輩は、甘い声で低く囁く。見えない線の奥から、誘われている。耳を撫でるようなぞわっとした声に、私は爪が食い込むほどこぶしを握りしめた。


「……嫌なんです」


 絞り出した声に、オリハ先輩は笑みを収めた。


「一族に逆らえない自分も、マヤ・ナイラに逆らえない自分も、……何も選べない自分も」


 オリハ先輩はまっすぐに私を見る。私は声を詰まらせながらも、彼の目を捉えた。


「オリハ先輩が諦めたとしても、私は諦めたくないです。足掻き続けたいんです」


 私はオリハ先輩に近付く。見えない線をくぐり、ベッドに腰掛けるオリハ先輩を見下ろした。寝巻きに包まれた体は線が細く、制服姿の時より壊れやすい印象を受けた。


「……負けませんから。オリハ先輩にも、マヤ・ナイラにも」


 こぶしを握る。まっすぐ彼の目を見る。底知れない恐怖が身を震わせる。それでも、体内の魔力は熱く滾っていた。

 オリハ先輩は、ふっと力を抜いて視線を逸らした。


「……君は、眩しすぎるよ」

「え?」


 オリハ先輩は疲れたように微笑んだ。


「僕は君のようにはなれない。でも、君を素敵だと思う」

「……オリハ先輩」

「ごめんね」


 オリハ先輩はぽそりと謝った。その姿が小さな子供のようで、私は思わず彼の手を取る。驚いたオリハ先輩の目を見て、私は言い募った。


「私たちなら」


 私は課題の時のオリハ先輩を思い出していた。自分のことも、マヤ・ナイラのことも、何も知らなかった頃の私を、オリハ先輩は支えてくれたのだ。


「私たちなら、できます。信じてください」


 オリハ先輩がくれた言葉をなぞる。オリハ先輩の手を、両手でぎゅっと握りしめる。


「……怖いんです、私。こんなことを言ってても、まだ、死ぬのが怖い。堅実な道から外れるのも……怖い」


 自分の手が震えるのを感じながら、それでも強く握る。


「でもこのままマヤ・ナイラの一部になるのはもっと嫌です」


 ぴくり、とオリハ先輩の眉が跳ねた。


「……一緒に、戦ってくれませんか」


 オリハ先輩は、静かに私を見返していた。もう怪しい雰囲気も、冷たい様子もない。ただのオリハ先輩が、私を臆病な目線で見つめていた。


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