かぶとむし
遠く、祭りばやしが風にのってはこばれていた。
生垣のむこうの田んぼでは、くるったように虫が鳴いていた。
ときおり雲間から銅盤のような月がのぞいた。蚊帳を吊った座敷のほうから薄明かりが漏れ、縁側にいるぼくたちの影をひょろ長く庭へ投じていた。
下駄をぬいで横ずわりした姉が、ゆっくりとうちわを使っていた。浴衣から洗い髪の良い匂いがしていた。
ぼくは二匹のかぶとむしを見つめていた。天神祭の夜店で祖父にねだって買ってもらったものだ。つがいで売られていたので、メスのほうは姉にあげた。
かぶとむしは砂糖水を張った小皿に取り付き、さかんに黄色い舌をのばしていた。
蚊取り線香の煙が風にゆれていた。
不意に、姉が「あっ」とうちわの手をとめた。
二人の目は、かぶとむしの動きに釘づけになった。オスがメスの背にしがみつき、興奮してからだを痙攣させているのだ。ぼくには二匹がなにをしているのかすぐに察しがついた。一瞬、聞き覚えたばかりの「犯す」という言葉が脳裏に浮かんだ。
――ぼくのかぶとむしが、姉のかぶとむしを犯している。
恐るおそる姉のほうを見た。息を飲んで表情を凍りつかせていた姉は、ぼくと目が合うと「やらしか」と怒って、さっさと蚊帳のなかへ這入ってしまった。
濡れ縁の板間では、あいかわらず二匹が情事をくり広げていた。
姉の残り香がいつまでも消えなかった。
少年の日の思い出だ。
あれからもう二十余年が経つ。
姉は上京してすぐに父親の定かでない子供を生んで、家から勘当された。そしてなぜだかぼくは、その子の父親が……ひょっとして自分なのではと今も思い悩んでいるのだった。