お得意先は危険な香り
第三話は大阪に転勤になった主人が、大阪のお得先に翻弄されます。禁煙を始めた日に普段会えない得意先とのコンタクトに成功。しかし商談はサバイバルゲームに勝利することが条件でした。条件クリアのために奮闘します。
秋風とともに、御堂筋のイチョウも黄色に染まり、オフィス街の西陽が横山大輔の姿を黄昏色に照らした。
胸につけたレモンイエローのうさぎの社章が、夕陽にキラリと光る。
黄色のうさぎはラビット建材社のシンボルだ。横山は秋の異動でグループ会社のラビット建材に出向になっていた。
大阪支社長という肩書きだけは立派だが、内情はお粗末なものだった。地元資本の建材メーカーの力が強く、ラビット建材にとって関西は鬼門のエリアである。親会社であるラビットハウスの需要がなければ仕事にならない。身内のおこぼれでなんとか食っているような状態だ。しかし、こんなダメ支社扱いもきょうまでだ。
「あしたは大勝負。失敗は許されない」
地下街の立ち飲み屋の縄のれんをくぐり、横山はあしたの作戦に思いを巡らせた。勝負に負けて、ビジネスで勝つ。これが重要なんだ。
雑然とした店内は中年男の巣窟で、容赦なくタバコの副流煙が全身にふり注いでくる。三日前から禁煙を始めた横山には過酷な環境だが、禁煙の意志はみじんもゆるがない。
「吸うなら吸うがいい。おれは、おまえたちとはちがう。いつまでもこんなところにはいない。おれが次にタバコを吸うのは、銀座のクラブでバラのように美しいホステスから火をつけてもらって一服するのだ。そのためにも、あしたの勝負をかならずものにする」
インド人のナントカ社長はすでに会社を去り、流行りに浮かれたようなグローバル戦略の反省があちこちで聞かれるようになった。いまは国内だ。国内でひと花咲かせるのが、出世街道に復帰する一番の近道なのだ。
「支社長、ビッグニュースでっせ。あの千成開発のオーナーが会ってくれますのや」
部下の東村が勢いこんで報告に来たのはちょうど三日前。一念発起して禁煙を始めた初日だった。なんという吉報。これこそ、禁煙を決意した自分に神様が授けてくれた最高のご褒美だ。
千成開発は大阪と奈良にまたがる広大な土地を所有している大地主であり、その土地をみずから開発する中堅ゼネコンでもある。発注する建材もハンパな量ではない。
チャンスだ。禁煙の決意とともにビッグチャンスがころがりこんできた。
「千成のオーナーはかなりの変人で、めったに人に会わないと聞いたぞ」
「支社長。大阪では、大阪弁をしゃべらんと、商売になりまへん。そんなこそばい言葉では、とれる注文もとれまへんで」
「なかなかうまくいかん。じつは子どものときに、一時尼崎に住んでいたのだが、もう四十年も前の話だからな」
自信のもてない横山とは対照的に、若い東村はじじむさい大阪弁を多用する。
「そんなことではあきまへん。あの千成が会ってくれますのや。コテコテの大阪弁でお願いしまっせ」
「大阪弁はなんとかがんばるが、さて、どうやってアポを入れるんだ?」
「そこですがな。宣戦布告をするんですわ。千成のオーナー。もう七十過ぎのおじいちゃんですが、サバイバルゲームに凝ってます。ゲームに勝ったら商談にのってやる、というわけです」
「なんだそりゃ。遊び相手をするのか」
「そんな簡単なもんやないです。それはもう、えらい本格的やそうで……。どこの会社も二度と戦わんというてまっせ」
東村の言葉がまったく耳にはいらない。年寄りの戦争ごっこなど楽勝接待だ。
国家安康 君臣豊楽
千成建設 悪逆無道
「これが宣戦布告文か。やはり年寄りの道楽は凝った演出のほうがいいな。二行目はわかるが、この国家なんとかはどういう意味だ?」
「そんなことも知りまへんのか。家康が大坂冬の陣を起こすために、言いがかりをつけた、例の鐘の銘文です。そんなもん、大阪では小学生でも知ってまっせ」
「おれは江戸っ子なんだよ」
横山は吐きすてるように言った。ウソである。実際は転勤族の父親について各地を転々としていた。
「秀吉ファンの千成や。これで、そうとうアタマに血がのぼりまっせ」
返事は翌日にやってきた。朝イチで事務所にファックスが届いていたのだ。
「明朝、城でまつ」
豪快に大書した筆文字に怒りがこもっている。二枚目には子どもが描いたような稚拙な地図。
「そうと決まればいくさの準備や。わいはこれから武器をそろえてきます。あしたの朝に迎えに行きまっさ」
「遊びじゃないんだぞ。これは大事な接待なんだ」
「わかってま」
東村はそういって会社を飛びだしていった。