彼と私の7,500目
男が編み物をするなんてカッコ悪いなんて誰が決めたのだろう。
一時期「○○王子」というのが雑誌やテレビなどで流行ったころ、編み物王子もいて奥様方に人気だったはずだが、それでも子どもには無縁だった。殊に体育教育に力を入れて県のインターハイでも良い成績を収め、過疎化による生徒数の減少をスポーツ特待生を受け入れて防いでいる田舎の学校では。
一月前、都会から転校してきた結月君。どこの部活に特待で入ってきたのだろうという、いかにもスポーツ選手っぽく、背が高くて制服の上からでもがっしり体格も良さそうで、格好良くて、顔もクールな感じで見た目は申し分ない。一目見てクラスの女子が大喜びした。
「結月宏太です」
声も素敵だったから、ざわめきが大きくなったのは言うまでもない。
だがそれも束の間、その後の自己紹介で彼が一言、
「趣味は編み物です」
そう言った瞬間ざーっと引いた。えー? という声も聞こえた。男子にはあきらかに鼻で笑う者もいたくらいだ。
これで見た目が女っぽいとかだと、なんとなく似合いそうな気もするが、見た目とのギャップが大きすぎる……私もそう思ったけれど、人の趣味は様々だし、別にいいんじゃない、そう納得した。正直興味が無かったし。
この学校は途中編入してくる生徒の大半がスポーツ特待生という特殊な環境であり、応援のための大変豪華なブラスバンド部とチア部以外は申し訳程度にある文化系クラブであれ、強制では無いもののどこかの部活には入る事が暗黙のうちに義務として根付いている。だが、一ヶ月経った今も彼はどの部にも属していない。もうすぐ三年生という中途半端な時期に転入してくるのも珍しいし、今更という思いもあっての事かなと思っていた。そういう私も一応は新体操部に席を置いてはいるものの、ここ一年近く見学にすら行ったことがないけどね。
だから朝とか午後の授業の後とか、皆一斉に部活に行ってしまうから、ごく自然に教室に取り残されるのは私達二人になる。かといって会話を交わすでも無く、ただぼうっと時を過ごすか早々に帰宅するだけなのだけど。
彼は転校生だから皆の前で自己紹介してこちらは名前を知ってる。でもきっと同じクラスだったって彼は私の名前すら知らないだろう。その他大勢の一人。
今日も朝から教室の隅で、彼はスポーツブランドのバッグから毛糸と編み針を出して編み物をはじめた。これはいつもの光景。私はスマホを弄るのもちょっと飽きたし、どうせそんなにメールも来ないから、何気なくそんな彼を見ていた。
窓からの朝の光に照らされた結月君の顔は真剣そのもの。面長のキリッとした顔は、ちょっと眉根を寄せてまるで修行僧か何かのよう。
超がつくほど不器用な私には到底無理だから早々に諦めたけど、お姉ちゃんが前にバレンタインにあげるんだって編み物をしていたのは二本の棒を使ってた。でも彼は金色に輝く一本の針しか持ってない。ええと、かぎ針って言うんだよね。
くいくい、流れるように動く両手。編む方の右の手と生地を持ちながらも指先で糸を送る左手。まるで違う生き物のように規則正しく動く手にしばし見惚れる。その動きは美しいとさえ思えた。
「すごいね、何が出来るの?」
思わず声が出てしまい、しまったと思った。私は何を馴れ馴れしく話しかけているのだろうか。
難しい顔のまま、こちらを見た彼。その手の動きが止まってしまった。
「ごめんなさい、邪魔して」
「……別に邪魔じゃない」
「え?」
「今手袋を編んでいる。これから寒くなるから」
それだけ言って彼はまた手を動かしはじめた。呼び鈴が鳴って、そろそろ朝練上がりの生徒が教室に入って来るまで、彼は無言で編み物を続けた。
それから私はずっと彼の編み物をする姿を見ている。ただ黙ってぼーっと。
一本の毛糸が形になって行くのが面白くて、まるでゆっくりな魔法のよう。三日目にミントグリーンのミトンの片方が出来上がったころ。
「……佐伯さんは何故部活に行かない?」
彼のほうが声を掛けてきた。少し戸惑ったが、それよりも私の名を覚えていてくれた事の方が驚きだった。授業中にたまに先生に名前を呼ばれるくらいで、誰の話題にも登るわけでもない地味な私。いや、あえて目立たないよう大人しくしているのもある。別に虐められてもいないし、友達もいないわけじゃない。でも皆腫れ物に触るように私に接するから、こちらも距離を置くあまり心底仲良くしている人はいない。
「ここ、ポンコツだから。皆の足引っ張るし……」
自分の胸を指さして、そうとだけ返事しておいた。これは事実だし。
ほんの一年足らずだったが、去年の冬まで私は新体操の団体で全国大会でも上位に入っているチームにいた。小さい時からスポーツクラブで何時間も練習を重ねて来たもの。自分で言うのも何だが、中学の時からかなり注目されていた。勿論この学校にも特待枠で入学した。
でも去年の年の暮れ、練習中に胸に痛みがあって病院に行ったら心臓に問題があると言われた。今まで一度もそんな診断を受けたことが無かったのでショックだった。日々何時間も続けていたハードな練習が、元々弱かった部分に徐々に負担をかけて一度に来たのだと。そう深刻な症状でも無いから日常生活には支障が無いものの、これ以上悪くならないよう、あまりきつい練習はしないようにと釘を刺された。
しばらく抜け殻みたいだったけど、今はもう開き直った。よくよく考えてみたら、遊ぶ間もなく練習に明け暮れて、気がつけば恋もして来なかった。一度しか無い大事な時期、それって寂しくない? 体操だって一生続けられるわけじゃない。選手生命は短い。国際大会に出られるほどかと言えばそうでもない。そう思ったら何だか諦めがついてしまった。ただ、他の子も学校側も何も言わないけれど、特待生として入学したのにこれだから肩身は狭い。全く運動しちゃいけないわけでも無く、応援だって出来る。でも申し訳なくて部にも顔を出せないのだ。
編み物の手を止める事も無く、難しい顔のまま彼はそっけなく口を開いた。
「そっか」
人に訊いておいて随分とあっさりした返事に少し呆れた。
「結月君はどうして部活に入らないの?」
今度は彼の手が止まった。だけど、眉間に寄ってた皺がちょっとだけ緩んだ。
「俺も……佐伯さんと同じだからかな」
「同じ?」
「ずっとサッカーやっていたが、事故で走れなくなったから」
……そうだったんだ。悪いことを訊いてしまったかも。そう言えば体育の時、見学とまでは行かなくてもいつも隅の方にいるよね。私もだけど。
いつも真一文字に結ばれてる口元がほんの少し笑みを浮かべた。
「だから自分のこと、ポンコツなんて言うな」
「あ……ごめん」
そうか、同じって言われたら彼に言った事にもなる。
でもなぜ逆に表情が柔らかくなったのだろう。辛い事のはずなのに……そう思いかけて、いや違う、わかるって思った。
言えなかったからきっと余計に辛かったんだ。こうして尋ねられたら答えられるけど、自分からは話し辛いもの。その気持はとてもわかるじゃない。私だって自分からは体のことをわざわざ話したりしないもの。
「でもどうしてこの学校に?」
「ただ単に引っ越して来て、家から一番近かったから通学が楽かなと思って」
「……そうなんだ」
案外、この人は面白い人なのかもしれないな、そう思った瞬間だった。
相憐れむってわけじゃないけど、妙な共感が湧いたからか、それから私達はよく話をするようになった。
彼は一つ年上だ。本来なら今三年生の年齢なのだが、一年間リハビリをしていたから一年遅れでも高校を卒業しておこうと復学して来たのだという事も初めて知った。他のクラスメイトは既に知ってたのに、私はいかに自分で壁を作って周りの情報を遮断していたのかを思い知らされてショックでもあった。そういえば皆最近は結月君の趣味を気持ち悪いとか言わなくなったよね。
結月君が編み物を始めたのは、本当に大変な事故で脊髄を痛めて手足に麻痺が残ると言われていた中、手先のリハビリにと勧められたからだそうだ。
「はじめは上手く編めなくてイライラした。何度も叫んで投げ捨てた。手が思うように動かなくて、太い太い糸でほんの数センチ編むのにも何日もかかって。だけど病院で小さな女の子がお母さんが編んでくれたっていうマフラーを見せてくれたんだ。それがきっかけで続けてこられた」
そんな話をする結月君の顔はとても穏やか。話しながらでも動く手は、そんなに大変な時期があったなんて想像もつかない。
「どんなマフラー?」
「決して上手では無かったが、子供の好きそうな色んな色で作ってあって。その子があまりに嬉しそうに皆に自慢してたから、お母さんが困ってた。すごく不器用だけど一目一目思いを籠めて編んでいたらマフラーの長さになったと」
「一目一目思いを籠めて……かぁ」
素敵な話だと思う。そしてそれを聞いて頑張れた彼はとても純粋で優しい心の持ち主なのだろうなと思えた。
手には幸い麻痺が残らず、足もリハビリにも耐えて日常生活に困らないまでに回復した彼だけど、やっぱりサッカーが出来ないのは辛かったみたい。ますます編み物にのめり込んじゃったんだって。
「編み物って楽しい?」
「ああ、楽しい」
初めて見る満面の笑み。笑うと片方だけ笑窪が出来るんだね。何だろう、おかしな感じ。胸の奥の何処かをこちょこちょってくすぐられたみたいな? 私より頭ひとつ分以上大きい、いつも難しい顔をしているこの人を、今可愛いって思った?
もっとそんな顔が見たい。もっと声が聞きたい。もっと一緒にいたい。
誰よりもほんのちょっとだけ立場が近い、そんな彼だから。
「私も教えてもらおうかな、編み物」
「いいけど」
そして私は結月君の弟子になった。
「そう、そこで糸を掛けて」
「うーん、上手く行かない……」
初めてはこっちのほうがいいって勧められたのは、二本の編み針を使うガータ編みだった。棒針で編む基本は表編みと裏編みの二通りあって、よくセーターなんかで見るつるんとしたのはメリアス編みと言って表裏を交互に編むから片面に編み目が揃うけど、超初心者なのでまずは片方の表編みのみでひたすら折り返すガータ編みなんだそうで。
……説明だけで早くもこんがらがっている私は、本当に体育会系の頭なのだと思う。
結月君が選んでくれたのは淡いピンクの太い毛糸。私の大好きな色。ちょっと太めの針で太い毛糸。確かにこれなら早くそれなりの大きさになるだろうし、この二本の針で編んでるのって、いかにも編み物をしてるという見た目で憧れだった。
だけどそう甘い物では無かったようで。つるんって目が針から抜けたり、指に掛けた毛糸が上手く掛からなかったり。結月君が作ってくれたほんの30目を片道行くだけで二日かかった。それもぎゅーっと小さい目もあればゆるゆるの目もある、早くも先行きが不安になる不細工ななものだ。今日はやっと四段目。
お姉ちゃん、下手な手編みなんて誰も喜ばないよなんて笑ってゴメン……彼氏にマフラーを編み上げた貴女は偉大だったと思うよ。
「目が飛んだぞ」
「あっ、ホントだ」
慌てて戻ろうとしたら、編み終わった方の針が全部抜けてしまった。
「わぁ大変!」
わたわたしてたら結月君の手が伸びてきた。
「慌てるな。ちょっと貸せ」
そーっと渡すと、結月君は自分の持っていたかぎ針で目を拾って針に戻してくれた。
「もう大丈夫だ。こう持つとやりやすいかもしれない」
結月君が立ち上がったと思ったら、後ろから伸びてきた長い腕。大きな手が私の手を包み込むように添えられて、優しく持ち方を教えてくれる。
「小指に絡めて、人差し指で糸を掛ける。針は親指と中指で動かすんだ」
やってるつもりなんだけど、上手く糸を繰れない。こうして一緒にやってもらうとすいすいいけるのになぁ。
「私、本当に不器用だよね」
「女の子は手が小さいから慣れるまでは……」
そこで突然黙って固まった結月君。
私も手元に必死ですぐに気が付かなかったけど……思い切り後ろから抱きしめられている形だよね。密着具合が半端ない。座ってる私の頭の上に結月君の顔が乗ってるし、二の腕あたりに腕が回ってるし、両手はばっちり握ってるし……乾いた温かい手の感触にまた胸の奥をこちょこちょってされた気がする。
顔が熱い気がする。私、赤くなったりしてるのかな。どうしよう、欠陥のある心臓のくせにものすごい勢いでドキドキいってる。
そーっと離れた手は微かに震えているようにも見えた。
振り返ると、結月君と目が合った。でもすぐに逸らされる。その顔……赤くなってる? 照れてる? 眉間に皺寄せてるのは同じだけど、いつもはどっちかというと上がってる感じの眉がハの字に困ったみたいに下がってる。
「……ありがとう。頑張ってみる」
「お、おう」
なんだか間が悪くて、その日私達はそれ以降、一言も喋らなかった。
心臓だけがドキドキいってた。
土日を除く朝と放課後ちょっとずつだけど、結月君と編み物をするようになって毎日に張合いが出来たように思う。今まで学校には惰性で来てる感じだった。だけど最近は毎日学校に来るのが楽しみで仕方がない。
ちなみに家でまでやるという選択肢は今のところ無い。うるさいお姉ちゃんや母が横から色々言うし、私は結月君に教えてもらいたいのだ。
ほとんど向かい合って、お互い黙って編み物をしているだけだけど、それでも一緒にいられるのが嬉しいから、朝もちょっとだけ早く来る。結月君も付き合ってか早く来るけど、迷惑じゃなければいいんだけどな。
とおに手袋も編めて、この頃結月君は水色と濃いブルーの二色で何か大きなものを編んでいる。相変わらずかぎ針。
「結月君は棒針で編まないの?」
「かぎ針の方がいつでも手を止められて目の数を数えなくていい。増やしたり減らしたりも簡単だからどんな形にも出来る」
「……何それ、いいじゃない。私もそっちの方がいいなぁ」
ひたすら数を数えながら編んでて、途中でやめる時は抜けないように輪ゴムで止めるというすごく手間な事をやってるんですが、私。ひたすら同じ作業なので簡単といえば簡単だけど。
「分厚くなるし、女の子はかぎ針の編み目が好きじゃないってのが多いから」
「そう? 私はそれも可愛いと思うよ? 何だかお花みたい」
「可愛い……あ、ああ、これはスタークロッシェ編みといって、ちょっと基本とは違う特殊な編み方なんだが……まあこれは可愛いかもしれないな」
基本の編み方じゃないんだ。ということはああいうのが出来るようになるまではかなり前途多難な気もしなくもない。結月君すごいなぁ。
「ではそれが編めたら次はかぎ針を教えるよ」
「わーい」
二十六、二十七……っと。
編めたらかぁ。なんだかちょっとこの頃慣れてきて目が揃うようになって来たのが楽しくて、ひたすら編んでたら三十センチ以上の長さになった。すでに昨日から二個目の毛糸になった。別に何ってつもりでも無かったけど、このまま編んでいったらマフラーになるんじゃないだろうかって思う。
折り返して次の段に行くのもスムーズになった。最初端っこの処理がわからなくてがたがたになっちゃったけどね。
でも次って言ってくれたのがすごく嬉しかった。次もあるんだ。こうして一緒にいられる時間が。そう思ってたのは顔に出ていたみたい。
「佐伯さん楽しそうだな」
「え? 私笑ってた?」
ニヤけてたのかな。わぁ恥ずかしい。
「最初の固い顔より、この頃の佐伯さんの表情のほうがいいと思う」
「……そ、そうかな」
ものすごく照れちゃったけど、考えてみたら最初私はどんな顔をしてたんだろうって話だよね。固い顔か……そうだったかもしれない。
呼び鈴が鳴って、もうそろそろ朝練が終わったクラスメイトが帰ってくる。仕舞う準備をしないと。えーと、十五目だよね。忘れないように手に書いておく。
「よし」
結月君はタイミングよく完成した模様。一体何が編めたのだろう。
誇らしげに見せてくれたのは、大きな袋? 底が丸くて頭どころじゃない大きさ。水色の部分は単調な編み方だが、縞のように入った濃いブルーの部分は、さっきスタークロッシェ編みと言っていたお花のような星のような編み方でそれがオシャレ。
「大きいね。何の袋?」
「まだ紐を通していないが……」
説明しかけた結月君の言葉を遮るように、ばたばたと足音が聞こえてきた。
「おっ、今日も仲良いねぇ、お二人さん!」
サッカー部の児島君が、ばんっと結月君の肩を叩いた。
「あ、編み物を教えているだけだ」
結月君が慌てている。児島君はサッカー部の次期部長がすでに決定しているくらいの選手だけど、クラスではお調子者で有名だもんな。
「またまたぁ。今更照れなくていいじゃん。この二組公認のラブラブぅ~な仲じゃん」
「ラブラブって……」
地味におっさん臭いよ、児島君……。
いつもは呼び鈴で早々に仕舞って自分の席に戻るのだけど、今朝はちょっと遅かったのと児島君が早かったのもあるけど。今更って……そうか、周りから見たらそんな風に見えてたんだ。
それって、私はいいけど結月君には迷惑じゃないのだろうか。
「さ、佐伯さんが困ってるだろ」
「いや、結月のほうが照れてるように見える」
児島くんの意見は正しい。私は気持ち頬が熱い気もするが、そこまで取り乱していない。
「ああそうそう! 頼まれてたあれ、さっき編めたぞ」
気持ち誤魔化すみたいに、先程編み上げた袋を児島君に差し出す結月君。
「お、早いな。入れてみていい?」
「紐はまだ通していないが」
結月君の説明が終わる前に、児島くんが抱えてたサッカーボールをその袋に入れた。ああ、ボール入れだったんだ! サイズもピッタリ。
「こんなので良かったのだろうか。洗っても縮まないようアクリル毛糸で作ってみた」
「すげーよ! バッチリ! いいな、このシマシマ。紐は自分で通しとく。サンキューな!」
ものすごく嬉しそうな児島君。そうか、編み物って着るものだけじゃなくてああいう使い方もあるんだ。ニットは少しは伸び縮みもするから丸いものにもピッタリだね。
さて、落ち着いたところでさっきのラブラブ発言は聞かなかった事にして、編みかけと毛糸を入れた袋を持って自分の席に戻ろうとしてたら、続々と入ってきたクラスの生徒に向かって児島くんが大きな声で自慢をはじめた。
「見て見てこれ! 結月に編んでもらったー! カッコイイだろ」
わーっと一斉に集まってくるクラスメイト達。
「オーダーメイドだもんな。世界に一個だけ」
「児島だけいいなー」
口々に上がる声に、結月君はちょっと困った顔だけど嬉しそう。
席に戻るに戻れなくなってぼーっとしてる私の肩に手が掛かった。
「亜美ちゃんもああいうの編めるの?」
同じ新体操部だったユカちゃんだ。別に今も仲は悪くないけどこの頃あまり口もきいてない。
「ええと……まだ今練習中」
「じゃあ今から予約しておこうかな。大会に行くときの道具を入れる袋、編んでよ。手作りのやつ可愛いじゃない」
「ええー、ユカズルーい。亜美ちゃん、私も、私も!」
他の新体操部の子も、それ以外の女の子達も同じように言い始めた。
「も、もうちょっと上手になったら……」
「わーい。待ってるね!」
ものすごく久しぶりに友達と普通に喋った気がする。
放課後、また私と結月くんだけが取り残される時間。今日は夕方病院に行くから一緒に編み物が出来ないのが残念。
そしたら一緒に帰ろうって言ってくれた。
季節はもうすぐ冬休み。部活の子はほとんど休みもないけど。
「喜んでたね、児島君」
「ああ。あれを持って試合に行くって思ったら、自分も一緒に行ける気がしてな」
そうか、そんな考え方もあるんだね。
「ううっ、寒っ!」
ぴゅーっと音をたてて吹き抜けた冷たい風に、思わず竦み上がる。田んぼのど真ん中に建ってる田舎の学校。風を遮る建物も無い。
手が冷たいから、はーって息を吹きかけながら歩いててたら、目の前に差し出された手袋。あの教室で結月君が編んでいたミントグリーンのミトン。
「貸してくれるの?」
うんうんって頷かれたから、ありがたく師匠の作品をはめさせて頂く。ちょっと大きめだけど細い糸で編まれたミトンはとっても触り心地がいい。
「ふわぁ、あったかーい!」
痺れるほど冷たかった指先がほわんと温かくなった。
「それ……やる」
「え? でもあんなに一生懸命編んでたのに」
「実は二組ある」
そう言って、ポケットから同じ色の手袋を出した結月君。
あ、そうなんだ。そういえば結月君にしては手袋を編むのに時間がかかってるなって思ってたら、同じのをもう一組編んでたんだ。
ええっと……じゃあペア!? お揃い?
それに、結月君の手はあんなに大きな手なのに、これ私の手にもそんなに余らない。ひょっとして合わせて編んでくれた?
「あの、これ……」
尋ねる前に、結月君が先に口を開いた。建物がポツポツ見え始め、もうすぐ結月君と帰る方向が変わるあたり。分かれ道に差し掛かる手前で足を止めた。
「佐伯さん、一つ頼みがあるんだが」
「何?」
「その手袋と交換じゃないけど、今編んでいるマフラーが出来上がったら……その……俺にくれ」
「えー? でも初めてだったから最初の方ものすごく下手くそだし。もっとちゃんと編めるようになったら新しいのを編むよ?」
「初めてのが欲しい」
ドキっ。真顔でなんて事を言うのよ。
「そ、そのっ、記念にという意味で……」
ちょっとフォローなのかな。それは。
「じゃあ、クリスマスまでには無理だから、バレンタインに間に合うように頑張る」
「待ってる」
結月君、気がついてくれたかな。
バレンタインに渡すのって、告白するのと一緒だって。
三十目を二百五十段。つまり約七千五百目。私の初めてのマフラーは何とか完成した。途中からはかなり目が揃って見られるようになったが、最初の方は……。
まあいいや。これが私。最初は不器用、でも少しだけ器用になった。
自分から遠ざかっていた友達ともまた普通に接することが出来るようになった。これも全部、全部結月くんのおかげ。
心残りはなぜピンクなのだということだけ。中途半端に色を変えるのもなんだし、途中で色を変えられるほどの腕前が無かったのもあるけど。
バレンタインの日に約束通りマフラーを結月君に渡した。
「男の人にピンクで悪いけど……」
「いい。実は好きな色なんだ」
そうだったんだ……まあ今更引かないけどね。
張り切って編みすぎて、思ってたより長くなったマフラーはとても良く似合った。
「嬉しい」
「よかった……」
無言で田舎の道を歩いた。霜のおりた切り株だけの田んぼは、まるでベージュのニットの編み目みたいに見えた。
黙ったまんまそーっと手が繋がれた。
手を繋いでしばらく歩く。ゆっくり、ゆっくり。
ドキドキ、ドキドキ。自分の心臓の音が聞こえるみたい。大丈夫なのかな、これ。ひょっとしたら練習の時より激しく打ってるんだけど。止まらないよね?
結月君の足が止まった。並んで歩いてたけど、私の前に回った結月君の顔はとっても高いところにある。見上げると、一目で緊張してるってわかるよ。眉がハの字になってる。
「その……付き合ってくれるかな。もう公認らしいから今更だけど……」
今更だけど……でも嬉しい。私、もっともっと前から自分の気持ちに気がついてた。この人が好きかもって。ひょっとして結月君もなのかな。
でも何も言えずにただ頷いただけだった。
「それから、あっ、亜美って呼んでいいかな」
「うん」
私も恥ずかしくて頬が熱いけど、結月君も真っ赤だ。相当思い切ったよね。
恥ずかしかったからか、突然さっき巻いてあげた不細工マフラーに顔を埋ずめた結月君。
「亜美が作った編み物……」
「えっ、今言う、それを?」
しばらくして同時に笑った。苦し紛れに何を言うかな。色気はないよね。
季節は春になったけど、今、ユカちゃん達に頼まれた新体操部のボールやリボンを入れる袋を編んでいる。形は違うけど、こうしてまた体操に関わることが出来て嬉しい。結月君も同じように違う形でこれからもサッカーと関わり続けるんだって言ってた。大好きなもの、大事にして来たものはそう簡単には諦められないよね。
最近、一本の毛糸は人の一生の縮図なのかもしれない。そんな風に思えるようになってきた。
編んではじめて何かの形になっていく。編み目の一つ一つは一日。最初はたどたどしい編み目のこのマフラーみたいに、不器用に、時に切れて繋ぎ目があっても、それでも次の目に進んでいくことで次第に形になっていく。目が飛んでもいい、不揃いでもいい。針が抜けて慌てた時は、他の人の力を借りてでも元に戻れる。そんな風に人生でだって手を差し伸べてくれる人だっているだろう。結月くんみたいに。一目一目編んでいけばきっといつかは一つの作品として完成するはず。
……なんて、そんなに大袈裟なものでもないのかもしれないけど、出来上がったニットはそれが不細工であれ温かい。他の人だって温かくしてあげられるかもしれない。
結月君の手袋が私を温めてくれたように。私のマフラーも彼を温めてあげられたのかな。
これからもずっと、一日一日、一目一目に心を籠めるように編み綴っていこう。
「よし」
顔をあげると向かいで編み物をしてる彼の顔。目が合うとにっこり笑ってくれる。
「上手になって来たな」
「まだまだですよ、師匠。次はどんな編み方を教えてくれるの?」
「そうだな、次は……」
一緒に編み目を増やしていこうね。二本の針のように、一緒に。