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マヤ・ナイラの残響  作者: よるん、
第1章「オリハという先輩」
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第19話

「オリハ……先輩……?」


 目の前がゆっくりと流れていく。急に現実から遠ざかったようだった。黒い手に貫かれた、オリハ先輩の背中がゆらりと傾ぐ。風の制御が不安定になり、そのまま地面に落下していく。


「……オリハ先輩!」


 はっと我に返って追いかける。空中を足で蹴って、落下していくオリハ先輩に手を伸ばす。動揺で私自身も魔力の制御がうまくいかない。それでも必死に手を伸ばす。攻撃を受けた上、こんな高さから叩きつけられたら、オリハ先輩は……!


「……っ」


 ぎりっと奥歯を噛み締める。なんて不甲斐ないんだろう。魔物の頭部を引き剥がしたことに安堵して、油断してしまった。そんな私を庇って、オリハ先輩は魔法を発動させる間もなくその身で魔物の攻撃をもろに受けたのだ。


「間に合えっ……!」


 泣きそうになりながら後を追い、引きちぎれるかのように痛む体を必死に加速させる。落ちていくオリハ先輩に少しずつ近付いていく。でも地面もどんどん近付いている。


「……っ、いやっ……」


 回らない頭の中でも、速度計算がしっかり弾き出してしまう。間に合わない。風の加速を使っても、遅れた分の速度がほとんど縮まらない。

 地面がどんどん近付いてくる。限界まで手を伸ばす。視界が滲む。喉が痛いほどに熱くなる。私のせいで、私を庇ったせいで、このひとが、オリハ先輩が……!


「水人形」


 ふと、落ち着いた声が耳に届いた。同時に地面に水人形が現れる。それは大きな手でオリハ先輩と私を捕らえて、水の力で衝撃を吸収しながら抱き抱えた。


「み、ずにんぎょう……?」


 頭が混乱している。耳に届いた声の主は分かっている。助けてくれた魔法生物の扱いに長けた、私たちのよく知っている人物。


「手当てするわ。ナツさんは下がっていて」

「……マウ先生っ」


 顔が歪む。緊張の糸が緩み、ぼろっと涙が溢れた。マウ先生は、私を見て柔らかく微笑んだ。


「……頑張ったわね」


 それだけ言うと、マウ先生はオリハ先輩の治療に専念する。私は完全に力が抜けて、その場にぺたっと座り込んで泣きじゃくった。こんなに涙が出たのは本当に久しぶりのことだった。


「……っ、あ」


 嗚咽がとめどなく流れ出る。涙が止まらない。だがそんな中でも、危機感センサーというものは優秀で、私はとっさに顔を上げた。

 泉に残された魔物の体は、未だに蠢いている。磔にされた魔物の頭部は苦しげに呻いてはいるが、致命傷には至らず、赤黒い液体を流しながら不気味な悲鳴を上げている。

 ゆらゆらと黒い液体で満たされた泉から、静かな殺気を感じる。ゴポゴポと泡立ち、ぬるりと手を出そうとしているのを、私は見ていることしかできない……。


「アン!」


 その掛け声と共に、光が瞬いた。泉の近くに待機していた光の魔法生物は、主人の魔力を受けて力を増幅させる。小さな獣は瞬時に巨大化し、獰猛なあぎとを開いた。そのまま魔物の頭部を丸ごと食い、ごくりと飲み込む。そしてその魔法生物は、泉の中に飛び込み、静かに沈んだ。魔物の声は鎮まり、泉は元の清浄な色に戻る。

 私はその一連の出来事を、ただ、呆然と眺めていた。マウ先生がオリハ先輩の傷を診ている後ろで、固まっている私の隣にレンリ先生が腰を下ろした。


「は~疲れたぁ。ナツくん、お水とか持ってない?」


 こともなげに言うレンリ先生が信じられなくて、何も言えずにいると、彼はむっとした表情で首を傾げた。


「人をお化けみたいに見ないでよ。傷付くなぁ~」


 いつものように軽い調子で口を尖らせるレンリ先生に、私は思わず問いかけた。


「……本物ですか?」

「え?」


 ぽかんとするレンリ先生の声に、くすくすと笑う声がした。前でマウ先生が肩を小刻みに震わせていた。


「ふふ、レンリ、あなた偽物らしいわよ」

「えぇ? 俺はいつでも唯一無二だよ〜」


 そんなやりとりに、ようやく現実に戻ってきた感覚を得た。


「……生きてるんですね、私たち」


 自らの手を見る。ずっと気を張っていたせいか、土埃で汚れた手は血の気を失っている。でも、たしかに自分の意思で動かすことができる。軽く握ると、うまく力の入らない拳が微かに揺れた。

 マウ先生は私に振り返って、優しく微笑んだ。


「大丈夫、オリハは無事よ。これを見て」


 マウ先生が差し出してきたのはペンダントだった。だが、嵌められていたはずの光の結晶は粉々に砕かれている。


「これは闇の力を一度だけ防ぐの。傷は塞いだし、しばらくすれば元気になるわ」

「……マウ先生」


 今度こそ完全に安堵して、再び涙が溢れてきた。私を身を呈して庇ってくれたオリハ先輩。助けられない、と自分を呪った瞬間が忘れられない。それでも、生きている。マウ先生が、レンリ先生が、最後の最後で助けてくれた。私たちに危険な課題を課しながら、最後まで見守ってくれていた。


「……っ」


 色んな感情がぐちゃぐちゃと通り過ぎ、言葉になってくれない。ただ、嗚咽だけが口から漏れ出る。そんな私を、マウ先生は穏やかに見守ってくれた。そして隣に腰掛けたレンリ先生は、いつも通りの軽薄な表情で、夕暮れに移りゆく空を眺めていた。


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