アラビアの宝石が呼んでいる
翌日、横山は珍しく二日酔いだった。子会社に出向してから、通勤電車は七時四十五分発を使っている。以前にくらべると一時間も余裕があるのだ。
紺の背広は以前と変らない。胸にはウサギをかたどったシルバーのマーク。親会社のゴールドには及ばないが、誇り高きラビットハウスの社章である。
九時ぎりぎりに会社に到着すると、その時間でも部下の姿はちらほら。スケジュールボードには、立ち寄りの文字がならんでいる。
「きょうはどこまでトンボ釣り」
そうつぶやきながら、心のなかでいつもの決意を唱えた。
「かならずここからぬけ出してやる」
始業のチャイムが鳴ってしばらくすると、横山の前に年配の泉川があらわれた。
「横山部長。先日、ちょっと、おもしろい人物と接触できましてね。ひょっとすると、商売につながるかもしれません」
薄くなった髪をかきあげると、額には汗が光っていた。泉川は薄毛の汗かきだ。そして虚言癖がある。
ちいさなビジネスでも大ぼらを吹いて、予算をつり上げて、カネを豪快に使いこむ。何度もそんな失敗している男だ。こんなヤツにだまされてはいけない。
「泉川さん。こんどはなにを見つけましたか」
「いやね。今回の相手はマラデーカですよ。知ってますか、マラデーカは?」
「なんです。そりゃ。セクハラじゃないでしょうね」
「ははは。横山部長もジョークをいいますか。いいですか、マラデーカは都市国家の名前ですよ。とてもちいさな国ながら、アラビアの宝石といわれるほど、美しく、豊かな国です。わたしはね。あるスジから、その王室の有力者と通じることができました」
「デカマラ王室?」
でたよ。大ぼらが。こんなしなびたジジイとどうしてアラビアの王族がつながるかね。
「じつは。わたしの妻の父親のいとこが、昔の話ですが、外務省につとめる官僚でしてね。かつてマラデーカの技術支援を全面的に指揮する立場でした。そのころ、学生だった王族関係の学生と交流があったそうです。その人物もいまや四十五歳。今や国のリーダーとして、高い技術力をもった日本企業との交流を望んでいるというわけです」
「本当ですか」
「しかも、彼の関心はまちづくり、スマートシティの実現ですよ」
「それじゃ。まさにラビットハウスが標榜している、次世代まちづくりのコンセプトにぴったりじゃないですか」
「さすが、横山部長だ。ビジネスの勘が冴えていらっしゃる。わかるでしょ。アラビアの宝石、マラデーカで、ラビットハウスが、未来のモデル都市をつくる」
泉川が額の汗を拭きながら胸をはると、銀色のウサギがきらりと輝いた。
チャンスだ。ビッグチャンスがころがりこんできた。
ラビットハウスは国内では絶対的な地位を築いているが、海外展開はお世辞にもうまくいっているとはいいがたい。インド人のジャガイモみたいな社長は、ラビットグループの成長は海外にあると断言している。
わが開発部がマラデーカの大規模開発を請け負えば、グローバル展開の道を我々がつけることになる。もちろん、そのリーダーは他ならぬ横山大輔、私なのだ。
ようやくチャンスが巡ってきた。
だれにもわたせない。
こんなおいしい話が社内に広がれば、砂糖に群がるアリのように、他部署のやつらがすべてを奪いとっていく。
大阪の営業部長だった重松の醜い笑い顔があたまに浮かんだ。この春、ヤツは名古屋支社長に抜擢されていた。あんなヤツが、と思うが手も足もでない。
横山の目がキラリと輝いた。
「かならずここからぬけ出してやる」
会議室のプロジェクターに、ターバンを巻いた中年の男が映し出された。
「みんな聞いてくれ。開発部の浮沈がかかるプロジェクトだ。ターゲットは、この男だ」
横山の言葉をさえぎるように泉川が額の汗を拭いながら割りこんでくる。
「今回、わたしの人脈でかれに時間をもらえることになった。かれのひと声があれば、デカマーラのまちづくりを、一手にラビットハウスがひき受けることも夢じゃない」
まるで、この案件は自分のものだといわんばかりの態度である。しかしリーダーはこの私だ。最終的には、このプロジェクトの果実は私のものになるのだ。
「泉川さんのいうとおりだ。なんとか開発部だけで、ラビットハウスの海外戦略に道をつくろうじゃないか。開発部の実力を見せつけよう」
泉川のハゲ頭に反射したプロジェクターのライトがメンバーの瞳を照らした。全員の瞳が輝いている。負け犬のジジイ集団が燃えている。
「どうだ。やってくれるか」
横山が力をこめて念を押すと、メンバーの声がそろった。
「やりましょう」
さらにジジイたちの口から威勢のいい言葉が次々と飛びだした。
「接待だよ。これは接待が鍵だ」
「やろう、接待」
「最高の接待で奇跡を起こすんだ」
「行こうぜ。接待」
「史上最大の接待作戦だ」
思考に偏りはあるが、チームがひとつになっている。
それに、このビジネスを円滑にスタートさせるには、みんながいうように接待しか手がない。
「こんな大金持ちをどうやって接待すればいいのか。なにをすれば喜ぶのか、想像もできんな」
「ふっふふ。スーパー接待というわけですか。とうとう、わたしの出番がきたようですな」
すだれ頭で黒ぶちメガネの、しょぼくれたジジイがしたり顔でニヤリと笑っている。
「えっと。だれだっけ」
ふだんが地味すぎて横山は名前をド忘れした。名前は浮かばないがあだ名は有名だ。
「接待大王」
「吉崎です」
「そうそう。吉崎さん、失礼しました」
「いいんですよ、部長。接待関係の使いこみで三回も懲戒関係をいただいたわたしだ。そんなあだ名がついていることも知っていますよ」
吉崎にはぜったいに金をもたせるなというのが、重要な引継ぎ事項になっている。すでに接待大王という異名は過去のものになっているが、昔の豪遊ぶりのおかげで、いまだに銀座、赤坂、六本木、神楽坂、吉原、日暮里、歌舞伎町……。繁華街で顔のきかない店はないといわれている。
「まあ、ガイジン関係なら、芸者関係で決まりでしょ。吉原関係をセットにしたら、最強タッグです」
吉崎が夜の街の話をすると、とまらなくなってしまう。
「変ったところで、くの一クラブか花魁パブ。アラビア関係で、しかも王族関係となれば、飽きるほど和風関係で接待されているから、ひと筋縄ではいかないね」
ひさしぶりのスポットライトに興奮したのか、吉崎は禁煙の会議室で、タバコに火をつけた。愛煙家ばかりのメンバーは、それに乗じて、我も我もと、タバコを吸いだした。
「あれ。部長はタバコを吸わない人でしたか?もしかして、禁煙関係?時代だね。建築関係の営業マンが禁煙関係なんて」
横山は言葉がでなかった。ふだんは穀つぶしのジジイだが、人生に一度だけ会社の役に立つときが来たのだ。今はこの接待大王に賭けるしかない。禁煙で願かけするよりも、ビジネスの成果をだすときだ。それが出世の近道だ。
「いや。吸いますよ。一本もらえますか?禁煙なんてやめだ」
それがリーダーだ。仲間だ。男のつき合いというものだ。
「いいの。いいの。せっかく禁煙関係続けてるんだから、続けたほういいよ。それより、話は接待関係でしょ。和風関係がだめなら、地元ネタはどうかね。ベリーダンスがウリのいい店があるのよ。とびきり美人ぞろいでね。ダンス関係も本場以上。もちろん、セクシーサービスも、お財布次第だ」
「ベリーダンスですか」
横山は身をのりだした。タクシーで見たあの幻のアラビア美女がよみがえってきた。
「いきましょう。ぜったいそこがいい。いや。むしろ、そこじゃなきゃイヤだ」
横山の声は会議室をふるわすほどに力がはいっていた。