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RPG×職場

作者: 白瀬万里



「申し訳ございません!」


「困るんだよね。こちらも予算が決まらないと上に説明できないし」


「ご迷惑をおかけします。今週中にはご連絡できるように尽力致しますので」


「ははは、若い人にそうやって頭を下げられちゃうと、パワハラをしているいみたいだな。いやぁ、参った参った。じゃあ佐久間君、頼んだよ」




 そう言うと、林さんはお茶を飲み干し、席を立った。次の商談まで時間がないと、非常階段を駆け下りる。忙しい人だ。 

 玄関まで見送り、ようやくほっと息をつく。



 俺が勤務している会社は、株式会社エダー・エンターテイメントといって、イベントの企画や運営をサポートすることを主な生業としている。


 食品メーカーの企画部である林さんは、新商品のPRイベントを我が社に依頼しにきたお客様だ。


 似たようなイベントはすでに何回か発注してもらったことがあり、いわゆる得意先である。担当だった先輩が転勤したため、今回から俺が引き継ぐことになった。





 今日は顔合わせを兼ね、初めて事務所に訪問してきたのだ。・・・のはずが、甘かった。

 まさか早速頭を下げることになるとは。




 バシ!! 突然背中に衝撃が走る。



 

「よお、どうしたんだ、暗い顔して」


「イッテ! お前、挨拶代わりに人を叩くなよ」


 事務所に戻るなり、突然、背中を叩いて来たのは、同期の渡辺である。狭い事務所にでかい声が響き渡る。




「田中さんから引き継いだやつか。どうだった?」


「別に。普通だよ。ちょっと課長に報告してくる」




 どうだった? なんて白々しい。うちの事務所の応接室は、簡易的な壁で仕切られているため、大きい声を出すと、事務所内に筒抜けだ。さっきうっかり声を張り上げてしまった「申し訳ございません!」という声は渡辺にも聞こえたはずだ。もちろん課長にも。



 パソコンを食い入るように見つめている課長に声をかける。椿咲課長、推定33歳バリバリのキャリアウーマンだ。


「椿咲課長。ホノボノ食品の林さんとの打ち合わせ、終わりました。先方は見積もりが早急にほしいとのことでした。事前に用意していなかったのは、私のミスです。申し訳ありません」


 課長はチラリと俺を見ると、またディスプレイに視線を戻す。


「田中さんから引き継いだファイルに前回の見積書があるはずよ。とりあえず、それに目を通しておいて。あとで、資料を持って行くから」



 そう話している間も椿咲課長のキーボードを打つ手は止まらない。いつものことだが、この人の頭の中はいったいどういう仕組みになっているのだ? 密かに事務所ではデュアルコアと呼ばれている。優秀なのは認めるが、人の目を見て話してほしいと内心思う。


 しかし、俺にもプライドがある。

 

「いえ、とりあえずできる所まで自分で進めます。後ほどチェックしていただけますか」



  

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




はぁ~。疲れた。


 結局あれから、見積書やスケジュールの作成で残業になってしまった。帰宅したのは、十一時。明日も会社だから、さっさと寝なければ、と思いつつ、いつもの癖でパソコンの電源をつける。



 俺の趣味はゲームである。一般的なテレビゲームもするが、ネット上に転がっているいわゆるフリーゲームを愛している。昔は自分で作成していたほどだ。素人ならではの荒々しさが逆に面白い。発想も自由で、ジャンルも多岐に亘り、作者の夢がたくさん詰まっている感じがして好きだ。




 イラストがすごく綺麗で、期待して始めると五分で終わってしまったり、ただのドット絵が動き回るだけの単純なつくりと思ったら仕掛けが妙に凝っていたり……完成の程度は様々だ。実際にプレイしてみないと分からないので、宝探しでもしているような楽しみを味わえる。


 昨日、ダウンロードしたゲームに少しでも良いから手をつけておきたかった。ソフトを起動する。レトロな音楽が流れゲームタイトルが表示される。起動に問題はないようだ。




 世界を滅ぼそうとする魔王を倒すために、冒険に出る。もはや使い古されて説明もいらないような、いたって普通のオープニングストーリーが流れた。逆にこういった懐古趣味は好印象だ。ストーリーのインパクトではなく、ゲームそのものに力を入れていることが期待できる。


「はじまりの町」で町の長老に次なる目的地と指令を与えられる。RPGのスタートとしては、やはりこれもお決まりのイベントだ。




「カナール町へ行くのじゃ。そこでハヤシという男に会え」


 ハヤシ……?




 思わず苦笑する。まさかここで林さんが現れるとは。ファンタジーの世界に似つかわしくない名前だな。ユーモアか? と内心突っ込みを入れる。



 そろそろこの辺でセーブして中断するか。セーブするためにはいったん町を出て、フィールドに出ないといけないようだ。



 イベントを終え、「はじまりの町」を出ようとすると



 バシ!


「よお、どうしたんだ、暗い顔して」


 主人公の親友と名乗る男が現れた。


「イッテ! お前、挨拶代わりに人を叩くなよ」


 主人公が聞いたことのあるセリフを放った。

 




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「俺も補佐としてチームに入ることになったから、情報共有よろしくな!」



 事務所に響く渡辺の声は、今日も無駄にでかい。



「チームって言っても、今のところ俺一人なんだけど、、、」


「細かいことは気にすんなって! ははははは!」


 なんでこいつはこんなに陽気なんだ? 少々呆れながらも資料を渡す。


「まあ、正直に言うと、助かる。これ、林さんに提出した見積もり。実は前回まで使っていた設営会社とは違うところに頼もうかと思ってるんだ。どこか良さそうな所、知らない?」


「・・・」




 反応がなく、不審に思って顔を上げると、渡辺は呆けた顔で固まっていた。声だけでなく、図体も無駄にでかいから近くに立っているだけで圧迫感がある。


「おい。渡辺、何アホ面でつっ立ってんだよ。ちゃんと聞いてたか?」


「いや、佐久間が素直に俺に頼るなんて、珍しいからさ。驚いた。どこか具合でも悪いのか?」


「は? 補佐に入ったということはお前の仕事でもあるんだから、当たり前だろ。何言ってんだよ」




 そう突っ込みを入れたが、渡辺が面食らうのも、無理はない。俺は今まで、どちらかというと仕事は一人でしたがるタイプだった。他人に説明したり、ミスされたりするのが面倒で、多少きつくても、一人でこなしていた。こうやって補佐をつけられることもあるにはあったが、名前だけ籍を置いてもらって、ほとんど一人ですることが多かった。


 ただ、今は、協力して仕事をするのも悪くない、と思った。




 どさ。


 渡辺の机の上に大量の資料を置く。笑顔を添えて。


「うわ。なんだよこの量」


「設営会社、照明会社、食器、看板、広告、その他備品の会社のリスト」

「おお、おう。まさかお前、田中さんが使っていた仕入れ先、全部見直そうとしているのか」


「田中さんには悪いけど、今までコスト削減ということを全く気にしていなかったようなんだ。今は俺と二人で人員が増えたし、これくらいはしないとダメだろ」


「だからってこの量!? というか佐久間、よくこんなにリストアップできたな」


「もちろん、でたらめじゃないぜ。信用面や、過去の実績、最低限の条件をクリアしているかはチェック済みだ。あとは、まあ、やる気と根気のローラー方式だな。頼りにしてるぞ、兄弟!」


 昨日のお返しに、渡辺の背中に一発おみまいする。

 

「パーティーに加わったからにはしっかり活躍してもらうぜ」


「パーティー??」


 何か言いたげな表情の渡辺を残し、俺は仕事に取りかかった。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆  




 RPGゲームを進めていく上でパーティー、すなわちチーム構成は重要だ。キャラの動作が固定されている代わりに、キャラの装備や攻撃パターンの組み合わせることで戦いに勝利することができるようになる。プレーヤーの腕の見せ所とも言える。

 

 初めてパーティーに加わったのは、主人公の幼馴染みと名乗るいかにも体力と防御力が強そうな忍耐系のキャラだった。仲間となる登場人物の名前は、自分で決めることができたので、俺は「ワタナベ」と名付けた。こいつには片っ端から敵を倒してもらおう。


 早くクリアすることよりは、作者が制作した敵やフィールドを隅々まで網羅する。俺は制作者に敬意を示し、余すことなくゲームを楽しむことに重点を置いている。




 怪力忍耐系の渡辺が加わり、前衛部隊が整った。次は、もちろん回復系の人員が必要だ。主人公も回復系の魔法を使うことができたが、威力はあまりない。一つ目のイベントであるカナール町のハヤシさんに会った後、すぐに女の子のキャラクターが加わった。魔力が強く、いかにも回復系のキャラだった。


「勇者さま、私も連れて行ってください。お二人の力になりたいのです」




 ベタだが、健気で、ビジュアルも可愛かった。会社でもこんな風に癒やし系キャラが助けてくれれば良いのに。少々気持ち悪い発想だという自覚はあったが、俺はこの女の子のキャラクターに「シライシ」という名前をつけた。現実の事務所にいる女の子の名前だ。話したことはあまりないが、髪型が似ていたのだ。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆




 ホノボノ食品の仕事は順調に進んでいた。見積書を出した後だったが、コストダウンした修正案を示すと林さんはとても喜んでくれた。うちの収益も増え、課長にも良い報告ができた。田中さんから引き継いだ他の業務もするよう、依頼された。仕事は増えたが、それほど手こずらなかった。


 要はコツを掴んだのだ。人は仕事をする上で無意識に癖がでる。田中さんが今までどのように資料を作り、どのように仕事を進めてきたかを完全に見切った後は、ただ踏み跡を補強していけば良い。もう一ヶ月もすれば、俺流にアレンジを加えられる。そうすればもっと仕事の効率は上がるし、採算も良くする自信がある。




「よう、人使いの悪いリーダーさん。これ、差し入れ」


 仕事に夢中になっていた。19時。気づくと事務所には俺と渡辺だけになっていた。渡辺は隣の席に無遠慮に座り、ファンシーな袋に入ったお菓子を差し出した。

 


「ん? あぁ、渡辺か。ありがとう。ってこれ手作りか? まさかお前が?」


「違う違う。なんで俺が会社に手作り菓子を持ってくるんだよ。白石さんが作ったんだってよ」


「白石さんが、、、?」




 嬉しいという気持ちと同時に妙な違和感を抱いた。そう、あまりにも似ているのだ。自宅でコツコツと進めているあのゲームに。


「何、見つめてるんだよ。言っとくけどな、佐久間にだけじゃないぞ。俺ももらった。というか俺は直接もらった。わざわざ給湯室に呼び出されて。その場で食べた。旨かった。おい、聞いてるのか?」


 不味い。いや、お菓子ではなく。この展開が。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆

 



 RPGゲームは終盤に差し掛かっていた。ストーリーも佳境といったところで、新たな展開を見せていた。なんと仲間だと思っていたハヤシが裏切ったのだ。


 ハヤシの助言の元、世界に散らばっているアイテム探す冒険に出た。いくつかの町を訪れ、敵を倒し、アイテムを手に入れていった。そして、最後、集めたアイテムを持ってハヤシに会いに行くと、それを持ってハヤシは魔王の元に行ってしまったのだ。


 魔王の名前はツバキ。


 俺が命名したわけではないが、自然と椿咲課長をイメージしていた。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆

 



「え! 今からですか??」


 朝の九時ぴったりに林さんから電話がかかってきた。嫌な予感の的中である。


「はい、……はい、分かりました。確認してみます。またお電話しますので、、」


 電話を切ると、渡辺が飛んできた。普段はお調子者だが、察しが良い。何だかんだ頼りになる良いやつだ。




「おい。何かあったのか?」


「あぁ。林さんが、例のイベントの期間を延ばしたいそうだ」

「延ばす? 良かったじゃん! コストダウンした分、発注を増やしてくれるってことだろ。なんで困った顔をしているんだよ。お前らしくない」


「いや、延ばすって、後ろにじゃなく、前倒しなんだ。それも一週間も。利益は増えるけど、間に合うかどうか」


「佐久間くん、ちょっと良いかしら?」


 振り返ると椿咲課長が立っていた。




「今、ホノボノ食品の林さんから、私にも電話があったわ。よっぽど通したい依頼のようね。うちにとっても悪い話ではないし。受けたわよ。いいわね?」


 そう言うと、返事も待たずに椿咲課長は去って行った。全く、こちらの苦労も知らないで。


「渡辺、スケジュールの再調整、今日中に終わらすぞ。悪い。手伝ってくれ。頼む」

 

「おう、ここまで来たらとことん付き合うぜ」




 俺たちは、片っ端から仕入れ先に頭を下げ、電話をし、なんとか予定を組み直した。大変な作業ではあったが、幸い、何とかなりそうだった。一つの問題を除いては。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆




「ダメだ。このままだと、パンフレットがどうしても間に合わない」

 

「備品や会場は全く問題ないのにな。まさかパンフが、、完全に侮ってた」

 

 俺と渡辺は、会議室で最後の打ち合わせをしていた。さっきから二人で頭を抱えていたが、こればかりがどうにもならない。


「仕方ない。若干質は劣るが、初日は試作の物でしのいで、、、」

  

「ダメよ。メーカーにとって同じクオリティーの物を提供するのは、必須事項だわ」


 きっぱりとした声を放ちながら、椿咲課長が部屋に入ってきた。どうやら俺たちの声は廊下まで聞こえていたようだ。いったい誰のせいでこんなに苦労していると。。?




 魔王ツバキ、もとい、椿咲課長は俺たちが用意していた資料を見ると、すぐに言い放った。


「見たところ、印刷会社は間に合うようね。直接こちらに配達してもらいなさい」


「え、でもそれでは、、、」


 正直にいうと、その手があったか! と思った。いや、全く気がついていなかった訳ではない。印刷したもの直接こちらに送る。つまり、、、


「それでは、袋に詰める作業をこちらでするということになりますが」


「そうよ。やるのよ。それくらい子供でもできる」


「え、でも部数は千枚を超えますよ、、」


「できない数ではない」


「・・・・。」


 バン!


 俺たちの気まずい雰囲気を打ち破る勢いで、会議室の扉が開く。


「私もお手伝いします!」


 白魔道士、ではなく事務所のマドンナ、白石さんが入ってきた。


 この会議室、壁が薄すぎるだろ、、。

 



 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 


 イベント開催の前日までに密かに俺はあることを決意をしていた。



 RPGゲームのクリアである。


 このゲームは完成度は高いが、正に王道ストーリーであった。おそらく作者は懐古趣味があり、古き良きRPGを自作したかったのだろう。この手の教科書のようなRPGは正直、ネットゲームにはとても多かった。



 ただ、どうも進めれば進めるほど、現実とリンクしている気がしてならない。主人公の幼なじみのワタナベや仲間に加わったシライシはストーリーが進めば進むほど、現実の同僚達にそっくりだった。


 そして主人公を悩ますハヤシ、ツバキ。


 ありえないと思いつつも、ボスである魔王ツバキを倒せば、現実の世界も上手くいく気がする。一種の願掛けと自分に言い聞かせながらも、心の底ではゲームの進行が現実の世界に影響を与えていると本気で思っていた。とにかく、変に悔いを残さないためにも、ゲームをクリアしなければならない。

 


 魔王ツバキは恐ろしく強かった。いったどれだけ体力があるのだろう。何回攻撃しても、いっこうに戦いは終わらなかった。同じ攻撃をされては回復し、自分の残りの体力を気にしながら、根気よくじわじわと攻撃していく。

 

魔王の攻撃が主人公より早いところがよりクリアを難しくさせていた。



 魔王が攻撃してくる周期を計算し、絶妙なタイミングで回復する必要があった。シライシは俺が出す的確な指示に確実に応えてくれた。ワタナベは、スピードはイマイチだったが、主人公よりも体力と攻撃力があった。俺が瀕死になっているときも、代わって魔王を攻撃し続けてくれた。

 

 同じパターンが繰り返され、いよいよバグかな?? と思い始めたところで



 バチバチバチバチ



 画面が点滅し、「ぐぉぉぉ!」という吹き出しを残し、魔王が消えた。




「世界に平和が戻った」


 という何の変哲もないナレーションが流れ、ゲームは終了した。


 普通だな。一週間ほど楽めたから良しとしよう。俺は偉そうに批評をしながら、パソコンの電源を落とした。これで明後日に迫ったイベントも上手くいくだろう。何とも言えない達成感が溢れていた。

 



 ◇◆◇◆◇◆◇◆




 結局パンフレットは就業時間後に届いた。俺と渡辺、そして白石さんの三人で会議室に運び込む。


「一枚三つ折りにして、二枚のチラシをつけ、一本のボールペンを入れて、この白い袋に入れてくれ」


「これを五千セットか」


 さすがの渡辺も顔が引きつっている。


「とにかく手を動かすしかありませんね! 私、こういう単純作業、けっこう好きです。頑張りましょう」


 白石さんのフォローに癒やされる。



「よし、とにかくやるしかない!」



 それからは、ひたすら地味な作業を続けた。三人で手分けして効率良くやってはいたが、量は一向に減らない。時間ばかりが過ぎ、俺は焦っていた。時刻は十時になろうとしていた。




「白石さん、悪いな。こんなに遅くまで」


「大丈夫ですよ。あ、私、差し入れを持ってきたんです」


「なあ、佐久間。俺は? 俺の心配は?」


「渡辺。俺がダメになった時は頼んだぞ」


「何だよ、それ!」

 



 話しかければ二人とも応えてくれるが、目が死んでいた。おそらく俺もだろう。これは消耗戦。大丈夫、あの途方もない分からないボス戦もきちんと終わった。じわじわ進めれば、終わるはずだ。


 すると、予期せぬことが起こった。


 会議室の照明が消えたのだ。




 突然真っ暗になり、白石さんが小さく悲鳴を上げる。


「しまった。俺たちに気づかず、誰かが閉館のスイッチを押したんだ。俺、下に行ってくる」


 立ち上がり、窓から入るわずかな明かりを頼りに会議室の入り口に向かった。ドアを開け、廊下に出ようとしたら、何かにぶつかった。



 人だ。突き飛ばしてしまった、倒れてしまう。そんなことが同時に頭に浮かんだ。とっさに俺は相手の腕を掴み、引き寄せた。相手は予想外に軽く、勢いあまり抱き寄せる形となってしまった。



「きゃっ」



小さな塊が俺の胸元に着地する。どうやら、頭のようだ。微かにフローラルな良い香りがした。

 

「すみません。あ、危ないですよ」



慌てて体制を立て直そうとしたため、相手がバランスを崩しているのが分かった。俺はその時妙に冷静で、相手の背中をそっと支えて何とか二人で転ぶという悲惨な事故を防ぐことができた。人は不思議と相手が慌てていると、自分は妙に冷静になるものだ。


 照明がつき、視界が突然明るくなる。




 目の前にいたのは、椿咲課長だった。普段では考えられないくらい、距離が近い。


「椿咲課長!? どうしたんですか。こんな遅くに」


 渡辺と白石さんも駆け寄る。



 椿咲課長は心なしか少し焦った様子で顔も赤い。




「その、誰かが閉館のスイッチを押したみたいで、慌てて管理人室に電話をしたのよ。それで、そういえばあなたたちが会議室にまだ残っていたことを思い出して、様子を見に来たの」


 話し始めると、落ち着いてきたのか、徐々にいつものテキパキとした課長に戻ってきた。

 


「課長、ありがとうございます~。すごく怖かったです~」


 白石さんが、友達のように飛びつく。本当に怖かったようで、泣きそうな顔をしている。椿咲課長が白石さんの頭をなでる。小動物を可愛がるような眼差しだ。

 白石さんは甘え声を出しながらも大きな瞳を忙しそうに動かしていた。どうやら俺と椿咲課長を交互に見ているようだ。


「大丈夫? 怪我はない? それと、どうなの進捗は。帰れそう?」


 白石さんだからなのか、いつもより優しい。さすが事務所の最強癒やしキャラだ。


「まだ三千部ほどあります~」


 渡辺が泣きそうな声で応える。こちらは図体がでかいせいか、可愛くない。俺は諦めて白石さんに告げた。



「もう遅いし、白石さんは帰って良いよ。手伝ってくれてありがとう」


「え、でも。こんな中途半端な状態では帰れません。最後まで手伝わせてください」


 白石さんは本当に優しい。


「私も手伝うわ。さっさと終わらせましょう」


「え、課長!?」


 驚く俺たちの反応を待たず、課長は作業を始めた。説明すら必要ない様子で、手を動かし始める。


「何ぼーっとしているのよ。終電、逃すわよ」




 ◇◆◇◆◇◆◇◆




「まさか終電に間に合うとは」


 つり革を確保した渡辺は驚きと達成感で興奮していた。終電は混雑していた。白石さんと椿課長も今頃反対方向の電車に乗っているだろう。



 椿咲課長の作業スピードは尋常ではなかった。俺たちの二倍、いや三倍のスピードだったかもしれない。紙が手に吸い付いているのではないかと思えるほど、鮮やかな手裁きだった。パンフレットを折る、そろえる、入れる。単純な作業なのに、ここまで差がつくことに理解ができない。

 滑らかに動く五本の指に思わず見とれていると、椿咲課長は照れながら怒った。



 猛烈なスピードアップの末、俺たちの作業は終電に間に合う時間ぴったりに終わった。渡辺が呟く。


「なあ、まさか椿咲課長は終電の時間を見込んで現れたんじゃないよな?だとするとハイスペックすぎるよな!? 」


「まさか・・・」


 まさか、魔王に助けられるとは。

 



◇◆◇◆◇◆◇◆




 帰宅すると、例のごとくパソコンの電源を入れてしまった。。


 なんとなく、同じRPGゲームをプレイした人達のコメントを見る。クリアした人たちのネタバレコメントだ。すると驚きのコメントが並んでいた。


 >エンディングは二つ。魔王も仲間にできる。

 >どうやって?

 >倒して点滅している時に白魔法。

 >魔王から姫になったときは驚いたわ。ある意味王道だけど。

 >カエルの王様。美女と野獣。的な?

 >姫だけどな。しかも強すぎ。

 >ツバキって女っぽい名前だと思ってたわ。

 >主人公、尻に敷かれる??


 驚いた俺はゲームを起動した。何度も聞いたレトロなタイトル音楽が流れる。

 メニュー画面を呼び出し、パーティーを見ると、何故か魔王であったはずのツバキが姫としてメンバーに加入していた。これがコメント欄で話題になっていたもう一つのエンディングというやつか。

 髪の毛の色は魔王の時と同じだが、美しい姫として見事に生まれ変わっていた。ただ、よく見るとステータスがずば抜けて高い。さすが元魔王といったとことか。しかし、もう一つのエンディングを引き出すという白魔法を使う操作はしていないはずだ。無意識に使っていたのか? それともバグか?

 そういえば、現実でも白石さんが椿咲課長に抱きついた後、急に椿咲課長が優しくなったような気がする。白石さんの癒やしという白魔法が椿課長に効いたのかな。


 現実とゲームが交差している??


 ・・・まさかな。


 パソコンの電源を落とし、俺は眠りについた。

 

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