3. ユリアン x マリアンネ
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ロットナー子爵邸の塀越しに、遠くのバルコニーでろうそくの灯が揺れるのを確かめたユリアンは、馬車に乗ると自宅に戻るよう御者に命じた。
ゆっくりと動き出す馬車の中、ユリアンは先ほどのマリアンネの反応を思い返していた。
別れ際、悪戯心に駆られて、彼女の手に口づけを落とした。すると、馬車灯の頼りない明かりでも分かるくらい、彼女の顔は真っ赤に染まった。
うるんだ眼差しで見上げてくるのが愛らしくて、たまらず抱きしめたくなった。理性を総動員して踏みとどまったが。
「はは、すっかり手遅れじゃないか」
前髪が乱れるのにも構わず、額に手を当ててユリアンは笑った。
妖精のように美しくて無邪気な、ロットナー家の『幻姫』。
風変わりな力を持ち、儚げな外見に反して大胆で、宮殿の老獪な魑魅魍魎もメロメロにしてしまうマリアンネ。
まさか自分が、ひとりの女性にここまで心惹かれるとは思わなかった。
別れたばかりなのに、もう会いたくてたまらない。
次に会う時には、彼女の瞳の色のような、きれいな青色の花を贈ろうか。
(いや、その前にーーーーーー)
埋められるだけの外堀を埋めてしまおう、とユリアンは決心した。彼女を他の男の手に渡したくない。
(あんまり強引だと嫌がられるかな。)
それでも必ず、口説き落としてみせるつもりだが。
自分がらしくもなく浮かれていることを自覚しながら、ユリアンは矢継ぎ早にこれからの行動指針を立てていった。
*******
夜明けまでもんもんとし続けたマリアンネは、結局盛大に寝坊をした。目覚めた時にはとっくに昼を過ぎており、時刻は午後のお茶の時間だった。
珍しく父も二人の兄も家にいると使用人に教えられて、身支度をしたマリアンネはサロンに向かった。
扉に手をかけた時、長兄のアルブレヒトの大きな声が響いた。
「父上、俺は断じて反対です!」
「僕もです。大公殿下の名を使うだなんて、やり方が気に入りません」
続いて聞こえた声は、もう一人の兄のルイトポルトのものだ。
「いやしかし、主家筋からだからなあ……」
人の良さそうな父の声が困ったように答えた。気の優しい父は、押しの強い兄二人になかなか強く出られないのだ。
「今まで通り、病弱だからと断れば良いじゃないですか」
「兄上に同感です」
「いや、殿下から直接いただいたお話だから、さすがにそれはできないよ……。一度は正式にお会いして、先方にご納得いただいた上でないと不敬になる」
「そんな!」
「父上!」
ヘドモドしつつ反論する父の声に、二人の兄の抗議が重なった。
「お父さま、アル兄さま、レオ兄さま。マリアンネです」
このまま待っていてもキリがない。そう判断したマリアンネは声をかけて入室した。
途端に、三人はぴたりと口をつぐんだ。
「ああマリアンネ、目が覚めたんだね。元気そうで安心したよ」
彼女の顔色が良いことを確認して、父のロットナー子爵は安堵したように顔を緩めた。優しい榛色の瞳の目尻には笑い皺が寄っており、亜麻色の髪は最近白髪が目立つようになってきた。
「今まで寝ていたのなら、お腹が空いているだろう。アル兄さまの隣においで」
ぽんぽん、とソファの空いている席を叩いたのは、長兄のアルブレヒトだ。
彼は宮廷勤めの文官にしては珍しく、がっしりとした体格だ。マリアンネのものより暗い色合いの髪は、短く刈り込まれている。鋭い印象を与えがちな焦茶の瞳は、今は柔らかく細められていた。
「今日はマリアンネが大好きなイチゴのタルトだよ」
さっとタルトを切り分けて彼女の席に置いてくれたのは、次兄のルイトポルトだ。銀縁の眼鏡をかけた彼は、髪と瞳の色合いは父譲りだったが、線の細い顔立ちはマリアンネによく似ていた。
「わ、うれしい」
マリアンネがソファに腰掛けると、彼女と一緒に入室した侍女が、手際良く彼女の分のお茶を用意してくれた。
「それで、お父さまとお兄さまたちは、何のお話をしていたの?」
タルトと温かいミルクティーでお腹が満たされると、マリアンネは聞いてみた。
すると困ったような沈黙が落ち、三人は目を見合わせた。
しばらくして、父が観念したように口を開いた。
「マリアンネに、とても良いお話が来ているんだよ。恐れ多くも大公殿下直々のご紹介だ」
「「父上!」」
「アルブレヒト、ルイトポルト、諦めなさい。我が家の立場ではお断りできないお話なんだよ。だからマリアンネにも心の準備をしてもらわないといけないんだ、いいね?」
額に浮かんだ冷や汗を拭き拭き、父は告げた。
「ただね、お相手の方からは、お会いした上でマリアンネの気が進まないようなら、無理に進めるつもりはない、と大変寛大なお言葉をいただいているんだよ」
「お父さま、それはどなたなの?」
脳裏には、昨夜会ったユリアンの顔が浮かんだ。
(まさか、まさかよね……?)
ドキドキと鼓動がうるさい。緊張で冷たくなった両手をぎゅっと膝の上で握り締めながら、マリアンネは父の言葉を待った。
*******
それより数刻前ーーーーーー
「婚姻の申し入れ?!」
朝一番に執務室に現れたユリアンの言葉を聞いて、シュターデ大公ハインリヒは精悍な面にありありと驚きの表情を浮かべた。
「お前、熱でもあるのか?」
「随分な言われようですね、ハインリヒ様。」
まともに取り合ってもらえなくて、ユリアンは憮然とした。
「いやだって、お前、何て呼ばれているか知っているか? 『難攻不落の君』だぞ。愛想は良いくせに浮いた話はひとつもないから、私もてっきり、お前は女性には興味がないんだと思っていたぞ。それがいきなり、顔も見たことがない娘を嫁に欲しいと言われたら、驚きもするさ」
「人を何だと思っているんですか……。だいたい、面識ならありますよ」
ユリアンは呆れ顔でハインリヒの誤解を訂正した。
「え、おい、ロットナーの『幻姫』だろう? 本当か?」
「お忍びで外出している令嬢に、偶然お会いしたんです。それで好ましく思ったので、結婚を申し込むことにしました」
「ふうん」
ハインリヒは、ユリアンの簡潔すぎる説明を聞くと、疑わしげに琥珀色の目を細めた。
「ユリアン、お前、まだ何か話していないことがあるだろう」
この従兄弟は豪放磊落そうな外見に反して、意外と鋭い。
「そうおっしゃると思いました」
にやりと笑ったユリアンは、マリアンネの「夜歩き」と宮廷の化け物どもとの関係について、かいつまんで説明した。
「『幽体離脱』に『魔眼』持ち、おまけに『物理操作』か。おい、めちゃくちゃだな……」
ひゅう、と感心したようにハインリヒは口笛を吹いた。
『こらハインリヒ、行儀が悪いぞ』
二人のものとは違う、年齢を感じさせる穏やかな声が執務室に響いた。
「ひいお爺さま。いらしてたんですね」
ハインリヒは背後を振り返った。
『久しいの、ユリアン』
「おはようございます、ひいお爺さま」
背後霊よろしく大公の背後から現れたのは、品の良い老齢の紳士の幽霊だった。三代前の大公だったアルトゥールである。
『ユリアンの意中の相手は、ロットナー家の娘さんか』
「ご存知なのですか、ひいお爺さま?」
驚いたハインリヒが問うと、アルトゥールは顔を緩めた。
『おお、よく知っておるぞ。可憐で気立ての良いお嬢さんでね、わしのような年寄りの相手も楽しそうにしてくれる。どうせなら男ばかりではなく、あんな孫娘が欲しかったよ』
ここにもまたマリアンネにメロメロな幽霊がいたな、とユリアンは苦笑した。
「「むさ苦しいひ孫ですみませんね」」
二人の声が重なり、そろって笑う。アルトゥールの孫とひ孫は、なぜか男ばかりなのだ。
「しかし、ロットナー家か……。ふむ、ひいお爺さまのお眼鏡にも適っているようだし、縁をつなぐ相手として悪くないか」
ハインリヒは顎をなでながら、「大公」の顔で思案しはじめた。
ロットナー子爵家は、爵位こそさほど高くはないが、由緒正しい名家で家柄は悪くない。優秀な文官を輩出することでも知られている穏健な家だ。
マリアンネがユリアンに嫁ぐことで、彼女の持つ不思議な力を大公家の血筋に取り込めることも算段しているのだろう。
(もう一押しだな)
「大公殿下、お願いいたします。婚姻の許可と、大公名でのロットナー子爵家への申し入れをしていただければと。父には承諾済みです」
姿勢を正したユリアンは、一息に言うと頭を下げた。
朝食の席でユリアンの意思を聞かされた父には、「ようやく、ようやく……」とうれし涙を流された。
「お前、本気なんだな……」
気圧されたようにつぶやいたハインリヒは、ふっと破顔した。
「ああ、承知した。他ならぬ、大事な従兄弟の恋だからな」
『ちょっと待て!』
ユリアンがほっとしかけたとき、余計な横槍が入った。
アルトゥールがいかめしい顔で告げた。
『ユリアン、いいか?無理強いはならんぞ。あくまでマリアンネ嬢がお前で良いと言った場合しか、この縁組は許さんからな!』
こうして最後の最後で、ロットナー家への婚姻申し込みには、「マリアンネが望んだ場合のみ」という条件が追加されたのだった。
*******
マリアンネとユリアンの顔合わせは、その翌々日と決まった。あまりの展開の早さに、父のロットナー子爵は目を回していた。
もうちょっとゆっくりでも良かった、と思ったのはマリアンネもだった。
「何を着てゆけばいいの……?」
顔合わせの前夜、マリアンネは自室のクローゼットの前で立ち尽くしていた。
大公が仲人なので、顔合わせは宮殿で行われる。
名目は大公夫人主催のお茶会だ。社交の経験の少ないマリアンネに配慮して、招待客はユリアンとマリアンネと彼女の父だけだという。
これでも子爵令嬢なので、それなりにドレスは作ってある。昼のお茶会用の露出の少ないものもそこそこ持ってはいる。
でも。
ユリアンとの再会と思うと、なかなかしっくりくる装いが見つからないのだ。
一番のお気に入りは若葉色のドレスだが、それでは前回会った時と代わり映えがしない。
桃色のは可愛いけれど、子供っぽく見えてしまうかもしれない。
淡いクリーム色もレースが素敵だけれど、花嫁衣装を連想させてしまって、頑張りすぎているように見えたら辛い。
父や兄たちにも相談してみたけれど、てんで参考にならなかった。
父はどれを見ても「可愛い」しか言わないし、兄たちは、マリアンネが「どれなら喜んでいただけるかしら?」と尋ねたら、床にくずれ落ちてしまった。
腕組みをしたままドレスをじーっと見ているマリアンネに、その時、侍女がそっと声をかけてきた。
「お嬢さま、こちらなどはいかがですか?」
彼女が手にしていたのは、マリアンネの瞳の色に合わせてあつらえた、夏の海の色のような鮮やかな青のドレスだった。シンプルなデザインだが艶のある生地が美しく、胸元やウェストなどの随所に細いグレーのリボンがあしらわれているのが、良いアクセントになっている。
「あ!」
(私と、ユリアン様の瞳の色!)
ぱっと笑顔になったマリアンネは、ドレスを受け取ると鏡の前に立った。
「これ! これにするわ!」
ユリアンは気づいてくれるだろうか。
気づいてくれなくても、この色を身にまとっていれば、明日、胸を張ってユリアンと大公夫妻にご挨拶できそうだ。
ほっとしたマリアンネは、いそいそと残りの準備に取り掛かった。
「ねえねえ、ちょっとグレーがかったオパールの耳飾りとペンダントがあったわよね? あれも出してちょうだい」
(そうそう、それからこれ……)
マリアンネは鏡台の引き出しを開けると、丁寧な手つきで一枚のハンカチを取り出した。
あの夜、泣き出した彼女にユリアンが差し出してくれたものだ。綺麗に洗濯されてアイロンがけされたそれを、そっと胸元に押し当てる。
(お返しして、ちゃんとお礼を言わなくちゃね)
何だか急に、明日が待ち遠しくなった。
*******
ふと響いた笑い声に、ユリアンは仕事の手を止めて執務室の入り口へと目を向けた。
「ああ、そろそろ時間か」
懐中時計で時間を確認したユリアンは、さっと書類をまとめると、上着を手に執務室を出た。
執務室と隣り合う広間は相変わらず薄暗く、壁際の棚にはいわくありげな物がずらりと並べられている。
以前と違うのは、広間にふたつ、座り心地の良さそうな肘掛け椅子が置いてあることだ。
そのひとつには、マリアンネが腰掛けていた。
色とりどりの花々が刺繍された桃色のドレスをまとったマリアンネは、膝の上に開いた禁書を載せている。
傍の棚には、干し首の納まったガラスケース。彼女の背後では、宮廷楽師の姿をした若い男が、熱心にヴァイオリンを演奏している。もちろん人ではなく幽霊だ。
(おやおや、ほぼ勢揃いじゃないか)
ユリアンは苦笑いした。マリアンネの人気は相変わらずのようだ。
ただ、宮廷楽師が演奏しているのが、恋歌であることが気に食わない。
何か楽しそうに話していたマリアンネは、ユリアンに気づくと頬を染めてはにかんだ。
「ユリアン様」
マリアンネに歩み寄り、柔らかな頬にそっと手を添わせてその温かさを堪能してから、ユリアンは振り返った。
「君も来ていたんだね、未亡人」
すると、マリアンネの向かいの椅子に座っていた妖艶な美貌の女性は、可笑しげにくつくつと笑った。黒いドレスに黒い手袋、黒いヴェールを身に着けた彼女は、まさに喪中という身なりだが、これもまた幽霊だ。
「ユリアン様、愛しい婚約者様が目の前にいらっしゃるのに、他の女性に先に声をかけるなんて。いけない人ですね」
「おや、聞き捨てならないね」
ユリアンは器用に片眉を上げると、座ったままのマリアンネの肩に腕を回して、抱き寄せた。
「僕は彼女をこんなに好きで好きでたまらないのに。それが目に入らないのかい?」
「ユ、ユリアン様〜っ!」
小さく上がった抗議の声に、ユリアンは笑顔で振り返ると、頭のてっぺんにキスを落とした。
「世界で一番愛しているよ、マリアンネ」
「は、はわ……」
マリアンネの顔はもう真っ赤だった。色白なので、とても分かりやすいのがまた可愛い。
「もう…。ユリアン様、あのね……」
「ん、何だい?」
くいくい、と上着を引っ張られたので、勿忘草色の瞳を覗き込んだ。
「私も!私も大好きです、ユリアン様」
「ああもう!」
理性が決壊した。
ユリアンはマリアンネを抱き上げると、驚いているどさくさに紛れて、その珊瑚色の唇に口づけた。
『くぉらあ!!若造があ!結婚前は手をつなぐところまでじゃあ!接吻は許さあん!!』
『ユ』『り』『闇』『ば』『苦』『破』『つ』『死』『ロ』
干し首の怒声が響く中、宮廷楽師は悲壮なメロディを演奏し、禁書はユリアンに体当たりし、黒衣の未亡人は笑い転げている。
マリアンネの夜歩きは、人の姿でも、恋に落ちても、変わらず賑やかなままだった。
数ある作品の中から、本作を読んでくださりどうもありがとうございます!
お気に召していただけたのでしたら、いいねや評価をしていただけると、とってもはげみになります。