避難小屋
若いころ冬の槍ヶ岳へ登ろうとして吹雪にあい、避難小屋へ逃れたことがある。北アルプスを登山するものなら誰でも知っている場所だ。そこは普段あまり使われない小屋なのだが、そのときはめずらしく先客がいた。
男が六人と……死体袋が一つ。
「西穂高で滑落したらしいんだ。今朝ぐうぜん発見してね。急いでふもとまで運ぼうとしてたらこの吹雪さ」
どうやら山岳救助隊のようだった。
吹雪は一向におさまらず、彼らは日が暮れると間もなく寝てしまった。だが私は、そばに死体があると思うとなかなか寝つけなかった。どれくらい闇をぼんやり見つめていたのか。不意にゴソゴソともの音がして、気づくと小屋の空気が一変していた。なんだか妙に息苦しい。
「痛えよう……」
男のすすり泣く声がした。それは明らかに死体袋のほうから聞こえていた。
「ひでえ、骨がバラバラだ……」
死体がしゃべってる? そんなバカな。
闇のなか、ズズッと重たいものを引きずる音がした。頭のなかに明確なイメージが浮かんでくる。昆虫が羽化するように、袋から死者が這い出してくるイメージが。
シュラフへもぐり込んで、首にかけたお守りを握りしめた。
これは夢だ、きっと夢なんだ――。
外では相変わらず風雪がうなっていた。
ところが、翌朝目ざめてみると小屋はもぬけの殻だった。
とっさに死体袋のあった場所を見たが、そこには煙突から吹き込んだ雪がこんもり積もっているだけだった。空は嘘のように晴れわたり、雪原が輝いている。が、男たちの足跡はどこにもなかった。
小屋は最初から無人だったのだ。
不思議な話だが、山ではときどきそういうことが起こる。