1.
「なによあのドラゴン!」
ミナちゃんの声で、現実に引き戻された。
そうだ……こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。
「みんな、避難所まで逃げるよ! 走れば2分とかからない!」
怯える子供たちを無視して、大人たちはパニックになりながら逃げ惑っていた。
まあ……高さ60メートルはありそうなドラゴンを前にしたら、パニックになって当然かもしれない。
「てか、リシン。 あんたいま、あのドラゴンのことをホオズキって呼ばなかった?」
「その話はあとにして、とりあえず逃げよう。 ボクはそこで転んだヒーローさん助けてくるから」
「あんたねぇ……」
呆れるミナちゃんを無視して、ボクは走っていて転んだと思われるヒーローを起こした。
「大丈夫ですか?」
「ありがとう。 助かったよ」
青年がある日フクロウの精霊と出会い、闇の勢力から助けてほしいと頼まれ、仲間たちと共に白銀の鎧や武具を作って敵と戦う。
そんなバックストーリーを持ったローカルヒーローに触れられて、ボクは幸せだった。
「まっすぐ走った先に避難所があります。 他のヒーローさんたちといっしょに向かってください。 ボク達は先生に先導してもらうので、お気になさらず」
「わかった。 気をつけてね」
アレさえ居なければ、ツーショット写真だって撮れたはずなのに……。 今日は厄日かもしれない。
「リシンくん! なんかドラゴンが黒い液体を流してる!」
カナエちゃんの言う通り、ホオズキの体からドロドロとした黒い液体が流れ出していた。
それは石油のように黒くて粘り気のあるもので、体から流れ出たあと、ホオズキの足下に広がっていく。
「液体には触らないで! あと、早く警備員か国連の人を呼んで!」
液体の正体を知っているボクは、すぐに指示を出した。
「あの液体はカタリストなの! 母体が信号を送れば、すぐにタフリナが作られる!」
タフリナとは、陣界市各地で使われている身長2メートルほどの人型ロボットだ。
3Dプリンターでパーツを印刷され、人工知能によって制御されるタフリナは、人間よりもパワーがあり、介護などのサポートをしてくれるだけではなく、危険地帯における作業員としても使われている。
故障した際の自己修復に使うグレイルも体内に搭載していた。
「もう作られてるわ!」
ミナちゃんが叫ぶ。
ホオズキの足元に広がったカタリストからは、まるで漆黒の泉から化け物が這い上がってくるかのように、次々とタフリナが製造されていた。
量産機とはいえ複雑な構造のタフリナを、数秒で大量に製造。
工場よりも速くタフリナを量産できるホオズキは、あのまま放置すれば地上でもっとも危険な存在になるかもしれない。
「みんな走って!」
発表会でお披露目するはずだった盾に、カタリストを流し込む。
これで強度を上げて、簡単には壊れないようにした。
そして、目の前に立ち塞がったタフリナを殴り飛ばす。
「あんたそれ、発表会に出す作品じゃん!」
「発表会なんて、もう中止でしょ」
驚くミナちゃんを後目に、ボクはまた別のタフリナを盾に備わるブレードで叩き切った。
「国連は何してるんだよ!」
リュウイチが走りながら怒鳴っていた。
「知らない」
陣界市の中央区は、国連が管理している土地だ。
もしも陣界市内で緊急事態が起きた場合、中央区は国連の管轄下に置かれ、治外法権の地域に――つまり、中央区は日本の土地ではなくなる。
「ボク、外国人に期待なんかしてないし」
呼吸に重点を置いて盾を握る手に力を込め、袈裟懸けに振るってから切り返し、素早く振り上げる。
ボクは日本舞踊にも似た静かな動作で、3体のタフリナを倒した。
「なんか、いつものリシンくんじゃないみたい……」
カナエちゃんの声は、すこし震えていた。
「――――」
ああ、体の中に何かが広がっていくような感触がする。
ずっと走りながら、みんなを守りながら戦っているのに、息切れもしない。
カナエちゃんの言う通り、ボクはいつものボクでなくなってしまったみたいだ。
「やっぱり盾は防御専門かな。 ちょっと動きにくいや」
タフリナの突進を盾で受け止め、相手がひるんだところに蹴りをお見舞いする。
「次はエスクリマか、コマンドサンボか、システマか、変わり種でガンカタか……。 迷うなぁ」
迫り来るタフリナを破壊しながら、次のことを思案した。
今の体じゃ、できることにも限りがある。
それだけは頭に入れておかないと。
「リシン! うしろ!」
ミナちゃんに言われて振り返る。
するとそこには、ボクの背後に回り込んで跳躍したと思われる数体のタフリナが居た。
「やば――」
とっさに盾を構えようとしたけど、このままじゃタフリナに組み伏せられる……。
「リシン!」
タフリナはまだ街の設備を破壊しているだけだけど、ボクが犠牲者第1号になるのは嫌だ――!
「え……?」
ボクがタフリナに組み伏せられる寸前のことだった。
どこかから光線のようなものが撃ち込まれ、跳躍中のタフリナを全て撃ち落としたのだ。
「驚いたな。 子供がタフリナを相手に大立ち回りを演じるとは」
ボクの目の前に現れたのは、白銀の拳銃を手にした、白い外装を持つサイボーグだった。
「あなたはいったい……」
と、訊いていた途中で、いきなり視界を塞がれた。
「だーれだ?」
耳元でサイボーグ特有のくぐもった声がした。 言語は英語。
同時に、ボクの体は冷たくて硬い何かに包まれる。
「おい、ラジアータ。 最後に弟と会ったのは、お前が義体化する前だろ」
「忘れてた。 ならわからなくて当然だよな」
知らないところで会話が続く。
だけど、ボクだってサイボーグに抱きつかれたまま大人しくしているわけじゃない。
「離れてよ変態」
全身を巡るグラフトを励起させ、カタリストによって筋肉を損傷する一歩手前まで強化し、サイボーグの腕を引き剥がしてから投げ飛ばす。
「すごい力持ちになったなぁ、ケニー!」
隙を突いて投げたはずなのに、紅い外装のサイボーグは軽やかな動作で着地してみせた。
そして、ボクのことを知らない名前で呼んでくる。
「オレも変わっただろ? ケニーを守るために、全身を改造したんだぜ」
「ケニーって誰?」
「ケニーも随分変わったな。 背はあまり伸びてないが、色白で可愛くなった」
「容姿のことはどうでもいいよ。 ケニーって誰なの」
「黒い髪は父さん譲りかな? 白い肌は母さん譲りだな、間違いない」
めいっぱい空気を吸い込み、半分吐き出して止め、踏みしめていたタイルにヒビが入るほどの脚力で加速。
瞬時に間合いを詰めながら、盾による体当たりを繰り出した。
けれど、紅いサイボーグはどこかから剣を抜き、ボクの体当たりを受ける。
「お? 久しぶりに遊びたいのか、ケニー」
「質問に答えてくれないの?」
「お楽しみのところ邪魔して悪いが、ラジアータはキミの話を聞かないぞ」
ボクの盾と紅いサイボーグの剣がぶつかり合っている状況で、白いサイボーグがいきなり声をかけてきた。
「彼は精神に異常を抱えていてね、キミを生き別れになったきょうだいと思い込んでいるんだ」
歩み寄ってきた白いサイボーグは、ボクの隣で紅いサイボーグのことを説明してくれた。
「だから話しかけても無駄だったのね」
「ディギタリスも混ざるか?」
「私は今度でいい。 久しぶりにきょうだいが再会したんだ。 思う存分、ふたりきりの時間を満喫しろ」
「そうだな。 そうする!」
「申し訳ないが、彼が飽きるまで遊び相手になってくれ」
「つまりボクはスケープゴートですか、そうですか、そうですよね」
なんでこんな状況でふたりの知らない人と、全く異なる会話をしなくちゃいけないんだろう。
「それともうひとつ」
「まだなにか?」
一度距離を取って、盾を持ち直した。
「国連の人間に伝言を頼みたい」
カタリストで強化していても、元がおもちゃなので耐久力には限界がある。
「内容は?」
盾が壊れる前に決着をつけないと……。
「――あのドラゴンは私たち『フィクス・アウレア』が頂く」
そう言い残して、白いサイボーグは姿を消した。