秘密
「お嬢様には彼の方が居りますのに・・・・・・。殿下は余程お嬢様が愛しくあらせられるのですね。」
幾らか腫れが引いた目元から令嬢とは言い難い程乱れてしまったルイーズの長い髪を梳りながらミリーは不敬にも溜め息をついた。
ルイーズは下唇をきゅっと噛むと、ぽつりぽつりと皇太子についてこぼし始めた。
「殿下は自分の言いなりになる人形が欲しいのよ。私なら逆らわないと思って。本当なら皇太子妃へはグラルージュ公爵令嬢・・・・・・ソフィーナ様がなるはずだった。力が分散するようにお父様と陛下の間で秘密裏に根回しされて打診されていたはずなの。年齢的にも私より殿下と釣り合いがとれていたし。きっとそれをどこかで知り、陛下に逆らえる唯一の手段として今回の褒章で先手を打ったのだわ。・・・・・・いいえ違うわね、あの方は聡明ですもの。今回のことを見越して戦場に赴かれたのかもしれないわ。」
アマンステラ大公爵と同じく派閥を持つグラルージュ公爵家。公爵家といっても大公家とそう変わらぬ権力を持ち、同じく何人もの皇后を生んだ大貴族だ。グラルージュ公爵家令嬢ソフィーナは皇太子より2歳下の16歳。立太子に伴い、皇太子妃候補筆頭として妃教育を施されていた。事実上の内定であった。
華やかで美しく、皇太子妃としても申し分無い立ち振舞いであり完璧な淑女であった。ただ、頭が切れるが故なのか男に意見することも多く、ルイーズ同様裏で女傑と揶揄されることもあった。しかし、それでも物怖じせぬ性格で的確に主張する様にルイーズは憧れを持っていた。そのソフィーナをを差し置いてまさか自分が選ばれるなど思ってもいなかった。
「お嬢様は殿下に幾度かお会いになられておりますでしょう?その時にお心にお留めになったのではないでしょうか。これだけお美しいんですもの。」
「殿下にまともにお会いしたのはデビュタントの時くらいだわ。どちらかと言えばノア様とご一緒の方が多かったし、私自身も第2皇子妃なら理解できるの。それならお受けしたかもしれない。きっと殿下にとっては私は大勢の中の一人としか認識されていなかったはずよ。お言葉を交わしたのだって片手で数えられる程度。ソフィーナ様とは全く違うわ。」
第2皇子ノアは現在15歳。皇太子アダンとは真逆で温かく朗らかで優しく、争いを好まない性格だった。その妃にと請われれば愛が芽生えなくとも同志としてやっていけたかもしれない。しかし皇太子だけはどうしても難しかった。あの光の灯らない瞳を思い出すだけでゾッとするくらい恐ろしかった。デビュタントで初めてご挨拶をした時も面倒だと言わんばかりに不機嫌さを隠さず女性を軽視するかのような態度だったし、皇太子に近づこうとした令嬢に対する表情は冷たく汚いものを見るかのような目付きだった。あんな男が恋情などありえない。何か裏があるに決まっている。それにあの男が自分を欲する理由が見えない。皇太子は明らかにアマンステラ家に敵意を持っている。そんな男がその一人娘である自分を妻に選ぶとは思えないのだ。
「お父様がいらっしゃらない時を狙っていたんだと思うの。」
「確かに事が急ですものね・・・・・・。お嬢様は領地にお戻りになっていることにしておりますが、いつまでもというわけにもまいりませんし・・・・・・。旦那様がお戻りになられますまで隠し通せればいいですが・・・・・・。」
「殿下はきっとアマンステラが拒否しないと踏んでるのよ。何せ褒賞ですもの。今まで前線にはお出にならなかったし、今回自ら戦禍に出向くなんてと思っていたけれど、この為だったとしたなら理解できるでしょ。あの方が我が大公家と縁を結びたいと思われるわけが無いのよ。でもその根拠は無いし、陛下の御前で表立ってお断りすることも難しい。」
「やはりお断りは難しゅうございますか・・・・・・。不敬ですがお嬢様を大切に慈しんでくださる方でしたら手放しで喜べますのに。彼の方が現れてくだされば・・・・・・。」
「ミリー無理よ。あの時のことは何だか靄がかかってしまったようで手掛かりは無いの。お父様も探してくださったけれどダメだったって・・・・・・。もう一度お会いしたいけれど・・・・・・きっともう難しいのだわ。」
ルイーズには対外的には秘匿とされた秘密があった。3歳の頃に一週間程失踪したことがあったのだ。スキャンダルになってしまうため水面下で捜索され、表には出なかった。それもおかしな現象だった為だ。大公家の聖堂での御祈りの際に忽然と姿を消してしまったのである。誰も彼女が消えたところを見てはいなかったが、兄2人の後ろに続いていたはずのルイーズが、振り返った瞬間には消えてしまっていた。必死に探す兄たちの姿はもちろん、大公はすばやく箝口令を敷き屋敷中の捜索を開始したが見つけ出すことはできず、陛下と相談したのち厳命にて秘密裏に国中の捜索を行った。信頼できる魔術師や魔法使いと意見交換がなされ、教皇も手を貸した。最初は魔法や魔術の類いかと思われたが痕跡は見当たらず全く検討がつかなかった。