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目眩とくちづけ  作者: 猫娘
女の気持ち
4/9

鯖を焼く女

 水野さんは五才年上ながら、滲み出る溌剌さは涼子よりも若かった。

 彼女は大学に七年間在籍していたので、会社では二年先輩になる。

 七年もいたのは、旅に出たまま戻ってこれなかったからだと、豪快に笑う。

 涼子よりはるかに小柄な体から、すごいエネルギーを感じる人だ。

 

 その世界放浪のお陰で、この会社に就職出来たと、水野さんは言う。

 他の企業で敬遠された留年時代の放浪話を社長が面白がり、一発合格したそうだ。

 

「白石さんも面接一発だったよね」


 涼子の一発は、人様には言えない。

 飲み会の席で社長に合格の理由を聞いて、仰け反った。

 

「ケツが良かったから」


 セクハラだろ!セクハラ! 

 

「またまたぁー」と、冗談で終わらそうとした涼子に、社長は真顔で再度答える。


「ケツだから」

  

 ライダーじじいめ。


「私のは……」


 飲み会の席で宣ったので、合格理由は社員みんな知っているはずだ。

 涼子は言葉を濁す。


「働き者の良いケツしてるって、社長言ってたね。あの人も旅人だったから、人を見る目があるんだよ。一年目から任された店じゃなくて、販路拡大の企画持って来たのは白石さんがはじめてだろうね」


「え?良いケツって」


「なんかね。だらけきった尻はダメなんだって」


 よくわからないけど、セクハラではないのかな?イヤ……どうか。ん?


「まぁ。あの社長はオモロイ人よ。私らも好きにやらせて貰えるもんね」


 それは、確かにそうだ。

 涼子たちは週末に行われるイベントふるさと祭りのビンゴ景品を用意していた。

 地区全体のイベントなので、色んな会場でゲートボールやらフラダンスやら行われ、屋台も出る。

 今回は人員確保出来ないのでブースは出せないが、マルセイユ石鹸とラベンダーとオレンジの入浴剤がG.A. から提供される。

 そのラッピングをしていた。

 何て事ないが、これが次の仕事に繋がったりする。


「なんか、すみません。中部の水野さんに手伝ってもらってばっかりで」


「いいの。いいの。中部は忙しいけど、店と従業員の管理ばかりで面白くないからね。白石さんとの仕事はワクワクするわー」


 そう言って貰えるとありがたい。

 涼子はペコリと頭を下げた。




 週末は素晴らしい秋晴れだった。

 涼子はエプロンを付け、鯖を焼いていた。

 出店の一つで大きな網で、サザエや鯖や烏賊を焼いている。

 焼き係りのお婆ちゃんが腰を痛めて、介護施設の桜井さんに急遽助っ人をお願いされたのだ。

 煙がもくもくと上がり、トングで鯖をひっくり返していく。


「美味しい鯖だよー。日本一だよー」


 水野さんは隣で元気な呼子をしている。


「涼子?」


 煙の中、顔をあげる。

 

 あー、目にしみる。

 涙目になってるよ。

 

 煙の先には、ユニホームを着たガタイの良い集団がいた。

 その中でも一際目立つ、濃い眉と大きな黒い瞳が焼けた肌に凛々しい、かつての野球少年結城くんが、驚いた顔で涼子を見つめていた。


「結城くん……」


 涼子も時が止まったかのように、呆然と結城くんを見つめる。

 ジュ~。

 鯖の焼ける音だけが広がる。

 手に持ったままのトングを水野さんが横から受け取る。


「私、代わるわ。白石さん休憩しておいで」


 水野さんがタオル地のハンカチを手渡して、ポンポンと涼子の頬を指す。


「すっごいイケメンやねー。白石さんは顔。煤で真っ黒だよ」


 涼子は慌てて後ろを向いて顔を擦る。

 結城くんは、同じユニフォームを着た仲間と言葉を交わした後、手をあげながら涼子に近づいてくる。   


「こんなとこで会うと思わなかった」


「うん」


 背中を向けたままの涼子は、顔を拭くのに必死だ。

 結城くんは、くしゅっと子犬のように笑いながら、後ろ向きの涼子の腕を取る。

 

「休憩やろ?」


 涼子は引っ張られながらも、顔を擦り続けている。

 結城くんが立ち止まって、焦っている涼子の手からハンカチを取った。

 

「ここやから」


 彼の手が持つハンカチが、頬と鼻の頭を何度も通り過ぎる。

 煤けた顔を優しく拭き取っていく。

 

「これで、キレイになった」


 涼子は惚けていた。

 腕はまだ捕まれたままで、老人会のざわめきも、遠くで聞こえる掛け声も、すれ違う人の雑踏も、何も聞こえない何もないところに二人だけでいる気がした。


 ダメだダメだ。

 

 涼子は、ぽーっとした頭を、現実に引き戻そうと努力する。

 

 結城昌文は、ひとのもの。

 結城昌文は、子持ち。

 結城昌文は、オヤジ。

 結城昌文は……。


「ほら」


 結城くんが、スポーツドリンクを手にしていた。

 いつの間に買ってきたのか。

 火の前で、汗だくになっていた涼子にはありがたかった。

 結城くんに促されて、ツツジの花壇脇に腰かける。

 スッと風が通った。

 結城くんの前髪が流れ、濃い男くさい顔が露になる。


「オレは、野球チームの親善試合で来たんやけど、涼子は?」


「私は、仕事でお世話になってる地区のイベントだから、お手伝いにきてる」


「そうか」


「試合、勝ったの?」


「勝った」


「ピッチャー?」


「イヤ。俺は代打要員」


「そっか」


「会えると思わんかった」


「……」


「会いたい思う自分の妄想かと思った」


「……」


 もうお願いだから、何も言わないで。

 

 涼子も胸が一杯だった。

 

 これまでの人生、会わなくても平気だった。

 結城くんは、思い出の中の人だったのに。

 人のモノのくせに、何で切なくさせるのだろう。

 惑わされるな。

 こいつは、魔性だ。

 敵だ。敵。


「もしこれが夢だとしても、会えて嬉しい」


 やめて~。

 

 涼子は耳も心も塞いで立ち上がる。


「私、行かなきゃ」


「涼子」


「結城くんは、人のモノだからね。私は私の道を頑張る!会えて嬉しかった。サヨナラ」


 早口で捲したてる。

 全て塞いで、現実だけを見つめる。

 そう、涼子の現実は鯖を焼くこと。

 涼子は振り返らずに走り去る。

 

 もくもくと煙いっぱいで香ばしい匂いが広がるブースを目指して、涼子はただひたすら走った。

 

 

 








 

 


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