孕み蜘蛛
田舎町の古い産院に急患がおとずれたのは、もう夜の八時をだいぶ過ぎた頃だった。
患者は若い女で、どうやら一人で来たらしい。産院の入り口にはすでに鍵が掛かっており、女はガラス戸をどんどん、どんどんと乱暴に叩いた。先生はすでに奥へ引取って書き物などをしていたが、急患だと知るやすぐに白衣に着替えて診察室へあらわれた。
女はすでに臨月の腹をしており、破水したらしくスカートのすそがびっしょり濡れている。すぐに分娩台へ乗せられ、住み込みの助産婦によって湯が沸かされた。
かつん、かつんと誘蛾灯に羽虫のぶつかる他は、風もなくひっそりとした夜である。しかし陣痛が酷くなるにつれ女のうめき声はしだいに大きくなり、ついには先生の妻までが心配して顔をのぞかせた。
女はしばし目を剥いて、ううううっ、と唸っていたが、急に大人しくなったのでさては失神したかと覗き込むと、股のあいだで何かが蠢いている。助産婦が悲鳴を上げた。血と粘膜に覆われたそれは、一匹の蜘蛛だった。
「これは、なんとしたことだ」
あまりのことに全員我が目を疑った。蜘蛛は後から後から膣口より這い出し、それはたちまち分娩台からあふれ床にこぼれ落ちた。そこで先生はふと我に返り、妻に向かって叫んだ。
「納戸からエアロゾルを持ってきなさい」
その声が聞えたのか蜘蛛は、文字通り蜘蛛の子を散らすように床板の破れや窓の隙間から逃げ散っていった。
一同立ったまま腰を抜かしたようになっていたが、ふと分娩台を見ると、そこには女の代わりに巨大な蜘蛛が仰向けのまま事切れていた。腹は空気の抜けた風船のようにぺしゃんこである。