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マヤ・ナイラの残響  作者: よるん、
第二章「長期休暇と祝祭」
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第25話

「おかえり、ナツちゃん」

「……ただいま」

「ご飯、すぐできるからね」


 笑顔で迎えた母に、私は力なく返した。母はそれほど気にすることもなく、キッチンに入っていく。自分の心のざわつきに気付かれなかったことにほっとして、自室に入る。

 冷えきった制服を脱ごうとして、手が小刻みに震えているのに気が付いた。まだ、感覚が抜けきっていない。オリハ先輩の手の感触と、深くて暗い瞳の色が、ざわりと脳裏に染み付いている。

 自分の身体を一度ぎゅっと抱きしめて、ふうっと息を吐き出す。緊張で全身が固まっている。丘の上でのオリハ先輩との出来事を思い出すことも、理解することも拒んでいた。それなのに、身体はずっと警戒を解いてくれない。


「……っ!」


 胸に熱いものが込み上げてきて、思わずしゃがみ込んだ。荒い息が落ち着いてくれない。


 ────抜け出そっか。一緒に。


 オリハ先輩の声がぐわんと頭に鳴り響く。意識が持っていかれそうになる。ぎゅっと目を閉じて耐えると、一気に記憶が鮮明に思い出された。

 どうして、あんなこと。どうして、私に? いや、からかわれただけだ。本人も冗談と言っていた。本気のつもりなんてなかった。でも、自嘲するような、諦めたような、彼の声色は。他に道がないからと、突き放すように言った彼の気持ちは、一体どこにあるのだろう。考えれば考えるほど、分からなくなる。

 もし、頷いていたらどうなっていたんだろう。オリハ先輩と二人でマヤ・ナイラを抜け出して、どこか遠いところまで旅して……。それは、なんだか素敵な想像に思えた。もしうまくいくのなら。オリハ先輩と一緒に困難を乗り越えながら、色んなところを巡ることができるのなら。


「……っ、そんなわけ」


 自分を叱咤する。そんなことは実現しない。ただの夢想に過ぎない。オリハ先輩は卒業試験を受けることを最初から決めている、と言っていた。私に、その意志を変えられるだけの力はない。

 ……でも。もし、少しだけ、彼の提案に本気が混ざっていたとしたら。本当は、他の選択肢が欲しかったのだとしたら。


「……わ、たし、は」


 私は、どうしたいのだろう。何を選ぶべきなのだろう。分からない。頭がひどく痛む。これ以上考えたくない。でも考えないといけない、と心が訴えている。私の選択をすればいい、とオリハ先輩は言った。オリハ先輩と抜け出したい、と言ったら、彼は応えてくれるのだろうか。


「ナツちゃーん?」


 扉がノックされる。母の声だ。


「ご飯できたよ」

「うん、今行く」


 ふっと現実に引き戻されて、私は慌てて制服を脱いだ。手早く部屋着に着替えて部屋を出る。良い匂いが漂っていた。

 両親とダイニングテーブルにつき、母の料理に手をつける。母は料理上手で、栄養にも気を配ったおかずを毎日作ってくれている。


「うん、美味しい」


 父はいつものようににこにこしながら言った。母はそれを見て柔和に微笑んだ。いつもの平和な光景だ。両親が喧嘩しているところを、私は一度も見たことがない。


「ふふ、今日はいつもより張り切っちゃった」


 妙に機嫌の良い母に違和感を覚える。


「良いことでもあったの?」

「ふふ、隠さなくってもいいのに」


 母はにこにこと言う。私は首を傾げた。何か隠してたことがあっただろうか。


「卒業試験を受けるんでしょう? すごいじゃないの」

「え?」


 どうして、それを。驚いた様子の私に、母は嬉しそうに言った。


「試験開始の書類が届いてたわよ」

「……そうなんだ」


 あぁ、と腑に落ちた。乾いた笑みが口の端に滲む。選択なんて建前だ。書類のことなんて知らされていなかった。元々、主導権は両親にあって、私の意見などあってないようなものだ。最初からそうだった。私がマヤ・ナイラに入学したのも一族の意向。卒業させようとするのはマヤ・ナイラの意向。私が卒業に興味ない、なんて言ったところで、結論が変わることなんてなかったのだ。

 肩を落とし、力なくはにかんだ。母も父も、嬉しそうに微笑んでいる。


 ────僕には、他に道がないから。分からないな。


 オリハ先輩の言葉が、残酷なほどに腑に落ちた。

 結局私も、オリハ先輩と同じ。最初から決まっていた。……逃げられないのだ。

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