桜花
大東亜戦争も終盤にさしかかった昭和二〇年のことである。
当時、鹿屋基地でおなじカマの飯を食ったFとは、土浦の予科練兵舎にいたころからの同期生だった。彼は北国の出身で、勇敢で、そして優しい男だった。
俺たちの所属する第七二一海軍航空隊では、桜花による特別攻撃というのをやっていた。いわゆる人間爆弾である。
ある日ついに俺たちにも出撃の番がまわってきた。今回その桜花に乗るのは、Fだ。
未明に基地を発ち、夜が明けるころには沖縄近海を飛行していた。ふと、波のかなたに白い航跡を発見する。双眼鏡を覗くと、朝日に輝く青海原にはっきりと船影が見てとれた。
「敵艦発見っ」
海面すれすれのところを飛んでいた一式陸上攻撃機が上昇をはじめる。Fが俺の肩をポンとたたいた。
「じゃ、行ってくるわ」
桜花を切り離すのは俺の役目だった。こわばった手のひらにびっしりと汗をかく。
「投下っ」
機長の声が響いた。俺は必死でレバーを引いた。窓の向こうに、対空砲火の弾幕に飲まれてゆく桜花の機影が小さく見えた……。
ところが基地へ帰ってみて仰天した。なんと死んだはずのFが宿舎で飯を食っているではないか。あわてた俺は、上官である中尉を宿舎まで引っぱってきた。彼はFの姿をみとめるなり声を張り上げた。
「F一飛曹っ」
驚いたFが立ち上がって敬礼をする。
「任務ご苦労である。貴様はこれより九段北の御社へ赴き、命令があるまでそこで待機せよ」
Fは急にしょんぼりして、チラと俺のほうを見た。そしてふたたび敬礼すると、そのままスーッと消えていなくなった。
後にはぐっしょり濡れた座布団だけが残されていた。