珍客とぼくらのタバコ
翌朝の夏やすみアニメ劇場は、そんなぼくらを最高に興奮させてくれた。もちろん三人とも早起きをしてテレビを見ていた。基地にあつまると、顔を合わせるだけで笑いがとまらない。
「わははははははは。はやく吸いたいな」
「わははははははは。コウモリをおれらのマークしようぜ」
「ゴールデンバットは最高や。わははははははは」
ゴールデンバットの魅惑の箱をあけると、三人が一本ずつ口にくわえた。アルコールランプで火をつける。両切りでフィルターがないので、気をつけないと、口に葉っぱがはいってくるぞ。口にふくんだ煙を静かに吐きだすと、三人そろって大声で笑いだした。
「わははははははは。どこ、どこ、どこからくるのか黄金バーット。コウモリだけが知っている。わははははははは」
夏やすみアニメ劇場は、きょうとあしたの二日間、『黄金バット』の再放送を流していた。
ぼくらはこのタバコが気にいった。とにかくデザインがカッコいいのだ。そしてとにかく安い。おこづかいをだしあうと、ムリのない範囲で手にいれることができる。なにより『黄金バット』の唄をうたいながら、このタバコを吸うのは最高の気分だった。
空き箱になると、チェリーがきれいにコウモリのイラストを切りぬいてくれた。三人のノートと教科書には、秘密結社のマークとしてコウモリのマークが糊づけされた。
一足はやい台風がやってきたせいで雨がふり続き、二日間秘密基地に足を運べなかった。ゴールデンバットはフタつきのクッキーの缶にいれてあるけれど、雨にぬれていないか心配だ。それに三人でいっしょにタバコを吸えないのがさみしかった。
ツヨシもチェリーも同じ気持ちだったらしく、雨があがるとすぐにふたりがやってきた。
「基地の様子を見に行こうぜ」
「風も雨もひどかったから、どうなってるか心配や」
「おれも気になってた。行こう行こう」
学校の自由プールよりも、阪神パークの遊園地よりも、尼崎戎神社の夏祭りよりも、家族でいく海水浴よりも、なにより、三人で行く秘密基地が楽しくて、わくわくしながら建材屋のフェンスの切れ目をくぐった。背丈ほどにのびた夏草をかきわけるように進むと、材木置場があらわれる。
「きょうはパチンコの射的で一番のヤツが、最初にタバコを吸えることにしようぜ」
先頭を走るツヨシがうしろをふり返って叫んだ。
「まずは、クッキーの缶を確認しよう。ゴールデンバットだいじょうぶかな」
ぼくが叫びかえした。
「だいじょうぶ。コウモリが守ってくれてる」
チェリーが追いぬいて最初に材木置場にたどりついた。その瞬間、人影が見えた。
「君たち。ここで、ナニしてるの?」
髪の長いヒゲ面のオッサンが材木の陰から姿を見せたのだ。夏の盛りというのに、黒いロングコートを着ている。しかし足もとはビーチサンダルという、チグハグな服装だ。一目見てわかる。このオッサンはただ者ではない。ぼくらは雷に打たれたみたいに立ち尽くした。
「これは、君たちのか?」
オッサンはコートのポケットからクッキーの缶にはいっているはずのゴールデンバットをとり出し、ぼくらをひと睨みしてから火をつけた。
「ああ。あれ、おれらの」
チェリーが絞るような声をあげた。
「君のタバコか」
こんどは無言でクビを横にふった。
「こんなところでわるいことしたらアカンで。おっちゃんのいうこと聞かな、先生にいいつけるぞ」
チェリーがあとずさりして、三人がならんだ。学校で立たされているような気分になって、体がこわばっていく。こんなときに口火を切るのは、やはりこの男だ。
「ぼくらは、なにもしてません」
ツヨシが下を向いたままウソをついた。オッサンはその言葉を聞くと、急にニコニコ笑いだした。
「きみたち、オナニーって知ってるの?」
オッサンはへらへら笑いながら、とつぜんカラスが羽ばたくようにコートを広げた。コートのなかは全裸だった。葉っぱ一枚、かくすものもなく、オッサンの一物がいきり勃っていた。
なにがなんだか、わけがわからない。ただ、ヤバイことになっていることだけはわかった。
「ツヨシ、オナニーってなに?」
ぼくは小声できいた。
「おっちゃんが、教えたるわ」
いちばんちいさなチェリーに向かって、オッサンがにじり寄ってくる。うなるような声を発しているチェリーは、ヘビに睨まれたカエルのようにぴくりともうごかない。
クビをひねっていたツヨシは、神の啓示を受けたように、とつぜんオッサンに向かって叫んだ。
「わかった。アレや。鍋にいれる、糸こんにゃくみたいな、ツルツルのヤツじゃ」
オッサンに迫られているチェリーが半泣きの顔でふり向いて、ふるえる声でいった。
「それ、マロニーやん」
だれも笑わなかった。事態は深刻なのだ。
「おっちゃんのココを握ってな。ゆっくり押したり、ひいたりするんやで」
その言葉に魅入られたように、チェリーがほそい腕をさし出した。その様子を見て、ツヨシがポケットからゴムパチンコをとり出した。パチンコ玉をセットして、静かに狙いをつける。
「そのオッサン、ヘンタイや。逃げろー」
叫びながらゴムを開放すると、パチンコ玉がオッサンの股間に吸いこまれていった。ヘンタイさんは船が沈没するみたいな声をあげてうずくまった。
「いまや、逃げろ」
ぼくはチェリーの手を握って走りだした。
「許さんぞー。またんかい」
ふり返るとヘンタイさんが股間を押さえたまま、カニのような走り方で追いかけてくる。
「はやく、急いで、急いで」
先を走るツヨシが、フェンスの前にたどりつくと、不安そうな顔で手招きをしている。
「おまえら、許さんぞ。まてー」
「はやく、はやく」
フェンスの切れ目から外にでると、うしろをふり向かずに全速力で走った。三人がならんで息を切らして走り続けると、夏の空の向こう側にまでいけるような気がした。
それ以来、基地からすっかり足が遠のいたぼくらは、タバコからきれいに足を洗った。
あの偽悪的で甘美な、退廃的で香り高い、紫煙の誘惑に屈することなく、ぼくらは人生で初めての禁煙を成功させたのだ。わははははははは。
了