2話「記憶屋の仕事」
01
記憶屋の仕事に就くことになった俺はワイシャツにエプロンを着けて、鷹宮に仕事内容を聞いていた。
鷹宮は人に教えるのが嬉しいのか、頬を緩めながら俺に説明をしてきた。「嬉しい」感情を買った人間は笑顔になっていても、目の奥が笑っていない、だが彼女は目尻を下げて頬を緩めている。
俺は嘘偽りもない笑顔を見れることが久しぶりなせいで、つい気持ち悪い笑みを浮かべてしまった。無様な俺を見て笑う鷹宮はとても可愛らしく思えた。
「記憶屋は世間一般の感情だけを売り買いする企業と違って、人の気持ちを大事にする仕事です。……お客様には優しく接してあげてくださいね、どんな事情があっても」
寂しげな表情を見せる鷹宮に違和感を感じたが、俺は自分の疑問を彼女に投げかけてみた。
「記憶を売り買いするのと、感情を売買するのって何が違うんだ?」
「廃人か普通の人間かの違いですよ」
人の心から感情を抽出すればするほど、その人間は自分の人間性を失っていく。抽出して以降も感情は生まれてくるが、以前と比べると表情にぎこちなさが生じる。心から感情を取り出せば取り出すほど、人間らしさが失われるため多くの人々は誰かが売った感情を購入してぎこちなさを感じさせないようにする。
普通の人間のように見えるが、その感情は赤の他人から生まれたものであって自分から生まれたものではない。本人は人のつもりだと思っているが、感情抽出手術を一度も行っていない俺たちから見るとロボットが人間を演じているようにしか見えない。対して記憶だけを抽出する場合はその様な事態にはならないと鷹宮は言う。
人は都合の悪い記憶は思い出せないようにする機能が備わっているが、ある出来事でフラッシュバックする可能性がある。記憶屋は要らない記憶を取り出し、脳からその事実は「無かった」ことにすることが出来る。人間性はそのままで日常生活を送れるのが感情抽出手術との違いだと分かりやすい説明を彼女は俺にしてくれた。
「大体のことはわかった。確かに感情を取り出すよりはまだマシだと思うけど、取り出した記憶を赤の他人が買うことも出来るんだろ?」
「ええ。ですが記憶を買うには契約書が必要になります、赤の他人の記憶を買う人は自分そのものを消し去りたい人が多いので」
契約書を書かせる前に鷹宮は未来視を使ってその人の未来を教えるらしい。新しい自分になる前にこれからどんな未来が起きるのかを先に伝え、赤の他人の記憶を買うことの重大さを教える。大抵の人間は自分の未来を聞くと満足して店を出るらしいが稀に未来を受け入れない人がいる。
感情を抽出したとしても死にたいという気持ちだけは取れない。増してや死を含めた負の感情なんか誰も買う人間はいない。負の感情を貯めていけばいくほど、死の恐怖は薄まってしまい「自分」を消したくなる。
大昔だと自殺していたらしいが今は記憶屋で他人の記憶を買えば今の自分を簡単に消すことができる、感情抽出の技術が広まったせいで記憶屋の認知度は低くなっているがそれでも救いを求めてくる人は後を絶たない。
「契約書を書かないと後から文句を言う人も世の中にはいるんです……男の小鳥遊さんがいるのでその辺は任せますよ」
契約書を書かせるというのはつまり赤の他人の記憶を購入しても、新しい自分になることは出来ない可能性もあるということ。じゃあ失敗したソイツらは自分と赤の他人が混ざった化け物になるのか……さらっと恐ろしいことを鷹宮は言っていたが彼女はこれまで自ら対処してきたのだろう。
どんなお客が来たのかを記録帳に書く他に、俺は鷹宮の仕事も手伝うことになっているが果たして俺にそんな責任重大な仕事が出来るのか不安になってきた。
02
閉店の準備を進めようとしていると、入口のドアにつけられていた鈴が鳴っていた。
「おーい、鷹宮! お客さん来たぞ」
カウンター裏で作業をしていた鷹宮を呼ぶ。俺はカウンターに設置されたレジに待機をし、いつ記憶を売買できるように準備をする。
「ようこそ、記憶屋へ。今日はどういったご用件でしょうか」
鷹宮は俺と出会ったときのように優しい笑顔で客を迎える。今日来店してきたのは顔に表情がない感情抽出手術経験者の女性だった。
「あの、ここでは感情を安く買うことは出来ますか?」
なるほど……感情を買う金が無いから記憶屋に来た訳か。人を観察する趣味は無いが、彼女の身なりを見てみると服に汚れが複数あることに気づいた。自分の生活を切り詰めて感情を取り出さなくてもいいのに。
「すいません……ここは記憶を売り買いする場所なので感情は取り扱ってはございません」
申し訳なさそうに鷹宮は女性に謝っていた。本来なら看板すら読めないこの人が悪いのにまるで自分が悪いと言わんばかりに頭を下げていた姿を見て不思議で仕方がなかった、謝罪したところで感情がない人たちには何も心は響かないのに。
「じゃあ記憶を売ればお金にはなるのよね、じゃあ売るわ」
一切の躊躇もなく、丸井と名乗った女性は記憶を売り払うことを決めた。
「わかりました、ではどの記憶を売るのか教えてください」
鷹宮は俺に目で合図を送ってきたため、近くに置いてあったノートを手に取る。
丸井さんは感情抽出手術を受けるまえは人に依存しやすいタイプで、自分の寂しさを受け止める人を好きになりやすい人だった。彼女は色々な彼氏を精神的に束縛したが長続きすることは無かった、今の彼氏に手術を勧められて「寂しさ」を抽出したものの、彼氏はあろうことか丸井さんと別れてしまった。
だから今までの彼氏の思い出を消して、自分の感情をもう一度買いなおしたいと無表情なまま鷹宮に話していた。
「では丸井さん、私が言いと言うまで目を開けないでくださいね」
丸井さんを椅子に座らせ、カウンターから彼女の傍に近づいた鷹宮はポケットから黒い手袋を取り出した。
そしてそのまま、頭に手を触れた。もしかして頭の中に直接触れるのかと思っていたが、そんなことはなかった。
「取り出した記憶はどのような形にしますか?」
「形、ですか」
「飴玉でも宝石でも良いですよ。貴方が好きなものを言ってください」
そういえば取り出した記憶がどんな形になるのかは聞いていなかったな。
丸井さんは鷹宮の質問に頭を傾げながらも、ボソッと小さな声で自分の好きなものを言っていた。
彼女の要望を聞いた途端、鷹宮が着けていた手袋が光を発した。その光は店内の明かりを覆い尽くすほど発光したが、十秒も経たずに光は止んでしまった。
突然のことで声は出なかったが、鷹宮が手にしていたものを見て俺は思わず声を発してしまう。
「嘘、だろ」
光が止んだ瞬間、鷹宮の手には銀色のペンダントが握られていた。
「丸井さん、目を開けてください。もう大丈夫ですよ」
丸井さんは最初のころと比べると、少しだけ表情が明るく見えた。本当に記憶を取り出すことが出来るなんて思いもしなかった鷹宮は一体何者なんだ……普通の人間が何もない空間から物を作り出すことなんて出来ないはず。
「私は……その、記憶を取り出せたのですか?」
「勿論、取り出しましたよ。試しに思い出してみてください」
一生懸命思い出そうと頭を抱え込む丸井さんだったが、五分、十分経っても記憶は戻らなかった。
「記憶の金額ってどのようなものに……」
自分の感情を取り戻すにはそれ相応の金額が必要になる。最低でも十万はないとダメだ。
「丸井さんが欲しい金額で大丈夫です。どれぐらい欲しいですか」
まさか客が欲しい金額を決めれるのか、感情抽出手術でさえ病院によって額が違うのに。
丸井さんは最低でも二十万は欲しいと言ったため、俺はペンダントを受け取ったあと彼女に二十万を渡した。
レジから大金を取り出す経験をしたことがなかったせいで、取り出すのに時間をかけてしまった。
「経営とか大丈夫なのか? 大金渡したらマイナスになると思うけど」
丸井さんが帰ったあと、俺はつい鷹宮に問いかけてしまった。
あんな大金を出してたら店は成り立つ訳がない。
「その分記憶を買う人には多くお金を貰ってますから安心してください、ちゃんとお給料は払えますから」
人の記憶を取り出した後だというのに鷹宮はいつものように笑顔のままだった。