乳房
介護士のN美さんは、身体にあるコンプレックスをかかえていた。
右の乳房にくらべ左のほうが明らかに小さいのだ。もちろん左右で乳房の大きさが異なる女性などたくさんいる。だが彼女の場合は2カップ以上の差異があった。
ブラジャーは同じデザインのものを2サイズ買ってきて、半分ずつを縫い合わせている。外出するときはそれだと目立つので、左側にパッドを押し込む。プールや海水浴へは行かない。友人どうしで温泉旅館へ泊まったときも「風邪をひいた」と言って自分だけ部屋に残った。それでも定期検診などでは上半身を晒さねばならず、羞恥で頬を染めてしまうのだった。
あるとき彼女の働く施設に、元は占い師だったという老婆が入所してきた。車椅子での生活を送っているが、頭のほうはしっかりしている。彼女はN美さんを見るなりこう言った。
「あんた左肩が凝るだろう」
「あ、はい、すごく凝るんですよ」
「それと子供を堕ろしたことがあるね」
ずいぶん不躾なことを訊くと少しムッとしたが、たしかに覚えがあった。
「その子があんたの左胸にしがみついているんだよ。死んでも母のお乳が恋しいとさ。ちゃんと供養してやらなきゃ」
半信半疑ながらも老婆から紹介された寺へ行き、小さな地蔵尊を奉納してきた。
住職から、なるべく祥月命日にはお参りに来なさいと言われたが、堕胎したのがいつなのか覚えてない。ただ満開の桜のしたで、ベンチに座って泣いた記憶がある。
もし男の子だったらごめんね。
我が子の命日を3月3日と決め、以来欠かさず手を合わせに行くようにしている。
最近になって、左の乳房が少しずつふくらみ始めた。