幻の宝石
「部長さんは、おタバコはお吸いにならないの?」
「じつは禁煙をしているのだ」
「まあ。お気の毒。でも素敵ですわ。意志がお強いのね」
ほそい腕を絡ませるようにしながら、白い手を横山の太ももにそっとおいて、耳もとでささやいた。横山にもたれるようにぴったりと寄り添うと、切れこみのふかいドレスから胸の谷間があらわになった。それはタバコを我慢しているご褒美のように思えた。
上品な音楽が流れるとステージ上には三人の踊り子があらわれ、すらりと美しい肢体をくねらせるように踊りだした。アップテンポになると、誘惑するように柳のような腰を激しくふるわせて、三人は踊りながらステージ上に三角形をつくった。
一番手前の三角形の頂点で踊っている黒の衣装の女性。その顔は酔夢にでてきた美女にそっくりだった。いや、そっくりどころではない。黒に金の縁どりの衣装。彫りのふかいエキゾチックな顔立ち、黒く大きな瞳に長い黒髪。夢の中のあの美女がそのまま、目の前のステージにいる。
「あのひとだ。本物だ。あの夢はこの瞬間を予見していたんだ。やはり、あれはただの幻じゃなかったのだ」
美女を見つめる横山に変化が生じてきた。
あきらかに一物がむくむくと成長してきたのだ。
ふだんはタツノオトシゴが股間にぶらさがっているだけなのに今はどうだ。
海面を跳ねまわるトビウオのようになっているではないか。
「なんだこの感覚は。ああ。飛びマス。飛びマス」
横山は音楽に合わせて立ちあがった。
音楽のテンポがさらに速くなった。ステージ上の美女は狂ったように腰をふり、横山を見つめながら絡みつくようにほそい指で手招きしている。
「あの人だよ。まちがいない」
横山の一物も絶頂を迎えようとしていた。もはやトビウオどころではない。太平洋を泳ぎつづけるカツオのように巨大化している。
「おおおお。一本釣りじゃい」
そのまま横山はふらふらとステージに近づいていく。
「ああ、部長どこに行くんです」
泉川の声も耳にはいらない。
「おい、やめろ。そんな店じゃないよ。踊り子さんに手をふれちゃ、だめだよ」
あわてて吉崎もとめにはいる。
「おれのカツオくんは、だれにもとめられないぜ」
「お客様、困ります。お席におもどりください。乱暴はおやめください。ほかのお客様のご迷惑になります。お客様、おやめください」
「来てるンだよ。カツオの群れが来てるンだ」
制止しようと腕をつかんだボーイをつき飛ばすと、ボーイが床にころがり、音楽がストップした。女たちの悲鳴が反響し、アラビア語が店内を飛び交っている。
「なにをやってるんだ。バカ野郎。おれのコーディーネートを台なしにする気か」
泉川の叫び声が響いた。しかし、横山の耳には届かない。前後不覚に酔っ払った横山はそのままステージにあがると、踊り続ける美女の手を握った。
「やっと君に逢えた。君こそアラビアの宝石だ。ずっと探していたんだ」
踊り子はすこし微笑んで、はらりと手をほどくと、くるくるとまわりながら後ずさりしていく。追いかける横山、駆けよる男たち。マイクコードに足がひっかかり、横山のからだが音をたてて床にころがった。
女たちの悲鳴が響く。男たちが腕をとってステージからひきずり出す。床であたまを打ったのか、横山はピクリともうごかない。すでに軽くいびきをかいて眠っていた。
横山が目ざめたのは、タクシーのなかだった。
「お客さん、だいじょうぶですか」
迷惑そうな運転手の声で横山は目をさました。一瞬、なにがあったのか見当がつかない。
「曲がるところは、指示をお願いしますね」
なんとなくわかってきたぞ。アラビアンクラブで気絶して、そのままタクシーにほうりこまれたのだ。
「しばらく、まっすぐ行ってください。ああ。いや、ちょっとそこのコンビニに寄ってください」
横山は三日前に立ち寄ったコンビニにはいった。スイーツ売場にはきょうも「ぱんだ堂のバナナとコーヒーのぐるぐる生エクレア」が横山をまっているようにならんでいた。
「コーヒーは魔物だな」
横山は缶ビールを一本つかんでレジへと向かった。
「ショートホープだ。ライターも」
コンビニをでると、缶ビールをあけて一気に流しこむ。のどが焼けるように乾いていた。一息つくと、ショートホープの封を切りとった。百円ライターで火をつける。この世の幻をすべて吸いつくすように煙を胸に落とし、ビールのげっぷと一緒に白い煙をゆっくり吐きだす。
闇に溶けていく煙を見ながら、横山は苦い顔でつぶやいた。
「アラビアの宝石は、幻と消えた。まるでショートホープの煙のようだぜ」