いざ、第二音楽室へ
午後三時五十六分。みなみは一人ぼっちで、音楽室にいた。
(ヤバい、緊張してきた)
カチッ、カチッーー時計の針が一秒ごとに動く音を聞いていると、みなみの緊張は高まってきた。
何十重ねにもなる制服のジャケットの上からでも、心臓がドクドク、と鳴っているのが分かる。
担任の石垣に帰りのホームルームを欠席し、早めに行きなさい、と言われたが、みなみは従うんじゃなかった、と後悔していた。
退屈なホームルームをサボれるのはとても嬉しいことだが、一人きりでこんなにも緊張するのであれば、ホームルームに出席した方がよほどましであろう。
「あのーー」
不意に第二音楽室の扉が開き、みなみは思わず背筋を伸ばした。ーーしかし、この可愛い声からは教師がやって来たとは思えない。
やって来たのは、可愛らしい少女であった。
「その、呼び出しで来たんですけどーー」
少女は『萌え』要素たっぷりの、動物に例えるとリスのような雰囲気のーーなんとも愛らしかった。
焦げ茶色のツインテール。こちらを見つめる、大きな瞳。
「新入生?」
「あ、はい。一年一組の、江坂亜衣です」
礼儀正しい。
「そうなんや、私は難波みなみ。三年やで。宜しくー」
「はい。宜しくお願いします」
「そんな堅苦しくせんでええのに。タメOKやで」
折角仲間が出来たのだから、堅苦しい雰囲気は止めて欲しかった。
「いえ、先輩なのでーー」
「いいっていいって」
「でもーー」
「だから、いいって言ってるやろう?ほんまに、私なんかに敬語使われても、困ってしまうわ」
「……」
亜衣は黙り込む。
「亜衣ちゃんかぁ。可愛い名前やな。見た目にぴったり」
「いえ、そんな。みなみって名前も、十分可愛いじゃないですか」
このボサボサ頭で女子力0%の女の、何処が可愛いのだ。みなみは言いたかった。
自分のクラスの男子が「新入生に可愛い子がいる」と騒いでいたのは、きっと亜衣のことなのだろう。
次にやって来たのは、金岡瑠以子であった。
瑠以子は、みなみと同じ三年生で、大変な読書好きで知られている。
二年生の頃、同じクラスだったが、みなみの友達は瑠以子のことを「石」と呼んでいた。
学校にいるときは、ずっと机に座り、読書をしているからだ。
「瑠以子。瑠以子も呼ばれとったんやな」
「そうだけど」
手に文庫本を持っている。相変わらずの読書好きっぷりであった。
「何でうちら呼ばれたんかな」
知的な瑠以子に聞けば分かるのではないかーーと思ったみなみは、大バカであろう。
「そんなの知ったこっちゃないわ。私に聞くんやったら、先生に直接聞けば?」
返事は冷たいが、確かにそれは正論である。
「あ、はい……」
みなみは思わず返事をする。
「それより、何か新しいの入って来たけど?」
みなみは瑠以子が指差すドア付近に目をやった。
そこには、一人女の子が居た。
「二年五組、梅田奏です。美術部に所属しています。宜しくお願いします」
亜衣に負けない、なかなかの礼儀の正しさだが、みなみは奏が持つ(抱える、といった方がいいのかも知れない)雑誌にぎょっとした。瑠以子も目を丸くしていた。
「か、奏ちゃんーーその雑誌、なに……?」
みなみは恐る恐る奏に聞く。
「ああ、これですか?BL本です」
奏はあっさりと答えた。
(び、びーえる!?だと!?)
表紙には、抱き合う男性二人が描かれている。
「BLって何ですかー?」
亜衣はピュアに聞いてくるが、みなみはどう答えたら良いのか分からない。
「ズバリ!ボーイズ・ラブ!」
奏は眼鏡を掛け直した。
「亜衣ちゃんやんな(だよね)?BL、お勧めやで〜。ホラホラ。この男、かっこいいやろ(でしょ)ー?あたし、男同士の恋愛って凄く好きなんよ。たまんない!」
「か、奏ちゃん。止め」
勝手に自分の世界を造り出す奏を、みなみは必死に抑える。
亜衣もBLの意味が分かったのか、奏のことを正直ドン引きしているようであった。