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 事件の片が付いてから三日後の朝。ヒューはフォーサイスと、その部下であるフランツと一緒にマイヤース事務所へとやってきた。

 事件の後、意識を失ってしまったのであれから何がどうなって事件が片付いたのかさっぱり分からない。

分かったのは、自分がどうやらハヤブサが落下した時に全身に打撲を負っていたということだ。そのせいで気が抜けた瞬間に痛みが全身を襲って気を失ってしまったようだった。

 意識を取り戻したのは翌朝で、場所はフォーサイスのなじみのホテルだった。

その時は全身がバラバラになるほどの痛みに悲鳴を上げたものだったが、症状は軽くて翌日には全く体を動かせないと言うこともなくなった。

 最初に傷の手当てをしてくれたのは、医者のアンナだったが、それ以後に介抱してくれたのは、メグとマルティナの二人だった。

二人ともヒューを子供か孫のように面倒を見てくれて、ヒューの方が気恥ずかしいほどだった。

 でも空から落下したというのにこれぐらいで済んだのはかなり幸運だったと言えるだろう。これもマルティナの鉄兜のお陰かもしれない。

かといって三日で全快したわけではない。事実、三日経った今も所々は包帯を巻かれたままだし、歩くのも辛い。

 でも何がどうなったのか知りたくて、見舞いにと顔を出したフォーサイスと、フランツにマイヤース事務所へ連れて行って貰うようにと無理を言って頼み込んだのである。

 一度はたどり着いたものの、迷わずに来るのは難しいと考えていたが、ヒューの心配をよそにフランツはあっさりと二人を連れて事務所にやってきた。

そしてドアノブを回して鍵がかかっていると、ポケットから合い鍵を取り出して扉を開け、二人を中に招き入れたのである。

 呆然とするヒューをよそに、フランツはフォーサイスとヒューにソファーを勧めて、つかつかとデスクの後ろにある大きな窓に歩み寄り、まだ閉じられたままのカーテンを一気に開けると、律儀に端で束ねて窓を開けた。

よどんでいた室内に爽やかな朝の風が吹き込んだ。

「閣下は紅茶でよろしいですか?」

 無表情にフランツがフォーサイスに尋ねる。

「うん。君の紅茶美味しいからね」

「では全員紅茶にしましょう」

 にこりともせずにそういうと、フランツは奥の間に消えた。プライベートスペースとは逆の、キッチンスペースである。

しばらくするとそちらから食器の音が聞こえてきた。どうやら本当に紅茶を客に出しているらしい。

 そういえば意識を失う直前、フランツは普通に苦笑しながらリッツたちと話していた気がするのだが、あれは幻だったのだろうか。

いやいやそれ以前にこの状況は妙だ。何故宰相参与がこの事務所の鍵を持っていて、しかも勝手にお茶を入れるのだろう。

「あの……」

 ヒューが小声で呼ぶと、フォーサイスは笑顔でヒューを見た。

「ああ。フランツが気に掛かる?」

「はい。ルシナ参与は一体?」

 こっそりと聞いたヒューの心遣いなどまるで無視して、フォーサイスは普通に答える。

「ああ。ここの事務所の関係者さ」

「……宰相参与ですよね?」

「そうだよ」

「なのに……何故……?」

 声を潜めたヒューに反して、楽しげに笑いながらフォーサイスは衝撃的な言葉を言い放った。

「だってヴァインの創始者は、フランツとリッツとアンナと、もう一人の四人だったんだから、当たり前だろう?」

「え……?」

「昔ここはね、ヴァイン本部だったんだよ」

 絶句するヒューにお構いなしに、フォーサイスがソファーに寄りかかって伸びをした。

「私もここにはたびたび世話になっているんだ。もう十年ほどの付き合いでね。あの頃はまだ、君は宰相秘書官室長だったね、フランツ」

 不意にそう呼びかけたフォーサイスにぎょっとすると、相変わらず無表情なフランツが、お盆にミルクと砂糖の壺をのせて立っていた。

「あの頃はお世話になりました。お陰でヴァインを軌道に乗せられました」

 静かにミルクと砂糖を置きながらフランツが抑揚の無い声で礼を言った。

何を考えているのかヒューにはさっぱり分からないが、フォーサイスは平然とルシナの肩を叩いた。

「なあにお互い様さ。バーンスタイン家のごたごたも片付けて貰ったし、金銭援助ぐらいしか出来ることは無いのだから」

「その金銭が一番のネックでしたから」

 あっさりとそういったフランツは、再びキッチンに戻った。呆然として口も開けないヒューに、フォーサイスが笑みを向ける。

「フランツ、照れちゃって」

「え……? 照れてる?」

 思わず聞き返した。フランツは全くの無表情だったじゃないか。

「そう。付き合いが長いと、あの無表情がとてつもなく感情豊かに見えてくるんだ」

 ヒューは思わずキッチンを見てしまった。表情豊かにはとても見えない。

疑問だらけのヒューはフォーサイスを改めて眺めた。そういえば一番の謎の人はこの人だ。

王国宰相にして貴族ででありながら、この庶民的で親しみやすく人懐こい人柄は、不可思議としか思えない。

「何かな、ヒュー?」

「あの……宰相閣下は……」

「ああ、僕のことはテレンスでいい。君とは同じ夢を追う同志だ。上司でも部下でもないだろ? お金は出すけど、口も出さない。けど実験が成功したら、乗せてくれ。一番のお客になるのが僕の夢だ」

「あ……はい」

「金のことは心配しないで。僕はね、金儲けには少々自信がある。何しろ名目上は貴族だけど、貧民層のどん底からここまで這い上がってきたからね。こう見えても金銭管理のプロフェッショナルだよ、僕は」

 どこまでが本当でどこまでが冗談なのだろう。宰相なのだから金銭管理のプロフェッショナルで当たり前だろうと思ったが、そこは言わぬが花というものだろう。

「でもお金を使うのがちょっと苦手なんだ。だから僕は僕を助けてくれたヴァインの出資者になった。そして君が僕と同じ夢を叶えようとしているのをみてお金を出した。するどうだい? 自分が美味い物を食べるよりも、いい服を着るよりもずっと楽しいんだ。こんなに幸福なことはないと思わないかい、ヒュー?」

「はぁ……」

 なんと答えたらいいか分からずに困惑するヒューの目の前に、暖かな湯気が立ち上る紅茶が置かれた。高級なカフェでしかかいだことのないような、豊かな香りが立ち上っている。

「どうぞ」

「あ、ありがとうございます!」

 宰相参与に紅茶を入れて頂いてしまった。フランツはフォーサイスの前にも紅茶を置くと、銀のトレイを持ったまま二人に背を向けた。

「起こしてきますので」

「うん。頼むよ」

 頷くとためらいなく、フランツはプライベートスペースに消えた。

その時ヒューはトレイに乗せられている、パスタ用の麺棒に気がついた。何をするのかと思ったのだが、少し開いたままの扉から漏れてくる音で用途を知った。

 かの無表情な宰相参与は、そのトレイを麺棒でがんがんと叩き始めたのだ。そのものすごい音に面食らっていると、リッツの怒鳴り声が聞こえた。

「うるさいっ!」

「何々? どうしたのフランツ!」

 続いて本当に驚いたアンナの声が聞こえた。

「客」

 淡々としたフランツの言葉に、リッツが再び怒鳴る。

「毎度毎度お前はどうしてこう、乱暴な起こし方をしやがるんだ!」

「決まってるだろう? 僕が来る時は決まって朝から乱れた生活をしているからだ」

「毎回じゃないだろ! 数回だ!」

「リッツってば!」

「いいから早く起きなよ。閣下とボルドウィン氏が待ってるんだから。アンナもその格好でいいの?」

「! よくない! 乙女としてどうかと思うよ!」

「……結婚十五年目で乙女も何も無いだろうに」

「十六年だもん! フランツの意地悪!」

「おいこら、人の嫁をいじめるなよ」

「いじめてるように見えるなら、リッツの目はいよいよ老眼だ」

「なにおう?」

 三人の掛け合いが、まるで仲のよい子供たちがじゃれているかのように廊下の向こうから響いてくる。

「……仲がいいんですね」

 ポツリとつぶやくと、フォーサイスが頷いた。

「まあね。もうあの三人は二十三年も一緒にいるんだ。仲もいいだろう」

「二十三年……?」

「そう。昔、一緒にこのエネノア大陸全土を旅していたんだよ。あの三人ともう一人、英雄王エドワードがね」

「! 英雄王が!?」

「そう。退位されてから二年ほど共に旅をされたそうだ。その時にヴァインの構想を語り合ったのだと聞いているよ」

「じゃあ、もう一人の創始者って……」

「そう。英雄王エドワードと言うことになる。あ、これ秘密だよ? ヴァインの創始者が英雄王とその片腕だなんて、この国の人は知らないんだから」

 あっさりとそういって、フォーサイスはお茶をすする。

「じゃあなんで閣下はご存じなんですか?」

「僕はまだ英雄王がご存命だった頃、家督騒動に巻き込まれてね。その時上司だったセロシア宰相に相談したら、彼らが助けてくれたのさ。その時にはとっくにフランツは僕の部下で、その騒動の少し前に今回の元宰相参与の事件があったんだ。その時フランツに手を貸したのが僕だったから、彼らは仲間の恩を返したつもりだったのかも知れないけど、僕は彼らに惹かれたんだ。でも僕に出来ることは金を出すことだけだった。まだ始まったばかりのヴァインは、いつも金に困っていてね。だから出資者になったんだ。当然口を出さない契約で」

「今もですか?」

「いや。今は大きくなって僕の金はいらないはずだ。だけど僕が寂しがるから彼らは僕を出資者でいさせてくれている。嬉しい話さ」

 本当に幸せそうにそういったフォーサイスが、紅茶をすすって、満足そうに頷いた。ヒューも紅茶に口を付ける。

「あ、美味しい……」

 ほんとうに美味しい紅茶だった。

「だろう? フランツは旅に出る前、精霊使いの師匠に師事していたらしいんだけど、そこで覚えた一番役立つ知識が、紅茶を入れることだったんだって。その師匠と僕は生活の破綻加減が似ているらしくてね。金銭管理しかできない僕を放っておけないらしい」

 フォーサイスはそう言うとにっこりと笑った。そういえばフランツはあの時、炎の精霊を使った。彼は官僚で軍人ではないのに炎の精霊使いなのだ。

「ありがたいねぇ。本当に」

「はぁ……」

 似ていると言う話でふと思い出す。そういえばヒューは誰かに似ているとリッツに言われていた。何という人だったろう……。

 考えようとした瞬間に、プライベートスペースの扉が思い切り開け放たれた。ぎょっとして振り返ると、そこにはシャツを止めながらと言うだらしない格好のリッツがいた。

 慌ててリッツの後を歩いているのは、髪を結うリボンを口にくわえたアンナだった。アンナの方は身なりだけはちゃんとしているが、髪の毛が寝癖の付いたままだ。

リッツの視線がじっとヒューに注がれた。

「……あ、おはようございます、リッツさん、アンナ」

「おう」

「あの……」

 口を開きかけたヒューに、リッツは一言告げた。

「行くぞ」

「は?」

「お前が知りたいのは、事件以後の事じゃなくて、ルイーズのことだろ?」

 言われた瞬間に、顔に血が上った。

実はそうなのだ。あの時毒に侵されて、そして王太子に抱えられて帰途についたルイーズが心配だったのである。

でも王族のルイーズのことを、ヒューは知る術がない。

「でも、どこに?」

「決まってんだろ。王宮だよ。フランツ、一緒に行くか?」

「ああ。グレイグに用がある」

 フランツはあっさりと王太子を呼び捨てた。この人物もなかなか謎だ。

「テレンス、お前は?」

 リッツに尋ねられたフォーサイスは、肩を軽くすくめた。

「僕は失礼するよ。さすがに王宮は気が重い」

「分かった。あの話はしといてくれたのか?」

「うん。ほぼ。全部じゃないけど」

「じゃ、後よろしく」

「はいはい。行ってらっしゃい」

 謎のやりとりのあと、フォーサイスはフランツから鍵を受け取っている。どうやら戸締まりして帰るのは王国宰相らしい。

話している間に、アンナは顔を洗って、髪を梳かし終えて結っている。女性とは思えないほど素早い身支度だ。

 何がなにやら分からないうちに、ヒューはほとんど引きずられるようにマイヤース事務所を後にした。 

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