1.プロローグ
今や日課となった庭の草花への水やりを行いながら、老人は空を見上げた。
日は高く、約束の時間までもう少しといったところだろう。
約束というのは、近くに住む子供達に昔語りをすることだ。
刃と刃がぶつかりあい、矢と魔法、そして怒号が飛び交う。
そのような戦場を幾度となく切り抜けてきた自分の話は、幼い男の子達には格好いいと思われているようだ。
毎回、きらきらと輝く目で自分の話を急かしてくる子供達の姿を思い出し、老人は笑みを浮かべた。
額に浮かんだ汗を拭きながら、水やりを終えベランダにある揺り椅子に腰を下ろした。
庭先では、向日葵が風を受けて僅かに揺れている。
先ほどの水やりで葉に乗っている滴が日の光を浴びてきらりと光る。
向日葵を観察しながら、ついうとうととしていた所で、元気のいい声が聞こえてきた。
どうやら、約束の時間より早く子供達が来たようだ。「おじいちゃーん、来たよー」
「ジャマール先生どこー?あ、またこんな所で寝てる」
「またお話聞かせて。今日は初めての子もいるからまた最初からがいい」
子供達はすぐさま老人の居場所を見つけ出し、話をするようせがんできた。
ジャマールと呼ばれた老人は子供達の賑やかな声で目を覚ますと、にっこりと笑った。
「ああ、いいとも。それじゃあ今日はまた最初から話そうか」
老人の言葉に、わーいと言って子供達は老人の座る揺り椅子の周りに集まった。子供達の無邪気な笑顔が、ふと背後に咲いているきらきらと輝く向日葵と重なるような感覚を覚えながら、老人はもう何度語り聞かせたか分からない物語を再度語り始めた。
「今日は、私とガイウス様が初めてこの国にやって来たところからだ。もう、60年近く昔の話だ……」
昔の記憶を手繰り寄せながら、物語を紡いでいく。
物語を紡ぎながら、ジャマールはかつての思いや情景をまざまざと思い出していた。
ガリツィア大公国西端の街ラティシアの酒場にて、各地を放浪しながら数多の戦場に参加してきた傭兵ギルド、クアトロケルベロスのリーダーであるガイウスは自分にもたらされるであろう情報が到着するのを今か今かと待っていた。
「マスター、エールをくれ」
ジョッキを掲げてマスターに合図を送る。
「あいよ。クアトロケルベロスのリーダーは戦にも酒にも強いって聞いてたが本当だったね」
ジョッキに新しいエールを注ぎながら感心したように話しかけてくるマスターに対し、ガイウスは「おうよ」と笑顔で答えた。
「これはサービスだ、食ってくれ」
「ありがとな。おっ、こりゃ旨い」
新たに注がれたエールをうまそうに飲みながら、サービスで渡された川魚のフライを口にした。街を南北に分けているキラル川からとれる水産物はラティシアの名物と聞いていたが、これは予想以上だ…と二匹目のフライを口にしながらガイウスはそのように考えていた。
「そりゃあこの街の目玉の1つだからね。他所からわざわざ川魚を食べに来る物好きもいるくらいだ」
「なるほど、この旨さなら納得だ」
ガイウスが二匹目を食べ終え、三匹目を食べようとしたところで、店の外からドタドタと何かが走って近づいてくる音がしばらく聞こえたあと、勢いよく店の扉が開かれた。
息をきらせながら立っていたのは、皮鎧に身を包んだ金髪の青年だった。
「おう、遅かったじゃないかジャマール。待ちかねたぞ!」
「はぁ、はぁ……す、すみません……遅くなりました」
酒場の入り口で必死に息を整えている青年こそ、ガイウスが待ち焦がれていた人物だった。
ジャマールは今年で31になるガイウスより10歳下であり、また筋骨隆々で長身のガイウスと比較するとまるで子供のような印象を受ける。
だが、その青年もまたクアトロケルベロスの一員だった。
クアトロケルベロス所属前は各国を旅したというジャマールの豊富な知識を買い、ガイウス自らスカウトしたのが1年前。
それ以来ジャマールはギルドが行動をおこす際の情報収集を行っていた。
そして、今回彼に課せられていた任務はガリツィアより遥か西にある小国、イスニア王国の調査であった。「それで、どうだった?」
ガイウスが自分の隣の席をぽんぽんと叩き、座るように促すと呼吸を整えてからジャマールは席についた。「はい、とりあえずイスニア東部を中心に情報を集めましたが、イスニア国王アルフレートは、国内の抜本的な改革のために軍備の強化を図ろうとしているようです」
「なるほどな、噂通りだ」
ジョッキを傾けエールを流し込みながら、ガイウスはジャマールの報告に耳を傾けていた。
イスニア王国は国王が絶対的な指導者として君臨する国ではなく、各地を有力な貴族が治め、それら貴族達をとりまとめる盟主として国王がいるのである。
かつてはイスニアやガリツィアが位置するロジアータ地方最大の国家として繁栄していた頃の名残で、支配した異なる国、異なる民族はそのリーダーが治めることで王国への不満を緩和させていた。
しかしそれは、貴族達の意見がまとまらなければ国としての大規模な行動・改革は実行出来ないという欠点にもなる。
そしてその欠点を突かれ、ここ200年でイスニアは一気に衰退した。
蛮族の大規模侵攻と、それに便乗して救援の名目で次々と領土を併呑していった南の大国、ラルベート帝国の侵入により最盛期の5分の1以下にまで領土を失っていた。
イスニア再興を目指しているとされる国王アルフレートにとっては、権力を国王に集中させることが最重要課題だった。
しかし、そのような改革を行えばこれまで各地を統治してきている貴族達からの反発は避けられない。
その改革断行のためにも、強力な軍事力という後ろ楯が欲しいのだろう。
そこまで考えたガイウスはおもむろに立ち上がった。「…よし、決まったぞジャマール。俺達の次の仕事先はイスニア王国だ」
「は、はいっ!」
これまで黙考していたガイウスから突然声をかけられたせいか、若干驚きながらではあったがジャマールははっきりと頷いた。
「俺はラティシアにいる400名を連れてイスニアに先行する。お前はマルファスに、ガリツィアに分散している残りの連中をかき集めてからイスニアへと来るように伝えてくれ」
「分かりました!」
立ち上がり、直立不動で受け答えをするとジャマールは来た時と同じように走って店を出ていった。
「今度はイスニアですか。よい旅を。くれぐれもラティシアを攻撃しないで下さいよ」
「ああ、俺もここの川魚が食えなくなるのは嫌だからな、善処しよう」
笑いながら声をかけてくるマスターにガイウスも笑顔で応えると、残っていたエールを飲み干しカウンターに代金を置いて店を出た。彼の心は、既に次の戦場に向いていた。
お読み頂きありがとうございます、作者の薩摩武士と申します。
皆さんに面白いと思って頂ける作品を書けるよう努力していきたいと思っております