第17話
森に向かう道すがら、オリハ先輩は何も言わなかった。風見鳥を呼び出すための道具が仕舞われた鞄を揺らしながら、ただまっすぐ前を向いて歩いていた。私はその半歩後ろで、うつむきながらついていくだけだった。
「ナツさん」
呼ばれて顔を上げると、もう森の前に着いていたようだった。今まで見ていた課題の場所としての森とは違う。私たちはこれから、魔物と戦いに行くのだ。
オリハ先輩は不安の募る私を見て、ふっと柔和に微笑んだ。
「手を出して」
「手?」
言われるがまま差し出すと、オリハ先輩は自らの両手で包み込んだ。熱くも冷たくもない。ほんのりと温もりを感じる。オリハ先輩は祈るように目を閉じて、包んだ両手にそっと息を吹きかけた。
「……っ」
直接息が触れている訳ではない。それなのに、彼の身体の温もりが私の中に注ぎ込まれているかのようだった。
「大丈夫。僕を信じて」
オリハ先輩はそれだけ言うと、ゆっくり手を戻す。私は手を差し出した状態のまま固まって、微笑むオリハ先輩から目を離せないでいた。
「ナツさんは課題を達成できる。僕と協力すれば、必ず」
私は何も言えず、オリハ先輩を見つめていた。そうだ、私はオリハ先輩と協力して、課題を達成しないといけない。これは授業の一環だ。魔物と戦うことも、そのうちのひとつ。ただ、それだけ。
「……私」
ぽつりと漏らす。オリハ先輩は微笑んだまま首を傾げた。
「怖いんです。自分が堅実な道から外れることが、とてつもなく」
「……うん」
「だから、そうじゃない人を見ると、すごくイライラして」
「うん」
「でも、きっと、気付いてたんです。それだけじゃダメだって」
オリハ先輩は一度目を閉じると、私を優しい眼差しで見た。何も言わず、ぽん、と私の頭に手を乗せると、身を翻した。
「風見鳥を召喚するよ。ナツさんはマッピングの準備をしてくれるかな」
「……はい!」
もう迷いはなかった。鞄から、羊皮紙を取り出す。結局、前回は一本道を歩くだけだった。でも、それだけな訳はない。最奥の泉にちゃんとたどり着くため、精神を落ち着かせる。自分の中の魔力をじっと感じる。荒ぶる鼓動と揺らいだ魔力を、深呼吸をして制御する。自分の手の中に取り戻す。
一瞬の光と共に風見鳥を召喚したオリハ先輩は、私を見て言った。
「行こうか」
「はい!」
そして森の中へ入っていく。前回、永遠にも思われた長い一本道は、あっさりと終わった。獣道は薄くなり、どんどん暗くなっていく。どこが道かも分からない。ただ植物がまだらに生い茂る中に木々が伸びている。
「魔力の痕跡をピンとして残しておこう。一日くらいなら持つはずだよ」
「ありがとうございます」
オリハ先輩が地面に魔力を込める。私はそれを目印に、羊皮紙に丸を記した。
目を閉じると、しっかりと魔力の流れを感じる。一本道を歩いてきた痕跡、そして一際強いオリハ先輩のピン。森全体を覆うおぼろげな闇の気配。今なら、しっかりと把握できる。
定期的にピンを起きながら、私たちは森を進んだ。
「闇の力が濃い方が、奥ってことですよね」
「そうだね。影の本体が封印されている泉に僕たちは向かっているわけだから」
「それなら、きっとこっち側です」
指で示す。オリハ先輩は頷いて、行き先をずらした。ピンと方角を記録しながら、奥に進んでいく。入口に戻るようなことはしない。自分の魔力感知能力を信じて、影の方へと向かっていく。
「……オリハ先輩」
「うん」
オリハ先輩は頷くだけで応えた。ひときわ強い、闇の力だ。他に何も見えないほどの、暗闇。でも、私はもう飲み込まれない。逃げもしない。先生たちの意図は分からない。でも、これは自分に対する課題だ。
「行きましょう」
「そうだね、ナツさん」
オリハ先輩は隣でふわりと笑う。彼と協力すれば、きっと大丈夫。根拠のない自信が、私を繋ぎ止めていた。
大きな泉が現れる。黒い霧の中で、泉は清浄な気配を醸していた。もしかしたら、あの泉自体が封印なのかもしれない。泉のほとりに、小さな魔法生物がちょこんと座っていた。光を放つ、長い耳と長い尾を持つ獣。レンリ先生の魔力を薫らせながら、私たちを見つめている。
「……レンリ先生」
話しかける。魔法生物はどこ吹く風で、耳をかいている。
一歩近付く。魔法生物は伸びをして立ち上がった。
そして、ほんのりとした光が徐々に光量を増す。
「……!」
やがて強烈な光を撒いて咄嗟に目を閉じる。収まって目を開けると、泉が黒に染まり、ぬるり、と黒い影が頭を出した。不定形の頭部に、赤い目がゆらゆらと浮かんでいる。魔物の卵、とホノ先生は言っていた。でも、目の前にいるのは、まさに魔物の一部だった。部分的に封印から解き放たれた魔物は、黒い頭から影のような手を伸ばす。赤い不気味な目が、私たちを捉えた。
「……来るなら来いっ」
私は自らの体内の魔力に集中する。緊張で動悸と汗が止まらない。震える手で、胸元のペンダントをしっかりとつかむ。それは、闇に飲み込まれないよう私に光の加護を与えてくれているように感じた。




