タバコの経済学
夏やすみにはいると、午前の自由プールに行って、昼ごはんをたべたあとに秘密基地に集まるのが楽しみになった。マイルドセブンが灰になると、こんどはおこづかいを出しあって、すこし安いハイライトを買った。小学生にとっては、タバコは高級品なのだ。
「夏やすみアニメ祭り見たか?」
ツヨシはハイライトに火をつけながらぼくらを見た。夏やすみアニメ祭りは、早朝にオンエアされるテレビ番組で、朝の六時から八時まで、ひと世代前の名作アニメをランダムに流してくれるのだ。
「きょうとあした、『妖怪人間ベム』やってるねん」
「マジで。おれ楽勝で寝てたわ。あしたぜったい早起きしよ」
とチェリー。
「おれは、ラジオ体操行ってたわ」
「ラジオ体操なんか、健康な子どもがするもんちゃうで。せっかく早起きしたらアニメ祭りやろ」
ツヨシのアドバイスが心に沁みた。
「ほんまやなぁ。心いれかえるわ」
ぼくは覚えたて大阪弁でこたえた。チェリーのいう通り、ラジオ体操をサボって早朝に見る『妖怪人間ベム』はたまらなくおもしろかった。
「なんというても、あの最初の場面がたまらんわ」
「あの場面、気色わるいなあ」
冒頭の場面は、どろどろとした得体の知れない液体が沸騰しながら、不気味な細胞を生み出していくのだ。
「そういえば、あの妖怪人間が生まれるどろどろの液体、どっかで見たことないか?」
ぼくの言葉にチェリーが身をのり出した。
「あるある。おれもそう思ってた。どこやろ」
クビをかしげながら砂利の山にのぼったチェリーが声をあげた。
「わかった。これや」
ころがるようにチェリーが岸壁におりていく。ぼくらも砂利の山を越えてチェリーに追いついた。
「なんや、チェリー。海になにか、落ちてるんか?」
「よく見てみィ。ヘドロが浮いて、なんかアブクがでてるやろ」
「ほんまや。妖怪人間が生まれる液体にそっくりやんけ」
「あれをアルコールランプで温めよう。そしたら妖怪人間ができるかもしれん」
「おおー。さすがチェリー」
やっぱり天才だ。チェリーが白衣をきた天才科学者に見えた。きっと将来はアインシュタインみたいになるにちがいない。
ぼくらは細長い竹材で海をかきまわし、どろどろのいいところを汲みとった。それをペンキの空き缶にいれて、アルコールランプで熱していく。ただこれだけのことだが、材木置場の蔭にかくれておこなう悪魔の実験に眼を輝かせて興奮した。
ぼくらは中世の錬金術師だった。ペンキの缶のなかに、金銀財宝の輝きを見いだしたのだ。やがて、ヘドロが熱せられて、ボコボコと煮沸のあぶくがあがり、色が緑から褐色に変化していく。なにかが生まれる兆候にちがいない。白い湯気がもわりと周囲を包むとぼくらは咳こんだ。
「あかん、なんやこれ。うんこの匂いがする」
「ほんまや。ウエー。ゲロ吐くわ。逃げよう」
鼻をつまみながら材木の陰から脱出し、砂利の山のうえで夏の陽ざしを浴びた。
「ああ。死ぬかと思った。妖怪人間よりも、おそろしいものができたな」
ツヨシが陽ざしにむかって、ハイライトの煙を吐きだしながらいった。
「妖怪人間を超える悪魔が生まれた。そういう意味では、実験は成功やな」
天才科学者は天才であるがゆえに負けずぎらいでもある。
「でも、もう、やめよ。からだがうんこになる」
天才科学者も無言で同意した。ぼくらが夢見た悪魔の錬金術は、副産物であるうんこの匂いだけを残して幻におわった。
「もっと安いタバコはないもんかの」
雨あがりの一服を楽しんでいるツヨシがつぶやいた。いくらハイライトとはいえ、小学生にとってタバコの費用負担は非常に大きいものがある。駄菓子をがまんして、おこずかいを節約しても、タバコによる基地の財政悪化は進行する一方だ。
「とうちゃんがいうてた。この世で一番安いタバコはゴールデンバットいうねんて」
「ゴールデンバット……」
ぼくとチェリーは声をそろえた。なんというカッコいい響きだ。意味はよくわからないが、甘美で高貴で、そしていい知れぬ恐怖を感じる言葉。
秘密の洞穴をはいると黄金に輝く財宝が眠っている。一攫千金を夢見る冒険者たちが、その財宝を奪いにやってくるのだ。しかし、この黄金にふれた瞬間に、だれもが悪魔の呪いで白骨になってしまう。
この悪魔の呪いをとく鍵。それがゴールデンバットなのだ。と勝手に決めこむと、矢も盾もたまらずタバコ屋にむかって自転車をとばした。
「どこの自動販売機にもはいってないなぁ」
「ゴールデンやから、店の奥にあるのかな」
「子どもに売ってくれるかな」
手をこまねいていると、度胸と男気のツヨシが立ちあがった。
「しょうがない。おとうさんに頼まれましたっていおう。三人で行ったらあやしいから、おれがいく」
ぼくとチェリーがツヨシを見上げた。仁王立ちするツヨシは空に向かって巨大化するウルトラセブンのようにカッコよかった。
ようやく手にいれたゴールデンバットは、想像以上に怪しい魅力にあふれたデザインだった。四角い箱は薄い緑色、金の縁どりの中にコウモリが二匹飛んでいる。きっとこのコウモリは悪魔の使いなのだ。このコウモリに咬まれると、猛毒がからだをかけ巡り、一瞬で白骨にされてしまう。そんなことを考えながら、ぼくらはこの悪魔のタバコの箱をいつまでも見つめていた。