油商人の右足
人肉は酸味が強くて不味いというのはカニバリズムをタブー視するがゆえの謬伝であろう。
たとえば支那には古くから喫人という風習があった。あくまでも食材として人間の肉を食おうというのだ。
殷の紂王は自分をいさめる家臣を見せしめに料理して食べた。春秋時代の易牙という料理人は美食家である主君のために自分の息子を丸焼きにして供した。あの孔子でさえも人肉の塩漬けを保存食にしていたという。
さて、時代は下って清朝のころ――。
甘粛の金城に、李汝台という酒楼があった。そこでは人肉を「両足羊」と称して客に食わせていたのだが、ある油商人がその噂を聞きつけ足繁く通ってきた。彼は人間の足を煮詰めた羹を好んで食べた。自分のからだの悪い部分を他人の肉体より摂取して補おうという発想は、じつは秦代に編まれたある古典医学書が基となっている。馬車に轢かれて損じた自分の右足を、彼は他人の足を食うことによって再生しようと試みたのだ。やがて店に通い詰めるうち動かなかった右足もどうにか曲げ伸ばしができるくらいには回復した。
そんなおり、彼は所用があって西安まで出掛けることになり、船で見るからに荒くれな男たちと乗り合わせてしまった。なるべく彼らとは関わらないよう注意していたが、男のひとりが油商人の前を通り過ぎようとしたとき、どういうわけか右足が勝手に動いた。
「なぜひとの尻を蹴る」
「お、お許しください……」
そう言いながらも油商人の右足は、ふたたび意思とは関係なく男の尻を蹴った。
「ぐぬぬ、ふざけやがって」
男は怒って柳葉刀を抜き、油商人の右足をばっさり切り落としてしまった。