嵐の夜に
ある嵐の夜のこと。Aさんは雨音の激しさからなかなか寝つけずにいたが、ようやくうとうとしかけたころ、ふと犬の鳴き声を耳にした。それはクゥン、クゥンと物悲しい余韻を残しながら、Aさんの家の周りをぐるぐる回っているようであった。捨て犬が雨風をしのぐ場所をもとめてさまよっているのだろうか。Aさんは少し哀れに思った。雨は断続的に激しさを増し、まるで砂礫のように屋根瓦を打ちつけてくる。とうとういたたまれなくなり、妻を起こさないようそっと寝室を抜け出した。
犬はどうやら玄関先でうずくまっているようだった。クゥン、クゥンと鼻声で訴えかけてくる。可哀想なので中へ入れてやろうと思い、サンダルを突っ掛けて遣り戸の錠前へ手をのばした。
と、そのとき稲妻が閃いた。
玄関の曇りガラスに一瞬犬のシルエットが浮かび上がった。
それは犬ではなかった。
あきらかに這いつくばった人間の形をしていたのだ。Aさんは思わず一歩後じさった。やがて二度目の雷光が、今度はゆっくりと立ち上がる何者かの影を浮かび上がらせた。
「……ふん、この家もダメか」
低い男の声がした。
Aさんは三和土に片足を残したまま凍りついていたが、やがて引きずるような足音がして玄関の前から気配が消えた。急いで家中の窓を施錠して回り、けっきょくその夜は明かりをつけたまま、居間でまんじりともせずに過ごした。
翌朝ソファでうつらうつらしていると、ゴミを捨てに行った妻があわてて戻ってきた。
「あなた大変よ、町会長さんの家に強盗が入ったんですって。お気の毒にご夫婦とも犯人に刺されて、今しがた救急車で運ばれて行ったわ」