かむろ小路
かむろ小路は、堀田左京一万六千石の上屋敷のそばにあった。
九段坂から騎射馬場を下ったところ、後に斎藤弥九郎が練兵館をおこすあたりである。
ちなみに「かむろ」とは「禿」と書くが、見習い遊女のことではない。
――河童である。
かつてその辺りは、河童が出没して人を堀へ引き込む寂しい場所であった。
寛永の終わりころの話。
香坂某という御先手組の若いさむらいが、共も連れずにこの小路を歩んでいると、脇に女が一人うずくまっていた。夕刻の薄暗がりに、見ると頭から水をかぶったようにびしょ濡れである。
「これ、いかがした?」
問うと、女はこわごわ顔をあげ震える声で言った。
「親類の家へ行った帰りにここを通りましたところ、いきなり河童があらわれて御掘へ引き込まれました。なんとか命からがら水から上がったのですが、どうにも腰が立たなくなってしまって……」
どうやら武家の女房らしく、歯が黒く染められていた。
「それは難儀しているであろう、どれ、それがし御当家まで背負って進ぜよう」
女は辞退したが、香坂がなおも言うと恐縮した面持ちでうなずいた。しからばと香坂、しゃがみ込んで女に背を向ける。
そのとき。
刀の柄が女の頭にコツンと当たった。瞬間、彼はハッとなった。結った黒髪に当たったにもかかわらず、カンと陶器を打つような固い音がしたからである。
――さては、こやつが河童か。
まだ戦国の気風さめやらぬ時代である。
飛び退りざま抜刀すると、裂ぱくの気合いもろともえいっと横に薙いだ。
河童の首は、ポーンと飛んで板塀にドスンと当たった。
その首は今も、善國寺の蔵の中へ安置されているという。