空っぽの祠
その祠は奥多摩の湖から御前山へと抜ける登山道のわきにあった。苔むした切妻造りの石祠で、下生えのヤブカラシに埋もれながらひっそりとたたずんでいた。こうした無名の祠をカメラに収めて歩くのが私の趣味である。
ただこの祠、覗いてみると中身は空っぽだった。ふつう、こういった場所には石仏や道祖神などが収められているはずだが、なにか事情があって御神体だけ他所へ移したのだろうか。
とりあえずブログへ載せるための写真を撮ることにした。アップが一枚と、遠景を一枚。最後にいつもの癖でパンパンと二回柏手を打った。
ゴウッと強い風が吹いた。
あたりに群生するブナの枝葉がザワザワと騒ぐ。
と同時に、背後の草むらでガサゴソと動物の歩き回る気配を感じた。一瞬クマかなと思い身を固くしたが、どうやらもっと小さな生き物のようだ。たぶんキツネか野ネズミだろうと、さして気にもとめずわたしは山を下りはじめた。
ガサガサ、ガサガサ
音のぬしは、草むらから草むらへと身を移しながらずっと後をつけてくるようだった。だんだん怖くなり知らないうちに足を速めていた。突然、周囲からまるで波が押し寄せるようにザザザッと音が迫ってきた。私はパニックになり、リュックを放り出して走りはじめた。
ふと前方に釣り人らしきひと影をみつけ、地獄に仏とばかり彼らのもとへ駆け寄った。
「助けてください……」
今あったことを話すと、
「あの祠のまえで柏手なんか打っちゃダメだよ」
と叱られた。
「空っぽの祠には得てして良くないモノが棲みつくもんさ。二年まえにも登山客が襲われて、そのひとは今も精神科の病院にいるって噂だ」