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一服どうぞ ~禁煙部長のぷかぷか漂流記~  作者: 谷ごろう
第四話 命がけで売ってこい
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自慢の新製品


「さきほど電話をした、ラビットメディカル電子販売の柳原です。出向できている常務の検査結果が欲しいンです。おそらく中途半端なデータがでているはずだ」

 人間ドックの窓口から身をのり出して柳原が叫ぶと、中年の女性事務員がイヤな虫でも見るような眼つきでおそるおそる近づいて、柳原に言葉をかけた。柳原がくるりとうしろをふり返って横山を見た。

「常務のお名前は?」

「横山だ。横山大輔だよ。上司の名前も知らないのか」

「ええ。知りません。それより人間ドックの担当医はだれだったのですか?」

「そんなの知らんよ。あ。名前は知らんが、そうだな、色っぽい女医さんだった。いい女だったなあ」

「ああ。林エリカ先生ですね。さあ、会いに行きましょう」

「え。ほんと?会えるの?」

 横山は病院の廊下で小おどりして喜んだ。


 彼女にまた会える。上司を立てず、波風ばかり立てている柳原が、初めて私の役に立った。

「しかし、なんで、おまえが彼女を知ってるんだ。どういう仲だ」

 嫉妬に燃える目つきで横山が訊いた。

「エリカ先生は動脈硬化の専門家で、装置の開発時から協力してもらっています。病院への導入後は、ケッカマンの測定データを分析してもらっているのです。日本でも三台しかないので、このデータは貴重なんです」

「日本で三台?そんなに売れてないのか」

 横山はおどろいた。開発者みずから営業を志願してきたわりには、成果がまったくあがっていない。長年営業部門で揉まれてきた横山の頭脳には引っかかるものがあった。

「売れてないンじゃない。希少なんです」

 すねたように柳原が口をとがらせた。エレベーターにのりこむと、四階のボタンを押してふたりきりになった。

「ほかの導入実績は?」

「苫小牧ラビット病院。そして浜松ラビット病院」

「身内だけじゃん。なぜ、そんなに売れないんだ。なにか問題があるのか」

「そんなの、あるはずがない」

 エレベータから吐きだされると、柳原は足をとめて横山の胸ぐらをつかまんばかりに食いついた。

「ぼくのケッカマンは、非常に高いレベルの放射能が使用されるから、高度な放射能管理技術が要求されるのです。だから、通常の病院では敬遠されるんです」

「高い放射能?なんだよそれ。聞いてないぞ。そこにおれがはいるのか?イヤだよ。人間ドックでOKだったら、それでいいよ」

「常務は脳内出血寸前なんですよ」

「おれに動脈瘤なんか見つからない。へんな放射能を浴びるほうが、からだにわるいぜ。やめよう。やっぱりおれは帰るぜ」

 踵を返してエレベータに向かう横山を先まわりして、柳原が大げさに両手を広げた。

「今さらなにをいうんだ。検査するまで逃げられないぞ」

「なんだと。おれをだれだと思ってるんだ」

 このなめた若造に思い知らせてやる。

 会社組織の恐ろしさを、ヒエラルキーの厳しさを、上司の権力を、そのすべてを叩きこんでやる。


「バカ野郎、左遷だ。左遷。地の果てまで飛ばして、二度と医療機器なんか触れなくしてやる」

「常務がなんだ。機械のことも、医療のことも、なにも知らなくて、なんの役に立つっていうんだ」

 横山は怒りにふるえながら拳をかためた。この生意気な綿菓子坊やを、バラバラに引きちぎってやる。

「なんだと、おれがラビットグループにどれだけ貢献してきたと思ってるんだ」

 激しい声とともにふたりは体当たりをするようにぶつかった。

「いったい、なにをやってるの」

 背広をつかみ合うふたりは、声の主をふり向いた。白衣の前がひらひらとゆれて、タイトなミニスカートからすらりとのびた白い脚が見えた。


「あ。エリカ先生」

「あ。これはどうも」

 背広をつかみ合ったままふり向いたふたりの顔に、ぎこちない笑顔が浮かんだ。

「こんなところで、なにをなさってるの?」

 白衣のすき間から胸のあいたブラウスがちらりと見えて、横山はその谷間に吸いこまれそうになった。

 

 柳原を突きはなして、背広のしわをのばすと名刺入れをとり出した。

「先生、あらためまして、わたくし、こういう者でございます」

「あら。常務さんなのね。柳原さんの上司なの?わたし、てっきりライバル会社の方かと思ったわ。だって、病院の廊下でつかみ合っているんですもの」

 林女医は真っ赤なルージュの唇に白い手を添えながら、ほろほろと笑った。

「またお会いできるとは、思いもよらぬ幸運です。しかも仕事をご一緒できるとは、無上の喜びですよ」

 せっかくなら食事もご一緒できれば、さらにうれしさ倍増である。しかし、相手は医者だ。きっと舌も肥えているだろう。西川口の居酒屋ではダメだ。高級レストラン、やはりフレンチかイタリアンだろう。酒はワインだ。彼女の口紅のように、妖艶なふかい色をした赤ワイン。なんだっけな、ボルドーだっけ、プードルだっけ。ワインはむずかしいな。下調べをしないと恥をかく。

 しかし、最近そんな店には、とんとご無沙汰をしているぞ。オシャレな情報が圧倒的に不足しているのだ。不足どころか、まったく必要としない毎日だ。こんなことでどうする。せっかく、ビジネス激戦区の大阪から首都圏にもどってきたのだ。すこしは羽をのばしてもバチは当たらないだろう。

「先生は、イタリアンはお好きですか?いい店を知ってましてね」

 考えぬいて話しかけたときには、ふたりは目の前から消えていた。カーテンをへだてた検査室をのぞくと、資料を広げて話し合っている。

「こちらにおいででしたか。本社勤めが長いものですから、銀座にはなじみが何軒かありましてね」

「そんなことより、はやく検査に協力してください」

 柳原が口をはさむと、横山はむっとした表情になった。

「おまえは黙ってろ。こっちは、大事な話をしてるんだ。おまえの機械なんかに、おれははいらんぞ」

「まあ、まあ常務さん。まずは上着を脱いでこちらにいらしてください」

 林女医の声は、濃厚なのに上品な生チョコレートのように甘く響いた。

「え。脱ぐんですか?まずは食事からと思ったものですから」

 横山は一人用の宇宙船のような銀色の箱の前に立たされた。


「これが、ガッチャマンか」

「ケッカマンです」

 横山は柳原を無視して女医に訊いた。

「ここに、はいるのですか?ほんとうに危険はないのですか?」

「だいじょうぶですわ。怖くありませんのよ。ラビットグループの製品ですから、安心でしょ」

 それをいわれるとツライ。愛社精神の塊である横山は大きくうなずいた。

「あたりまえです。我がラビットグループの技術力は世界に誇るものです。もちろん、このケッカマンも、最高品質の太鼓判です」

「さすが常務さんですわね。その前にこの書類にサインをしてくださいね」

 わたされた書類には、この検査によって事故が発生した場合、責任の一切は医師ではなく、自分自身にあると書かれていた。

 しかたがない。開発者はポンコツな若者だが、装置はラビットグループが製造しているし、医者が一緒なのだから大丈夫だろう。横山は肌着姿で署名欄にペンを走らせると、意を決して銀色の宇宙船にのりこんだ。


 このまま宇宙に投げだされたら、仮死状態のまま何億光年という長い一人旅になる。たどりついた星では、ちがう生命体に出会うだろう。もしかしたら、その星はサルに支配されているかもしれない。そんなことを考えていると、とつぜんモーターの音が装置内に響き、半月状の金属が上下四カ所からのびてきた。

「なんだこれは」

「なんでもありませんよ。検査中に患者が暴れるとデータに狂いがでる。すこしの間じっとしてほしいだけです。極めて安全な検査ですから、ご安心を」

 身をよじって逃れようとするが、絡みとるように手枷、足枷をはめられてしまった。その際にチクリとした痛みが走った。

「イタイ、イタイ、痛いんだよ。手首の薄い皮のところが、このバカ手錠に挟まっている」

「それくらいガマンしてください。診察技術の革命のためです」

「バカ野郎、皮が薄いから痛いんだよ。こんなものでお客様を診察できるのか。欠陥商品だ。これは欠陥商品だよ。ケッカマンじゃない。ケッカンマンだろ」

「ぼくのケッカマンを欠陥だというのか。許さないぞ」

 怒りで顔を真っ赤にした柳原が、機械の計器を操作しはじめた。手足をかためられた横山は、必死にクビをのばして叫んだ。

「どうするつもりだ。今すぐここからだせ。へんな光線を浴びせて、なにをするつもりだ。おれを改造人間にするつもりか」

「ぼくのケッカマンにそんな機能はありませんが、もしそんな計画なら、もうすこし頭脳が明晰で、健康的な肉体をもった、美しい若者を選びますね」

「どういう意味だ」

「こういう意味です」

 柳原がレバーをひくと、横山のからだは強烈な光線に包まれた。からだじゅうに刺すような痛みが走って、思わずうめき声をあげた。さらにパワーアップしたのか、今度は電気ショックのような痺れが加わった。

「苦しい。なんだ、この機械は」

 全身がふるえて言葉にならない。横山は気が遠くなるのを感じながら、しぼり出すようにつぶやいた。

「こんなの、ぜったい、売れない」


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