4話「好きってなに? 前編」
01
朝の十時、俺はいつものように空いている電車に乗って地元の駅に降りていく。記憶屋に勤めるようになってから、早朝から奴隷がいっぱい詰まっている奴隷列車に乗ることはなくなった。自分が出たい時間帯に出勤し、休むときは鷹宮に申告をするだけ。給料もそれなりに充分貰えるが……まだ俺は記憶屋には慣れていない。
契約を破った人間の末路を見てから、記憶屋に足を運ぶ人の目を見ることが出来なくなった。記憶を売るだけなら問題は無いみたいだが、買うとなると必ず契約を守らないといけない、約束事を守るのは人として当然かもしれないが好奇心には逆らえないものだ人間という生き物は。何故彼女はあんな契約書を交わすようになったのか気になってしまう。
いつものように慣れ親しんだ路地を歩いていると、近くの公園で何やら大きな声が聞こえてくる。感情抽出手術が世の中に浸透してから公園で遊ぶ子供たちの声は聞こえなくなっているはずだ。少し様子でも見てみよう。
「そこのお姉さん! 僕の恋人になりませんか!」
小学校高学年ぐらいの男の子が道行く女の人に前時代の男が行っていたとされるナンパを実践していた。本ではいきなり恋人にならないのかと言わずにお茶でも飲まないかなどと誘っていたのが基本だったらしい。あまりにも女の人たちにスルーされているから可哀想になってきたな……
「そこの少年、いい加減諦めたらどうだ?」
「男に興味無いからおじさんは黙ってて!」
生まれて初めておじさんと呼ばれてしまった……俺はまだ二十代後半だぞ。
「そ、そうじゃなくて感情喪失者に声をかけたって無駄だよ、無駄」
いくら彼女たちに声をかけようが、感情を無くしてしまっている以上は俺たちの声なんか届く訳がない。彼女たちにとって俺らはただの羽虫だ、眼中にもない。少年は俺の忠告を一切聞かずに他の人にアタックを仕掛けようとするが誰かが通報したのか、無表情の警察官が数人公園の方へと向かってきているのが目に見えた。
大柄の男複数人が少年に詰め寄り、無表情のまま交番に連れていくのを俺は黙って見る訳には行かなかった。
「あっ、タカシ。お前こんなところにいたのか探したぞ」
感情抽出手術を行った人間、通称「感情喪失者」を装って警察官に近づく。感情喪失者のように話すのは骨が折れる。
「君、この子の保護者か。好きを知りたいだの喚いているが手術をしていないんだな」
「別に法律で決まっている訳じゃありませんよね。人には選択の自由がありますので」
これ以上口論していたら、応援を呼ばれる可能性があるため記憶屋の方に逃げることにした。ただでさえ、俺たちみたいな感情がある奴は立場が悪いのにコイツは何がしたかったんだろうか。
「……どうして僕を助けたの?」
俺に手を引かれる少年は申し訳なさそうに頭を下げながら助けた理由を聞いてくる。
「あのまま助けなかったら警察に何をされるかわからなかったんぞ。……それでどうしてあんな真似をしたんだ」
警察にも手術を行っているところと行っていないところで分かれており、前回記憶屋に警察を配置することが出来たのは鷹宮の知り合いの刑事がいたからだ。彼は鷹宮の仕事を理解し、契約違反をした人間を逮捕しているらしい。手術反対派側の知り合いさんにとって記憶屋は自分の昇進に繋がるための餌だと自信満々に話をしていた。今回の警察はその人の所属していない場所だから、尚更肝を冷やした。
「好きって感情を知りたかったから……パパとママに聞こうとしても何も教えてくれないんだ」
フミヤと名乗ったこの子は自分が感じた好きの感情をわからずに、親の部屋にあった本やDVDで恋人になる方法を独学で学んだと話した。独学で自分が興味を持ったことを勉強しようとするのは大変素晴らしいことだが、それだけじゃ頭でっかちになるだけだ。大した経験をしていない俺でも大人としてフミヤには好きとはどういうものかを教えたい。
「俺が本当の好きを教えてやるよ」
02
「ということなんだ、お願いできないかな……」
「はぁ、わかりましたよ。今回だけですからね」
鷹宮はどんな人間でも優しいことを俺は知っている。彼女の優しさを利用してフミヤに好きという感情を教えていく、つくずく小鳥遊海人という人間がクズだということを自覚してしまう。
彼女は既に未来が見えていたのか、半ば呆れながらもフミヤと俺を上の階へと案内をした。
「記憶のカケラ」が保管されている部屋の隣の鍵を開けたあと、鷹宮は準備があると言い残して部屋を出ていった。フミヤは記憶屋に来てからずっと、鷹宮の顔ばかりを眺めており口を開くことは無かったが……
「ねぇ、小鳥遊と鷹宮さんは付き合ってるの?」
子供の好奇心というのは恐ろしいもので、フミヤは目を輝かせながら早く答えろと催促をしてきた。鷹宮は正直に言うと綺麗で美人でお淑やかな人だ、どんな人間にも優しいのは良いことだがまだ分からないことが多すぎる。彼女のことは気にはなっているけど、これはもしかして恋なのか疑問に思えてくる。
「いや俺たちは仕事上の関係だ、まあ一応そうなってはいるけど……」
「なーんだつまらないの。大人の恋愛を聞きたかったのにな」
子供という生き物は非常にわかりやすい、俺がつまらない解答をしたことで頬を膨らませていた。この子には手術をしないで真っ直ぐな大人に育ってほしいとつい願ってしまう、情けない大人だ俺は。
少し話をしていると、鷹宮が扉の前に立っていた。俺とフミヤが話をしているところを見ていたのか、まるで我が子を慈しむ母親のような目をしていた。
「小鳥遊さん、ちょっと手伝ってもらっていいですか」
彼女の傍に近づくと、大量の「記憶のカケラ」が両手に抱えられていた。指輪に日本刀、ネックレス、DVD、紫陽花など様々なバリエーションの「記憶のカケラ」を持ってきた大きいガラスボウルに言われた通りの順番で置いていく。一体なにを始めるのだろうか。
「フミヤくん。君は何で好きという感情を知りたいのかな」
「同じクラスの女の子を見ていると……胸が苦しい。この感情が好きだと本で知っててもどうして生まれるかを知ってみたい」
鷹宮は腰を屈ませ、フミヤの目線に合わせて問いかける。彼は自分に生まれた未知の感情に興味を持ち、大人になろうとしている。子供の純粋な問いかけを俺たちは大人として答える義務がある、記憶屋はどうやって好きを教えるのか。それを知っているのは鷹宮しかいない。
「……これから見せるのは酸いも甘いも知り尽くした大人の恋愛。フミヤくんにはそれを見てもらいます」
最初に記憶を物質化したときと同じように鷹宮は黒い手袋を着け、ガラスボウルの中に入った「記憶のカケラ」に水を垂らしていく。窓から日が差していたが、水を垂らしたことで発生した蒸気によって部屋は光を失う。そして次の瞬間、俺とフミヤは目を疑った。いつの間にか木造建築の記憶屋から洋風建築の一般家庭に俺たちはいつの間にか移動をしていた。
「お父さん……お母さん?」
視界が晴れた俺の目の前に現れたのはフミヤの父と母の姿だった。彼らからは俺たちは見えておらず、何事もなく楽しそうに談笑している姿をフミヤは黙ってみていた。感情を喪失する前に記憶屋に来ていたのか……じゃあ鷹宮はもしかして。