ふたり
クラス会以後、夕子とはメル友になっていた。
一日二往復が関の山だが、マメに続いていた。
『最近、辻くんがご馳走してくれるんだよね。昨日も焼肉食べちゃったー。ウマウマ。りょうちゃんも無理しないでお仕事ガンバね』
『ありがと。私も肉食べたいよ』
夕子から届くメールには、辻くんの名前がよく出てくる。
付き合うようになったのかな?
意外と似合いの二人かも。
お互いに独身だ。
障害はない二人。
いいな。
……。
何が、いいんだ。
考えるな。
無になるんだ。無に。
涼子は仕事に没頭する。
水野さんに手伝ってもらっているお礼に、中部の備品配達を代行する。
お店の人たちのスケジュール確認をして、サインを貰う。
ちょっとした不満を聞く。
ちょっとしたが長引き、店舗の装飾変えを手伝い、5店舗をまわって会社に戻った時はもう真っ暗になっていた。
明かりがついた窓はない。
駐車場に車を停めて、預かった書類と余った備品の入った段ボールを取り出そうとしていた。
奥に停めてあるシルバーのボックスカーのドアが開いて、誰かが降りてきた。
「涼子……」
降りてくる影を見て、まさかと思った。
どうしてだ。
その情熱を、なぜ今向けてくる。
お互いに子供で不器用で、すれ違っていたよね。
でもそれでいいと思っていたはず。
それでよかったのに。
震える気持ちが溢れる前に、戻らないと。
思いを修正しないと。
「わかったよ。結城くんは、私と寝たいわけね?」
結城くんの影が止まる。
「だよね~。そこまでしつこくされたらさ。私も一度くらい良いかなと思うけど。それでいい?」
結城くんの影がぶれた気がする。
「じゃあ、いこうか?ホテル。私も忙しいし、あなたは妻子持ち。早くしないとね」
黙ったまま、暗い駐車場で向かい合う。
涼子は暫くそのままでいた。
結城くんの影はそこから一歩も動かなかった。
涼子は車に乗り込みエンジンをかける。
アクセルをふかし、ハンドルをきる。
結城くんの影はどんどん遠くなる。
心臓は破裂しそうだった。
もうこれで、本当のおしまい。
涼子はそう思っていた。
暗い夜道をひた走る。
対向車のライトが眩しくて、涼子は声を震わせて泣いた。
青春の思い出の蛇足は、かなり苦かった。
辻くんからメールが入ったのは、それから一週間後のことだった。
『涼子ちゃん忙しいみたいやから、時間あるとき何時でも、下の番号に連絡下さい 辻芳夫』
下には携帯番号がかかれていた。
夕子にアドレスを聞いたんだろうな。
何となく話の内容が想像出来て、涼子は億劫だった。
もうエンドマークはついている。
でも夕子に関する相談事の可能性もあった。
辻くんに連絡を入れたのは昼休みのこと。
「涼子ちゃん?電話ありがとね。あのな、頼むからユーキに連絡してくれんかな?あいつ本当におかしくてボロボロなんよ。野球できんなった時よりおかしいから。涼子ちゃん絡んどるんやろ?もしもーし。聞いとる?」
「……聞いてるよ。でも、元同級生の私では役にたてないから」
「涼子ちゃん、それ本気で言ってんの?だったら、あんた鬼だわ。鬼。あいつがどれだけ本気で好きやったか」
「結城くんは、既婚者だよね。私が鬼で彼は助かりましたよ」
「涼子ちゃんは知らんけんな」
受話器超しに、辻くんのため息とひそめた声が聞こえる。
「あのな、あいつの嫁さんと息子は……」
「そういう内情とかは、いいの。知らない方がいいから。私は心を鬼にしてるの。結城くんとは関われません。取り返しのつかない事になるから」
「涼子ちゃんもやっぱり……」
辻くんの声を無視して、涼子は電話をきった。
結城くんには心配してくれる友達がいる。
家族もいる。
だから大丈夫。
いつの間にか野球部復活したように、いつの間にか日常生活に戻っているよ。
笑い話になってるよ。
……。
大丈夫じゃないのは自分だけの気がした。
その日の夕方、涼子の車に寄りかかって眠る怪しい男がいた。
外回りから帰った水野さんが見つけ、涼子を連れた社長が警護しながら車に近づく。
結城昌文。
ただ、いつもの彼ではなく、べろんべろんに酔っぱらった姿。
「警察を呼ぶか?」
「……知り合いだから」
「あ。もしかしてふるさと祭りの時の彼?」
「そう」と、涼子が頷く。
「別人やわー」
水野さんは驚きながらも知り合いの確証が取れたので、社長も引き下がる。
「今日はもう帰り」
明らかに訳ありなのを察してくれた社長の言葉に甘える事にしたが、べろんべろんのこの男をどうするべきか、涼子は途方にくれていた。
辻くんに連絡かな。
取り合えず、車に乗せなきゃ。
鍛えあげた体が無駄に重い。
「結城くん。ちょっと車乗って。座り込んでちゃダメでしょ」
ペチペチ叩きながら、何とか後部座席に押し込む。
髪もぐちゃぐちゃ、シャツもボタンが擦れている。
今日は平日だけど、仕事休んだのかな。
どうやって此処まで来たのよ。
だらしなく寝転ぶ男を、涼子は複雑な気持ちで見下ろしていた。
「も……う。ど、なって……いけど、きらわんといてほしい」
途切れた嗚咽まじりの言葉が聞こえる。
「す……きで、……んのは、どうすればいいんか」
小さくしゃくりあげながら呟いていたのが、顔をくしゃくしゃに歪めながら号泣し始め言葉にならない言葉を吐きだす。
「オレ……き……ほんものや、だれも……し、ぬほど、す……なんや」
聞き取れない言葉が涼子の耳を伝って心で繋がり、醜態をさらす酔っぱらいのなりふり構わない姿が、魂を揺さぶる。
本当に、醜い。
涎と涙と鼻水にまみれただらしない姿。
カッコいいスポーツマンの面影は微塵も無い。
その不様な姿が、閉めた心を激しくこじ開けようとしていた。
ダメだ。
振り向くな。
前を向いて、辻くんに引き取りに来て貰うよう連絡をするんだ。
そう思いながら、彼のくしゃくしゃな髪に触れようと、涼子は手を伸ばしかけている。
ダメな姿をどうして愛おしいと思えるのか。
ボロボロの姿にどうして胸をうたれるのか。
自分に渦巻く激情がもう押さえられないところにまで来ているのを感じていた。
地獄に落ちる覚悟はあるのかね、この人は?
涼子自身にもそこまでの覚悟は自信がなかった。
でももう、引き返せない。
涼子が伸ばした手には、彼の指がきつく絡めとられている。
絡めた手の指先にくちづけをする。
その甘さが空恐ろしく、目眩がした。
それが二人の答えだった。
目眩とくちづけ。
ここまで読んで頂いてありがとうございます。次からは結城昌文side の話を数話投稿予定です。続けて読んでいただければ嬉しいです。