3.ディシューの戦い(前編)
ラティシア出港から3日後、ガイウス率いるクアトロケルベロスの第一大隊400名は、無事にイスニア東部の港町ディシューへと上陸した。
「ほう、これがイスニアの港町か…」
ディシューはイスニアの海の玄関であり、北のベルーカ連合王国・ガリツィア大公国・ラルベート帝国との交易を行っていると航海の途上船員から聞いていたガイウスは、活気に満ちた街なのだろうと考えていたのだが、ディシューの街は物々しい雰囲気で溢れていた。
街の至るところに兵士の姿が見受けられ、港も街の方もぴりぴりとした緊張が伝わってきた。
「こりゃ港町って言うより最前線の城塞都市ですぜ」
「まったくだな」
後から下船してきた傭兵達の一人が、街の様子を見てガイウスに声をかけた。
これは、マルファスや他の幹部が揃うまでにディシューを含めイスニアの調査を行う必要がありそうだと、ガイウスは感じていた。
「至急宿の手配を。それと――」
「情報収集、ですね」
「ああ、頼む」
部下の一人に声をかけると、彼はガイウスの意図するところを理解して確認をとると、頷いて数名の他の傭兵と共に港湾地区から街へと走っていった。
「面倒なことにならなければいいが…」
一抹の不安を感じながら、ガイウスは港湾地区に留まっている傭兵達に待機命令を発した。
ガイウスが傭兵達に待機命令を発し情報の到着を待っていた頃、ディシューの街を治める貴族オーランド・グレトニーの屋敷に一人の兵士が駆け込んできた。
「何事だ騒々しい」
居間で北方の連合王国から入手した紅茶の香りを楽しんでいた屋敷の主、オーランドはあまりにも無粋な兵士の行動に顔をしかめた。「申し訳ありません!しかし、至急お耳に入れねばならないことが」
「…?何だそれは」
兵士の様子が普通でないことに気づいたオーランドは、紅茶のカップから手を放した。
「はっ、たった今港湾地区に傭兵が多数上陸してきまして」
「傭兵?結構なことではないか。今は兵力不足だからな」
兵士の報告を聞いたオーランドは、さもつまらなそうに口を開くと、再度紅茶のカップに手を伸ばした。
各地と交易を行っているディシューの街は、イスニア国内では特に潤沢な資金力を持っている。
交易で手にした資金を元に、更なる交易路を開拓し富を増やしてきた。
富を増やすことにのみ腐心し他をおざなりにしてきたディシューの街は、軍事を傭兵に頼ってきている。
新たに多数の傭兵が到着したのなら、それは喜ばしいことだとオーランドは結論づけた。
「しかし、あの四つ首のケルベロスが描かれた腕章は間違いなくクアトロケルベロスのものです」
「なに、クアトロケルベロスだと?」
兵士の更なる報告を聞いたオーランドは、完全に手を止めた。
各地と交易を行っているオーランドには、各国の物品だけでなく情報も入ってくる。
それによれば、クアトロケルベロスは一ヶ月前ガリツィア西部の街ラティシアの近郊にて、帝国軍と刃を交えこれを撃破したという。それ以来、帝国はクアトロケルベロスに敵意を持ち、動向を警戒している、と報告を受けていた。
「不味い、奴らだけは不味い…」
そんな連中が大挙して街に入ったことを帝国側が知れば、不用意に刺激することになる。
場合によっては、クアトロケルベロスを街に迎え入れたことで帝国から軍隊を差し向けられるかもしれない。
そうなったら終わりだ。戦いとなれば、ディシューの街は経済的に致命的な打撃を被るだろう。
イスニアの他の地域からの援軍など期待出来ないし信用出来ない。
「となればいっそ…」
「ど、どうなされました?」
クアトロケルベロスの名を聞いてからずっと黙って思案していたオーランドが突然笑みを浮かべたことに気味が悪いと内心感じながらも、兵士は一歩前に出て問いかけた。
「いやなに、君に頼み事をしたいんだ。今日中に集められるだけ兵を集めてほしい」
そう口にして、大量の金貨が入った袋を兵士に手渡した。
「必要なら言ってくれ。初期投資はむしろ思いきってやった方がいいだろうからね」
「は、はっ!了解しました」
金貨袋を手にした兵士は、命令遂行のためというより、早くオーランドの前から立ち去りたいとでも言うように足早に去っていった。「よし、これで後は明日を待つばかりだ…くく」
兵士が立ち去っていった後もしばらく陰鬱な笑いを漏らしながら、オーランドは紅茶の香りを楽しんでいた。
翌日、オーランドの屋敷前には900を超える兵が集まっていた。
集まった兵士は、装備も服装もばらばらだった。
元より、維持費のかかる常備軍を嫌うオーランドの意向で、正規軍は数えるほどしかいなかったのだ。
その数はおよそ100名。数こそ少ないが、この烏合の衆の中では最も統率の取れた主力部隊と言っても過言ではない。
「静かに!これより、オーランド様に今後の指示を仰いでくる」
そう言って、正規軍の中から一人の兵士が前に進むと、屋敷前に集まった兵達に大声で命令を発した。
兵達が静まるのを見届けると、その兵士は屋敷の中へと入っていく。
隊長とおぼしきその男は、一般的な人間よりも一回り背が高く、とがった耳を持っていた。
そして、やや色素の薄い肌――それらの身体的特徴は、彼がエルフであることを伝えている。
ディシュー守備隊長キリル、それが兵士の名前であり肩書きだった。
「オーランド様、兵900を集めて参りました」
「ご苦労」
キリルはオーランドの前まで来ると、直立不動で主の命令を待った。
「よし、それでは早速その兵を率いて港湾地区を包囲しろ」
「…今、何と?」
「聞こえなかったのか。兵を率い港を包囲しろ、すぐにだ」
しかし、オーランドから発せられた命令はキリルの理解を超えていた。
「それは、何故です」
およそ一千近い軍を率いて何をするつもりなのか。
その真意を推し測るためにキリルは主へと問いかけた。
「クアトロケルベロスを叩き、ガイウスを捕らえる。奴らを迎え入れれば、連中を敵視している帝国と最悪刃を交えねばならなくなる。そうなれば、ここまで築いてきた富が失われてしまうではないか」
「しかし、相手はクアトロケルベロスです。それに、そんなことをすればイスニア王家からも謀叛の疑いありとされてしまうかもしれません!」
必死に説得を試みようとしていたキリルだったが、笑みを浮かべながら口にしたオーランドの言葉に、語るべき言葉を失ってしまった。
「なーに、ガイウスの首とディシューの街を手土産にして帝国へと寝返ってしまえば、何の問題もあるまい?街は帝国軍によって守られることとなるのだからな」
呆然と立ち尽くすキリルを見て、オーランドは立ち上がり彼の肩を叩きながら笑いかけた。
「なに、私は富を守りたい。お前はこの街を守りたい。ならば勝てばよいだけではないか」
しかし、オーランドが浮かべた笑みは、キリルには不吉なものに思えて仕方がなかった。