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人間における『脳』と、バイオアンドロイドにおける『中枢システム』の比較と、法的な扱いの妥当な点を検討。
LO-28型バイオアンドロイドの実験結果より一部抜粋し、以下に示す。
一。記憶装置。
共に有している。容量は有限で、適時記憶の削除や劣化が見られる。
二。演算領域。
共に有している。同時にほかの処理が重なると、演算速度が下がる。また、演算に誤りが発生する事もある。
三。電気信号。
共に使用している。他の部位との情報伝達はすべて電気信号によって行われる。
四。命令系統。
共に有している。それぞれに、記憶や知識からなる個性、演算能力、初期人格設定等をもとに、非画一的な判断を下し、行動する。
五。感情表現。
共に可能。本実験における観察者千人は、人間とバイオアンドロイドの表現した感情の相違点を発見できなかった。
六。エネルギー補給。
共に必要。エネルギーの供給が絶たれた場合、動作を停止する。さらに長時間エネルギーの供給が行われなかった場合、再稼動の見込みは失われる。
七。永続性。
共に有していない。
以上の点より、人間とLO-28型以降、正式に認可されたバイオアンドロイドの法的扱いを同等のものとすることが妥当だと考えられる。
1
高校の学生服を着た少年――肝納団扇は、道ばたでハンカチを拾った。
すぐ前を歩く、同年代くらいの少年が落としたものだ。拾うか無視するか迷ったが、周りに誰もいなかったので拾うことにした。誰かに親切にするところを見られるのは好きじゃない。
「ねえキミ。ハンカチを落としたよ」
ハンカチを落とした少年は「自分かな?」と、様子を伺うようにして振り向いた。明るい青色のジーパンに、白いワイシャツというシンプルなファッション。髪型はパーマの掛かったショートヘア。自分のハンカチを持つ少年を見つけると、柔和な表情を作った。なんだか空みたいな少年だ。
「はい」
砂埃を軽く払って彼に手渡す。
受け取ると彼は何かを言ったようだが、声が小さかったのか、聞き取ることができなかった。
「ん」
と首を傾げて。もう一度言ってくれと促してみる。
彼は苦笑して頬を掻いた。そして今度は大きくゆっくりと。
あいあおう。
と、声に出さずに言った。いや、本当にそう言ったわけではないし、そもそも声に出ていないので言ったことにはならないかもしれないけれど。肝納団扇には、少年の口がそう動いた様に見えたのだ。
今自分はからかわれているのか。それとも馬鹿にされているのか。団扇は真剣に悩んでみたが、どちらも大して変わらないことに気付いて、もうひとつ選択肢を探す。
もしかしたらこの少年は、何らかの病気だったり怪我の影響で、声を出すことができないのかもしれない。
馬鹿にされているのと、本当に声が出せないの。きっとどちらかだろう。それ以外にはあまり思いつけない。ただ、彼のことをなにも知らないので判断には困る。
「声、出ないの?」
理由を気にしないという選択肢を持たなかったので、団扇は遠慮なくそう訊いた。
他のヒトから見れば「案の定」と思う反応だが、空みたいな少年は、またしても苦笑して頬を掻いた。その時に独り言を呟いた様でもあったが、団扇の耳には、やはりなにも聞こえない。
少し困り顔で、「うん」と頷いた。
「そっか。じゃ、また落とさないように気を付けてね」
ハンカチを落とした者と、拾った者の関係だし、あまり深く聞くのも失礼かもしれない。団扇は、あまり社交的でない自分の性格と、コミュニケーションを得意としていなさそうな少年を考慮して、ここで別れておくことにした。
本当ならお互いに同じ方へ歩いていたのだから、もう少し一緒に歩いてもいいのだけど、近くの十字路を曲がって、少年と別れた。
2
明るい青のジーパンに白いワイシャツとパーマの掛かったショートヘア。雲のように柔らかい印象と、服装の色合いもあって空のようなイメージの少年は、市街地を外れて、田圃と古い住宅の合間にある田舎の墓地のひとつに居た。
墓地と言っても、暗い雰囲気ではなく。少し高い台地にあって、緑色の稲と空色の空がどこまでも見渡せる。盆踊りの櫓が組まれるほどではないが、ゆったりと土地が使われていて、ちょっとした広場の様な場所だ。墓石は、広場の周りを囲むように建っているので、真ん中に小さな祠さえ建っていなければ、キャッチボールくらいは十分にできる。
少年が墓地に入ると、いつものように、五歳くらいの少女が、ひとつの墓石を体育座りで見上げている。
「こんにちは、かなめちゃん」
「あ、ニナ」
少女――かなめは、少年をニナと、あだ名で呼んだ。このところ二人は、よくこの場所で会う。約束をしているわけではないが、少年が来ると、大抵かなめはこの場所に居た。
「ニナどうしたの? 何か悲しいことあった?」
かなめは、少年の表情を見てそう言った。
「ああ、実は今日、伝えたい言葉をうまく伝えられなくてね」
「また?」
「うん。またなんだけどさ……届けたい言葉をうまく伝えられないというのは、もどかしいものなんだよ」
かなめは「ふうん」と分かった様に頷いてみたが、すぐに「もどかしいってどんな?」と尋ねた。小さい子と話をするのは意外と難しい。
「そうだね。かなめちゃんはさ、普段白いご飯を食べているでしょ」
「うん、うちはね、ご飯派なんだって」
「そうなんだ」
少年は、わざわざ派閥に分かれなくてもいいのにと思ったが、話がそれそうなので口にはしなかった。ちなみに彼は、ご飯派パン派の争いを見る度に、どっちも食べればいいじゃんと考えている。
「まあそれは置いておいて。世界の遠い国にはね、あの白いご飯食べたこともなければ、見たことも聞いたこともない。ってヒトもいるんだよ」
「へぇ」
「あまり驚かないんだね」
「世界にはいろんなヒトが居るからね。何でも否定しないことが大事なんだよ」
大人びた言葉に、逆に少年が驚いた。
「って、じいちゃんが言ってたの」
彼女の祖父は、かなめにいろいろの言葉をくれたようだ。少年は、ちらと墓石を見上げ、話に戻った。
「例えばね、かなめちゃんの所に、そのご飯を知らないヒトが来るんだ。そして、一日観察して、自分の国へ帰って『日本人の女の子はとても貧乏で可哀想だ、小石を食べて生活している』って仲間たちに言う」
「どうして?」
「そのヒトはご飯を見たことがなかったからね。ご飯粒が白い小石に見えたんだよ」
「でも、ご飯はご飯だよ。わたし可哀想じゃない」
「そうだね。でも彼らにはそれが分からない。キミはずっと、石ころを食べる可哀想な女の子だと思われてしまう。それって、なんだか嫌で気持ち悪いだろう」
「うん。なんかちゃんとしてなくて変な感じ」
「その変な感じがたぶん、もどかしい、ってことなんだよ」
うまく伝わっただろうか。
どちらにしても、自分の言いたいことを言いたい意味で百パーセント全て伝えることができない、というのもまたもどかしい。
「ふうん」
とりあえずは納得したらしい。
少しの沈黙が流れる。
墓地の裏にある森の木が、風でざわつく。さざ波の様に聞こえるこの音は、風の音と言うべきなのか、木の音と言うべきなのかは曖昧だが、そんな音に包まれていると、沈黙も尊い時間に思えてくる。きっと、誰かと話している時には、この音には気が付けない。
3
少年とかなめの様子を覗く者があった。
肝納団扇は、極端な性格をしている。何か行動したり考えるときには、必ず二つの選択肢を用意してどちらかを選ぶ。逆に言えば、三つ目以降の選択肢は自動的に破棄される。
一応彼の理論を語れば、自分が正しいと思う行動は、直感が教えてくれる。だからより早く感じたり、見いだした選択肢が正しいはずだということで、最低限、自分で判断することを忘れないように、二番目までを選択肢として採用して熟考するようにしている。
彼は自宅に帰る途中、近くの墓地から、少女の話し声を聞いた。高くて、よく響く声で、離れた所からでもよく聞こえてきた。しかし、話し相手の声は、聞こえてこなかった。少女ほど声を張っていないのだろう。そう思ったが、少しだけ気になった。
このまままっすぐ自宅へ向かうか、それとも少しの坂を上った台地にある墓地を覗いて見ようか。
「足を止めて考えてる時点で、好奇心の方が勝ってるか」
そうして坂を上った団扇は、現在、墓石の陰から二人の会話の様子を伺っていた。
「どう見ても、あいつ、喋ってるよな」
見覚えのある、空みたいな少年は、声までは聞こえて来ないが、どう見ても少女と会話をしている様子だった。
「なんだよ。やっぱり喋れるんじゃんか」
恩着せがましく「親切にしてやったのに」とまでは思わないが、やっぱり自分は馬鹿にされていたのかと思うと、ひとこと言ってやりたくなった。
4
「かなめちゃんは、今日は何してたの」
この場所で話していると、かなめは時々泣きそうな表情を作る。
いつも、誰かの帰りを待つようにここで体育座りしているのは、すごく単純な理由からだった。
「これ」
少女の小さい手には、塗装の所々剥げた腕時計が握られていた。
「じいちゃんはね、すごくがんばったから、今は静かな石のお家で、少しだけ長く眠ってるの」
何度か聞いた話だ。
かなめの祖父は最近亡くなった。
かなめは、この場所に毎日話しかけに来るとじいちゃんが喜ぶと、祖母が口にしたのを聞いて、本当に毎日、暇さえあればここに来るらしい。
「今度起きた時に、きっと時間が分からなくなっちゃうから、じいちゃんの時計を探してたの」
まだ、時計の読み方も分からないのに。
聞くまでもなく、かなめが祖父のことを好きなのはよく分かる。彼女の中にあるのは、砂粒程小さな損得勘定もない、きれいな感情だ。
きれいで、流星みたいに一瞬で消えたりしない。シリウスのような想い。
だけどかなめは頭の良い少女だ。
「じいちゃんに会いたいなぁ」
涙が滲む。
少女は恐らく、もう会えないことにちゃんと気付いている。
5
文句を付けてやろうと、近づいて初めて気が付いた。
少女は、ひとりで喋っている。
確かにもうひとり少年は居るが、いくら近づこうと、彼の声は聞こえなかった。ただ、口だけは、腹話術の人形の様に、饒舌に動いている。
少しだけ奇妙だ。
この二人とは関わらない方がいい。直感でそう思った。
気付かれない内に、そっとここから立ち去ってしまおう。
団扇は、二人に背を向けて、墓地の出口へと向かった。
6
「そういえば、ニナが今日、伝えられなくてもどかしかったことって何だったの」
思えば、そんな話をしていたのだった。少し、気恥ずかしいけれど、この少女には、できるだけ誠実に対応したいと思っているので、素直に打ち明ける。
「大したことじゃないんだよ。ハンカチを拾ってもらったんだけど。ちゃんとお礼を言えなかったんだ」
何となく視線を動かした。かなめに比べて、こんなことで片を落としている自分がひどくつまらない奴だと思えてしまった。
「あー。それはもどかしいかも」
覚えたての言葉を早速使う少女。少しだけ背伸びしてるみたいで微笑ましい。
「ははは」
と、乾いた笑いで恥ずかしさを誤魔化していると、泳いだ視線の先に、少年を見つけた。墓地のちょうど出口のあたりにいる。
「あ」
「どうしたの?」
「いや、今話してた、お礼を言えなかったヒトが、あそこに……おーい」
「あの黒い服のヒト? 聞こえないのかな」
「うん。まあ、仕方ないよ」
「じゃ、呼んできたげる」
かなめは、きれいに結われたポニーテールを軽く揺らして立ち上がり、「いや、いいっていいって」という少年の制止をあしらって駆けていった。
7
おえんえ。
空みたいな少年の口は、そんな感じに動いた。
少女は言う。
「お兄さん。本当にニナの声聞こえないの?」
「聞こえないって……何も言ってないよね?」
「言ってるじゃん?」
「聞こえないじゃん?」
このかなめと言う名の少女は、少年の声が聞こえると言い張るが、自分には、いくら近づいても、やはり何も聞こえないままだった。
『かなめちゃんしょうがないよ。僕の声は大人には聞こえないんだ』
「どうして?」
『まあ。そう言う風に作られたから……僕はロボットなんだよ』
「ふうん」
『あまり驚かないんだね』
「世界にはいろんなヒトが居るからね。何でも否定しないことが大事なんだよ」
『そうだったね』
「もしかしてニナも、じいちゃんが作ったの?」
『そうだよ。まあ僕はLO-28型が完成する前の最後の失敗作、LO-27型だけどね』
「どこが失敗なの? ニナぜんぜん変じゃないよ」
少女は、本当に少年と会話をしているように話をした。
もしかして自分の耳の方がおかしいのか、それともグルで自分のことを騙そうとしているのか……。
8
「ありがとうって言ってるよ」
かなめは、僕のことについてうまく説明してくれた。
簡単に言うと、LO-27型。つまり僕の欠点は、制作者の遊び心で、声の周波数をモスキート音と呼ばれる帯域に設定されたことだった。この高い音は、年をとると共に聞こえにくくなっていくので、子どもにしかちゃんと声を届けられない。
たったそれだけで、僕は人間として扱われないことになった。
9
ロボットと言われてしまえば、もう納得するしかなかった。
なるほど、世の中にはそんなロボットもいるのだな。
それならば、同情こそしても、怒りをぶつけようと思うまい。
日が暮れるので少女は走って帰って行った。この空みたいな少年も、もう帰るだろうし、自分も帰ろう。
「それじゃ」
最後に一言かけたとき、少年は少女の駆けてゆく背中を見ながら何かを呟いているらしかったが、肝納団扇には聞き取ることはできなかった。
10
『キミが寂しくないように、毎日だって話し相手になりに来るよ。ごめんね、キミみたいな子につらい思いをさせてしまって。本当に、ごめんね。……でも、どうしても、僕を人間にしてくれなかった博士を許すことはできなかったんだ』