承
それから僕らは、何度も公園で落ち合った。天音はいつも九時ぐらいには公園に来るから、それに合わせて僕も茶色の砂利道を駆け下る。
彼女はいつもブランコに腰掛けていて、白い包帯でぐるぐる巻きの足を、煩わしそうにぶらぶらさせていた。
「お、優くん。おはよう」
「おはよう、天音」
そうして始まる僕ら『サボり同盟』の朝は、いつもブランコの音と一緒だ。たまに近所の小学生が押しかけてきた今日みたいな時は、邪魔にならないようにベンチに座ったりするけど。
男として、彼女の松葉杖は黙って預かる。
「ねぇ、そのサボり同盟って、やめてよ」
「いいじゃん。俺も天音も、やる気が起きないからこそサボって、英気を養ってるんだから」
「だったらせめて、中国同盟とかが良いな」
「なんで中国?」
「歴史の授業でやってたじゃん。眠れる獅子って」
「あぁ、あの蓋を開けてみたら大したことなかったやつ」
そうやって言ったらぺちんと叩かれた。理不尽な。
そんなこと言うと、松葉杖を防災倉庫の陰に置いてきちゃうぞと言って立ち上がってみたり、それだけはやめてーと服の裾を引っ張られてみたり。すっかり慣れ親しんだジャレ合いをしていると。
「わー、みろよ! イチャイチャしてる!」
「めおとまんざいって言うんだぜ、ああいうの!」
「そういうことは、いえでやれー!」
なんと、マセガキどもが囃し立ててきた。小学校低学年はどうしてこう恐れ知らずなんだろう。
どうしようかと天音に目配せすると、その時にはもう彼女は立ち上がろうとしていた。
「良い子のみんなぁ? あんましデリカシーのないこと言うと、どうなっても知らないよー?」
こわっ。薄っぺらい笑顔こわっ。
恐れ慄く僕に、天音はくいっくいっと手で何か要求する。半瞬置いて、片足立ちでふらつき始めた天音が松葉杖を要求していることに気付いて、すぐさま差し出す。
天音は右側に一本ついて安定を得たのち、もう片方を振り上げ、びゅっと振り下ろす。
「ほら、一人ずつこっちおいで」
マセガキたちは即座に顔面蒼白。ついでに真横で迫真の風切音を聞かされた僕も顔面蒼白。テニスで鍛えた腕力のなせる技だった。
どうする、どうすると会議を始める小学生を尻目に、僕は急に阿修羅みたいになった天音を眺めた。彼女はまだおっそろしい笑顔のまま。
しかし、僕は隣にいたから、気づいてしまった。
「あ、耳真っ赤」
ばこんっ。
星が舞った。小学生たちが悲鳴を上げて逃げていく。鼻を鳴らしてベンチに座り、松葉杖を突き出す彼女を見て。僕はようやく自分になにが起きたか理解する。
いや、いくらなんでも松葉杖で叩くのはやりすぎじゃない?
◇◆◇
遊び盛りの連中がいなくなって、僕らはブランコに戻っていた。たまには滑り台もいいと思うのだけど、包帯が捲れ上がるから嫌だと天音様からのお達しだ。
「こぶできたらどうしよ」
「ごめん、本当にごめんね?」
頭をさする僕に、天音は拝み倒す勢いで謝ってくれる。正直、身長差もあって完全に振り下ろす前の松葉杖が当たったわけだから、後になってみればそんなに痛くなかったのだけれど。
僕に対してひたすら低姿勢な天音は珍しいので、ちょっとくらい楽しませてもらってもいいだろう。
「あー、本当に痛い。頭が割れそうだ」
「ごめんね? ちょっと、ついカッとなって」
「カッとなってが許されるなら、世の中の殺人も許されちゃうし?」
「それはぁ」
うん、本当に楽しい。
「そうだなぁ。そこの自販機でジュースの一本でも奢ってもらったら、許そうかなぁ」
「あ、なんだ。平気なのね。むしろデリカシーのないこと言わないでよ」
「切り替え早っ」
天音は急に姿勢をしゃんとして、なんなら僕を責めてきた。いやでも、やっぱり僕悪くなくない?
ちなみに、耳真っ赤なことを口に出すという行為のどこがデリカシーないのかと聞いてみたらーー
「だって、それ聞かれたら小学生の子たちに余計勘違いされちゃうでしょ。耳が赤かったのは、あんな風に怒って見せるのが恥ずかしかったの」
とのこと。救いもなにもあったもんじゃなかった。
「それにしても」
最終的には謝ってくれた天音が、話題を切り出す。
「ブランコだけってのも、飽きてこない?」
「いや、それはそうだけど……」
天音の足があるから、他に遊び用もないじゃん。どうしろって言うんだ、と抗議を込めてブランコを揺すると、ブランコさんも僕のなにが不満なんだと言わんばかりにキィと鳴いた。
「ねぇ、優くんって自転車持ってないの?」
「自転車? 持ってるけど」
なんの変哲もないママチャリで、かっこいい泥除けがついてたりしないやつ。
「今度さ、第一公園行きたいなぁって」
「確かにあそこなら広いし、なんかあの、ぐるぐる回るジャングルジムとかもあるけど」
「でしょ。それならわたし、優くんに回してもらったりできるじゃん」
「それ、俺が疲れるだけなんだけど」
スカートでも履いてるなら、パンツが見えるかもって頑張れるけど、天音スカート履かないし。
……今のなし。
「まぁ、じゃあ。ブランコでいいや」
「だったらもう、ここでいいじゃん……」
「違うよ、場所が違うもん」
「なにそれ」
僕が首を捻ると、天音はにししと笑った。彼女が楽しそうなら、別に場所が変わることにも意味があるのかもしれない。
ただしかし、そこには一つの問題がある。何って、第二公園は比較的低いところにあって、第一公園は比較的高いところにある。つまりは、第二公園に集まる僕らは必然的、坂道を登らなければいけなくなるわけで。
「でも天音、あそこまでいくの辛くない?」
僕が松葉杖に視線をやりながら言うと、天音は不思議そうに首を傾げた。
「何言ってるの? だから、自転車あるかって聞いたんじゃん」
「……は? えっ、まさか」
いやそれだとしたら。僕は回転ジャングルジムを回すどころじゃなく疲れることになる。
「自転車二人乗りで、わたしを第一公園までよろしく〜」
「いやいやいやいや! 無理だって!」
あっけらかんと言う天音に、僕はあんぐりと口を開いた。とんでもないことを言う。
「だってそれ、松葉杖どーすんの?!」
「置いてくしかないね」
「じゃあ公園に着いた後どーすんの?!」
「優くんが支えてよ」
「はぁっ?!」
支えるってことはつまり、天音に肩を貸したりしちゃったりするんだろうか。そしたら当然、彼女と密着することになる。横を向いたら、息のかかりそうなくらいの距離に彼女の顔があって、たまに彼女が首を振ったら、ポニーテールが僕の頬を撫でたりするのだ。
考え出すと、なんとも断るのが勿体なく思えてしまって、僕はなんとも言えず顔を逸らした。
「あれー? 優くん、顔赤ーい」
「なっ! わかった、さっきの仕返しか!」
「ふふん、気づくのが遅かったね」
食ってかかろうとすると、天音はさっさとブランコを漕ぎ始めてしまった。別に、どこへ行けるでもないのに、速度をもって揺れる彼女に置いていかれる気がして。僕もぎっこぎっことブランコを漕ぐ。
「でもね」
すれ違いざまに、天音の声が聞こえた。
「第一公園に行きたいのはほんと。でも、松葉杖ついて行くには遠いから、優くんに連れてってほしいのもほんと」
「そんなの、お父さんとかお母さんとかに連れてってもらえばいいじゃん」
「…………実はね、わたし、お父さんから逃げてここに来るんだ」
急に静かになったなと思った。天音がブランコを漕ぐのをやめていた。
揺られるがままの彼女は、青空を見上げて言葉を繋ぐ。パレットの上に広げたアクリル絵の具みたいに、捉え所のない青空を。
「うちのお父さん、塾の先生だから。朝の九時ぐらいに家を出るの。その時にいつも、急に思い出したみたいに、怪我してしまったのはしょうがないんだから、勉強しなさいって。わたしに言うの」
「……」
「でも、それで勉強始めちゃったら、もう部活を諦めたみたいで嫌なの。わたしには、部活しかないのに」
彼女は自分を支える二本の鎖を抱き寄せるようにして、腕をさすった。日焼けの境目は、ほんのちょっぴりだけど薄れてる気がした。
「勉強、苦手なんだ」
「あはは、そうだね」
謎の使命感にかられて出た言葉は、我ながら的外れだった。彼女の苦笑が僕への気遣いだと思うと、急に何か言うのが怖くなる。ただ、ブランコを漕いだ。
反対に彼女のブランコはどんどんゆっくりになり。そして、もう大分揺れが小さくなった頃。
「よっ……!」
彼女はブランコの上に立つ。
「なにやってんの?!」
ぎょっと目を剥くも、次の瞬間に彼女は飛び出していた。小さいが、確かに跳躍した彼女は柵を飛び越えることすらない。
もちろん片足で着地した天音は、危なっかしく体勢を崩し、手を振り回す。
僕はブランコを急停止させて、松葉杖を取って駆け寄る。
「あぶっ……バカじゃないの?!」
「でも……っ、ほら。成功した!」
僕に支えられてようやくことなきを得たくせに、天音は誇らしげだった。
「やっぱりわたし、まだやれると思うの」
「はぁ、なにが」
「まだ部活、諦めたくない」
松葉杖を受け取ると、すっかり慣れた様子で公園の中央まで歩いて行く。堂々とした足取りで歩く彼女を、僕はただ眺めている。
彼女は目的地にたどり着くと、僕に向き直って宣言した。
「やっぱり、自転車はいいや」
「えっ、いいの?」
「自分一人で行くよ。優くんはついてきてくれればいいしね」
「俺も行くことには行くんだ」
「そりゃあ、もしもの時にね?」
拍子抜けしてしまった僕に対して、天音はやる気十分だった。最近運動不足だから、復帰に向けての体力づくりだとかなんとか。松葉杖の片方を振り上げて、えいえいおーなんてやっている。その姿が、とてもキラキラして見えた。