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「ふぁ〜あ」
自分のあくびの音にしては妙に響くなと思ったら、まったく同じタイミングで廉史もあくびをしていた。視線を落とした先では、琥珀色の瞳をトロンととろけさせた廉史がシパシパと目を瞬かせている。
「サボりゃ良かったか」
「サボりたかったねぇ……」
罰則という名の現場を片付けた翌日。
煌司と廉史はあくびを噛み殺しつつ、五華学園の外周沿いを歩いていた。
二人にしては早い時間帯に生真面目に徒歩で登校しているのは、何も二人が心を入れ替えて真面目に学業に励もうと考え直したから、などではない。
──まさか俺らが二徹に耐えきれずに寝落ちするなんてなぁ……
いや、正確に言えば、廉史は村井の爆音説教中に寝落ちていたから、二徹になりかけたのは煌司だけなのだが。
昨晩の捕物現場で計十四人を捕縛、一人を取り逃す結果となった二人は、駆けつけた錬対捜査官に捕縛した人間を引き渡した後、錬対の捜査室で事のあらましを報告することになった。
だがまず、捜査官達が被疑者を連行している間に廉史が寝落ちた。
一度寝落ちてしまった廉史は、揺すろうとも叩こうとも耳元で叫ぼうとも中々目を覚まさない。『起こそうとするだけ労力の無駄』と断じた煌司の言葉を捜査官達が受け、廉史は錬対の車に乗せられることになった。
そうなると煌司も同乗した方が護衛役としては都合がいい。煌司のバイクは錬対の捜査官達が回収してくれることになったので、煌司もありがたく車に同乗した。
結果、車のシートに身を預けた瞬間、煌司はものの見事に寝落ちした。次に目を開いた時には錬対捜査室の仮眠室で、顔馴染みの捜査官からは『お前らも寝てる時はただの高校生なんだなぁ』なんて言葉をしみじみと向けられてしまった。
──いや、護衛官としては大問題だろ。人の気配があるのに呑気に寝こけてるとか。
相手が顔馴染みの錬対捜査官であろうが関係ない。身内が敵に回る可能性だってないとは言い切れないのだ。隙を見せれば己の役目を果たせない。
錬対捜査官になりたいわけではないが、誰よりも大切な幼馴染のことは守りたい。それが煌司の偽らざる本音だ。
──要鍛錬。
……などと己を戒めつつも、漏れ出るあくびを止められないのは己の未熟と言うべきか、何と言うか。
──てか、未成年を夜中まで働かせてることにこそ問題があるんじゃねぇか?
「結局錬対に顔出すのは、……ふっ、あ〜……今日の放課後だっけ?」
眠気が払いきれない頭でつらつらと考えていると、隣から同じくらい寝ぼけた声が上がった。改めて視線を向ければ、重たそうな瞼を何とか半分まで上げた廉史が不機嫌そうに前を見つめている。
「おー、迎えに来るって話だったよな。……寝ぼけてた俺の記憶が正しけりゃ、だが」
「俺も似たような感じで覚えてるから、多分合ってんじゃね?」
錬対の仮眠室で目を覚ました二人は、そのまま錬対の車に乗せられ、この近くに放り出された。車に乗せられている間に朝食と称して菓子パンとパック牛乳を与えられたのは、せめてもの恩情だろう。『帰りも迎えに来てやるから、真面目に学業に励むようにな』といい笑顔を向けられたが、そんなところに気遣いを見せるくらいならば今日一日しっかり休ませてほしい。
「恩情っつーか、『逃げんなよ』っていう脅しというか」
「悪ぃねぇ、シラ。俺が寝落ちて記憶の吸い出しができなかったばっかりに」
「いや、どちらかと言えば、悪いのは俺らをこき使いやがる錬対であって、レンが悪いってわけじゃ……」
眠気に意識を遊ばせながら、煌司はつらつらと答える。
その瞬間、『何か』がサワリと煌司の感覚に触れた。
「……?」
その感覚を覚えた瞬間、意識の大半を苛んでいた眠気がスッと波が引くように消えていく。どれだけ意識がぼやけていようとも冴え渡ったままな『本能』とも言うべき感覚が、眠気を押しのけて煌司の意識を強制的に叩き起こす。
最後に瞬きひとつで意識を切り替えた煌司は、周囲に覚られないようにそっと視線を滑らせた。
──何だ?
自分の意識を叩き起こしたトリガーが何であるかは分かっている。
殺意。
こんな長閑で爽やかな朝に似つかない殺気が、どこからともなく煌司達に向かって注がれている。
「……シラ」
同じものを、廉史も時間差で察したのだろう。瞼が半分下がったままでありながら、廉史の瞳からは眠気が消えていた。感情が褪せて冷めた瞳は、半眼のまま冷静に周囲を観察している。
「どう見た?」
「……つけられてんな。三人か」
後ろを振り返らないまま、煌司は小さく囁いた。唇の動きを押さえた低い声は、廉史の耳にだけ届いて消えていく。
「どこのどなたさんだろうね?」
「最有力候補は、昨日取り逃がしたヤツの手勢か?」
「ワァオ、手が早い上に何だか物騒」
──マズいな。
周囲に視線を配りながら、煌司は小さく顔をしかめた。廉史も見えている以上に深刻な状況だと分かっているのか、茶化した口調で言葉を紡ぎながらも表情に微かな緊張が見える。
登校時間帯の通学路。さらに学校のすぐ傍という場所柄、周囲には五華学園の生徒の姿がチラホラと見えた。
いくら錬力使いの卵達であろうとも、全員が全員煌司達のように荒事に慣れているわけでもなければ、戦闘に向いた錬力を持ち合わせているわけでもない。ここで派手に暴れれば、最悪周囲の生徒に死者が出る。
──向こうもザコじゃあなさそうだしな。
相手は恐らく相当な手練れで、場慣れもしている。そうでなければ煌司達をこの場に送り届けた錬対捜査官達が異変を察知して対処に動いたはずだ。その労を惜しませないくらいには、錬対にとって『黒浜廉史』の価値は重い。
「シラ、後ろだけじゃなさそう」
「……だな」
表面上は何にも気付いていなさそうに、あくまで『眠たすぎて口を開くのもタルい』という風情を取り繕ったまま、煌司と廉史は足を進め続ける。
そんな自分達に突き刺さる視線が増えたことに、煌司はきちんと気付いていた。
──前方上方……位置からして狙撃手か?
どうやら自分達は、かなりヤバい人間を取り逃がしてしまったらしい。
先方は昨晩から今朝という短時間の間に、自分達を確実に消す布陣を整えてきている。対して自分達は、一体誰を敵に回したのかさえ分かっていない。
──『敵が誰であるか』よりも、まずは『この状況をどう切り抜けるか』が問題だな。
「レン」
「おう」
自然体を装ったまま、煌司はさり気なく背中に負った竹刀袋に手をかける。対する廉史はしばらく前からジャケットのポケットに両手を突っ込んでいた。その右手が通信端末をいじり、錬対に緊急信号を送っていたことを、煌司だけが見抜いている。
「もういいか?」
「オッケー」
短いやり取りだけで、打ち合わせは終わった。
次の瞬間、煌司は竹刀袋から迦楼羅を抜いていた。同時に己の錬力を全力で周囲に展開する。
ゴアッと炎が湧き起こる音とともに、煌司の周囲が一瞬にして煉獄に化けた。突如発生した高熱が周囲の景色を歪ませ、煌司と廉史を取り巻くように蜃気楼の壁が生まれる。
「炎舞・壱の型」
突然のことに周囲にいた生徒達から悲鳴が上がった。驚いたのは尾行者達も同じだったのか、煌司と廉史を後ろからつけていた気配が怯んだかのように動きを止める。
「『逢魔の閃光』っ!!」
その隙に煌司は炎を纏わせた迦楼羅を思いっきり傍らの塀に向かって振り抜いた。同時に廉史の頭を庇うように覆いかぶさり、迦楼羅の軌跡の先へ飛び込むように身を投げる。
その瞬間、一瞬前まで廉史の頭があった場所を何かが勢いよく通過していった。状況と空気の揺れから察するに、尾行者達よりも先に狙撃手が引き金を引いてきたのだろう。
──てかこの威力、もしかしてただのスナイパーライフルじゃなくて対物スナイパーかっ!?
着弾した先の道路を見遣れば、小型隕石が落下したのかと見紛うようなクレーターができていた。ただのスナイパーライフルではここまでの威力は出ない。
『確実に殺す』『殺すだけではなく、黒浜廉史の脳を物理的に破壊する』という相手の意思が見えたような気がした。その明確な殺意と圧倒的な暴力に煌司の背筋がゾッと冷える。
同時に『黒浜廉史』専属護衛官として、また未来の錬対捜査官として鍛えられた自分が、冷静に状況を分析していた。
──てことは、やっぱり連中の狙いはレンの記憶。
「レン」
迦楼羅の炎を纏わせた斬撃を浴びた塀は、大きく崩れてポッカリと道を開けている。煌司は廉史を庇ったまま、強制的にこじ開けた通用口を使って学園の敷地の中に飛び込んだ。
粉塵さえもが炎にあぶられてチリチリと消し炭になっていく中、懐に庇うように抱えた廉史に視線を落とす。
対する廉史は静かな顔で煌司を見上げていた。頭を庇うために己の通学鞄を頭に乗せるように構えた廉史は、この状況下でも恐怖や混乱を見せていない。煌司を見上げる瞳の中にあるのは、『シラなら絶対この状況を打破してくれる』という信頼だけだ。
そんな相棒に、煌司は短く囁く。
「用意は」
『何を』という部分が削ぎ落とされた簡潔な問いに、廉史は小さく頷くことで答えた。自分達の間ならば、これだけで十分に意図は通じる。
「全部防ぐ。行け!」
その証拠に、煌司が背後を振り返って構えると同時に廉史は弾かれたように走り出した。そんな廉史に追いすがろうとした鉛玉を、煌司は迦楼羅の斬撃で斬り伏せる。
──この角度ならば、狙撃手の一人は塀が邪魔になって撃ってこれないはず!
ようやく動き出した追跡者達が撃ち込んでくる弾を防ぎながら、煌司も廉史の後を追って走る。展開され続けている炎が蜃気楼の壁を作り出しているおかげか、狙撃の弾は廉史からかなり外れた場所に撃ち込まれていた。
しかしその防御が攻略されるのも時間の問題だろう。誤差は計算すれば埋められる。さらに言えば相手が何らかの錬力を有している可能性だって否定はできない。
──学園の敷地内に逃げ込めればどうにかなるかと思ったのに! おかまいなしかよっ!?
五華学園はこの国の錬力分野の一部を牛耳る機関だ。その権力の強さは治外法権扱いと言ってもいい。五華学園の敷地内で面倒事を起こせば、どんな組織でもただでは済まされない。
この国に生きる錬力使いならば、誰もがそれを知っている。煌司はその権力に向こうが怯んで手を引いてくれることに賭けたのだが、煌司に追いすがる追跡者達はガッツリ学園の敷地に踏み込んだ状態でおかまいなしに引き金を引き続けていた。狙撃手も攻撃の手を緩める気配はない。相手は五華学園を敵に回してでもここで廉史を消すつもりだ。
──生半可な覚悟じゃねぇってことか。でもな!
懲りることなく撃ち込まれる弾丸を、ひたすら迦楼羅で弾き続ける。
その瞬間、煌司は灼熱の空気がわずかに温度を下げたことに気付いた。目を凝らして見遣れば、弾が撃ち込まれる向こうから白い靄とともにパキパキという微かな音が忍び寄ってきていることが分かる。
──氷雪系の錬力か……!
煌司が展開する灼熱と向こうが展開する冷気がかち合い、空気が激しくかき乱される。業火に溶け落ちた地面が氷土に上書きされているところから察するに、力量は相手の方が上だろう。
やはり向こうは『黒浜廉史』を確実に始末するために『専属護衛官・白浜煌司』の錬力に対抗できる人間を用意している。恐らく知りうる限りの技量に対抗策を用意しているはずだ。持久戦に持ち込まれた場合、あまりにもこちらに分がなさすぎる。
だが煌司の記憶と予測が正しいならば。
──時間稼ぎは、これで十分!
煌司は迦楼羅から左手を離すと、薄らいでいく蜃気楼の向こうへ手のひらをかざした。淡く像を結び始めた襲撃者が、煌司のはるか後ろにいる廉史を狙って拳銃を構えているのが分かる。
「っ、らぁぁぁあああっ!!」
そんな不届者へ、煌司はありったけの力を込めた炎を叩きつけた。己の錬力を攻略されかかっている煌司が、ここで錬力戦を選ぶとは思っていなかったのだろう。襲撃者はとっさに銃口を下げると、煌司と同じように片手をかざして己の錬力を展開させる。
煌司が生み出した炎の波が、襲撃者が作り上げた氷の壁とかちあった。やはり向こうの錬力の方が煌司に勝っているのか、炎波は氷壁を突破できずに蹴散らされる。
──だが、それでいい。
欲しかったのは、煌司と廉史から銃口が逸らされる一瞬の隙。
襲撃者が銃口を下げた瞬間、煌司は横へ飛び退くと両手で耳を塞いだ。
「クゥゥゥオラァァァァアアアアッ!!」
その瞬間、一瞬前まで煌司が立っていた場所を衝撃波が駆け抜けた。
「うちの生徒に何しやがるっ!!」
直撃コースから身を外した煌司でさえ、全身がビリビリと震え、鼓膜が激痛を訴えるような衝撃を感じているのだ。不意打ちで直撃を喰らった襲撃者などひとたまりもない。
──朝の校門制服点検の当番が村井だったことをラッキーと思う日が来るとはな!
耳を押さえたまま廉史が駆け抜けた先を見遣れば、竹刀を片手に構えた村井が仁王のように険しい顔で起立していた。その背後にしっかり両耳を押さえた廉史がいることを確認した煌司は、両耳を押さえたまま襲撃者の方へ視線を向け直す。
衝撃波によって炎も冷気も消し飛ばされた向こう側。クリアになった景色の先には、暗色のスーツに身を包み、地面に片膝をついた人影があった。
尾行者は三人いたはずだが、煌司の錬力に対処するためなのか、前衛に出ていたのはその一人だけだったらしい。
結わずに流された長い白髪がこぼれかかっていて詳しい顔立ちは分からないが、体つきから察するに恐らく性別は女だろう。内臓か、あるいは鼓膜をやられたのか、うつむいた先の地面にパタパタと赤い飛沫が散っている。
──マジかよ……村井の本気の『音』を喰らったらああなんのか……
錬力使いを育成する五華学園には、生徒側だけではなく教師側にも優秀な錬力使いが揃っている。
教師全員が錬力使いというわけではない。だが煌司の体感で言ってしまえば、教師の八割は何らかの錬力を持ち、その扱いに突出した名うての錬力使いだ。
戦闘技量に優れた教師が多く在籍している他、特殊錬力保有者も多いと聞く。さらに言えば錬力を保持していない一般人でありながらこの学園に籍を置いている者は、錬力以上に突出した何らかの能力を持っているらしい。
煌司と廉史が毎回世話になっている担任教師の村井は、今でこそ教鞭を執っているが、かつては錬対捜査官としてその力を振るっていたという話だ。むしろその経歴があるからこそ、村井は煌司達の担任教師に抜擢されている。
そんな村井の錬力は『音』。村井の雄叫びは、物理的な破壊力を伴う無差別凶器だ。
「襲撃者どもに警告するっ!! これ以上うちの生徒に手ェ出そうってんならっ!! 錬対が出張るまでもなくっ!! 我々五華学園がお前達を叩き潰すっ!!」
今度の村井の声は、一方向ではなく周囲全体に向かって拡散された。怒りと威圧が乗った声は、襲撃者だけではなく周辺にある全てをビリビリと震わせる。うねるような空気の振動に耐えきれず、建物の壁が大きく揺れ、パリンッ、パリンッと窓ガラスが面白いくらい簡単に砕け散った。
その異様さに怖気づいたのか、初めて引き金が引かれた瞬間から張り詰めていた殺気がたじろいだかのように揺らぐ。
「五秒以内にこの場から去れっ!! 五秒経過してもこの場に残った者はっ!! 五華学園教師の総力を以て駆逐するっ!!」
初手の衝撃波を正面から受けた襲撃者は、その言葉にハッと顔を上げた。チラリ、チラリと周囲に視線を散らす襲撃者は、いつの間にか自分達を包囲するように散開していた教師達の気配に気付いたのだろう。片膝をついて低く構えたまま、襲撃者はジリッと重心を後ろへ下げる。
「五!」
その様子にも緊張を緩めることなく、村井はカウントダウンを始めた。
「四! 三!」
場に満ちた殺意が、ベクトルを真逆に変える。
煌司にも分かるその変化に、襲撃者達が気付けないはずがない。
「二! 一!!」
クッ、と悔しげに体を震わせた襲撃者は、サッと片手を振ると同時に己の周囲に白煙を生じさせた。
煌司を含めた五華学園側はとっさに緊張を高めるが、突然生じた濃霧はこちらに向かってくることはなく、その場に濃くわだかまった後は静かに消えていく。
霧が晴れた後には、煌司と襲撃者の錬力が競り合ったせいでメチャクチャになった地面が広がっているだけで、襲撃者達の姿はどこにもなかった。
──狙撃手も撤退したか。
迦楼羅を振り抜きながら狙撃手が控えていたであろうポイントにも視線を配るが、人影も気配も完全に消えた後だった。危難は去ったと確信できた煌司は、ホッと息をつくと背中から竹刀袋をおろし、中に入れたままになっていた鞘に迦楼羅の刀身を納める。
同時に、足は村井の背後に庇われた廉史に向かって走り出していた。
「レン!」
「俺は大丈夫!」
煌司の様子から安全が確認されたと認識したのだろう。常のへニャリと力が抜けた笑みを浮かべた廉史は、村井の陰から出ると駆け寄ってきた煌司を出迎える。
「シラは? ケガない?」
「おーよ、何とかな」
簡単に互いの状態を確認した煌司と廉史は、次いで村井へ視線を投げた。二人から無言の視線を受けた村井は、フンッと荒く息をつくと握った拳から親指を伸ばして背後を示す。
「何があったかは知らんが、緊急事態であることは分かった。錬対の連中が迎えに来るまで、校長室にいろ。お前らだけで動くのは危険だ」
「ん」
常ならばこんな適当な返事をすれば『返事くらいしっかりせんかっ!!』と怒鳴られそうなものなのに、村井は心配そうに眉をひそめただけで小言を口にすることはなかった。村井とともに朝の服装点検当番に立っていたのか、いつの間にか傍らに姿を現していた美穂奈も血の気が引いた顔をしている。
──そんな顔されるくらい、俺達はヤベェ状況に巻き込まれてたってことかよ。
「村セン」
ついでに美穂奈が手に何かを握り込むのを確かめた煌司は、先に歩き出した廉史の後を追うために前に出しかけた足を引き戻しながら村井に向き直った。煌司の改まった空気を感じ取ったのか、村井は虚を衝かれたような顔を煌司に向ける。
「さっきは、助けてくれて、ありがと」
さらに煌司が真っ直ぐに視線を合わせて感謝を口にすると、村井はいよいよ鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をさらした。その表情の変化に煌司は思わず顔をしかめる。
──んだよ、俺が礼を言ったら何かヘンなのかよ。
「あと」
居心地の悪さを覚えた煌司は、顔をしかめたまま視線を逸らすと己の背後を示した。
「これ」
塀の内側は通路と駐輪場、外側は道路という何てことない景色が広がっていた場所は今、まるで火山が噴火した跡地であるかのように全てがグチャグチャになっている。熱波にやられたのか塀や駐輪場の柱は所々溶け落ち、少し離れた場所にそびえる校舎の壁には焼け焦げが見えた。
「この損害の弁償は、多分錬対がしてくれるから。だか、らぁっ!?」
「ガキがなぁに難しいことにまで気ぃ使ってやがる!」
『ぶん取れるだけ錬対からぶん取ってくれ』と続けられる予定だった言葉は、頭に載せられた大きな手によってさえぎられる。さらにその手が力加減を考えずに煌司の頭を撫でくり回すせいで、煌司の胸に一瞬、このまま自分の首がもげ落ちるのではないかという心配が過ぎった。
「おいっ! 村セ……」
「大人がガキ守んのは当たり前だ! お前らは、本当ならまだ守られててもいいガキンチョだろうがよ!」
村井の手を止めようと伸ばされた手が、その言葉に動きを止めてしまった。
思わぬ言葉に顔を跳ね上げようとした瞬間、さらにグッと力が込められて煌司の頭は強制的に下げられる。反射的に村井の手を叩き落とそうと両手が動いたが、力強い手は煌司ごときでは退けられそうになかった。
「守られるチャンスがある時くらい、しっかり守られとけ!!」
「るっせ! 手ェどけやがれ! 首が痛ぇんだよっ!!」
「照れんな、照れんな!」
「照れてねぇよ! マジで首が痛ぇんだってのっ!!」
首の痛みといたたまれなさに、煌司は思わず絶叫する。その声に振り返った廉史が、繰り広げられていた光景に目を丸くした
「シラッ!? ちょっ、村セン何してんのさっ!? シラをイジメないでくんないっ!?」
「おーおー、白浜は可愛げがあるっつーのに、テメェは可愛げがねぇなぁ黒浜ぁ!」
「うわっ! うるさっ!!」
ワイワイと騒ぐ声に、最後まで場にわだかまっていた緊張の欠片が霧散していく。
それが自分のらしくない行動によって引き起こされていることが面白くなくて、煌司は最後まで唇をへの字に曲げていた。