兄のこと
呉の港で待つこと十日あまり、ようやく戦地から引き上げてきた兄はすっかり頭がおかしくなっていた。復員船で一緒に帰国した仲間によると、
「収容所でデング熱にかかり脳をやられてしもうたんよ」
とのことだった。
目がうつろで、会話もいまひとつ噛み合ない。私や姉のこともはっきり覚えていないらしい。そのまま両親に手を引かれ、人目をはばかるようにして家に帰ってきた。
広島は原爆のせいで本当にひどい有り様だったが、私たちの暮らす庄原のあたりは戦渦による傷跡も浅く、家も田畑も無事だった。
兄は畑へ出れば黙々と仕事をしたし、暴れて他人を傷つけるようなことはなかった。ただ夜中に突然はね起きて奇声を発したり、壁に向かってえんえん独り言を繰り返したりしていた。
あるとき、縁側で庭を見つめたまま楽しそうにお喋りしていたので、
「ねえ、そこに誰ぞおるん?」
と訊くと、兄は怪訝そうな顔で、
「なに言いよる、目の前に光子さんが立っているじゃろう」
と言った。
光子さんというのは、勤労奉仕のさなかに結核で亡くなった私の幼なじみだ。
そんな兄も先年、六十五歳で世を去った。亡くなる日の朝、一時的に昏睡から覚めた兄は私に向かってこんなことを言った。
「本当は気が狂うてなどおらんのよ」
「えっ?」
「狂ったふりをしていただけ。そうすればいつか本当の狂人になれるんじゃないかと思うたが、とうとう死ぬまで正気のままじゃったわ」
そう寂しそうに笑ったのが、兄の最後の言葉となった。
「戦争でよほど悲惨な体験をしたのじゃろうね……」
一回忌のとき、死に目に立ち会えなかった姉がしみじみとそう語っていた。