結城昌文④
涼子にフラれた。
俺は一人、焼鳥屋にとり残される。
涼子が欲しかった。
でもこれで良かったのかもしれない、彼女を巻き込まずに済む。
そう自分に言い聞かせる。
俺の頭はぐちゃぐちゃだった。
「来週末、親善試合あるって。俺は法事があって行かれへんけど」
辻は地元スーパーの跡取り息子で、青年会や商工会に顔を出して幾つかのサークルを掛け持ちしていた。
俺も草野球チームのメンバーだ。
肩は、無茶をしなければ楽しめるくらいには回復している。
家に居るのが苦痛になっていた俺は、二つ返事でOKした。
「お前は野球バカやからな。野球を続けないとダメや」
どうも辻は野球をする俺に思い入れがあるようだ。
野球をやっている俺が好きだと、真顔で言われて笑ってしまった。
ホモとか、そっち系の話ではないから。
ヤツが今、狙っているのは夕子ちゃんだ。
才能もセンスも自分の方があったけど、アホみたいに練習してる俺に、野球に対する気持ちで敵わなかったと、俺がユニホームを脱いだ時に言われた。
養成ギブス張りの特訓をするヤツは漫画の中だけやと思っていたらしい。
確かに俺は、アホみたいに練習した。
野球が上手くなりたかった。
誰よりも速く重い球を投げたかった。
親父に頼んで、裏庭にキャッチャーネットを作ってもらい毎朝晩投げ込んだ。
肩と腕の筋肉をつけたくて、鉛を巻いてトレーニングをした。
それらがオーバーユースになり、逆効果になったかもしれないが、俺はその時、出来る限りの事はやりきった。
涼子のこともそうだと、辻は言う。
俺が血走った目で涼子を見続けるのが恐ろしかったと、辻は言う。
全身全霊で好きだオーラを放っていたらしい。
確かに好きだったが。
恥ずかし過ぎるだろ、俺。
言わなくても全身で語る俺が、晴海にどんなオーラを放っているかは想像出来る。きちんと話し合えと、辻に諭されていた。
池谷さんはあれから一切の接触をしてこない。
俺の気持ちを優先してくれているのか。
真剣な気持ちで晴海と付き合っていたことも、感じ取れた。
責任をとると言っているのだ。
立派だ。
立派だよ。
俺が降りれば済むのか?
マウンドを降りたように。
あいつらは、幸せになるのか?
どうしても黒く泥ついた気持ちを拭いきれずにいた。
週末はワゴン車二台で、ふるさと祭りに出掛けた。
スポーツイベントでの親善試合。
俺はライト強襲のヒットをランニングホームランにして、ホームベースを踏みながらガッツポーズをした。
派手なパフォーマンスに、チームも観客席も盛り上がる。
青空の下、汗をかいて、ウジついた腐った気持ちを捨てていく。
清々しかった。
そんな中、屋台が並ぶブースで、魚を焼いている涼子に偶然出会った。
運命だと思った。
アドレナリンがわいている俺の脳みそは沸騰して、涼子を求める。
清廉潔白な彼女は俺を拒絶する。
それがまた、良かった。
彼女は裏切らない。
俺はストーカーのように彼女を追っていた。
会社まで押し掛けた俺は、さぞかし気持ち悪い男だろう。
手酷くフラれ、流石に堪えた。
辻の家に転がり込んでくだを巻く。
「先に、離婚しろ」
辻がキッパリと言い切った。
その決意が出来ないのが苦しいのに。
「大河のことは、池谷さんが可愛がってくれる。あの人は現役の選手や、心配せんでもキャッチボールもしてくれるやろ」
俺は、10トン級の重石を投げられたような気がした。
そうか、俺以外にも野球を教えてくれ人がいるんだ。
「晴海ちゃんの為にも、別れた方がいい。お前は真っ直ぐな男やから、妥協したつもりでも、出来てないから」
辻の声が遠くに聞こえていた。
大河は俺じゃなくても大丈夫。
晴海も大丈夫。
涼子も、俺じゃない方がいいのだろうか。
ムカムカして、飲んだもの全部吐いてしまいそうだった。
俺にはもう何も残されていない気がした。
家に帰りたくない俺は毎晩酒を飲み、辻からの電話にも酔っぱらって支離滅裂な事を叫び、仕事も休んだ。
確実に俺はおかしかった。
その日は昼間から酔っ払い、いつの間にか涼子の会社まで来ていた。
彼女の車を見つけると安心して、眠ってしまった。
気がつけば、彼女が目の前にいる。
もう、後はどうでも良かった。
彼女がいれば、晴海も大河のことも忘れられる気がした。
俺は、涼子を利用しようとしていた。
どうしてもこの手は離せない。
指先にくちづけをしながら、俺は泣いていた。
目眩に襲われても、この手だけは離すわけにはいかない。
池谷さんと晴海と三人で話し合いをした。
多くは語らずに「別れよう」と、それだけの話だった。
俺を好きだとはにかんでいた晴海はもういない。
俺に頭を下げ続ける池谷さんの横で、ずっと固い表情のままだった。
店を出る時「ごめんなさい」と、小さな声で晴海が呟いた。
俺と晴海の絡まった糸が、切れた瞬間かもしれない。
「パパとママは別れるから、パパは大河と離れて暮らす事になる。しばらく会えないが、大河が大きくなったらまた会おう」
俺は何度も練習したセリフを一気に喋った。
泣きだすと思っていた大河は素直に頷いて「大きくっていつ?あした?」って、聞いてくる。
「大河が大人だと思った時だ」
大河が不思議そうな顔をする。
晴海からどんな話を聞いたのか、わかってないのだろう、泣きも喚きもしなかった。
俺の方が泣けてきた。
大河が幼稚園に行っている間に俺は家を出た。
朝、大河の頭を撫でたのが最後になった。
俺からの無言の圧力に疲弊していた晴海は、部屋から出てこなかった。
荷物は最小限に纏め、殆んどのものは処分した。
現役時代使っていた古いグローブを、大河の部屋に置いて行く。
大河に持っていて欲しい。
最後まで父親が出来なかった俺のエゴだ。
涼子からは一緒に暮らす事を、断られた。
彼女らしかったから、別に喧嘩にもならなかった。
涼子と俺の会社の、中間辺りのマンションを借りて、たまっている仕事を片付け夢中で働いた。
新しい日常が始まっていく。
俺の会社で建てた4LDK の家のローンは、池谷さんに引き継いでもらい、晴海名義に変更した。
頭金は無理して俺が支払ったんだ。
後は池谷さんに頑張ってもらえばいい。
売ったとしても、住んだとしても。
俺のマンションに涼子が泊まりに来る。
邪魔な辻と夕子ちゃんが一緒だが、早々にお引き取り願おう。
愛してる。
そう言える人が隣にいる幸せを今は感じていよう。
そしていつか、大河に会える俺でいたい。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。大河くんに幸あれ。