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目眩とくちづけ  作者: 猫娘
男の気持ち
7/9

結城昌文②

「頼むから別れて欲しい」


 目の前で頭を下げ土下座しているのは、美寿々銀行の野球チームで先輩だった池谷さんだ。

 飲みに行こうと連絡が入り、先輩たちが集団で現れるかと思ったら池谷さん一人だった。

 チームを辞めて2年、初めて差しで飲んでいる。

 怪我をしたこと以外、土下座される謂れは無いが、あれは事故だ。

 それに、事故の話ではなさそうだ。

 

 別れる?


「晴海と別れて欲しい」


 俺の頭は一気に冷えた。

 浮気か?浮気相手か?

 今度は急激に血がのぼってきた。

 目の前がチカチカする。


「いみわからん」


 ビールをぶちまけてやりたかった。


「ホンマすまん。でも聞いてくれ、大河くんは俺の子供や」


 土下座して頭を下げたまま、池谷さんが押し殺した声で叫ぶ。


「ホンマすまん」


 俺の頭では理解出来なかった。

 池谷さんの言うことがわからない。

 畳にこすりつけた顔が上がっていく。

 俺の顔を真っ直ぐに見つめる真剣な目は、大河と同じ細い一重瞼。


 頭が沸いて、脳みそが破裂しそうだった。

 何言うてるんやコイツ。

 俺は我慢出来ずに、池谷さんの顔を蹴りあげていた。

 グゴと鈍い音がして、池谷さんは転がる。

 壁に激しくぶつかりその振動で、グラスが倒れ料理が飛び散る。

 ガシャン、ドン、ガーン!

 騒がしい音が響いて、店員が個室の障子を開けた。 


「お客様、何かございましたか?」 


「……あかん。酔ってしもたわ」


 池谷さんがよろよろと起き上がる。 


「うるさくしてすまんね。大丈夫やから」


 いえ、と店員が引き下がり障子が閉まると、正座し直した池谷さんが再び頭を下げる。


「晴海ちゃんが妊娠したの聞いて、俺の子じゃないかと思った。でも彼女、絶対に結城の子供だからゆうて、結婚してしもて……」


「……」


「幸せの邪魔したらいかんから諦めたんや。本当やぞ。ほやけど、大河くんの顔見たら、俺の子やんか。ほうやんか」


「……」


「最初は勘違いやと思て、赤ちゃんやし」


「……」


「ほやけど、どんどん似てきて」


「……うるさい」


「な?俺やろ?」


「……だまれ!」


 俺は唸りながら頭を抱えていた。


「な。DNA鑑定したらええ。そしたらわかる」


「そんなもんするか、ボケ!」


 大河は俺の子や!

 池谷さんみたいに、叫ぶことが出来なかった。

 

 冗談で「俺に似てないなぁ」と、晴海に言ったことがあった。

 晴海は「死んだお爺ちゃんが公家顔だったからかな」って、笑っていた。

 冗談のつもりだったから「へー大河は爺ちゃん似か」で、終わった話だった。


 嘘だろ。

 嘘だ。嘘だ。嘘だ。


 俺はどうやって池谷さんと別れ、どうやって家に帰ったか覚えていない。

 次の日から、晴海と大河の顔をまともに見ることは出来なくなった。



 

 相談出来る相手は辻しかいなかった。

 話を聞き終えた辻は、池谷さんを誉めた。


「お前らのこと全く噂になってないやろ。二股かけてたとかバレてたら、大河の事も噂になる可能性あったやろ。池谷さんは口が固いんや。お前ら夫婦の事を考えて、フラれた時もベラベラ喋ったりせんかったんや。腹いせにロクでもないことフカすヤツは山ほどおるわ」


 確かにそれはそうだ。

 だが、俺は認めない。


「まぁ。早くわかって良かったんやないの?」


 お前、別れる事を前提に話してないか?


「晴海ちゃんは可愛いけど、寄りかかるタイプやろ。これから先の事考えたら、きちんと話し合って大河の為にも、正した方がええやろ」


 何を正すと言うのだ。

 俺は缶ビールを一気に煽る。


「ユーキ、痛風かアル中になるで。ひとりもんの病気もちは辛いでー」


 辻の頭を思いっきりはたいた。

 俺に大河と別れる事が出来るか!

 風呂にも入れた。

 オムツもかえた。

 ボールを転がすと、キャッキャと喜んでいた。

 もう四才になる。

 大きなグローブを抱えて、野球の真似事もできるようになった。

 大河……。



 

 俺が全てを知っている事を知らない晴海は、いつものように弁当を作ってくれる。

 俺はもう彼女の弁当を、喜んで食べる気にはなれないが、問い詰めることも出来ない。

 大河の寝顔が俺の怒りを鈍らせる。

 池谷さんの話をすれば、全てを失うと思っていた。


 

 そんな歪んだ日が続く中、辻から能天気な連絡が入った。


「ユーキ。クラス会行くで。鶯谷小六年一組のクラス会。お前のマドンナ涼子ちゃんがいるクラス会」


「……涼子は来んやろ」


「それが戸倉情報で、涼子ちゃんから出席のハガキ届いてるて~。彼女隣市で働きよるんやって。さぁ、オモロなってきたでー」


 情報通の辻がケタケタと笑う。

 涼子の姿を思い描くと、甘く懐かしい気持ちが蘇ってくる。

 ぐちゃぐちゃな心に爽やかな風が吹いた。

 俺はクラス会のハガキを探した。

 テーブルに放置されている物の片隅に紛れていた。

 折れたハガキをきれいに伸ばし、出席の欄に印をつける。

 涼子は俺の清涼剤。

 高嶺の花だった。



「パパぁ~」


 義父の誕生日で、晴海と実家に出掛けていた大河が帰って来た。


「大河~」


 俺は走ってくる大河を受け止め、抱きかかえる。

 晴海からは意識を遠ざける。


「美味しいもの沢山食べたか?」


「うん。ケーキとー、エビフライとー。えーとえーと」


 大河は可愛い。

 それは本当だ。

 その事実が俺を苦しくさせている。






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