第24話
日が沈む頃、私たちは小高い丘の上に来ていた。人気はなく、冷たい風が木々をざわめかせている。夕暮れはすぐに過ぎて、あたりはにわかに暗くなっていった。
「こんなところ、よく知ってるね」
「……逃げ場所なんですよ。誰にも見つからないから」
オリハ先輩は古びた柵に手をかけて、街を見下ろした。夜になっても街灯がよく光っていて明るい。
「家でずっと勉強してたら、嫌になるじゃないですか。親の目を盗んで、たまにこっそり抜け出してたんですよ」
「今も?」
「……いえ。今は、学校の勉強で精一杯ですし」
自分で言ってて、なんとなく気持ちが落ち込んでしまった。マヤ・ナイラに入ってからは毎日がとんでもなく忙しくて、抜け出すなんて考えすら浮かばなかった。
「……魔法とか、卒業とか。正直、私にはどうでもいいんですよ。でも、他に何もないのも事実なんです」
オリハ先輩は何も言わず、隣で街を見つめていた。冷たい風が柔らかい髪を撫でる。こんな暗がりでも、彼の青灰色の髪は美しく波打っていた。
「卒業を望まれていることは分かってるんです。名誉なことだってことも。でも、……怖くて」
「怖い?」
「……たぶん、ですけど」
言葉を探す。喋ることは得意ではない。どう話したら伝わるだろう。口の中で模索している間、オリハ先輩は何も言わずに私の言葉を待ってくれていた。
「……マヤ・ナイラは、普通じゃないから」
ぴくり、とオリハ先輩の肩が震えた。私は言葉を続ける。
「本当はいつだって死と隣り合わせで、でも私たちはそのことに気付かないようにしてるような、そんな、気がして」
ふ、とオリハ先輩は笑った。今まで聞いたことのない、自嘲のような声だった。
「死ぬのが、怖い?」
「……怖いです。すごく」
「そっか」
振り返ったオリハ先輩は、いつもと変わらない表情に戻っていた。優しく、柔和な笑み。とろけるほどに愛おしそうな視線。
「ナツさん」
私はオリハ先輩から目が離せなかった。身体が強張って、言うことを聞かない。暗い青灰色の瞳に吸い込まれる。私はこの感覚を知っていた。模擬戦闘で、彼から目を離せなかったあの感覚だ。ダメだ、と思った時にはもう遅い。オリハ先輩は、私の手を取って、至近距離で目線を合わせてきた。
「抜け出そっか。一緒に」
声が出ない。意味もなく口を開け閉めする私に、オリハ先輩はにこりと怪しく微笑んだ。どうしよう。一歩後ずさると、オリハ先輩はその分だけ距離を詰めてきた。逃げられない。物理的な距離だけではない。頭が、オリハ先輩の甘い言葉に支配されて、身動きが取れない。
「ぬ、けだすって、どこに」
「さぁ。どこだろうね」
オリハ先輩の言葉が頭に響く。後頭部が重たい。深い瞳から目が逸らせない。身体中が警鐘を鳴らしている。ダメだ。彼の言葉を聞いては。
「オリハ、せんぱ、い」
「……なんてね」
ふっと空気が弛緩した。あっさりと手は離れて、オリハ先輩は古びた柵の近くに寄っていった。諦めのような表情が、街の明かりにぼんやりと照らされている。私は膝が震えて、思わずよろけた。動悸がうるさい。荒い息を整えようと、体内に焦点を向ける。
「冗談だよ。僕は卒業試験を受ける。そのことは最初から決めているから」
「……っ」
私はからかわれたのだろうか。魅了体質まで使って。でも、一瞬だけ見せた自嘲のような笑みが脳裏にこびりついている。分からない。オリハ先輩という人が、何も分からない。私は震えが止まらなくなって、その場で制服の裾をつかんだ。
「死ぬのが怖ければ、退学した方がいい。君の言う通り、マヤ・ナイラは普通じゃない。正しいのは、君の方だよ」
「……どうして」
「どうして?」
オリハ先輩は振り返って微笑んだ。
「さぁ。僕には、他に道がないから。分からないな」
その笑みがあまりにもいつも通りの穏やかさで、私は、それ以上何も言うことができなかった。ただ、震える身体と、熱く高鳴る心臓と、冷たい風を、ひどく鮮明に感じていた。




