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「僕は、空を飛びたいと思っています」

 ヒューは応接室の椅子に座り、目の前のアンナとダンにきっぱりと告げた。発明の話を聞かせて欲しいといわれたら、ヒューにはこれしかない。

「鳥みたいに、自在にです!」

 力説すると、目の前でメモをとりながら話を聞いているアンナは、呆然と呟いた。

「……空かぁ」

 その口調は、ヒューが他人に夢を話す時に、呆れて馬鹿にされる物とはかなり違った。どちらかというと困った感じの呟きで、かえってヒューには奇妙に聞こえた。

「難儀ですねぇ……」

 ぼそっとダンも呟く。二人の視線が応接セットの椅子には座らず、日当たりのいいテラスの近くに置かれた揺り椅子で揺れているリッツに注がれた。

リッツは最初っから興味がなさそうに、こちらの様子を窺うこともしない。

 しかもヒューに対する目つきが、何となくきつい。昨日の今日で何もしていないはずなのだが、何故だか嫌われているようだ。

ダンは『一月奥さんと一緒にいたボルドウィンさんが気にくわないんだよ』と笑いながらいっていたのだが、それにしても目つきが険悪だ。

「ええっと、じゃあ、命を狙われ始めた頃から話してくれます? やっぱりきっかけはバーンスタイン男爵と知り合ってから?」

 アンナに促されて、ヒューは頷いた。

「バーンスタイン卿の別荘に移り住んでからだと思う」

「そっかぁ」

 アンナは何かを書き付けてから、再びヒューを見つめる。

「あのボルドウィンさん」

「あ、ヒューでいいよ」

「そうですか。ではヒューさん」

「うん」

 どうやら依頼人は依頼人とちゃんと区別しているらしい。

「どうしてそんなに飛びたいんですか?」

 純粋な疑問の色を浮かべて尋ねたアンナとダンに見つめられて、ヒューは自らが飛ぶことにとりつかれていった経緯を語ることとなった。

 ヒューの出身地はもともと王国中央部に位置する、ファルディナ自治領区に属する村だった。

 隣の自治領区に境を接したヒューの村は、内戦の時に、区境でもあり戦場にもなったらしいが、今は本当にのどかなところだ。

 両親はこの田舎の村にはふさわしいごく普通の農民で、五人兄姉だ。

ヒューは年の離れた一番の末っ子で、農業を手伝い始めていた兄や姉たちを尻目に好きなことをして過ごす、非常にのんびりとした子供だった。

 そんなヒューが一番に興味を抱いたのは、鳥だった。

 ヒューはとにかく鳥をスケッチすることに明け暮れた。飛び立つ鳥、翼を広げて滑空する鳥、翼を休める鳥、飛び立つ瞬間に翼を大きく広げた鳥。

 子供心にも上手くは無かった絵が、気がつくと村の人々にも感心されるほどの上達をみせていき、次第にヒューは村の画家のような存在になっていった。

 まだまだ子供だったヒューだが、村人の絵を描くことで、ほんのわずかな収入を得ていった。その時は好きな絵を描いてお小遣いを貰えるのがただ単に嬉しかった。

 それでもやはりヒューは鳥の絵を描き続けた。珍しい鳥を見るために、歩いて行ける範囲には総て歩いて描きに行くほどだった。

親からは鳥に取り憑かれて一生を棒に振るのではないかと心配されたのだが、ヒューはそれでもよかった。それぐらい鳥に魅せられていたのだ。

 やがてヒューは自分が一番魅せられていることは、鳥の姿形ではなくて、空を飛ぶことだと唐突に気がついた。自分は飛びたかったのだと気がついた瞬間に、何だか胸がすっきりしたのである。

 そうなると凝り性なヒューはとどまることが出来なかった。

 気がつくと鳥のスケッチは、鳥の生態観察や、体の大きさの比較、翼の形状、翼に対する体の重量を調べて精密に書き記すことに変わっていく。

 それからヒューは翼の作成を始める。とりつかれたように、絵で稼いだ金を全額、鳥の翼を持って飛ぶことにつぎ込み始めたのである。

 当然成功したことは今までない。

 作っては飛んで壊し、作っては飛んで壊して怪我を負うを繰り返した。

 最初は面白がっていた兄弟たちも次第に呆れ返っていった。そしてそれは予想以上に金額がかさむものだった。

気がつくと村の友人たちから軒並み金を借りていて、それを返せなくなっていた。

 ヒューはその時まだ、十六歳だった。

 やがてヒューは親にまで勘当され、村を逃げるように去ることになった。

借金は親と兄姉が肩代わりしてくれたと、後にヴァインを通じて届けられた手紙で知った。

 絵が上手く、鳥に偏っていたものの生き物の生態観察に詳しかったヒューは、ボロボロになりつつたどり着いた王都シアーズで、図鑑の出版をしている人々と巡り会い、彼らの手伝いとしてあちこちの動植物をスケッチして廻ることになる。

 その時に色々な街で色々な物をみて、ヒューは飛ぶことだけではなく、妙な物の発明にまで手を出し始めてしまう。

 田舎物のヒューには、見たこともないような日常品が面白くてたまらなかった。そして面白いと思えば思うほど、もっと便利にならないかと片っ端から分解して、妙な物を組み上げてしまうのだ。

 それにこの手の発明品を作るのは、空を飛ぶための翼を作るより金額もかからないし広さもいらない。

空を飛ぶための研究は、ずっと続けていたし、そのための模型はもはや数えられないほど作成したのだが、計算上ヒューが飛ぶためにはどうしても巨大に作らざるを得ない。

 となれば莫大な金額と、広大な場所が必要なのだが、大都会シアーズにそんな場所など無い。ヒューが持っていた物は、生きていく最低限の給与と、古いアパートの狭い一室のみなのだ。

 その苛立ちはみな、発明品へと注がれていく。その結果が、どこからどう見ても役に立たない、妙な発明品の数々だった。

 色々な物を分解し、組み上げることは、やがてなんかしらの手段で空へと繋がるのではないかと思うと、やめる事なんて出来ない。

 気がつくと、図鑑画家兼発明家という妙な仕事をして、ここシアーズで糊口を凌いでいたのである。

 だが図鑑画家の仕事はいつもあるわけではなく、食べるものに困ると大量の発明品を抱えて街の市場に座り込む。

普通の生活を送る一般市民はヒューの作品に目もくれないが、好事家というのはどこにでもいて、その日食べるぐらいの金額は確保できるのだ。

 その好事家の一人が、バーンスタイン男爵だった。

買い物の途中、ふらりと現れたバーンスタインは、熱心にヒューの発明を見入ってから、おもむろにヒューに尋ねてきたのだ。

『君の一番の目標は何だね?』と。

 当然ヒューは『空を飛ぶことです!』と即答した。その後二人は路上に座り込み、延々と空の話をし続けた。

その日の売上は少なかったが、同好の士がいたということだけでとても満足だったのである。

 バーンスタインの夢もまた、『死ぬ前に一度でいいから自由に空を飛んでみたい』だったのだ。

 その翌日、バーンスタインから、パトロンになるからその夢を叶えてみないかという申し入れがあった。同好の士であるバーンスタインの申し出に、ヒューは一も二もなく飛びついた。

 それがほんの半年ほど前の出来事である。

「夢のようでした。バーンスタイン卿は本気で僕にお金を出してくれると言うんです。お陰で僕は飛ぶための研究に没頭できるようになりました。本当にバーンスタイン卿には感謝してもしきれません」

 ヒューがそう言って力説すると、アンナは深々と頷いた。

「やりたいことが出来るって、幸せですもんね」

 何だかアンナにはそんな経験がありそうだ。だがアンナはすぐに表情を引き締めてヒューを見つめてきた。

「でもそのせいで、狙われるようになったってわけですよね?」

「……そう……なんですよね……」

 ヒューはうなだれて机の上で手を組んだ。

今まで通り冴えない発明家でいれば、こんな風に他人に迷惑を掛けることはなかった。それは素直に申し訳ない。

けれど夢は捨てられない。

 今回は人に被害が及ばなかったからよかったけれど、夢と人の命、どちらかを選ばねばならなくなった時、ヒューはどうしていいのか分からず、足がすくむ。

怖さに立ち尽くしながらも、心は前に進みたくて疼くだろう。

 そんな自分勝手でいいのだろうかと、一人もがきながら葛藤してしまう。

 そんな悩みを口に出すことも出来ずにため息をつくと、話は終わったと感じたのか、アンナが紅茶を口に運んだ。それを見て喉の渇きを感じ、自分の紅茶に口を付けた。

かなり冷えている。でも話して渇いた喉には丁度いい。

「ヒューさんが狙われる理由は、空を飛ぶ研究にある。そうだね、ボス?」

 ダンがそうリッツに声を掛けた。揺り椅子に座って寝ているのか起きているのか分からないリッツが、ゆっくりと目を開ける。

不機嫌なダークブラウンの瞳に見据えられて、ヒューは身を堅くした。疎ましいと思っているようだ。

だがリッツは面白くなさそうに肩をすくめて、ダンに言葉を返しただけだった。

「だろうな」

「じゃあ、あれ、絡みの事件って事でいい?」

 ダンが至極真面目な顔で尋ねると、リッツはめんどくさそうに呻く。

「さあな」

「リッツ、また面倒くさがらない」

 アンナにきっぱりと叱られて、リッツは子供のようにぷいと横を見た。

「あれ絡みって、俺には苦手な分野なんだぜ? 難しいことはさっぱりわかんねえし」

「でも一応、専門で引き受けてるでしょ」

「そりゃあそうだけどさぁ。俺はどっちかっていうと、肉体派なの。考えるのはお前に任せる」

「あ~、もう!」

 アンナが頬を膨らませてリッツを睨む。やっぱりどう見てもアンナがダンよりも年上には見えない。どうしたって二十歳そこそこだろう。

 だが目の中にある知性の輝きは、年下には到底見えない。隠し事をしたりしたら、色々と見抜かれそうだ。

 やがてアンナがむくれるのをやめてリッツの目の前に立った。

「じゃあ質問変えるよ。今回の件の場合、リッツはあれ絡みと考えて最初から捜査する?」

 アンナは、揺り椅子の背もたれにもたれかかったままのリッツの鼻の頭に人差し指を押しつけて、ぐりぐりと押しながら尋ねる。

そっぽを向きようがなくなったリッツは、渋々アンナの質問に答えた。

「しない。それだけを考えるには、判断材料が足りなすぎる。」

「じゃあどうするの?」

「依頼人自身に心当たりがないなら、今度は依頼人の近親者と関係者に心当たりがないか調べる」

 リッツの言葉に目を見張る。あの状況でヒュー以外が狙われているなんて、考えても見なかった。

言葉の出ないヒューを置いたまま、二人のやりとりは続いていく。

「具体的には?」

「こいつの話が本当なら近親者は関係ない。勘当されちまってるみてえだし。それにこの街でそんなに深い関係を築いていねえみてえだから、この街の知り合い関係は後回しにしてもいい。だとしたら、バーンスタインの線をまず当たった方がいいだろうな」

 鼻を押されたまま不機嫌全開の表情をしているくせに、リッツは淡々とそういった。ダンは頷きながらメモを取る。

「なるほどね」

「そこにも当たりがなかったら、こいつの同業者を洗う」

 不意に鋭い目つきで見つめられてたじろぐ。だがアンナたちは何事もなかったかのように、話を続ける。

「同業者?」

「そ。発明家にかかわらず、男ってのは誰だって一番になりたいだろ?」

「それなら一生懸命頑張ればいいよね?」

 指を鼻に押しつけている状況なのに、至極まっとうなアンナの言葉に、リッツは苦笑した。

「お前のそういう真っ直ぐなところも愛してやまねえけど、世間にはそうじゃないって連中も山ほどいるのさ。な、ダン?」

 話を振られたダンも苦笑する。

「確かに、一番になるためなら何でもするって奴はざらにいるよ、姐御」

「ふうん……。そんなことして勝っても嬉しくないと思うけど。男だって女だって堂々と正面から勝負すればいいのに」

「お前はたまに、俺より男前だな」

 リッツが笑うと、アンナは小さくため息をつきつつ、鼻を押していた手を引っ込めがてら指で弾いて呟いた。パチンとかなりの音がして、リッツが鼻を押さえた。

「いってーっ」

「ちゃんと考えられるんじゃん」

 独り言のように呟いたアンナは、ダンを見た。

「洗える?」

 何のことだか分からないヒューとは裏腹に、自信ありげにダンは頷いた。

「当然。じゃあ調べは俺にお任せって事で」

「よろしくね」

「了解。だけど、その前に飛ぶ研究ってどんなことなのか知りたいな。ヒューさんと同業者を当たるには、それなりに知識が必要だからね」

 ダンがいうことはもっともだ。

ヒューは頷くと、胸元から紙の束を取り出した。設計図を書くのに使っている紙の予備で、思い立ったことを常にメモするために持ち歩いている。

「ええっと、まず鳥を簡単に表した模型を作りますね。はさみを借りられますか?」

 尋ねると、アンナが大きな応接用の机から、慣れた手つきでハサミを取り出した。ヒューが見たことの無いような、洒落た羽を広げた蝶を形取った透かしのハサミだ。

どうやらこの大きな机は所長のリッツの物ではなく、アンナの物らしい。

 渡された華奢なハサミを使って、ヒューは紙に切り込みを入れていく。

切り込みを入れ終わったら、山におり、谷に折りして少しづつ紙を折り込んでいく。

「珍しいね。そんな風に紙を折るの」

 感心したようなアンナの言葉に、思わず少し得意げに答えてしまった。

「この折り方はタルニエンの子供がやってた折り紙という遊びなんです」

「折り紙……」

「よかったら教えるよ」

「本当? わぁ……嬉しいな」

 アンナが本当に嬉しそうにいうから、少し嬉しくなった。

 折り紙を知った時、ヒューはあまりの合理的な方法に、目の冷める思いがしたものだ。この方法は手軽だし、失敗したら丸めて捨てればゴミがそんなに増えない。

何しろいつも持ち歩いているような紙の中から、いらない物を選んで作れば金もかからない。

 今日はその中でも、今までの研究で最も長く飛んだ、隼の模型を作る事にした。

「今度子供たちに教えてあげようっと」

 アンナの言葉に手が止まる。このどう見ても二十歳そこそこのアンナには子供がいるようだ。

しかも今の言動からすると、子供は一人ではないらしい。

 動揺を悟られないよう再び手を動かした。ダン曰くかなり年上らしいし、アンナの年は本当に分からなくない。

 いったい、いくつの時の子だ?

 ちらりと目をあげてリッツを見る。リッツはダンと同じぐらいの年に見えるから、子供の一人や二人はいそうだ。もしかしてリッツの連れ子?

 そんなくだらないことを考えていたのに、手は慣れている物を無意識に作り上げていく。

 ほんの数分でヒューの手の中に隼の模型が現れた。中央が細くて少し重い胴体で、頭は尖らせてあり、後ろは長い尾になっている。尾は先の方で二股に分かれる。両翼は長く、前側が丸く後ろは真っ直ぐだ。

「これが鳥の模型です。皆さんもご存じの隼を元に考えました」

 三人の前に差し出すと、興味がなさそうだったリッツも物珍しそうにそれに注目した。ヒューは言葉を続ける。

「飛ぶ以外の色々な物を排除して、飛ぶためだけの姿に作りました。これは飛びますよ」

 ヒューは両翼を少しだけ上向きに丸めてから、胴体に当たる中央部分を手に持って前に放った。

隼の模型は、音もなく静かに空中を滑っていき、三人を飛び越えてプライベートスペースのドアに突き当たって落ちた。

「おおー」

 ダンが呻いた。アンナも目を丸くして模型が落ちた方を見ている。リッツもしかりだ。

「ええっと、少し左に曲がっちゃいましたよね。だからこう……」

 ヒューは立ち上がってハヤブサを手に取ると、曲がった方と反対のしっぽを上向きの調節してから、今度は自分が座っていた辺りをめがけて放る。

模型は真っ直ぐにヒューが元々座っていた場所に落ちた。

「真っ直ぐに飛びますよね?」

「すごい! 本当に飛ぶんだね!」

「ええ。でも自在にとは行かないんです。飛ばされた方向に行くだけの物ですから」

「でもすごいよ。こんなにゆっくりで綺麗に、真っ直ぐ飛ぶのを初めて見たもん」

「そうでしょう!」

 その褒め言葉は発明家冥利に尽きる。ヒューは自分の座っていた位置まで戻り、そこで三人に向かって力説した。 

「まずはこれの現物を作りたいんです。成功したら、今度は方向を変えられる物を考えるつもりです」

「方向を変えられたらどうするんだい?」

 興味深げなダンの目を見ながら、ヒューは断言した。

「行きたいところにいけるじゃないですか!」

 感心する二人を尻目に、リッツはまた揺り椅子に座った。

「リッツすごいよね! ね!」

「まあな。でもそれ、前提としてこいつが腕で飛ばすだけの力がないと飛ばねえってことだろ? 実物大に作ったら、誰がそれを飛ばせるんだ?」

「あー……」

「確かに……」

 思った以上に的確なリッツの言葉に、ダンとアンナは黙ってしまった。

「それは……高原を駆け抜けようかと思ってます」

「坂道を使ってか。なるほどな。平地向きじゃない」

「まぁ……そうですね」

「だがこれを使ってお前が飛べば、大陸で一番始めに飛行した公式記録になるってことか」

「はい」

 頷くと、リッツは何かを考えているようだったが、やがてアンナを見ながら口を開いた。

「アンナ、ダンに洗わせている間に、これの現物作っちまおう」

「え?」

「要はこいつが先に飛んじまえば、同業者に狙われることもなくなるって事だ。一番に飛んだ記録をとっておけば、もうこいつより先に飛ぶために妨害する必要ねえだろ」

「そうだね」

「それに今回の依頼があれ絡みなら、完成させる、あるいは完成しそうだと見せかける方が奴らをおびき出しやすい」

「了解」

 リッツの決断に、アンナとダンが声を揃えた。情けない姿ばかり見てしまったが、やはりこの人物はヴァイン事務所の所長だ。

話は決まったとばかりに、ダンが立ち上がった。

「ヒューさん、今聞いた総ての事を口に出しても大丈夫かい?」

「あ、はい。構わないです」

「あと隼の模型、一つくれないかな?」

「はい」

 返事をしてからせっせともう一体隼を折る。手渡すとダンがお礼を言った。それがどんな役に立つのか分からないが、もし役に立つのならばどんどん使って貰いたい。

人の命と研究を天秤に掛けるような状況はごめんだ。とてもじゃないけど心と体に悪い。

「それじゃあ俺は、聞き込みに行ってくるね」

「ちょい待て」

 部屋を出かけたダンはリッツの言葉に振り返った。

「何?」

「こいつを人目に付かないルートでホテルまで連れ帰ってくれ」

「いいよ。帰ろうかヒューさん」

 出会った時と同じように、絶対に人に警戒心を抱かせないような独特な安心感のある笑顔で、ダンがヒューを呼ぶ。

この事務所では誰よりも一番ダンが頼りがいがある気がする。

「おい、眼鏡」

 腰を浮かし掛けたところでリッツに呼ばれて、その呼び名が自分の物だと気がついた。

「何でしょう?」

「お前は全部の資材が揃って、食料が届くまでバーンスタイン卿から離れるなよ。バーンスタイン卿には常に護衛がいるから、それだけで問題ない」

「はぁ……」

 バーンスタインに護衛? 今まで気がつかなかった。彼はいつも自由に歩き回っているような気がするのだ。市場で出会った時も、別荘に遊びに来る時も。

 本当に大丈夫か聞き返そうとした時、何故だかリッツは突然揺り椅子から跳ね起きた。

驚いたヒューを物ともせずに、立てかけられていた少し大振りな剣を腰ベルトに取り付け、テラスのガラス扉を開け放した。

「じゃ、そういうことで」

「え?」

 戸惑っているとヒューには目もくれずにリッツはアンナを見つめた。

「奴がいなくなったら帰ってくる。いいかアンナ、眼鏡の資材が揃うまでお前も休暇とれよな!」

「依頼があるのに休暇もないでしょ?」

「いやだ。いいか、ここ数日は寝かさねえから覚悟してろよ!」

「もう! お客さんがいるのに!」

 真っ赤になって怒るアンナに、思い切りいやらしい笑みを浮かべたリッツは、テラスから外に飛び出した。

飛び降りたのか、すぐに視界から姿が消える。

 何という運動神経だろう。ここは二階だ。

 それとほぼ同時に、事務所の扉が乱暴に開け放たれた。

 驚いて動きを止めたヒューの目に飛び込んできたのは、美しく光を反射させる長い金の髪と、冷たく研ぎ澄まされた刃の輝きだった。

 強盗かと思ったのは一瞬で、次の瞬間にヒューはあまりに美しいその人物に目を奪われ、動くことすら出来なくなる。

 世界が突然まばゆく輝き、一瞬にして世界に、美しい女神が降臨する。

 鼓動が高まる前に、止まってしまうかと思うほどの衝撃を受けながら、ヒューは心に焼き付けられた美しい女神を凝視した。

 そこにいたのは、まだ十代であろう少女だった。

腰までありそうな長い金の髪、細く華奢な体を質素ながら美しく包む白い膝丈のワンピース。肌は白磁の様に白く艶やかだ。

そして手には容姿に似合わない、細身のレイピアが輝いていた。しかもレイピアは抜き身で、室内に突きつけられている。

だが本当に凄味があるのは、鋭く尖った刃物のような鋭い眼差しを放つ、アメジストの瞳だった。

「リッツ! 今日こそ弟子にして貰うぞ!」

 少女のバラ色の唇から予想外の言葉が飛び出した。

「弟子にしないというなら、この場で叩き斬る!」

 麗しい女神のバラ色の唇から零れた、あまりに物騒な物言いにヒューは固まったのだが、アンナは何事もなかったかのように穏やかに笑った。

「ごめんね、ルイーズ。あの人、もう逃げちゃった」

「何故捕まえていてくださらないんですか、姉様」

「だって捕まえられたら弟子入りなんでしょ? 私が入ったらフェアじゃないじゃない」

「確かにその通りですね」

「それに簡単にあの人を叩き斬れたら、弟子になる意味ないよ?」

「……姉様がいうことは、いつも正しい」

 ため息混じりにレイピアをしまった少女が、近くにいたダンに声を掛けた。

「邪魔して済まなかった。依頼人がいたのだな」

「構いません。麗しのルイーズの姿を近くで拝見できて、この上なく光栄でございます」

「茶化すな。そんなこと思っていないだろうに」

 丁寧なのにどことなくおもしろがっているダンの口調に、ルイーズは子供のようにむくれた。

するとその後ろから男の子が二人飛び込んできた。兄弟だろうよく似た二人が嬉しそうに飛びついたのは、アンナだった。

「母さん!」

「エディ、シャスいらっしゃい。学校の帰り?」

 そのやりとりにヒューは言葉を失った。アンナを母さんと呼んだ兄弟は、どうみても十歳前後だ。

やっぱりダンのいう通りかなり年が上なのか? いや、まだリッツの連れ子の可能性も捨てきれない。

「ルイーズ姉様と待ち合わせてきたんだ!」

「うん。だってルイーズ姉様と一緒だと、リッツさんに会わなくてすむもん」

 子供たちはどうやらリッツが苦手そうだった。つまりリッツの子ではないらしい。謎はますます深まる。

きょろきょろするヒューには目もくれず、ルイーズと呼ばれる少女が嘆く。

「そのために私を利用したのか、二人とも」

「ごめんなさい、ルイーズ姉様」

「仕方ない。いつものことだからな。ここまで来るとリッツは幻の存在に見えてくるぞ」

「やだなぁ。そんなこと無いってば」

 コロコロと笑うアンナに、ルイーズはため息をついた。

「だって姉様、捕まえたら弟子入りと約束してから、一度も顔を見てないんですよ?」

「う~ん。そうだねぇ……」 

「リッツは狡い」

 むくれたまま応接セットの椅子にルイーズは腰掛けた。ヒューの目の前に少女の顔がある。

その顔は驚く程に整っていて、とてもではないが綺麗という言葉だけでは表現できそうにない。その上、微かに物憂げに頬杖を突くその姿には気品も漂っている。

 目の前の女神をじっと凝視していると、ルイーズがアメジストの瞳をこちらに向けた。

「私の顔に何か付いているのか?」

 ぞんざいな少年の口調でルイーズに問われて、ヒューは慌てて首を振る。まさかあなたが美しすぎて見惚れていましたなんて、言えるわけがない。

「そうか。ではあまり人の顔を凝視しない方がいい。人によっては気分を害する」

「はぁ……」

「私は構わない。慣れているからな」

 美しい外見には似合わない言葉遣いでそういったルイーズは、ため息混じりに膝に置いた自分の両肘にあごを乗せた。

ふわふわと裾の広がったワンピースだというのに、座り方は男のように乱暴だ。思い切り足を広げて座っているのだが、スカートの中はふわふわとしていて中など見えない。

「あの……アンナの妹さんと息子さん?」

 おずおずと尋ねると、アンナが吹き出した。

「違いますよ。親友の子と、友達の妹ですよ」

「あ……そう」

 何だか少しホッとした。だが聞くことを聞いたら、少々居心地が悪い。麗しい女神の側にいたいなと一瞬思ったのだが、心の中で否定する。

依頼人であるヒューには、彼らのプライベートに口を突っ込む資格がない。

 彼女がどこの誰なのかすごく気になる。でもここで突然彼女のことを聞き始めたりしたら、この気品溢れる女神は絶対に気分を損ねてしまうような気がする。

ヒューは自分でも気が小さい方だとちゃんと理解しているから、嫌われてしまうのは嫌だった。

 もしかしたら、この事務所の依頼人である間に、もう一度ぐらい会えるかも知れない。それを期待して待っていよう。

狙われるのは嫌だけれど、こんなに美しい女神ルイーズとまた会えるかも知れないと思うと、少しだけ心が弾む。

 親しい者たちで醸し出され始めた雰囲気を感じてヒューは腰を上げた。

「あの、そろそろ……」

「ごめんなさい。ばたばたして」

 右手と左手をそれぞれの子供の頭に乗せて申し訳なさそうにするアンナに、笑顔で頭を下げる。

「こちらこそ、朝といい今といい、取り込んでいる時にすみませんでした」

「と、とりこんでないから!」

 朝のことを思い出したのか、アンナが赤くなりながら慌てて否定した。

 こんな仕草は、見た目の年相応に見えるのだが、本当は幾つなのだろう。でもそれはヒューが詮索していいことではないのかもしれない。

 ここにいる人々はヴァインの人々で、依頼人でなくなれば無関係になってしまうのだから。

 無関係になる前に、ルイーズと少し親しくなれたらいいな。

 そんな下心を抱きつつも、アンナに深々と頭を下げて、ダンと共に事務所を後にした。

扉を閉めて静かな廊下に出ると、大きなため息混じりの言葉が出てしまった。

「不思議な事務所だなぁ」

 当然それはダンにも聞こえていた。

「女もヴァインも、謎が多い方が楽しいだろ?」

 楽しそうに笑ったダンに背中をたたかれてよろける。あの人物たちの中に普通に混じっているダンも十分謎の人物なのだが、ダンはそれには気がついていないらしい。

「麗しのルイーズに惚れるなよ」

 冗談交じりにいわれて、ヒューは一瞬頭の中が停止状態になった。何でばれたのだろう。

「ど、ど、ど、どうしてそれを?」

 思いきりどもると、ダンがニヤニヤと笑いながらくるりとヒューに背を向けた。

「ダンさん?」

「美しすぎる女は、大変だからね」

「ほ、ほ、ほ、惚れませんよ!」

「嘘つきなさんな。どう見たって丸わかりだよ」

「違いますって!」

 慌てて否定して見るも、ルイーズを思い出せば思い出すほど、ルイーズの美しさと高貴な雰囲気に飲まれそうになって顔がどんどん火照ってくる。

駄目だ。これが一目惚れという奴だろうか。

「いいねぇ。頑張れよ、若人」

 からかい混じりの笑みを浮かべ、ダンは廊下をどんどん先に行ってしまう。

「遅れるなよ。若人。道に迷うからね」

「それなら止まってくださいよ、ダンさん!」

 ヒューは熱く火照る顔を冷ますために、今まだ冷たい春の空気の中に飛び出した。 

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