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石の砦  作者: 紫
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4.アラディス・レオールノ・ルジク

冷徹な貴族家系でありカニバリズムを行ってきた一族に生まれたアラディスは、同性というだけで恋愛を阻まれ恋人が殺され肉を食わされたことで気が触れたアラディスは、家出をもくろみ自分を知らない場所まで逃げ命を絶とうとする。だが、それを止める男が現れた。

[アラディス]



ミラノの闇に堕ち



闇に閉ざされろ。

早く。

早く全てを、白く塗りつぶすんだ。

雑多な色など要らない。

必要無い。

何も要らない。

全て要らない。

全て、闇と白に変ればいい……。

全て、全て全て全て。

闇と白だけでいい。

血の赤が……滴る様に広がる。



 

イタリアミラノ

十四歳



 

 白と黒、そして赤


 もう、辺りは闇に閉ざされた。

どの細道も闇に侵食されて、どこかに何かが潜むかのような路地裏を、人の影が一つ、二つと動いている。何処へ向かうかも分からない暗い背と顔で、歩いて行く。闇靄に包まれていくかの様に。

その石畳の道。俺は息を切らし駆け抜けては、辺りを見回し心情に恐怖が駆け巡った。悔しさと、怒りと……、悲しみに、崩折れそうになる足を前へ前へ進ませた。

暗がりの部屋で襤褸切れのようになった精神も白い紙の様になった心も全て無理やり塗りたくって、それが複雑な線になって膨張しては、絡まり、混ざって行くかのようだ。

車庫に来て車のキーを片手に、強く握り締め目を硬く綴じた。

背後を振り返る。闇の中で佇む不動の態のルジク一族屋敷を、歯を噛み締め睨み見た。食人の屋敷。既に、暗黒の記憶しかない。体後と背けて悪魔の巣窟から逃げた。

フェラーリの車体に手を付き体を跳ねさせ停まり、打ち震える手でキーを差す。父のフェラーリの座席へ滑り込み乗り込んだ。

ハンドルを握り、辺りに視線を這わせて、闇が混沌と目の前に沈んでいる。辺りを包んで、心が締め付けられる。車内に静寂が染み付く。

目を綴じた脳裏に、皆の笑顔が浮かんだ。

ランディア、アドルド、トルゾ、カイン(カルチェロ、ウェルブ、カルロス、レイモンド、バレイル、マルチェロ、ミカエル、ベラロッチ、ティアゴ)

「………」

ハンドルに、うずくまる。手が震える。

目を開け、唇を噛み締めた。この口が、歯が、舌が、喉が、体が、この身が俺の中でバラバラになる……。バラバラの機能として感覚の中で浮遊して行くかの様だ。痛みを伴う様に。俺はこの身を強く抱く事で心がばらばらになる事を繋ぎとめた。今はまだ。今はまだ。

闇をフェラーリで疾走させた。

ミラノの月さえ落ちた闇夜。狭い路地を駆け抜ける。全てを忘れるために。

ダイマ・ルジクの悪魔の様な声なんか忘れろ。

痛いほどに辛い出来事全てを闇に閉ざせるため。

ミラノの細くうねる道、折り重なる壁は濃淡が微かに違うだけの闇色で、ライトの白が舐める様に反射し駆け巡る。

記憶の中に複雑に絡まりあう、ダイマ・ルジクにより作り出された乱暴な闇。

銃声、叫び、血飛沫、冷徹な顔、怒鳴り、生命の、終わり。彼等の……。

急激にハンドルを切り行過ぎるガラスの向こうの闇壁に、乱雑に交差しては行過ぎずに絡まり行くあの暗黒の記憶。生きていた頃の輝きを失ってしまった彼等の記憶。

どんなに今更悔しくて叫んでも、愛した彼等は帰らない。彼等の悲痛の叫びが木霊する。

辛さだけの狂気の記憶を俺は頭を振り、振り払う。

目の前に道が細く絡み合う。

壁に反射し続ける車の乱雑なヘッドライト(ファナーレfanale)の白と、そして壁に闇の染み付く中(狭間)に、ランディア達が……彼等の魂が、居る気がした……。

「………」

一瞬を照明に照らし出され浮き出された肖像と、実物の闇の中、その現実と非現実の狭間の中でなら……。

現を彷徨う死者のいる、懐に思える。ぽっかりと空いた暗い穴が、広がり闇になり、今、世界を、この場を闇が包み侵食しているんだ。暗い壁に彼等の影が重なる様に、そこに居るみたいだ……。

縦横無尽に建物に囲まれる暗がりの路地裏から抜けた。

空間の開けた夜の闇に、道路を行く何台もの赤のテールランプの群れが渦巻く。

テールランプの赤。血の、彼等の血の赤だ……。

涙に埋もれる。

感情が怒りと悔しさと悲しみで、頭の中で、目の前で黒と白と赤に反転する。頭の中がその色で反転する。まるでフラッシュを焚いたかの様に。

闇に全て閉ざすんだ。全部。白く塗りつぶすんだ。ダイマ・ルジクへの殺意の怒り、赤を消すんだ。どうにか、消すんだ。

目の前に続くテールランプの赤の波。闇に線を引くその線……。まるで、滴り流れた彼等の血。

ランディア達の元に行きたい。怒りが落ちて、悲しみだけになった闇と白の中で、泣く涙に見えた。悲痛の心から流す赤の涙に。

駄目だ。

もう、耐えられない。

涙に埋もれ、ハンドルに一瞬額をつけた。車両を、止めてしまう。

クラクション。

彼等に会いたい。

彼等に会いたい。

涙が熱となって顔を覆う。

今の自分のこの身を消えてしまいたい。

目を開ける。涙でテールランプの赤が倍増し、視界を占領する。

消えたい。消えたい……。

息が苦しく嗚咽が車内に木霊する。体が熱い。今ここに生きた熱があることさえ辛い。流れる涙さえ、恨めしい。今、俺がここに生きているなんて。

アクセルを踏み込んだ。走り出す。

そうだ、壁に、突っ込めばいいんだ。

俺の体も、自分でバラバラにすればいいんだ。

突っ込んで行くだけ。

闇と白の狭間の彼等の居る場に……そうすればいい。横に行ける。

走らせ大通りをそれて、複雑にくねる道へ入った。

複雑な道を、ハンドルを左右に回しながら疾走する。エンジン(motore)の唸る高い音に耳をやられそうになる。

闇の中に彼等が居る。

「今、一緒に……」

ハンドルがグラグラいって一気に闇壁が迫り、真っ白になった。

………。

「………」

朦朧とする。

目を開ける。

徐々に、目の前の闇色が真赤になって行く。白と闇が……。

夜の闇壁だ。白のヘッドライトが跳ね返ってる。

フェラーリのフロントガラスに、血が塗れ、赤のみに闇色と白が埋め尽くされて行く。

気が遠のく。

重い瞼を閉じた。

闇だけ、広がった。

ああ、この先にきっと、静寂が待っているんだな。

闇は、静寂なんだな……なんの苦しみも無い、闇……。

彼等が今いて包まれてしまった、その闇。





2.シチリアの海





アラディス・レオールノ・ルジク


1931年9月晩夏

15歳

イタリア

シチリア



 悪魔の巣窟から、息せき切って走り逃げて来た。

頬も唇も涙に暮れ、何をどうすれば良かったのかが何も分からない。もう、ミラノにはいられなかった。

ダイマ・ルジクのいるミラノの地には、怒りと恨みと悲しみと憎しみ、それしかもう今は無い。闇の記憶だけ……今はもう。

ルジク屋敷は悪魔の巣窟だ。ダイマ・ルジクは悪魔だ。四人も恋人達が奪われて、人の肉を食らって、無理に食べさせてきて、狂って父のフェラーリで壁に突っ込み現実逃避しても駄目だった。

優しい母ローザに見られる前に、悪魔の巣窟を出て石畳を走り、ミラノの闇で昨夜、地下クラブへ潜ると、刺青を入れた。

ランディアの形見の鑿を持ち寄って、入墨を入れてもらった。無念に死んで行った彼等の怒りも全て込めて。

両手首に、渦巻く黒蛇。

怒りを染み込ませ、怨念を持ち、失った罪の無かった彼等四人の愛する者達を失った今、全ての悲しみを込め、痛みの涙が全て悔しい程の真っ赤な怒りにとって変えられた。体を痛みが侵食し、それでも直視し続けた怒りと悲しみとやるせなさと、絶望。

怨念に苛まれた蛇の目と、心と体を侵食する怒りと、その業火と、焼き尽くされ失った光と、愛。消えてしまった愛の全て。

闇に閉ざされてしまった全て。

同性好きだから、それだったら何だって言うんだ。将来は貴族ルジク一族の家督を継がなければならない面子だとか、堂々と男の恋人と共にいた事だとか、それらで何故、恋人の命をダイマ・ルジクに奪われなければならなかったんだ。愛情は愛情だったのに、その全てを剥奪されて、彼等は殺されて血肉を調理されてダイマ・ルジクが食卓で食べ、そして無理矢理俺にまであの眼帯男の使用人は彼等の肉を食べさせてきた。

同じ性というだけで何が問題だったと? 時に病気になって未来が無いから? 普通は男と女が愛し合うべきだから? 世間が反対しているから? 他の人間には嫌悪を起こされるから? そんなもの関係無い。好きで、愛したくて、愛しくて、それだけだ。何も汚らわしくなんか無い心なのに、何故剥奪されなければならないんだ。

もう、ダイマ・ルジクのいるルジク屋敷にも、彼等の光り輝く記憶のある場所にも辛い。

美しい海のある場所で、身を投げよう。知らない地で……。


 頭は痛くて、生へとまるで繋げようとするようだった。でも、もう嫌だ。

もう生きていたくない。辛いんだ。何もかも、光も、闇も、美も、何ももういらない。愛が恐い。ダイマ・ルジクが恐い。全てが恐い。もう嫌だ。

崖の上。ここまでは歩いてきて何度も気を失っては、目を覚まして、風の香りがして、そしてまた歩いていき気絶して、夜になっても歩いて、膝を付きあるき岩壁に手をつき歩いて倒れこみ、朝露に濡れて眩しく目覚めて、目を開きぼんやり輝く海と、そして潮風を見て、よろめき歩いて崖のここまで来た。

脚にはもう力は僅かだ。意識も朦朧としてきて、頭が鈍く痛い。ただただ眩くて、そして、青の海があまりにも美しい……。

「アルドル……。ランディア……。トルゾー……。カイン……」

黒の艶髪が視野の海を装飾して、風が暖かい。もう、そっちに行けるんだよ。

軽はずみだったんだ。何も知らなかったんだ。同性がどんなに他から見て違うかという事。それを知らずにいた事が愚かだったんだ。愛し合ったことは決して愚かなんかじゃ無い。同性が愚かなんかじゃ無い。ただただ、何も知らなさ過ぎたなんて。

輝ける全てに、もう、終わりを告げよう。

もう全て。

「ごめん……愛してる」


 意識の壁が、真っ黒く横たわる真横に立ちはだかって、身動きも取れない。

重い。ただただ体も、腕も、脚も、指も、頭も、全て重い。ここは何処だろう……。

瞼も、唇も、全て重くて、瞳は沈むかの様だ。

「だが、まだ年齢が若い。きっと十代も半ばだろう。可愛そうに、まるで海草のように海に漂っていた。見つけられて良かった」

「この女の子の持ち物は? きっと海を見ていて足を滑らせたんだろう。手首に包帯も巻いているし、きっと痛めていて手も足も出なかったんだな」

「そうだと思う。屋敷に着いたら治療をしてやってくれ。悪いな」

「いいって事よ」

頭が痛い。

目を開けて、眩しさに目を閉ざした。

青空が揺れていた。カモメ。波の飛沫。

「お嬢ちゃん。もう大丈夫だ。君を窓から見つけられて良かった」

いきなり、男が顔を覗かせた。

「………」

誰だろう。渋い。

起き上がれなくて、モーターエンジン音が頭を痛めていた。このまま、頭痛くなってそのままどこかに行ってしまえばいいんだ。

そうなりたくて目を閉じた。

意識がまた、徐々に薄れて行った。瞼もすかすまぶしさが、灰色のヴェールの様に徐々に降りて来て闇に閉ざされていく。


 ダイマ・ルジクの悪辣とした笑いで、叫び目を覚ました。

共に、あるとんでもない事実にすぐに気付いた。

暗い室内を見回す。

ここは現世だ。

そんな……。

起き上がって走ってカーテンを剥ぎ、硝子を割って闇色に飛び降りた。

「やめろ!!」

いきなり床に転がって掴まれた肩を掴んで目を見開いた。

背の高い、黒服の大きな男が恐ろしい顔をしていた。

俺はいきなり見ず知らずの男に止められて肩から手を離して、立ち上がって窓へ突っ込んで行った。

「何で!」

腕を掴まれその高い位置の胴を蹴ってカーテンを掴んで窓枠に足を掛けたけど、引き戻されて腕に噛み付いて逃れて窓から飛び降りた。

一気に風を切って体に衝撃が走った。

「うう、」

息が出来ない。徐々に出来てきて、目を開け、暗い中の芝生を見た。

よろめいて起き上がって、足を引きずって海の音がする方へただただ歩いていった。

石の策に手を掛けて、足がどうしても上がらずに、そのまま胴を崩れ乗り出して落ちた。

冷たさが体を包んで一瞬で、気泡の音が耳を包んで闇が閉じる目に広がった。

このままいける。もう生きてたく無い。

いきなり体を掴まれて嫌であがらった。その瞬間水が口に流れ込んでとにかく飲み込みつづけた。このまま息をなくしたかったのに、強引に顔から水が引いて行って咳が激しく続いてただただ叩きつづけた。硬い腕、硬い筋肉の肩、顔、襟足長い髪を掴んで引っ張り暴れて、そのままぐんぐん引っ張って行かされた。

「なんだよお前!! ふざけんな!! 離せ!!」

今まで出した事すらないそんな乱暴な言葉が自分の耳を占領して、そんな言葉を言っていた。

海の中で波が打ち寄せる崖に背を叩きつけられ、一瞬驚いて男を睨み見た。

「自殺か」

掴まれる手首を離してもらいたくて暴れて、男の股を蹴り上げても何をしても無駄だった。腕に噛み付いて手を離して闇の海へ必死に手をばたつかせた。肩を持たれて引き戻されて、泣いていた。泣き叫んでいた。

そのまま、気を失っていた。


 目を覚ますと、体中が痛かった。

信じられない。まだここにいるなんて。

動けなかった。体が痛い。

でも、ベッドから転がり落ちて床を這って行った。ドアに行く。

唸って腕を上げて、ノブを回した。開かない。……開かない!!!

真横の円卓を叩きつけていた。

バラバラと崩れてしまって、一瞬で罪悪が募った。円卓を壊してしまった。ともに、ノブが吹っ飛んで行った。

ドアが向こうに開いて、顔を出した。

黄金の眩しさに目を手に当てた。

足が痛い。全身痛いけど、壁に手をついて歩いた。

あの男、いない。

大丈夫だ。

廊下の突き当たりは、風が吹き込む間口だった。

手を掛けて、胴を乗り出した。

海面に体を打ちつけて、その衝撃で体が驚いて、そのまま全部……。


 頭痛い。

耳痛い。

塩辛い。

目が痛い。

頭痛い。

目を開いた。

真っ暗だった。微かに、光が差し込んでいた。

長い足が胴の下にあった。

「……アドルド!」

嫌な夢見てたんだ! まさか彼が死んだなんて!

顔を上げた瞬間、違った。そうじゃなかった。

青の空を背に、あの男が黒髪をなびかせていた。

アドルドの船じゃ無かった。

絶望の影が降りかかって、抱きしめられた。

「死ぬな。何で自殺なんて」

腕を剥ぎ取って胴をどついて蹴りつけ青の海に背から突っ込んで行った。

「お嬢ちゃん!!」

また手が伸びて掴まれ、もう嫌で叫んでいた。怒りで頭の中が真赤になって、無理矢理白いボートに引き上げられて暴れて、手にした重い何かを男に叩きつけた。

それを持ったまま抱えてまた海に飛び込んで目を硬く閉じた。

沈んでけばいいんだ。

背を掴まれて腕に抱える何かを離れさせられて海の中で暴れた。水色の世界で、その先にアドルドが泳いでいた。笑顔で手を振って来る。

悲しくて、凄く悲しくて手を必死に差し伸べた。

何で、何でなんだよ。何で失わなきゃならないんだよ。

強力な力で眩しさに引き上げられて、ぐったりしてボートに戻された。

頬が熱くて目許が熱かった。水が溢れていた。どんどん。

「男の子か……。とにかく、落ち着くんだ。何でそこまでして」

「死にたいんだ……」

揺れるボートの縁と、揺れる水色の空をおぼろげに見た。

目を閉じて、モーターエンジンを聞きつづけた。

もう精魂尽きた。もう嫌だ。

何も出来ない。

そのまま、スクリューに。体を起して、後部に手を掛けた瞬間背から抱きしめられて足を縁に掛けて後頭部で男の顔を打ってから身を乗り出した。なのに、青の海を目の前に首根っこを掴まれて止まり、暴れるうちにそのまま引っ張っていかれて水の白い飛沫が遠のいて行った。

両腕をもたれ男に睨まれ、睨み返した。

「死なせない」

歯を噛み締めて、男が憎たらしくて仕方が無くて、涙がこぼれてきた。

何で死なせてくれないんだよ。何で勝手な事するんだよ。

生きてたって四人の悲しみがあるだけだ。それなのにこれ以上そんな世界にいなければならないなんて。

生きていたらいけないんだ。恋人達の肉を食べて、そんな魔物の自分がこの世に一人だけ生きてなんていたら絶対にいけないんだ。塵に返らなければならないんだ。罪深い体なんだ。彼等を食べた……。

「名前を教えろ」

肩を強く掴み睨んできながらいきなりそう言って来た。

答えなかった。痛い程掴んで来る手を睨んで、拳を握って顔を蹴りつけた。男が叫んで倒れて行き、顔を押さえてうずくまった。

「………」

その背を睨んで、辺りを見回してからエンジンを何度も蹴りつけて、最後には煙が出て来てボートがスピンした。

そのまま、グルッと回って海に一瞬で投げ出された。

鎖を思い切り掴んで、胴体に巻きつけた。船が沈んで行くと共にこれで沈める。

息苦しくて、目をきつく閉じて唇を噛んだ。ぐんぐん引っ張られていく。

いきなり身体が軽くなって、目を開けた。いくつもの白い線が走って行く。

何? 何で?!

身体が勝手に海面に向かって行く。そんな事嫌で必死に抵抗した。なのに勝手に海面が近づいてくる。ドボンという音が幾つも響いて、辺りを見回した。

何人も男達がいて、遠くの方にあの大男が漂っていて、いきなり目の前にコブラが現れた瞬間首元を取られて海面に顔を出させられた。

コブラに驚き咳き込んで、でもそれは首に回された太い腕に彫られた入墨だった。

暴れても太刀打ちできずに、違うクルーザーに引き上げられて吹っ飛んで行って、あの音、あの音に、辺りを見回した。

撃鉄が上げられる音……ダイマ・ルジクが彼等四人を殺した時の音。

無数の拳銃が向けられていた。

撃ってくれるんだ。

いきなり立ち上がって突っ込んで行けばいいだけだ。

そうしようとしたら、恐ろしい程の劈く声が挙った。

「銃口を下げろ!!」

その声に驚き背後を見た。

あの男が顔を押さえながら引き上げられて、男達が一斉に銃口を下げて行った。

男がずぶ濡れのままここまで来たから失敗する前に他の男から拳銃を奪って自分のこめかみに当てた。

キュウンッ

手首を掴まれ空を流れて行って、自分は怒鳴っていた。死なせてくれと怒鳴っていた。

いきなり項に衝撃が走って鼻から脳天に血が昇って、気を失った。


 目を開けると、すぐにあの男の顔があった。

「坊主。目覚めたか」

「……どっかいけ」

「ここは俺の家だ。それは出来ない」

「どっかいけ!!」

「坊主。何歳だ?」

口をつぐんでベッドから走っていって腕を掴まれてベッドに叩きつけられ、バウンドして床に転がった。

顔を押さえて泣いた。

「死にたい。死にたい」

「そんな事を言うな」

「何で止めるんだよ!! あんたに関係ねえじゃねえか! あんた何なんだよ!!」

「関係無いから何だって言うんだ。俺はお前の事は知らない。だがそんなことこそが関係無い事だ。勝手に人生を終らせようなんて思うな」

憎たらしくて、拳を握って椅子を叩きつけた。それでもものともせずに来て腕を掴まれて引き寄せられた。

何か光るものが目にうつって、そちらに駆けつけた。ペーパーナイフだ。

手に持って、男に突っ込んで行った。

でも手を掴まれてそのまま跳ね返って行って、それを拾おうとした手首を掴まれ両手で頬を強くつかまれた。

「今度俺の愛する海を悲しませたら、承知しない」

「………」

男の鳶色の恐い目を見て、口許が震えた。視線を反らして床を見た。足許に落ちた涙を見て、驚いて顔を上げ男を見た。

男は身を返して顔が見えずに、歩いて行き椅子を立てかけた。

「………」

一人の時に、そっと死にに行けばいいんだ。そうすればいいんだ。目に付かないように抜け出して、ずっと歩いていって、それで、どこかで。


 二日間静かに過ごした。

食事が持って来られても、見る事も出来なかった。

口に何も入れられない。

男は自殺を諦めたんだと思って、ようやく安心していた。でもそんなつもりは無い。

一言も喋らずにいて、男がいろいろ話し掛けて来ても無視していた。勝手にいろいろ話していた言葉も無視していた。

男は暇人なのか、ずっと屋敷にいた。だから抜け出せなかった。

年齢は二十七歳だと言っていた。エルデリアッゾという名前だといっていた。どうでも良かった。

でも、凄く男前だという事だけは確かだった。

エルデリアッゾがいきなり肉を持って来た。

「ひ、」

それを息を飲み見てから跳ね飛ばしていた。

「………」

エルデリアッゾが驚いて、びんたされそうになって目をきつく閉じた。

肩をどつかれソファーに転がって、痛い肩を掴んでソファー座面を睨んだ。

目の前に、遠くにフォークが転がっていた。

彼等の顔が浮かんだ。彼等の、首が。

……みんな。


 目覚めると泣いていた。

悲しくて顔を押さえ、暗い中を顔を埋めて泣き続けた。

みんなを闇の中に思い出して、ずっと泣き続けた。

背後が明るくなって、また暗くなっても、物音が近づいて背後にエルデリアッゾが座っても、また明るくなっても、暗くなっても、起き上がれなかった。悲しすぎて、涙さえ何も止まらなかった。何日も泣き続けた。

朦朧として、軽い身体を起こすとふらついて床に転がり、頬を拭って窓の横の床に座った。

海が見える。

これから、短剣でも、拳銃でもいい。見つけよう。

それで、もう泣く事も必要無い世界に行こう。

「 そして二人が

  情熱の身を寄せ

  花の吹雪浴び踊った

  ああ

  そうさ悦びの歌を

  これから踊りを

  花の時期は喜びの砦さ……」

壁に頬をつけ、目を閉じて二人で歌った歌を、いつの間にか歌っていた。

顔を押さえて、彼の愛しい味が、悲しくて、彼の生首の瞼が信じられなくて、闇に落ちる。


 目を覚ますと、明るかった。

床にいたのに、ベッドにいた。

目の前に水がおかれていた。吐き気がこみあげてきて、口を押さえて枕に顔を押し付け目を閉じた。

目を開けて、エルデリアッゾがいない事を願いながら、今日、出ることにした。


 顔を覗かせた。

誰もいない。

さっき、他の部屋で短剣を見つけていた。

屋敷から逃げて、それで刺すんだ。

何度も顔を覗かせて、それでから庭に出た。

石の塀を歩いてから、木の中から出て道を見た。

塀伝いに出て行って、歩く。

海を背景にする崖の上の屋敷を離れる。青の空をくっきりさせていた。

小走りで走って行った。

服の中の短剣は鞘に収まっていて、胴に当って冷たい。とにかく速く走る。坂を下って行って、振り向かずに走った。黒い影が白い砂地に跳ね返って、走って行く。

廃墟のような煉瓦と漆喰の外壁のある場所に来ると、息を切ってから風を受けた。

壁を背に座って、木々を見回した。

影が遠くからの潮風でざわざわとして、波の音は聞こえない。

服の中から短剣を出した。鞘を抜く。

腕に巻かれた包帯を解いた。

肌にまだ完全には落ち着いていない黒蛇を見つめて、涙が溢れてみんなを想って、目を開いた。

「きゃあ!!」

女の子のような声を上げてしまって、口を抑えわなないて不気味な男を見上げた。

白い肌にスキンヘッドで、眉も無くて瞳が小さくて感情が無さそうな、六十歳以上は行っていそうな大きな男だ。

俺はガタガタ震えてその男を見上げて、早く短剣で刺す為に邪魔される前に自分に向けた瞬間、手の中から短剣が消えていた。

不気味な男が持っていた。

ああ、殺してくれるかもしれない……。

「………」

その光る短剣を見上げて、不気味な男の横顔を見上げた。

「刺してくれ……」

「………」

男は顔を向けてきた。この廃墟の持ち主かもしれなかった。男は襟の無い詰められた黒シャツに黒トラウザーズをはいていて、腰のベルトと共に短剣が光っている。この男なら殺してくれそうだった。

でも動かずに、立ち上がって睨み見上げて短剣を奪おうとした。でも寄越さない。

「返せ、返せよ!!」

腕を高く上げて、大男のために届かなかった。

いきなり男が不気味に笑い、ぞっとして上目になると、分けの分からない男から離れて行った。

いきなりの事に、ぐったり崩れた。

背に衝撃が走って。

でも痛くなかった。刺されてない。

肩に担ぎ上げられて、そのまま連れて行かれた。

目を閉じれなかった。ぼんやり開いていた。

屋敷に連れ戻されていた。あのエルデリアッゾのところの奴だったんだ。

地下に連れて行かれた。

台の上に降ろされて、短剣でシャツを裂かれた。力が入らない。背を何か攻撃されて、動けなかった。

視界は闇に慣れてきて、頭上に浮く白いものに気付いた。

何か細長いもので作られたシャンデリアだ。一切光なんて無いようなもので、目を開いてバッと不気味な男を見た。

人食いだ。このおっさん。

白骨で出来たシャンデリアだった。

腕を掴んで来て、短剣を振りかざした。

「イデカロ。午後まで出かける事になる。妻が……」

エルデリアッゾの声に男が振り返り、まただ。また邪魔しに来た。咄嗟に手首を掴んで短剣を自己の首筋に持って行った。

「お前!!」

エルデリアッゾが咄嗟に走って来て短剣を持つ手首を掴んできた。

「離せ!!」

「やめろ!! まだ諦めてな」

ザグッ

「………」

目を見開いて、エルデリアッゾの腕に刺さった短剣を見た。

顔を歪めて即刻抜き、遠くへ投げて俺を見た。あの不気味な男はゆっくり歩いて行き、エルデリアッゾの背後遠くで拾うと、滴る血を舐めた……。

「う、」

口を押さえて、空の腹から胃液を吐いた。

エルデリアッゾが背をさすって来るのを跳ね除けて走って行った。

その瞬間、涙が溢れて戻って行きエルデリアッゾに抱きついて大泣きしていた。刺してしまった。腕を刺してしまったんだ。死ぬなと言ってくれたエルデリアッゾの。

しがみつき大泣きし続け、そのまま泣きつかれて眠った。


 頭が働かなかった。ずっと、何も……。

横たわる窓の小さな空が、世界だった。


 悪夢に魘されるようになり始めた。

夢が魔物になった。

何度も武器を見つけて自分を刺そうとして阻まれて、悪夢が現実にまで浸食してくる。

直視できない記憶まで脳を雁字搦めにしてあの闇の記憶を見せて来る。

ダイマ・ルジクの背。地下の石の部屋。恋人トルゾー。拘束された手足。撃鉄の挙る音。自分の悲鳴。トルゾーの見開いた目。銃声。叫び声。

食卓先のダイマ・ルジク。高杯の上の首。食卓椅子に拘束された体。背後の眼帯の使用人。口に押し付けられる肉。トルゾーの肉をフォークで食べるダイマ・ルジク。口許に突きつけられる血のワイングラス。

愛していたものの肉を食べるなんて、そんなこと愛する者への冒涜だ。

そんなこと出来ない。

出来ない。

なのに、それをさせてこようとする。目の前でダイマ・ルジクは恋人を殺した。

姿もすべて変えられて、そんな目に遭わされて、彼等の笑顔も全て。

今まで生きてきていたのに。素晴らしい人たちだったのに。愛の砦だったのに。言葉を話して、歌って、笑って、なのに。

彼等を、ダイマ・ルジクは冷静な目許のままであんな目に遭わせた。

連れ去ってきて、撃って、料理させて、食べて、そんなのあんまりだ。

何がいけなかったと? 何が罪だと? 何がそんなに怒りに触れるような愛だったと? 何がそんなに、酷い事をする原因なんだよ。一体何で。

あんなむごい殺人と食人が何の未来に繋がるっていうんだよ。

光り輝いていた愛情の時間の全てを、突き落された。

闇に落ち……。

眼帯男に口をこじ開けられ、無理矢理食べさせられ。

ダイマ・ルジクの鋭い言葉。

愛していた彼等。

アルドルがあの悪魔に見つかって殺されて半年後、精神が定まらないままミラノから逃げて、一人で料理店の前で座り込んでいた。

街はどこだったのか分からなかった。覚えていない。ただただ、バスと電車を乗り継いでいた。それでぼうっとしたままたどり着いた街だった。

声を掛けて来たのが真っ黒になった土塗れのトルゾーだった。腕の筋肉ががっしりしていて、背にツルを抱え、脇にヘルメットを持っていた。そんな力強い姿がとても逞しかった。他の仲間も同じ位土に塗れていた。

トルゾーは声を掛けてくれて、ご飯を奢ってくれて、仲間と共に泊まる宿舎に泊めてくれた。辛くて、ずっと夜はしがみついていた。

元気付けるためにたくさんの歌を教えてくれた。ナポリに逃げて、漁師の仕事が凄く立派で格好良いアドルドと出会って、ずっとダイマ・ルジクのいない南イタリアの街ナポリで三ヶ月間毎日共に過ごした天国のような時期も、漁船の上で二人寝ころがり、たくさん歌を教えてくれた。

トルゾーはやっぱり優しくて、心をどうにか溶かそうとしてくれた。とても愛しくて、それでも、ランディアが殺されてミラノから逃げて、ナポリで出会ったアドルドと愛し合った彼まであの悪魔に見つかって、ミラノの地下で殺された瞬間から、絶対に愛さないと決めていた。

ダイマ・ルジクは悪魔だ。どこにいたって、見つかってしまう。南イタリアにまで、まさか及んだなんて、信じられない事だった。

すぐにトルゾーは仕事に戻るために街を出て行ってしまった。彼は採掘師だった。

絶対に街だとか知られない為に、すぐにミラノに戻って、連れの部屋に泊めてもらっていて、トルゾーに秘密で電話をよくしていた。一週間に一度だけ、会う事が出来ると言ってくれた。岩山から戻るのが一週間毎だった。ラジオで危険なニュースを知って、泣きながら電話をした。無事だった。

出会ってから二週目、会った二度目の時に、関係を結んでしまった。

その夜、ぼろい宿の室内で、ずっと共に抱き寄せ合い歌を歌いつづけた。眠る事が恐かった。目覚めて彼がいない事が恐くて。

彼が仕事に帰って行き、すぐにミラノに戻った。二週間後、信じられない事が起きた。連れの部屋から出た所をいきなり眼帯男に強引に連れられた地下に、ダイマ・ルジクと、捕まった彼がいた。

闇に引きづり込まれ、頭が真っ白になり、絶望が占領し真っ暗闇になり、そして、怒りで真赤になって、それでも太刀打ちできなかった。無力で眼帯男にあがらえずに、懇願しても、何を言っても、ダイマ・ルジクに彼が目の前で殺されてしまった……。

目覚めると、泣いていた。


 縄を見つけた。納屋の中。

梁に掛け、首を吊った。


 目を覚ますと、喉が狭かった。

虚ろに横を見た。

椅子にエルデリアッゾが眠っていた。

顔を戻した。触れると包帯が首に巻かれていた。

何でこんなに助けるんだろう、こいつ俺の事……。

ゆっくり起きて、ベッドを離れた。声は出なかった。

廊下を歩いた。

いきなりの事に驚いて、身を隠した。

大勢の男がいる。

何? 一体。

恐い顔をした男達が多くて、剣呑としていた。

更に身を潜めたのは、あの不気味な男が階段を降りて来たからだ。

何だ。あいつら。そっと顔を覗かせると、何かに気付いた。入墨だ。

コブラだ。手の甲や、腕とかに同じ入墨が入っている。

船で見たコブラの入墨。

あのイデカロと呼ばれた男が見て来た。驚いてもっと隠れたのに、目の前まで来たあの不気味な男が背後まで来て猫の様に吊るして来たから暴れた。

「? 何だこの可愛い子ちゃんは。どこから忍び込んだ?」

「すげえ可愛い顔してんじゃねえか」

「やめておけ。そいつ、小僧だぜ」

何人かがそう言った。

「ボスが匿ってる野良猫だ」

「………」

……ボス?

「ったく、どこから来たんだかこの野良猫野郎、とんだ弾け者で自殺願望野郎だ」

「小僧だと? どこから見ても女の子じゃねえか」

「ボスはどこだ」

「ここは何処だ?」

誰もが顔を見合わせた。

あのイデカロという男は何も言わなかった。

「マフィアクローダの屋敷だ」

マフィア?

瞬きして、首を傾げた。

「おいお嬢ちゃん。お前、どこの猫だ」

「猫じゃ無い」

「明日は忙しいんだよ俺等は。暴れるんじゃねえぞお嬢」

忙しい?

「おい。幾らだ? 彼女。金出すから……やらせろよ」

口をつぐんで男を見て、首を横に振った。その瞬間、恐い顔になって腕を掴まれた。

「何だ? おいこいつ、墨入ってんじゃねえか」

「離せ!! 気安く見るな!!」

胸をどつき走って行き、男の腰に拳銃がささっているのが目に入った。それを取って、他の男に奪われた。

「また自殺しようってのかこの小僧! お前の流れ弾が腕に当ったんだぞ!!」

「離せ!!」

「何を騒いでいるんだお前達」

「ボス」

エルデリアッゾが来て、走り逃げて行った。

「待て!」

追いかけて来て、必死に走って行った。すぐに手首をつかまれそうになって、咄嗟に階段から転がり落ちて行った。

「おい!」

起き上がって走って行く。

屋敷を出て、走って行った。

いきなり足が引っ張られて胴を地面にぶつけて引きづられた。肩越しに睨むと、あの不気味なイデカロが縄を引いていた。

そのまま引き上げられて、逆さでぶら下げられて進んで行くイデカロに暴れて目の前の地面の草を掴んだり、イデカロの進む黒シルクのパンツの足を噛んだりしても無駄だった。

頭に血が昇って来て、力尽きた。

「下ろしてやれ」

イデカロが落として来て、床にうずくまった。

「小僧。そろそろ食べろ。よく食べずにいられるな」

首を激しく振った。

「いいから。妻が食事をする。一緒に食べよう。ミルクパン粥を作らせた」

連れて行かされた。

食堂だというドアの前で、足がすくんで、一気に逃げ出した。

「おい!」

足をもつれさせ階段を上がっていき、あの食卓が思い出されて交差し脳裏を埋め尽くし、一気に闇に突き落されたかのようだった。

この愚か者が!!!

ダイマ・ルジクが怒鳴り声を上げ、完全に、闇に落ちた。


 目を覚ますと、自分の黒くて多い睫に視野の大体がしめられていた。目を閉じた。

エルデリアッゾがフィガロを見ていた。

「………」

「ああ、目覚めたのか」

エルデリアッゾが黒髪を撫で微笑んだ。

「良かった」

「………」

俺は胸が高鳴った事を、無理に無視してすぐに目を反らした。

それでも、頬が熱かった。

「名前はなんて言うんだ?」

「アラディス……」

「アラディス」

背を向けてシーツで顔を覆った。

「それは、女の子か? それとも男の子か?」

肩越しに睨んで、すぐに顔を戻した。

「ああ、そうか。悪かった。女の子だったんだな。小僧とか言って怒らせた」

すぐにはっとして、咄嗟にエルデリアッゾの手首を掴んだ。

「忘れてくれ。名前じゃ無い」

「……え?」

すぐに名が知られれば、この場が知られてしまう。名前が変わっていて、すぐに身元が割れてしまう。あの悪魔に知られる。

「分かった。お前をアレンとこれから呼ぶ。だから安心しろお嬢ちゃん」

「……女じゃ無い。男なのに」

「ああ、そうか男の子か。じゃあアルだな」

「気安く呼ぶな!!」

走って行き、ドアを開けようとしても開かなかった。窓も無い。

「………」

振り返って睨んだ。

「アル。年齢は? まだ中学生か? 高校生か? 親はどうしてる」

「………」

ドアを背に俯いて、首を横に振った。

ドンドン

驚いて向き直った。

エルデリアッゾが颯爽と立ち上がってドアを開けた。

「早く来て下さい」

「分かった」

緊迫した男の声。エルデリアッゾが手首を掴んで目を真っ直ぐ見て来た。

「いいな。ここにいて欲しい」

「………」

強く掴まれる熱い手に鼓動が激しく脈打って、目の前でドアが閉ざされ、鍵が掛けられる音がした。

闇に閉ざされ、俯いた。

微かに、聞こえる。

ベッドに戻って座った。

闇を見る。

灰色の靄が、うっすら動いた。

「みんな……」

涙が頬を流れ、ずっと、闇の中を歩く靄を目で追い見つめた。


二日間開けられなかった。

ずっと、闇の中に彼等がいてくれた。

とても安堵した。

凄く、安堵した。

眼の慣れる事の無い闇が、ずっとそこにあり、何の音も無い中を、彼等四人の気配がいてくれた。

ずっと……。

眠気も無くずっと彼等の存在と、居た。

優しい彼等の歌が闇に囁き……。

温かな微笑みを闇に広げてくれる。


 いきなりの振動に驚いて、飛び起きた。

三日目。

花を全て食べ終えて、何の花かも分からないけど、茎を半分まで食べていたのを、手探りで壁に来て、どこがノブか分からなかった。ぐるりと回ってベッドにぶつかってシーツに倒れ込んだ。また探って、ようやく見つけた。

開かない。また衝撃だ。

耳を当てる。

騒ぎだ。

嫌な音がする。……銃声。

いきなり吹っ飛んで、明りが長く射した。

何者かがドアを蹴り上げたからだった。足を下ろした男が進んできて、室内を発砲した。

「!!」

みんながいた闇を撃った。

こいつ!!!

いきなり首根っこを掴まれた。

「クローダの野郎は何処だ」

ガラガラの声がそう言い、俺は腕に下げる機関銃を睨んだ。

こいつ、エルデリアッゾの敵だ。

……許さない……。

目の前が、真っ白、そして、冷たい水が感覚で流れた。

ガチャッ

ドドド、

「ギャア!!」

男が倒れた。

気付くと、闇を撃った男を機関銃で殴っていた。許さない。こんな事して、俺達の場所を侵害して、みんなのいる空間を撃って来て、許さない。エルデリアッゾの事まで撃とうとした、許さない!!!

血に塗れて、立ち上がって乱暴な声が廊下に迫って来た。

聞いた事のある声と、他の敵対する声音が近づく。

いきなり血が噴いて知っている男が倒れた。

駆けつけた瞬間、腕を掴まれた。

「離せ!!」

「何だ。妹か? 可愛いじゃねえか」

いきなり首にキスして来て、思い切り股を蹴り上げた瞬間男が蹴り上げてきた。

「おい。クローダの野郎出すんだよ嬢ちゃん」

いきなり銃声が轟き、顔を向けた。

エルデリアッゾだった。

駆けつけて来て、撃たれた仲間を引き起こした。

「大丈夫か」

「ええ、」

エルデリアッゾは男の傷口を抑えていた。その瞼と睫を見た。

敵なんだ。敵がいるんだ。エルデリアッゾには敵が……。そいつ等を、全部消せばいいんだ。彼を狙う奴等なんか全て、全て……。




3.シチリアの風







 [美しき悪魔]



■1932年■アラディス 十六歳


 シチリアの風


 艶の黒髪から覗いたアラディスの上目が、まるで黒の鷹の様に鋭くなる。その刹那、闇を背に彼は洗練された白黒の山猫の様な雰囲気を纏った。

幹部は冷や汗紛れに小癪なガキを見ては後じさり、そして一気に殺気立ったアラディスが銃を両手に、低く飛び掛った。

血が闇に舞い、細身の革パンツの足げにされた男は死亡した。

アラディスは背後の、蔦の這う向こう側の海を振り返った。ザザン、ザザンと、低い音が木霊する。潮風がここまで届き、彼の髪をさらさらと変えさせた。目を閉じ、その真っ白な頬には、闇から光り輝き覗く海の蒼さまでもが映りそうにも思えた……。

アラディスは男を見下ろすとブーツの足を外し、通信機を出しては鋭いが美しい顔つきの目でボスに連絡を入れた。

「裏切り者は始末した」

そう言い、他マフィアとの橋立をしていた男を始末した報告をした。

アラディスはその煉瓦の建物から出て行き、崩れ落ちた壁を背にロイヤルエンフィールドに跨り、走らせて行った。

シチリアの素晴らしい海は青く、美しい。開放的だ。

アラディスは一気に草などが葺く中を疾走させて行き、マフィアクローダの根城のある屋敷へ向って行った。

彼の皮ベストの真っ白な胸部に、弧を描くコブラの入墨が覗いた。両下腕手首にも、蛇がのたうつ。

いきなりバイクを払われ、アラディスは飛んで怪我を免れてホール上の女を鋭く睨んだ。

「さすが山猫ちゃん。早いじゃない」

アラディスはボスの妻を睨んでから背を伸ばし、彼女を見下ろした。

「旦那を寝取るのも早すぎるんじゃない?」

まるで鉄の様な足で払ってきた彼女はアラディスの周りをゆっくり眺めながら廻り、微笑して前まで戻っては横目で彼を見た。

アラディスの視線は、ホール向こうの柱先に見える、青の海を表情も無く真っ直ぐ見ていた。自分よりも綺麗な顔をした青年が気に食わなくて彼女は歯を剥き、鋭く彼の頬に手を張った。

「何とか言ったらどうなのよ!!」

きつい声が響き、アラディスは顔を戻して横目で彼女を見下ろした。その長い腕はだらんと下げられ、殴りつける様子も無い。アラディスは女に手を上げたこと等無かった。

女は緩く微笑み、アラディスの横に来るとセクシーなケツの上にささる拳銃を引き抜き、クローダの紋章の入ったそれを手にしては眺めた。

「今に、あんたあたしに殺されたいの?」

アラディスはそれを奪い取り、無言のまま冷たい視線を反らし歩いて行った。

上目で鋭く彼女はその背を見ては、アラディスは石の階段を上がって行った。


 扉を開け、与えられている室内に颯爽と進んだ。

白茶色の岩の城内は、間口から眩しい光が満ちている。

寝台に拳銃を置き、彼は美しい顔立ちをそちらに向け、進んで行った。

石に手をかけ、青の海を見つめた。漆黒の煌くその瞳に、光が反射しては海を見つめる。

蔦が絡んでは木陰に昆虫が這って、彼の真っ白の手の指陰に沿い、歩いていった。

暖かな風が艶めく黒髪を翻しては、アラディスは窓枠に座り、見渡した。

蒼すぎて、蒼すぎて……心を奪われる。

火薬の匂いが鼻についても、潮風に吹かれながら目を閉じ、風に掻き消させた。波の音がずっと響き渡る。占領する……。

純白の頬に緩く白い光が差し、閉ざされた瞼の黒い睫は動く事無く、しばらくはそこにいた。

「アルドル……」

時々、呼んでしまう。

ナポリの漁師だった彼。いつでも魚介類をたくさん持って来てくれた。太陽の笑顔はよく陽に焼け、快活だった。

いつも真っ白で北イタリア出生のアラディスの髪をぐしゃぐしゃにしてから、たくさん栄養つけろよと頬をつねって笑ってきた。

アルドルの鳶色の瞳が、まるで自由の象徴のようだった。海を愛する彼は、その青の煌きから生まれたかのような男だった。

絶え間ない笑顔が好きだった。あの逞しい腕が好きだった。自己の漁船をアラディスに事細かく説明してきたり、操縦方法を教えてくれたりする時の顔が好きだった。

真面目な顔をして力いっぱい網を引き上げる時の、波を頬に受ける顔も、その後に見せる真っ白の歯の笑顔も、大好きだった。

漁師仲間も引き連れずによく、二人で昼の海に浮いて、カモメを眺めて過ごした。

潮の香り、風の音、彼が教えてくれた多くの海の歌、共に歌った歌。

いつでも寒くなって来ると、アラディスは寝ころがるアルドルの胸部に抱きついて目を閉じ、確かな心臓の音を聞きつづけた。ずっと……。

いつでもアルドルは優しく、無骨な指で風になびく髪をなでてくれた。風が凪いでも。

太陽の香りがするアルドルの逞しい胸部は、安心感があって、ずっとその場に自分はいたがった。

船を撫で続ける波の音、彼の呼吸、自己の呼吸、カモメの鳴き声、風の音。

美しい全てに、取り巻かれていた。

心を充たしてくれるアルドルの笑顔が、アラディスを虜にし続けた。


 マフィアクローダのボス、エルデリアッゾ・クローダはアラディスに微笑した。

食堂は厳かに飾り立てられ、そして輝いている。

美しい女や壮年の男達、年配者や若い男などが食卓に付き、ワインを傾けている。

その中に、一瞬で自分の顔を知る富豪はいないと確認してから、進んで行った。

エルデリアッゾは黒と金細工のグラスを回してから、華やかな食卓からアラディスに、ここに来る様に言った。

アラディスは進み、彼の後ろ斜めに立った。

面々は華やいだ笑顔を向け、アラディスを見た。

エルデリアッゾの横の妻は面白くなくて、アラディスから顔を背けてはグラスを傾ける。

「部下のアルだ。こいつは優秀で、見上げた根性をしている有力株だ」

「ありがとうございます」

アラディスはそう言い、男が言った。

「綺麗な子だ。男性だったのか」

アラディスは顔色を変えることも無くその言葉を無視し、エルデリアッゾは笑った。

「こう見えてもこのポーカーフェイスは怒っているから、綺麗という言葉は無しにしてやってくれ」

ごもっともだとアラディスは頷き、男も可笑しそうに笑って首を振った。

「アル。彼等は世話になっている大切な方々だ」

そう言い、一人一人を紹介してくれた。

一人一人をもう一度見てから、アラディスは初めて美しく微笑んだ。

妻は不機嫌そうに、アラディスの長い足のヒールで蹴り飛ばしてきた。別に痛くなかったために無視した。

「この子はね、生意気にも、銃の腕前が相当なものなのよ。この冷めた見た目でドンパチやるから、怒らせ無い様にね」

そう高い声で彼女が言い、また踏んづけてきたからアラディスは彼女を伏せ気味の目で見下ろした。

妻は無視し、肘を背後にかけて煙管をくゆらせた。

エルデリアッゾはそれに気付き、妻を見て視線でいさめると、妻は上目で猫の様に夫を睨んでは、顔を反らした。

「さあ、気分を更に盛り上げるために、踊ろうかみんな」

エルデリアッゾが大きな手を叩き、そう言った。

アラディスはエルデリアッゾとその妻が華麗に踊る姿が好きだった。その時だけはあの妻の姿も素直に綺麗など思える。

エルデリアッゾのあの魅惑的な渋い瞳も、あの低いのに良く通る声も、逞しい体格も、鋭く回る瞬間も、アラディスは好きだった。強烈に色香のあるその眼差しがふと、アラディスを微笑み見つめると、全身を囚われたかの様に幸福感に充たされる。

長身の背を立たせてエルデリアッゾは妻の手を引き、彼女も微笑んで立ち上がり、各人も促しあっては立ち上がった。

「君は踊りを?」

年配で恰幅のある髭の男がそう言い、アラディスは首を横に振った。

「いいえ」

倶楽部で狂った曲にあわせて乱舞するくらいだった。

ダイマ・ルジクは、アラディスに社交でのダンスなどに関する教養を習わせる事は無かった。実質的には、その前にはルジク一族の屋敷を彼は出ていたのだ。

「でも、あなたが踊れば素敵なのでしょうね」

品のある微笑と肝の居座った黒髪の女がそう言い、その真っ赤なドレスは炎の様に光を受け、金の装飾品を光らせた。レヴァロッチ婦人をどこか思い出す顔立ちと落ち着き払った風雅のある女性だ。

彼女は年配の紳士に手を引かれ、優雅にアラディスに微笑み歩いていった。

曲が緩く流され始め、シャンデリアを下に、それらの音符が踊るかの様に広がる。

アラディスはその場に立ち、後ろ手に手を組んでは彼等を見ていた。

優雅に踊る彼等や、それを見る者達やクローダボス。

手拍子をされリズム良く踊る女や、飛び交う笑い声。

そして、ボスと妻が拍手をされ、華麗に踊り始めた。

アラディスは瞬きもしたくなくて、ずっと見つめ続けた……。

エルデリアッゾの男らしい笑み、掛け声、鋭く優雅な動き、そして緩やかな手先……。

あの手に、手を取られたい。そう思う。

長い髪を緩く縛って白のワイシャツの襟に掛かる、しっかりした首筋も、がっしりとした黒スラックスの腰つきも、長い足の先の革靴も、大きな指に嵌められる指輪の煌きも、彼の微笑みも。

独り占めにはできない。彼には妻がいる。

アラディスは輝きの中を、華麗に踊る二人を見た。


 エルデリアッゾに呼ばれ、書斎に向かった。

扉を開けると、他の部下の男達が三人いて、アラディスは進んで行くとクローダボスの広い背を見た。

机の上には、銃が四丁。

クローダの紋章が入るメダリオンから振り返ったエルデリアッゾは、低い棚に腰をつけると彼等を一人一人見てから言った。

「我々側が作らせた武器だ。性能を確かめてもらいたい。それぞれ、種類が多少異なる。一番性能の良い物を流す事になる」

彼等は頷き、一人、一丁ずつ手にした。

「地下の射撃場に向かってくれ」

エルデリアッゾはそう言い、彼等は進んで行った。

アラディスは手の中でそれを確かめながら歩いていき、部下の一人に声を掛けられた。

意識の中に進んで行くクローダボスの素敵な後姿を入れながらも歩いていたアラディスは、その男を横目で見た。

「昨夜の食事に呼ばれたようだな。株を上げたのか? 何をした?」

「別に」

「本当かよ」

アラディスは視線を反らし歩いていき、男はアラディスの背を見回してから、背後の男の耳元に言った。

アラディスは無視し、歩いて行った。どうせ、また気に食わなくて何かを企んででも居るのだろう。慣れた事だった。

射撃場で事故に見せかけて撃ってきかねないのだが、逆にそれはアラディスもそれが出来るという事だ。何かを奴等が図っているようならば即刻。

射撃場へ降り、電気をつけた。

重々しいモーター音の後、照明が点灯される。

闇が白く照らされ、多少不気味な無機質の灰色の壁先に、十の的が掛かっている。

「分解し組み立て、一人が全弾ずつ、それを装填し二回。各四種類を試し撃ちしてくれ」

彼等は其々が立ち、ヘッドホンを嵌めてから素早く分解と組み立てを完了させた。

アラディスも装填し終え、銃を構える。

「始めろ」

ボスの合図のもと、銃声が轟音になり、鳴り響きつづけた。

次に横の人間がその銃を回し、同じ様に各人が銃を持つと行程を繰り返す。

四丁目が終ったあと、アラディスは三番目の銃が、扱いずらさと多少の癖はあるものの、使いこなせば自己の身体の一部にも出来る筈だと思った。

台の上に四丁は戻され、どの銃が一番良かったのかを指で示すように言われた。

アラディスがいいと思った銃を、他の一人も指した。

他の二人は、アラディスから見たら他の銃とあまり変らないと思った一丁目、もう一人は女にでも扱えそうな何の特徴も無い四丁目を指した。二丁目は、一番使い辛さを感じた。

ボスは組んでいた腕を解いてから首を頷かせ、口元に指を当てた。

「検討する」

そう言うと、解散の号令が掛かる前にいきなり先ほどの男がちらりと横目でアラディスを睨み、銃に手を伸ばした瞬間だった。

その男は背筋を凍らせ、唇を撫でるボスの鋭い一瞬の上目を感じては、一気に手の平に汗を掻いて手を身体の横に戻した。同じくもう一人の男も視線を反らし、固唾を飲み下した。

アラディスはボスの気に入りの凶手だ。

一気に凍った背筋に汗が流れると彼等は歯の奥を噛み締め、ぎこちなく視線を戻した。

「解散しろ。今日は感謝する」

ボスは微笑み、そう言うと解散させた。

アラディスは歩き出て行った二人の部下の背を見てから、エルデリアッゾの元へ来た。

「俺はこの銃が一番だと思う。特徴的だし、個性的だ。使いこなしに多少時間はかかるかもしれないがある意味性能が良い」

エルデリアッゾは微笑み、アラディスの肩を叩いた。

「そのようだな。これは先代が設計させた代物で、その時代はいろいろな制限から製造するまでには至らなかったものだ。多少えり好みする銃だが、ほかの武器にあわせて出荷していく中でも需要はつくだろう」

アラディスは頷いた。

「最終的には、この銃にクローダの紋章をつける事になるだろう」

アラディスはニコッと可愛らしく笑い、そして射撃場から出て行った。

エルデリアッゾはその背を見つめ、微かに高鳴った心臓に交差する足許を見つめ、目を閉じた。


 クローダボスの為ならアラディスはどんな者だろうが討った。

射撃の腕も底も無く上達するし、どんな銃器の扱いにも達人になっていく。

ダイマ・ルジクへの向けどころの無い深い闇の怒りも、悪魔が闇から這い上がるような怒りも、闇靄の中に浸る全ての精神も、全てをこの手に込めつづけた。

アラディスの闇色の瞳が、そんな闇の中を、夜の気配から目覚めさせた。

彼は忍び込んできた男に手首をもたれ、上半身を起し鋭く睨んだ。静かに……。

クローダの紋章が入る胸部に短刀が突きつけられ、間口からの巨大な銀の月は、闇を濃くしては、もとに打ち消してもいた。

強烈な魔力を持って。

「やめておけ」

アラディスはそう言い、彼の鋭く麗しい瞳にも、微かな艶の白い光が差す。

男は片膝を寝台に掛けアラディスの腕を掴んだまま、剣呑とした目元でアラディスを見下ろすと、銀の短刀が強烈に光った。男の鋭い微笑と共に……。

アラディスは男の手首を掴み捻り上げてから枕に顔を押し付け背を深く突き刺した。

その瞬間、もう一人の潜んでいた男が襲い掛かり、緋色の銃弾の線が闇を貫いた。

アラディスはそれを避けてポールを、まるで鞭払うように男の背に払い叩きつけ、男は短く叫んで死体の上に転がり、アラディスは壁に掛けられた装飾錨の先の鎖を剥ぎ取り男の首に瞬時に巻きつけ、背を膝で潰し顔横に鎖を引いた。

悪魔の様に美しい顔が、鋭くも静かに男を見下ろし、黒の鎖を月光が闇の中、白く鈍く光らせた。闇をのたうつ蛇かのように。

男は肩越しに冷や汗を流し心臓を脈打たせ怜悧な美しいアラディスの顔を見ては、その光さえ映さない闇色の瞳か目が離せなくなった。

ぎりぎりと首と手首が鎖に拘束され鉄分の匂いが鼻をつき、男のこめかみに悪寒の汗を光らせる。

美しい悪魔はふと、微笑した。妖艶にも、雅に。

ぎりぎりと鎖を顔横に引きながら巨大な銀の満月を横に、恐ろしい程の無表情になった。

男は膝の下で暴れ逃れようとし、首の鎖に手をかけ爪を飛ばした。

だが容赦なかった。

音が鳴り、首がもげ、男は力を失った。瞼が閉じて寝台に横顔が落ち、月光が死体の横顔を優しく照らした……。

「………」

アラディスは両下腕の黒蛇墨を装飾する鎖の手を下げ、穏やかに眠ったような男の横顔を見つめた。

その静かな瞳に艶が指し、城と闇色に、死体の血の赤が広がる……。

アラディスは目を閉じ、顔を片手で覆った。


 透明な広い夜空を見上げる。

星は一つ一つが大小さまざまで、白く、綺麗な光を八方に広げていた。

こんなに綺麗な星の空は、まるでクリスタルのようで美しく、見惚れてしまう。

アラディスは夜風に吹かれながら、建物や木々などの黒い影と群青の夜空を見上げ、彼の麗しい黒の瞳も星の如く光っていた。

「……アラディス」

「………」

彼は心臓を高鳴らせ、そろそろと肩越しに見つめた。

黒の影から、間口に差すアーチ型の光の中、スラックスと革靴の足が現れた。

「はい」

囁く様に小さな声でアラディスは返事をし、その声は透明な中に旋律のように滑り流れ、溶け込んでいった。

エルデリアッゾは進み、大きな手でアラディスの肩に手を置いては、アラディスが座る石台の背後に座った。

アラディスは消え入りそうな息をつき頬を熱くしては、自己の膝横に並ぶ彼のスラックスの脚を見つめ、そしてアラディスの純白に月光を受ける滑らかな頬が、綺麗な色に色づいた。

「ふ、可愛いな……」

エルデリアッゾは微笑み肩越しのアラディスの横顔を見つめ、アラディスは不貞腐れてピンク色の唇を突き出し視線を落とした。

「はは」

いつでも可愛いといわれると不貞腐れるので、エルデリアッゾは可笑しそうに笑ってから、そのアラディスの背を抱き寄せた。

アラディスは身体を熱くしては艶の瞳を景色に向け、彼の肩に艶髪を預けた。静寂の中を。

「美しい夜だ」

エルデリアッゾの言葉にアラディスは頷き、彼の逞しい腕に手を掛けた。夜風が二人の頬をなで、艶の様に流れていく。

それはアラディスがいると、尚の事そう見えるような気がした。

神聖な雰囲気のある子だ。高貴な風雅が、時にある……。

月の神殿から零れ落ちたような……。


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