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マヤ・ナイラの残響  作者: よるん、
第二章「長期休暇と祝祭」
24/33

第24話

 日が沈む頃、私たちは小高い丘の上に来ていた。人気はなく、冷たい風が木々をざわめかせている。夕暮れはすぐに過ぎて、あたりはにわかに暗くなっていった。


「こんなところ、よく知ってるね」

「……逃げ場所なんですよ。誰にも見つからないから」


 オリハ先輩は古びた柵に手をかけて、街を見下ろした。夜になっても街灯がよく光っていて明るい。


「家でずっと勉強してたら、嫌になるじゃないですか。親の目を盗んで、たまにこっそり抜け出してたんですよ」

「今も?」

「……いえ。今は、学校の勉強で精一杯ですし」


 自分で言ってて、なんとなく気持ちが落ち込んでしまった。マヤ・ナイラに入ってからは毎日がとんでもなく忙しくて、抜け出すなんて考えすら浮かばなかった。


「……魔法とか、卒業とか。正直、私にはどうでもいいんですよ。でも、他に何もないのも事実なんです」


 オリハ先輩は何も言わず、隣で街を見つめていた。冷たい風が柔らかい髪を撫でる。こんな暗がりでも、彼の青灰色の髪は美しく波打っていた。


「卒業を望まれていることは分かってるんです。名誉なことだってことも。でも、……怖くて」

「怖い?」

「……たぶん、ですけど」


 言葉を探す。喋ることは得意ではない。どう話したら伝わるだろう。口の中で模索している間、オリハ先輩は何も言わずに私の言葉を待ってくれていた。


「……マヤ・ナイラは、普通じゃないから」


 ぴくり、とオリハ先輩の肩が震えた。私は言葉を続ける。


「本当はいつだって死と隣り合わせで、でも私たちはそのことに気付かないようにしてるような、そんな、気がして」


 ふ、とオリハ先輩は笑った。今まで聞いたことのない、自嘲のような声だった。


「死ぬのが、怖い?」

「……怖いです。すごく」

「そっか」


 振り返ったオリハ先輩は、いつもと変わらない表情に戻っていた。優しく、柔和な笑み。とろけるほどに愛おしそうな視線。


「ナツさん」


 私はオリハ先輩から目が離せなかった。身体が強張って、言うことを聞かない。暗い青灰色の瞳に吸い込まれる。私はこの感覚を知っていた。模擬戦闘で、彼から目を離せなかったあの感覚だ。ダメだ、と思った時にはもう遅い。オリハ先輩は、私の手を取って、至近距離で目線を合わせてきた。


「抜け出そっか。一緒に」


 声が出ない。意味もなく口を開け閉めする私に、オリハ先輩はにこりと怪しく微笑んだ。どうしよう。一歩後ずさると、オリハ先輩はその分だけ距離を詰めてきた。逃げられない。物理的な距離だけではない。頭が、オリハ先輩の甘い言葉に支配されて、身動きが取れない。


「ぬ、けだすって、どこに」

「さぁ。どこだろうね」


 オリハ先輩の言葉が頭に響く。後頭部が重たい。深い瞳から目が逸らせない。身体中が警鐘を鳴らしている。ダメだ。彼の言葉を聞いては。


「オリハ、せんぱ、い」

「……なんてね」


 ふっと空気が弛緩した。あっさりと手は離れて、オリハ先輩は古びた柵の近くに寄っていった。諦めのような表情が、街の明かりにぼんやりと照らされている。私は膝が震えて、思わずよろけた。動悸がうるさい。荒い息を整えようと、体内に焦点を向ける。


「冗談だよ。僕は卒業試験を受ける。そのことは最初から決めているから」

「……っ」


 私はからかわれたのだろうか。魅了体質まで使って。でも、一瞬だけ見せた自嘲のような笑みが脳裏にこびりついている。分からない。オリハ先輩という人が、何も分からない。私は震えが止まらなくなって、その場で制服の裾をつかんだ。


「死ぬのが怖ければ、退学した方がいい。君の言う通り、マヤ・ナイラは普通じゃない。正しいのは、君の方だよ」

「……どうして」

「どうして?」


 オリハ先輩は振り返って微笑んだ。


「さぁ。僕には、他に道がないから。分からないな」


 その笑みがあまりにもいつも通りの穏やかさで、私は、それ以上何も言うことができなかった。ただ、震える身体と、熱く高鳴る心臓と、冷たい風を、ひどく鮮明に感じていた。

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