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一服どうぞ ~禁煙部長のぷかぷか漂流記~  作者: 谷ごろう
第四話 命がけで売ってこい
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生きる意味とは

 いったい何時間がたったのか、それともほんの数分なのか、意識をとりもどした横山は、ひどい頭痛と全身に広がるイヤな倦怠感をひきずるようにして、宇宙船から脱出した。

「ひどい機械だ。まだあたまがくらくらする」

 ワイシャツに袖を通しているところに、柳原が顔をだした。

「常務、大成功です。さあ、こちらへ」

 満面の笑顔で林女医の席まで案内する。

「検査は成功だといえますが、横山さんにとっては、最悪な結果になりました」

 林女医は机上のボードに資料をすばやく差しこんだ。資料には細かな折線グラフが何本も描かれている。

「この赤いラインが横山さんの血管柔軟性です」

 林女医がすこし前かがみになってグラフを指さすと、ブラウスがたわんで胸の谷間がはっきり見えた。グラフを見るべきか、谷間を見るべきか、それが問題だ。

「残念な結果になりました。はっきり申し上げます。横山さんは、余命二年です」

「谷間にイン?」

「ちがーう。余命二年。どんな耳してんの。横山さんは、あと二年しか生きられません」

「わたしの人生が、あと二年だというのか。そんなことは、うそだ」 

「残念ですが、真実です。データがはっきり示しています。あなたの血管はカチカチのボロボロ。まるで砂漠に忘れられたスポンジのようになっています」

「常務、やりましたね。大成功ですよ。このデータを持って、全国の病院をまわりましょう。なにせ本人が営業するんだ。大ヒットまちがいなしです」

 へらへら笑いながら柳原がまとわりついてくる。それを突きはなして、投げ捨てるようにいった。

「こんなバットマンのデータなんか、なんの役にも立たん。おれは信じないぞ」

「なにをバカなことを。あんたは、このケッカマンの販売責任者なんだぞ。あんたが信じなくて、だれが信じるんだ」

 柳原が喰らいついて、横山のワイシャツをつかんだ。横山の怒りに火がついた。

 自分の不摂生を棚にあげて、病気の原因はすべてこの若者にあるのだと思えてきた。。

 彼の薄い胸を突くと、はじき飛ばされて柳原が床にころがった。その拍子にワイシャツのボタンがちぎれた。


「やめなさい。ここは病院です」

 水を浴びせるような林女医の声がピシャリと横山の頬を打った。その声で現実にひきもどされた横山はがっくりと肩を落とし、まるで電池の切れたロボットのようにうごかなくなった。

「今すぐタバコをやめなければ、二年も、もちませんよ」

 追い討ちをかけるように冷たく告げる女医の声。その言葉は、強烈なボディブローのように、横山の内臓まで響いた。残された時間はたったの二年。これ以上縮めるわけにはいかない。

「一本吸えば、寿命がひと月は縮みます」

「ということは、ショートホープをふた箱吸えば、即死ということですか?」

「そんなくだらない質問には、答えたくありません」

「まあ、いいでしょう」

 横山は覚悟した。今度こそ、ぜったいに失敗できない禁煙だ。文字通り命がけの禁煙なのだ。禁煙に成功しても残された時間はわずか二年。いったい、その時間をどうすごせばいいのか、見当もつかない。横山は肩を落として、検査室のドアをあけた。


「おれはしばらく休む。人生について考えるんだ。社長にそういっておけ」

 社長や常務の肩書きなど、もうどうでもよい。いや、組織そのものがもはや自分とは無縁のものだ。虚飾も虚栄も必要ない。裸の自分自身と向き合うのだ。


 家に帰りついたのは薄暮のなかに四月の陽ざしが残っている時間だった。マンションの玄関ドアに西陽が差している。今までこんな時間に家に帰ることはなかった。

 部屋は無人だった。妻は横山が大阪に赴任中から、ちいさなデザイン会社の手伝いを始めた。ひとり息子は大阪からもどった横山と入れ替わるように、この春から地方の芸術大学に入学した。


 だれもいない部屋の淀んだ空気を入れ替えたくて窓をあけると、横山は倒れるようにソファに寝そべった。マンションの七階をわたる夕暮れの風が冷たかった。

「静かだな。風の音しか聞こえない」

 白い天井を見つめながらつぶやいた。あのポンコツ装置の光線のせいだろうか、からだが重くて、ひどい倦怠感が全身を覆っていた。

「あと、二年か」

 これから先なにをすればいいのか、どう生きていけばいいのかわからない。目をとじると瞳から涙があふれた。泣いてもしかたがないのはわかっているが、どうにもとめることができなかった。

 いつのまにか、横山は頬に涙のあとを残しながら、軽くいびきをかいていた。


「なぜ、こんな時間にソファで寝てるんだ?もしや、失業したのか?」

 起こされて眼を覚ますと、妻の顔がアップで迫ってきた。

「泣いていたのか?もしや、失恋でもしたのか?」

「そんなんじゃない。イヤな夢を見ただけだ」

「思春期の少女か。いったい、どんな夢を見たら、六十のオッサンが寝ながら泣けるんだ?」

「まだ五十六だ。おまえのおかげで、ようやく現実を直視できるようになった。夢なんだ。これまでの人生は、過去の美しい思い出も、いまの暮らしもすべて、夢だったのだ。現実は残された二年の時間だけなんだ」

「珍しいな。即物的なあんたが、そんな観念的なことをいうのは」

「きょう、病院で再検査をした。血管がボロボロで手の施しようがない。余命二年だと告げられたよ」

 さすがの妻も横山の言葉に、悲鳴のようなおどろきの声をあげた。

「本当なのか?」

 妻が横山の頬をなでながら訊いた。こんなにアップで妻の顔を見つめたのは何年ぶりだろう。髪はショートで白髪が目立つし、目尻のしわは隠せない。しかし、射るような瞳の強さは若いころからすこしも変らない。

「本当だ。もう覚悟はできている。一日でも長く生きるために、こんどは本気で禁煙するよ」

「ふふふ。最後の禁煙か。ムリをしなくてもいいよ。好きな時間を大切にしなよ」

「覚悟はできている。禁煙くらい屁でもない」

「強いんだな」

「覚悟はできているが、あと二年、どう過ごしていいかわからないんだ」

「むずかしい問題だよ」

 妻はしんみりいった。横山はからだを起こしてソファから立ち上がった。

「おれもいろいろ考えたよ。都会のサラリーマン生活は、もうこりごりだ。山奥の古民家で、そば屋でもひらこう。地元のそば粉と井戸の水でつくるそばは、すげえうまいんだよ」

「人生の楽園ってわけか」

「最後の二年くらい楽園に住みたいだろ」

「そばなんて、打てるのか?」

「そばを打つはおまえだ。手先が器用だし、料理もうまいからな」

「なんで、わたしが山奥でそば屋のババアをやるんだ。あんたの人生だろ。いったい、あんたはなにをする?」

「おれはマネジメントに専念する」

「マネジメントだと」

 妻はほそい目をして冷たくつぶやいた、かと思うと、とつぜん大声で怒鳴った。

「マネジメントなんか、なにもできないヤツの言い訳だ。最後の二年くらい自分で立ってみろ」

 人生の楽園計画をきっぱりと妻に拒否された横山は、腕をくんだまま考えた。

「そうか。たしかに君には君の人生がある。おれの命を燃やす計画は他にもある。たとえば、

ネオンでゆき倒れ計画だ。キャバクラとソープランドに通いつめて、繁華街の道端で最期を迎える。わるくない計画だ。しかし、命が尽きるまえに、金が尽きるだろう」

「この煩悩ジジイ。今すぐ死ねェー」

 妻は獣のような表情で叫ぶと、横山をマンションから叩きだした。

「いったいおれは、どうすればいいんだ。生きるとはなんだ」

「あんたに生きる意味なんて、一切必要ない」

 妻はビジネスバックを横山に投げつけて続けた。

「禅寺でも行って、煩悩をすべて捨ててこい」


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