第31話 第四
第二班の射撃が終わりを告げたので、全員で交代する予定が突如目の前に現れた男女のせいで、それを阻止された。
全員の前に男女2名が出現していて、行く先を塞いでいる。
俺の目の前にいる男はいい年こいて茶髪で、ピアスで穴を開けたくそじじい。気取ってんのかは分からないが、かなりウザい格好をしている。10代ならギリギリ許されるような髑髏とかをプリントされた服を着て、ズボンはダボダボ。見ていてこっちが不快になるような男だ。
女は隣の男にお似合いのこれまた糞みたいな髪をした糞婆。本当に汚い茶髪のロング。グレーの寝巻を着て、ダルッとした格好をしている。歯は所々抜けていて、不快感の塊だ。
顔面こそ潰れていないが、『死に行く者』と判断して一歩下がり射撃準備を整える。
しかし俺だけが相手に対して攻撃態勢を整えるだけで、他の奴らは呆けたような顔をしていた。
「何だ……?皆どうした……?」
独白は誰にも届いておらず、虚空に吸い込まれるだけで誰も反応を示さない。
メイに視線を送っても目の前の男女に目は釘付けになり、体が若干震え、目が潤んでいる。
「まさか……。黒沢夫妻なのか……!?」
メイの目の前にいる二人の男女の後姿はどこか懐かしい感傷を覚えさせる。後姿だけでも滲み出るその優しさに甘えたくなる。
他の奴らにも目を向けても目をひん剥いて驚いている。
組み合わせは絶対、男女2名。しかも本人より年上。
両親。
黒沢夫妻を見た時点でそれが確信に変わっていた。他の奴らの反応を見れば、これは確定的な事項だ。
しかし事態はそれ所じゃない。今現在誰も動いておらず、『耳』を使えば校内に今も近づこうとしている輩が多数いる。一階と二階の間が燃えているから通れないが、万が一通る事が出来るようになったら困る。
現状の危うさを確認していると、俺の前に居た汚い男が話しかけてきた。
「お前、敏樹か。無駄にでけぇな」
忌々しい名前が聞こえたが、冷静に何も感じていないようにふるまう。
「別にどうでも良いんだけど。アンタ、どうすんの?」
「そりゃ、殺るだろ。生き返るチャンスだからな」
女が男に何事か話しかけているが、不穏どうな言葉と聞き逃せない単語が出てきた。
「おい、何を言ってやがる」
「あぁ!?親に向かってなんて口ききやがる!?この糞餓鬼!!」
「ちょっと、うるさいよ!アンタ!」
たった一言話しただけで、クソ茶髪の自称親父が切れる。女は大声を上げた親父を面倒そうに咎めている。
「誰が親だ。お前ら何か知らん」
「敏樹ぃ……!死にたいらしいな……!」
男が身をかがめ、何故かさっそく殺し合いが始まる雰囲気になっている。
「第一、俺は敏樹じゃない。照光だ。柊照光。分かるか?」
男は驚いた顔をすると、苦渋に満ちた顔で俺を睨んだ。
「てめぇ、親がくれてやった名前を……!」
「生まれた瞬間捨てたくせに何が親だ。俺の親は柊俊之と柊麻美の二人だ。テメェらじゃない」
俺は生まれて間もなく柊孤児院に預けられている。名前は伝えられていたが、俊之と麻美の意向で名前を変えた。手続きをしたのは最近だが、当時から俺の名前は柊照光。
今2人がどうなっているか知らないが、俊之が死んでいるとは思えない。あいつは強すぎる。
「もう殺しちゃえば?」
虎の威を借る狐のように男に縋り付く女。
小林のようなひ弱さというか、そういうのが無い。只々不快だ。気持ちが悪い。
「そうだな。コイツの事なんてどうでも良いか」
男は拳をゴキゴキと鳴らし、攻撃体勢である事をアピールしてくる。そんな事をしないと戦いもできないのか。
「カスが。『黒い人物』も『巨人』も生き残れない奴に誰が負けるか。死んで詫びろ。そして地獄で苦しみ続けるんだな」
「てめぇに俺が撃てんのか―――」
発砲。
ホルスターからハンドガンをクイックドロウして男の膝を打ち砕いた。
膝の皿を破壊され、激痛と体を支えるための重要な器官が壊れた事で、男は立っている事が出来ない。
「あぁっぁぁぁあああああ!!てめぇえええぇぇぇえ!!!」
肉が抉られ、膝を粉砕された男は地面に横たわり膝を押さえ体を丸めている。絶叫は痛みと俺への罵倒。自分が強者である事を何故かまったく疑っていなかった者の滑稽な声だ。
さらに連続で急所を避けて発砲を続ける。『靴』を持っていた女に行ったように、全身に鉛玉を撃ちこみ、男の体は跳ね回る。
「いでぇぇえ!!やめ―――!」
続きを言わせることなく銃弾を男を蹂躙し、衝撃の余波で男は叫び声を上げる事しかできない。
「お前らなんか他人だ。恨みこそすれ喜ぶ事は無い。まして殺す事に躊躇する事なんて絶対にあり得ない。ここまで来るのに二人は殺した。自衛隊の時はそれ以上だ。今更、お前ら二人を殺す事に俺は何も思わない。メイが生き残るのを邪魔するな」
ハンドガンの弾が切れ最後のマガジンをリロードする。
男の番であった女を睨みつけながら、足元に転がる男に残り9発の弾丸を叩き込む。
発砲するごとに男の体が跳ね、満足感が俺の中で渦巻いていく。
「次はお前だ。お前らに会ったらどうやって殺そうかと夢想していた。射殺もその一つだ。刺殺、斬殺、絞殺、轢殺、毒殺、焼殺、扼殺、撲殺、圧殺、爆殺。その他諸々。……どれにする?」
「ヒッ……!」
女は後ずさり一歩二歩と俺から遠ざかる。逃げる女から目を離し、最後の一発になったハンドガンを男の頭に押し付けた。
復讐の第一歩だ。
「や、やめ―――」
「死ね」
一際大きな火薬の破裂音が屋上に居た全員の耳に届き、ようやく全員が俺のやっている事に気付いた。
男の額に風穴が開き、『死に行く者』が死んでいくのと同じように地面に取り込まれ消えて行った。
しゃがんでいた体勢から起き上がり、女を見据える。
あまり時間も無い。
女へと走りだし、拳を引き絞る。握力を全開にして、鉄塊の如き硬度まで引き上げる。
「こ、来ないで―――!!」
「ラアアァッァアア!!」
【柊流古武術『穿突』!!
女は最後の抵抗に腕を突き出していたが、全く意味を成さず俺の拳は女の顔面を正確に捉え、拳と腕をねじり込む。捻転する拳は女の鼻っ柱を完全に粉砕した事を感触で伝え、女は鼻血を吹き出す。
「がぱっ!!」
吹き飛ばされる女の目は白色となり、今にも昇天しそうだ。空中に浮きあがる女の体に最後の攻撃を叩き込む。
「死ねえぇっぇぇぇぇええ!!!」
【柊流古武術『旋刃』】!!
拳を突きだしさらに走り出す体を加速し、左足を軸に一回転する。遠心力の乗った右回し蹴りが女の腹に叩き込まれ、女の飛翔はフェンスの無い屋上を突っ切った。
フワリと女の体は宙を浮いたがそれは一瞬の事であり、すぐに重力が女を地獄へと誘う。
「死にたく―――!!」
さらにリロード済みのアサルトライフルを構えながら縁に脚をかけて、女目がけて射撃を行う。
「あぁつあlgはうthtくぁgr―――」
追撃を掛けられた女は錐揉みしながら落下していき、勢いの乗った速度を維持して地面に激突した。地面には血の華が咲き、脳漿がぶちまけられ、骨格はひしゃげ、意味不明な現代アートのようになった。
その時、全員の両親が我が息子・娘に対し襲い掛かった。俺の行動を見て一刻も早く殺した方が良いとの判断を下し、無手ではあるが完全武装している面々に攻撃を仕掛けている。
しかし両親を攻撃できるのかと訝しがっていたが、堂本と新藤は心配なかった。
「あばよ!!」
「親子の縁を切らせて貰います」
堂本は短刀で真っ二つに切り裂き、新藤はハンドガンで正確に額を撃ち抜いた。
2人は両親と何事か話していたが、俺は俺で忙しかったためあまり聞いていない。それでも快い内容とは言えないだろう。
問題は酒井と小林だ。
「や、めろよ……!!」
「や、止めてください……!!」
2人は両親にのしかかられ、今にも攻撃を加えられそうになっていた。
あの密着状態で射撃したら二人に当たる可能性がある。銃はダメだ。
すると酒井が両親に首筋を噛まれ、肉を噛み千切られた。頸動脈は行っていないが、それでも大量出血には違いない。
「ぐああぁっぁああああ!!」
「酒井!!」
酒井から助けるべく両親をどかそうと、体術で攻撃を加えようと近づくが酒井が大声で静止をかけた。
「れ、レナから!頼む!!」
「……クソ!!」
後ろの堂本と新藤は酒井の方向へと走りより、俺は小林を助ける。
両親の脇を取り、未だ自分の娘を殺そうとしている両親の脇腹を順次蹴り飛ばす。渾身の蹴りは人一人を転がす程度には威力があったようで、小林は自由の身となった。
「あ、あり―――」
直後、発砲音が2重奏を響かせ、小林の言葉は途中で中断された。
アサルトライフルの連続射撃がそれぞれの両親の体を穿っていく。穴だらけになっていく二人を見つつ、相手の力がすでに抜けたことを確認し、発砲を辞めると2人は地面に取り込まれた。
「あ……」
小林は消えて行った両親を見つめ、呻き声を上げる。手を伸ばし何もない所でそれは止まり、自然と腕は下ろされた。
小林は大出血している酒井を見ると仰天して、急いでそっちに向かって行った。
俺はそれを見届けるとまだそこに居る黒沢夫婦に近づいていく。
2人はメイと向かい合い、当のメイは泣き崩れ膝を着いて滂沱の涙を流している。
「……あなた達は襲わないんですか?」
2人は俺の言葉に気付き、ゆっくりと振り返る。
2人の優しさの塊と言っていいその顔に癒されていく。
「ああ、柊さん。お久しぶりです」
「照光さん……」
俺の名前を口から出すと二人とも会釈をして、俺もぎこちなかったが頭を下げた。
「……それで俺の質問ですが」
すると二人はあり得ないと言う顔をして、話を始めた。
「息子・娘を殺せば生き返るという話だったんですがね」
と黒沢父。
「私達がメイちゃんを傷つける事はあり得ません」
と黒沢母。
2人はさも当然のようにそう告げたが、それがどれだけ特別な事かは今見た。
「他の奴らは俺達を殺そうとしました。今のあなた達は残念ながら信用できない。まだ襲っていないだけという事も考えられる」
「……そうですね。柊さんの言う通りです」
「照光さんでよかったわ。まだメイも生きてるもの」
黒沢母は父の袖を取り、俺の顔を優しい眼差しで見つめる。
「ありがとうございます、照光さん。ここまで生き残ってくださって」
「いえ……」
先程の暴言を思い直すと、二人を直視できず、自然と下を向いてしまう。
「大丈夫よ。気にしてないわ。疑って当然よ。むしろ疑わないならここまで生き残れなかったでしょう?」
「はい……」
この辺で俺は涙が堪えきれなくなっていた。
「柊さん?どうかしたんですか……?」
「羨ましい……」
「「え?」」
下を向いた状態から二人の顔を強く、強く、見つめた。
「羨ましい……!なんで俺の親はあんな屑だったんだ!?何だこれは!不条理だ!!」
もう涙で目の前がぐちゃぐちゃになっている。目の前にいる二人も困惑気味に俺を見ている。
「何で……何でだよ……!最悪だ。メイが羨ましい。妬ましくすらある……!!こんなこと思いたくない。クソ。クソ。……何でおれはあいつらなんだ。……なんであなた達じゃないんだ!?」
「柊さん……」
「照光さん……」
内に秘めていた親への羨望が溢れ出す。とめどなく、留まるところを知らず。
「何でなんだ!?なぜメイを襲わない!?……生き返りたくないのか!?……これじゃあ、あなた達を殺せないじゃないか!!」
腕で涙をぬぐうが、全くと言っていいほど前が見えない。状況は切迫しているにもかかわらず、どうでも良くなっていた。
「どうしたらいいんだ……!?何か俺が悪い事をしたのか!?殺した事か!!そうなのか!?でも生まれた瞬間からだ。俺の人生は……」
いつの間にか2人は俺の手を優しくとって、包み込んでいた。両手で握られていると、二人は片手を離し、自由になった手で俺の頭を撫でる。優しく、壊れないように、赤子をあやすかのように。
2人は何も喋らなかったし、俺も何も言えなかった。
嬉しさに、恥ずかしさに、いろいろな感情が錯綜して、何を言えば良いのか分からなくなっていた。
するとゆっくりと二人の手が離れて行き、数歩下がってしまった。
未練がましく手を伸ばそうとしてしまったが、ギリギリの所で踏みとどまった。
「……ありがとうございます。もう大丈夫です」
2人はにっこりと笑って、後ろ目にメイを見た。
メイはこちらを少し見ていたが、それでもまだ泣いていた。
2人の顔は俺に向き直って、話を続ける。
「柊さんも可愛い所がありましたね」
「なっ……!?」
真面目な話が来ると思っていたばかりに、予想外の言葉に対応が出来なかった。
「照光さん、これからもよろしくお願いします」
「分かりま―――」
「良かったらメイちゃんを貰ってあげてください?」
「「「は!?」」」
これには俺、メイ、黒沢父も驚天動地の言葉だ。
黒沢父が母を何やら怒っている。娘はやらんぞ!みたいな感じだ。
しかしこの茶番もそろそろ終わりのようだった。
2人の腹の傷が戻ってきて、服を汚し始めた。二人の死因は裂傷による失血死だ。これが意味する事は『死に行く者』に戻っているという事。更に言うなら下に居る有象無象と変わらなくなってしまうという事だ。メイを問答無用で襲うだろう。
「済みませんが。そろそろです」
「そうみたいですね」
「残念ね。もうちょっと未来の御婿さんとお喋りしたかったのに」
黒沢母が何事か言っていたが、全員無視すると少し悲しそうな顔をしてしまった。やってはいけない事をした気分になってしまい、ひどく困惑してしまう。
「メイに親殺しをさせる訳にはいきません。私が介錯させて貰います」
2人とも頷き返し俺の前に並んだ。手を握り合い、僅かだが震えている。
決死の覚悟で銃を構えた。
「お名前を、窺ってもいいですか」
2人は驚いたように、そう言えばと言う顔をしていた。俺は二人の名前を知らない。
「黒沢直樹です」
「妻の黒沢朝香です」
ぎゅっと目を瞑り、最後の覚悟を決めてトリガーに指を掛ける。
「直樹さん、朝香さん、あなた達と同じ日本人であった事を心から誇りに思います」
直後、2発の銃弾が二人の心臓を穿ち、絶命した。
死体は残る事無く地面に取り込まれて、消えて行った。
「は……」
何秒間固まっていたのかようやく意識が戻ってきて、屋上の光景が目に入ってきた。
目の前に居たメイは目元をぬぐい、腕から垣間見える目は真っ赤に腫れ上がっていた。
「大丈夫か?」
「……ひ、柊さんこそ」
メイはしゃくり上げながら強がりを見せる。
やりとりで30秒以上使ったのでメイに新たなマガジンが支給されている。
この間対応できなかった『死に行く者』を殺そうと運動場に走り寄ろうとした瞬間、絶叫が屋上に轟いた。
「がああぁっぁぁぁあああああぁぁあああぁっぁあああああ!!!!!!!」
あまりの痛ましいその声は酒井の口から発せられていた。
「ひ、ヒロシ君!?」
傍で包帯を巻いていた小林が驚き、苦しみで転げまわる酒井に弾き飛ばされている。
しかしそんなものは問題では無く、酒井の体の異変は小林に害をなした事を吹き飛ばすインパクトを全員に与えていた。
半袖半ズボンから見える素肌に真っ黒な血管が浮き出ており、生きているかのように蠢いている。波打つたびに酒井の苦悶の叫び声が心臓に響いてくる。顔も腕も足も見える箇所全てが黒い血管に覆われてしまい、肌色の部分が少ない。
地面を転げまわり、地面を握りしめようとするがコンクリートは掴めず、爪がはがれる。しかしお構いなしに自らの痛みを和らげようとあの手この手の策を弄していくが、遂には吐血し、血管が破裂し、血が噴き出す。
「うぐうあああぁっぁあ!!ゴホッ!……ア゛ア゛ア゛ぐぃううぅぅぅぅう……ぁぁっ……」
酒井の動きが鈍り始め、出血は止まらず目や鼻、果ては耳からも穴という穴から血が噴き出している。
そんな光景を見ながら誰も動く事が出来ない。助けにもいかず、その場に硬直していく末を見守る他無いのを本能的に察していた。
そして、酒井は、
「……あぁ、……ぐ」
何も言う事無く死んでいった。
自らが作った血の池の中で動き回った酒井の体は真っ赤になり、液体に中に沈んでいる。目は絶望に見開かれ、視線の先には小林が居た。
「……あり得ない」
酒井の傷は首元を噛まれただけで、あんな訳の分からない事になる訳がない。
しかし現に酒井の心臓は完全に停止していて、血流は止まっている。蘇生措置を取らないと脳死が待つばかりだ。
「ひ、ヒロシ君?……どうしたの?ねえ……ねぇったら!!」
小林が酒井に駆け寄り必死に蘇生措置を取っていく。気道を確保して人工呼吸に心臓マッサージ。しっかりとした動作で繰り返しているが。
「出血が……」
吐血や破裂した血管からの血の量が多すぎる。酒井を中心に何mも広がっているようにすら感じる。こんなに血が出てしまったら、輸血でもしないとその後を生き残れるわけがない。
だがそんな考えとは異なり、酒井の心臓が動き出し、呼吸を再開した。
「ヒロシ君!?よかった!!」
小林は酒井に抱き着き、死の淵から舞い戻った事に歓喜している。
「違う……違うぞ……小林!!『地図』を見ろぉ!!!」
小林は俺が何を言っているのか分かっていない様子だが、それでもスマホを見た。
そして顔は悲痛、悲壮、絶望、それら全てを混ぜ込み、増長した表情になった。
「ひ、ヒロシ君……『死に行く者』に―――」
「がああっぁぁぁぁあああああ!!!!!!!」
酒井は小林に襲いかかり、貪り食っている。
放り出されたスマホには一つ赤い光点が増えていた。
「酒井、やめろ!!」
小林を押し倒し酒井は自分がやられたように、小林の首筋に噛みついている。
近づいていくと突如、酒井は俺の方を見て腰に差していた鉄パイプを抜いた。
「くっそ!!」
酒井は小林の上から跳びあがり上段から鉄パイプを振り下ろした。
その鉄パイプは横から割って入った新藤の『服』に阻まれた。
「ぐぉ!?」
個人に対しては無敵の防御力を誇る新藤だったが、『棒』を持つ酒井に対しても無敵ではいられなかった。それでもコンクリート塀すら破壊する一撃を耐えきった事を考えれば、『服』の凄まじさが分かる。
さらに堂本が俺の横を通り過ぎて、短刀で酒井を斬りつけようとするが、リーチの長い鉄パイプを酒井は振り回して、堂本は攻撃範囲に入る事が出来ない。
膠着状態に入るかと思われたが、ハンドガンを抜いてリロード。新藤の陰から飛び出して酒井に銃撃を行う。連発する銃弾は酒井に殺到していたが、酒井は人間を越えた動きを見せた。
鉄パイプで襲い掛かる銃弾を全て弾いている。
「馬鹿な!?」
言いながらも狙いを変えて撃っているにもかかわらず、酒井は完璧に銃弾を捉えて『棒』をもって弾き返している。
「ごめんなさい!!」
離れた箇所からメイの射撃が襲い掛かり、偶然にも十字砲火となり、酒井も現代戦術の前に膝を屈した。完璧に銃弾の侵略を受けて、心臓の動きがどんどん弱くなっていき、動きが悪くなる。遂にはコンクリート床に仰向けに倒れ込んで、動かなくなった。
するとよろよろと小林が酒井に近づいていく。首からの出血は止まらず、今もどんどん溢れ出ている。小林は俺達を憎い敵でも見るかのように見ると、ハンドガンを抜いてマガジンを叩き込んだ。
「何をする気だ」
「か、勘違いしないでください。私だって分かってるんです……!」
でも、と言うと。
「ゆ、許せないのもある。でも私の命も……ゴホッ」
酒井程大きな反応を示していないが、小林も口から大量の血を吐いた。すると肌のいたる所から黒い血管が浮き出てきた。それが少しでも蠢くと、小林の顔が苦痛にゆがむ。
小林はすでに俺達を無視して、倒れている酒井に向き直り、酒井の顔をさする。髪を触り、頬を触り、肩を触る。最後にキスをすると、ハンドガンを持ち上げる。
「お、おい、何する気だ……!?」
しかしそんな言葉は小林には届かない。
「ヒロシ君、あなたの居ない人生は考えられません。私はあなたと居られてとても幸せでした。今までありがとう。愛しています」
小林はこめかみに銃を当てると一瞬の迷いも無く、トリガーを引いた。銃弾は頭蓋を粉砕し、脳味噌をぐちゃぐちゃにかき乱して、生命活動を強制的に終了させた。
倒れ行く小林の体はコンクリートの床と激突した。
酒井の体は地面に取り込まれ、小林の遺体はただ一人取り残されるだけだった。
「何で、自殺なんて……」
目の前の結果に全員が絶句して、目を見開いている。酒井の遺体はどこかに行ってしまい、小林の居た遺体だけが取り残されている。むごい。せめて一緒に居させてやるのが人情じゃないのか。
「そんなに好きだったんだ……。酒井さんの事……」
メイは理解を示しているが、生きていなければすべてが終わる。自分から死を選ぶ必要性はどこにも無かった筈だ。
「だからこそなのか……」
酒井の死はそれほど小林にとって重大な事だったのか。死ぬ他無かったのか。どんだけ考えても本人にしか分からない。切り替える必要があるはずだ。
「新藤、やるぞ!」
「……分かりました」
新藤は眉を寄せ苦渋に満ちた顔でそう言った。またしても新藤は市民を守る事が出来ず、みすみす殺させてしまった。新藤の覚悟は『死に行く者』の前に再度破られた。
『耳』を使いながら射撃を行い、現在の状況を把握していく。
校内に数体侵入しているが、踊り場の前で立ち往生している。たとえ『死に行く者』だとしても、炎の海を越えて行く事は出来ないみたいだ。しかし、いつまでも燃える事は出来ない。どれくらい持つか分からないが、これ以上の侵入は避けなければこの後は死ぬだけになってしまう。
撃つ、撃つ、撃つ。
弾を無駄にせず一撃必殺を決めていく。新藤も射撃の精度がどんどん上がり、モグラでさえも数発で仕留めている。
しかし、弾が足りない。
「くそ、無理か……」
門の『死に行く者」、塀も、穴からも出てくる奴らを処理できない。さらに言うなら、校内に開いたであろう穴からも『死に行く者』が出てきている。運動場の連中を倒す倒さないにかかわらず、このままでは校内には大量の『死に行く者』が出てくる事になる。
弾が切れたので、メイたちと射撃の順番が交代になる。
「どうしますか?学校から出ますか?」
「自分で燃やしたからな。2階から飛び出すのはありかもしれんが」
「でも煙で中には入れそうにないですね」
2つある出入口を見るとモウモウと黒い煙が立ち上っている。
屋上の縁から見ても視界に煙が目についており、中もかなり燃えているのが窺えた。
「予想以上に燃えているな。防火材うんぬんはどうなっているんだ」
「頑張れば何でも燃えるんじゃないんですか?」
「それは困―――!?」
不穏な音が耳に飛び込んできて、会話を中断して首を校舎全体に向ける。音が360°あらゆる方向から響いてくる。
「どうしたんですか?」
その言葉すら無視して、次の指示を出す。
「2人とも早く弾を消費しろ!!」
そこから二人は当てているのかすら分からないスピードで、弾を乱射していく。最後のマガジンを撃ち尽くすと二人がこっちに来た。
俺の焦りが顔に出ていたのか、二人も茶化すような雰囲気は無い。
「どうかしたの?」
「足音の数が多すぎる。何か来てるのは間違いない」
「何かとは?」
後ろに居た新藤が問いただすが、俺の『耳』は音だけしか分からない。
「何かだ。とにかく数が多い」
「でも塀があるよ?」
確かに学校の周りには3mの塀と10mのネットが完備されていて、『死に行く者』ですら『棒』でもないと破る事が出来ない。
「それでもだ」
そこからは何もしない時間が続いた。門の『死に行く者』も無視して、ここを目指している連中に集中する。
「来るぞ!」
間もなく『死に行く者』の全貌が見えた。
想定より数が少ないのは奴らは4足歩行をしていたからだ。
いや、それでは語弊がある。
4足歩行ならぬ6足歩行をしていた。
「何だあのキモイの!!」
それは人間であったが、骨格から変わってしまっている。
腰のあたりから5本目と6本目の腕が生えていて、元からある両手足で地面を蹴っている。新たな腕でそれを補助しており、2足歩行でもないのにかなりの速度が出ている。
しかし問題はそこではない。
「ネットをよじ登ってやがる!!」
目の細かいネットに捕まる場所は無いにもかかわらず、あの『死に行く者』はクモのように移動していた。10mはあるネットをよじ登ると、急転直下して真っ逆さまに落ちていくような感覚で校内に侵入した。
それが東西南北全てから来ている。
「一人1カ所だ!弾が切れれば中央に戻れ!!」
学校の構造上南方面に大きい体育館があるため射線が通りにくくなっている。南方面を堂本に任せ、射撃精度の高い3人で他を全力で葬っていく。
しかし数が多すぎる。ネット全てにクモが張り付いているようにすら感じる。そして最悪なのは校舎の壁を駆け上がっている事だ。
弾が切れたことで予定していた中央に戻る。途中で酒井の鉄パイプを貰っておいた。
「ヤバいよ!30秒も耐えれんの!?」
「ボウガンはあと何発ある?」
「15本くらい!」
「全員まだハンドガンは撃ってないな!?」
3人は頷き返しハンドガンをホルスターから引き抜いた。
一斉にリロードしてクモを迎え撃つ。
「撃ち尽くしたら接近戦だ!攻撃は受けるな!死ぬぞ!」
「「「了解!」」」
その体全体を屋上の縁から出てきたクモに全員が1発9㎜を打ちこんだ。
「あぁう!」
4発の弾を受けた全裸の男は屋上から落下し地面に体を強かに打ち付けた。
屋上は南北長く、東西には教室と廊下の幅分しか広さが無い。優先的に東西から現れるクモを撃っていくしかない。
『耳』で把握し完璧な精度で討っていく。体が姿を見せた瞬間打ち込み、最小限の消費でクモを殺していく。
そして全員の弾が切れる。
「新藤、容赦するなよ!!」
「分かってますよ!」
鉄パイプ、短刀、特殊警棒が屋上に上ってきたクモに次々と打ちこまれる。四つん這いならぬ六つん這いになっているクモは体勢が低く、振り下ろししか攻撃方法が無い。
これではやり辛いと思ったが、クモの防御力の低さは『黒い人物』と同等程度だった。頭に鉄パイプを振り下ろせば、簡単に頭が割れ脳味噌がぶちまけられている。
『耳』を使い続々と現れるクモにカウンターを決めていき、ギリギリの戦線を保っていく。メイは俺の後ろで基本は待機だ。堂本と新藤が組んでクモを撃滅していく。しかし数が多すぎて屋上の中央にどんどん抑え込まれて行く。
屋上の全てがクモで埋まろうとする頃に、30秒が経過した。
これ幸いにと全員アサルトライフルを起動する。
「死ねやああっぁぁあああ!!」
全員何事か叫んでいたが4つの発砲音が全てを掻き消した。撃てば当たる状況でフルオートの機能は最大限の攻撃力を発揮した。紙装甲のクモの体を突き抜け一発の弾丸で複数を蹴散らしていく。
1個のマガジンでほぼ全てのクモがダメージを負い、コンクリート床に飲み込まれていく。それでも大量のクモは屋上に現れ屋上を埋め尽くさんとする勢いで現れる。
ここからは激闘、死闘。
弾を撃ち尽くせば接近戦でクモと戦い、30秒たてばこちらの一方的な蹂躙が始まる。メイの残り少ないボウガンも全部うち尽くし、『靴』しかなくなってもメイも蹴り出す必要があるほど事態は困窮していた。攻撃が当たりそうになれば急いで逃げ回り、俺の後ろに隠れる。こんな綱渡りのような状況がいったい何分続いたのか。
「……はぁ……はぁ……生きてるか?」
「うん」
「……なんとか」
「……舐めないで下さい」
クモたちの打撃を受けた時には酒井のようになるのではないかと絶望したが、何も起こる事は無かった。この事が分かるとこちらに戦況が傾いたとは言わないが、やりやすくなった事は間違いが無い。これによって、接近戦でも臆する事なく戦い、クモを全滅させた。
メイは飄々としているが、男3人の疲労具合はこの後を不安にさせるほどだ。一歩間違えば死ぬような戦いを30分は続けていた。肉体に加え精神的にもかなり疲弊している。
「ン゛ブブ、ン゛ブ、ブブブ、ブブ?」
背中を気持ち悪い手つきで撫でられたかのようなざわつきが全員を襲った。一斉に声の主を見ると全裸の女。幼い。髪が長く、目元を見る事がかなわない。さながら貞○のような容姿をしている。口をとがらせ屋上の縁に立ち、ブブブと言い続ける。
「いつの間に……、いや、どうやってここまで―――!?」
少女の体が風景に溶け消え、完全に見えなくなった。元から何もなかったかのような自然さで世界は修復されている。
全員声も出さず目の前の光景を必死に理解しようとしていた。
そして、あの少女ですら『死に行く者』であった事を次の瞬間思い出した。
「体が―――!?」
新藤が大声を出したと思うと、新藤の体にあの少女が抱き着いていた。ただ抱き着いているのでは無い。少女の口の中からどこに収納していたのか分からない長さの舌が、新藤の体を固定していた。何とか抜け出そうとしている新藤だったが、脱出できるような物では無かった。
「ン゛ブブ?ン゛ブブブブ!ブブブブァ!!」
そして少女は何事かを叫ぶと大口を開けて、新藤の顔面に噛みついた。頬を噛まれた新藤は懸命に暴れて少女を引きはがそうとしても、全然離れてくれない。
「てめぇ!!」
堂本が少女の後ろから近付いて斬りかかろうとするが、瞬く間に消えてしまった。
「またかよ!!」
少女が次に姿を出したのは、堂本の真横だった。跳びあがり堂本の顎下を全力で殴りつける。
「ごぁ!」
「ン゛ブブ」
少女は再度殴りつけると堂本に舌を巻きつけて拘束した。堂本は肘下が自由だったので、握っていた短刀で舌を斬ろうとしたが、それよりも早く少女の噛みつきは速かった。
「ン゛ブァ!!」
堂本は首筋を噛まれ、頸動脈が切れたのか異常なほど出血している。しかしそれでも堂本はあきらめない。
「舐めんなぁぁっぁぁ嗚呼!!」
堂本は左手で少女を抱きかかえると、右手に持っていた短刀を少女に自分ごと刺し貫いた。
「ン゛ブブブブブブブブブブブッブブブブブブブッブブブブブブウウウウウゥゥゥゥゥゥッゥゥゥ………………」
少女は壊れた機械のように同じ単語を喋りつづけると、地面に倒れ取り込まれていった。
少女が死んだことを確認すると堂本と新藤の叫び声が学校中に響いた。
「はぁぁぁぁぁっぁ……これぁ……やべぇ」
「ここ……まで、ですか」
2人とも痛みに耐え、最初の絶叫以来、平時の音量を保っている。しかし出血に脂汗も加えらている。
そして付け加えるなら、
「その黒い血管は……」
堂本と新藤の素肌には黒い血管が蠢いていた。酒井と小林が死んでいった予兆が二人にも発現していた。すると堂本は短刀、新藤は制服を脱ぎ特殊警棒を置いて、遅々とした歩みで屋上の縁へと歩いていく。
「……良い覚、悟だな、……新藤」
「……中々、ですね、……堂本」
2人は良い顔で何か言っているが、俺とメイは置いてけぼりを食らっている。
後ろから声を掛けるだけしかできず、最悪の未来を想像すると動く事が出来なかった。
「な、何する気なんだよ……」
「や、止めてよ!大丈夫だから!!」
2人は屋上のギリギリで止まるとこちらに振り返って、言葉を残した。
「……二人は、……生き残って、ください」
「結、局ダメ、でした。……頑張ってください」
2人は軽く跳びあがると、足場が10m以上下にある場所まで落下していった。屋上から二人の姿が消え、一瞬の後鈍い音が2つ連続で耳に届いた。
「うぇええぇぇぇええぇぇ!!」
「ごほっ、ええぇぇ、おええぇっぇえ!!」
2人してその場で吐いてしまった。
仮にも生き残るために一緒に行動していた人たちが、目の前で飛び降り自殺をした。その事実は想像以上に大きく、酒井や小林が死んだ以上の衝撃を俺達に与えていた。
「……ぐっ、なんで」
いや、分かっている。俺達に襲い掛かるのを阻止するために自殺を選んだんだ。小林でさえ自殺していた。狙いが違ったかもしれないが、それでも俺達に襲い掛かる事だけは無かった。二人は想像もできない覚悟の元に、自殺を選んだ。
「……柊さん」
「……ああ」
2人の置いていった遺品を手に取り、装備していく。流石に制服は暑すぎるから着る事が出来ない。短刀と特殊警棒を両手に持ち、鉄パイプをメイに渡した。
「……どうするの?」
「そうだな」
「ン゛ブブ?」
死神の声が聞こえて、本能の赴くまま振り返った。
さっきの少女のような女が屋上の縁から顔を出している。頭を振り回し髪が振り乱れるその様は、おぞましさを増加させている。
「こいつも壁から来てたのか……!?」
本当にそうだったらまったく音が聞こえなかった。常時『耳』を使用していたにもかかわらず、感知もままならなかった。
加えて堂本と新藤を瞬殺する実力。
「……俺がやる」
「に、逃げようよ!勝てないって!」
「逃げる場所が無い。階下は『死に行く者』で満載だし、煙で充満して隠れるのも無理だ」
ブブブと少女は縁に立ち、悠然と構え消えた。移動しているのかしていないのか。音が無さ過ぎる。カメレオンの擬態をはるかに超えた光学迷彩で全く見る事も叶わない。
右に短刀、左に特殊警棒を持ちいつでも対応できるように構える。
そして何かが空気を切り裂く音が耳に届いた。
第6感ともいうべきものが働き、その場を真横に大きく飛び退いた。隣を何かが通り過ぎ、空気が肌を舐めていく。
「ぐっ!」
「ン゛ブブ」
突如目の前に少女が姿を現し、素っ裸のまま右ハイキックを繰り出す。左腕で受けるがあまりの重さに歯噛みしながら、右に持っていた短刀を振り下ろす。
少女は余裕を持ってこれを躱し、口を大きく開けると、下が射出された。
回避できる距離でも速度でもなく、警棒で舌を受け止めると、警棒が絡め取られて少女の手に渡った。少女は警棒をくるくると器用に回して、熟練した所作を見せると突撃してきた。
愚直に横薙ぎにしてくる警棒に短刀をもって跳ね返そうとした。短刀が警棒に接触した瞬間、短刀は粉々に砕け散ってしまい、目の前で起きた事を理解出来ずに一瞬硬直してしまった。
それが仇となって少女が出す舌を避ける事が出来ず、堂本や新藤と同様に拘束されてしまった。
「クソ!離せ!」
必死に解こうとするが、少し隙間ができる程度でまったく解決になっていない。
少女の口が大きく開き、処刑が執行された。
「ぐあああぁぁあ!!」
「ン゛ブブブブブブ!!」
噛まれた首筋から何かが送り込まれ、血流にのって全身に植え付けられていく。体の中を何かが駆けずり回り、それが膨張していく様がありありと感じられた。
「くそがぁっぁぁあ!!」
渾身の力を振り絞り、少女の舌を僅かばかり解放すると抱え込むように頭を拘束した。少女の後頭部と顔面の前面を抑え込み、最後の仕上げに取り掛かる。
【柊流古武術『骨抜』】!!
思い切り少女の頭をねじり、首の骨を折った。少女の頭は180°回転して、脳からの命令を伝達する事が出来なくなり、数回痙攣すると地面に消えて行った。
俺は地面に四つん這いになり、襲い掛かる痛みに耐えながら、マガジンポーチからハンドガンの弾を取り、ハンドガンに装填していく。
リロードが完了したハンドガンを頭に持ってきた所で、メイの蹴りが俺の腕を蹴り、自殺を阻止された。
「何やってんの!?」
「……邪魔だ。どいてろ」
アサルトライフルにリュックも放り捨てて、屋上の縁へと少しずつではあるが歩いていく。最後の装備であったナイフもそこらに捨てて、メイの糧にしていく。
そしてもう少しで飛び降りようとした時に、メイが腰に抱き着いてきた。
「やめてよ!一人にしないで!!」
「……無理だ。……俺が『死に行く者』に、なったら、……お前、を襲う」
強引にメイの腕を振りほどき、一気に足を進めて屋上から飛び出した。気持ち悪い浮遊感が俺の股間に攻撃してくると、次は重力が俺に襲い掛かった。
接近しようとする地面を見ると本能的に怖くなり、腕を伸ばしてしまった。
「ぐぅぅぅううううう!!!」
メイは俺の手を取って、屋上から何とか引き上げようとしていた。顔が真っ赤になりながらも懸命に引き上げようとしているが、支えも無く成人男性を引き上げられる訳が無い。
上を見上げてメイの顔を見る。
「……離せ」
「嫌だ!!」
「……いいから」
「嫌だって―――」
メイは続きを何か言おうとしていたが、乱入してきた奴が居た。
「ン゛ブブ?」
新たに出てきた少女はメイの体を蹴り出し、メイも空中に放り出されてしまった。視線の先には高笑いする裸の少女。
「メイ!!」
掴んでいたメイの手を取って、抱き寄せるようにしてメイをかばう。
人は15mある場所から落下すると死んでしまう。ここは約10m程度だが、人2人分の体重が乗ってしまっては絶対死んでしまう。逆に俺がクッションになればメイだけは助かる。その後はコイツの対応力に任せるほかはない。
メイもギュッと俺の体に抱き着き、行く先を任せている。
重力に引かれ落ちていく。
「―――ッ!」
「―――ぅ!」
どちらも目を固く瞑って、来るべき衝撃に身を竦ませていた。
しかし待てど暮らせど、死んでしまうような衝撃は二人を襲う事は無かった。
「現時刻をもって『死に行く者』がルールを満了しました。『選別』を終了します」
ポケットに入れていたスマホがそう言うだけで、それっきり反応が無くなった。二人はゆっくり目を開けると、自分たちの居場所が組長宅の居間である事に気付いた。
『死に行く者』が始まった時に居た場所であった。
月明かりだけが室内を照らし、お互いの距離は近くぎりぎり顔が見える。かつてない距離感に二人の距離はさらに縮まっていく。
そして、抱き合った姿勢から二人は狂おしく口づけをした。
何度も。何度も。
生き残った事を喜び、生存本能が爆発する。近くにいる異性に引かれ、急激に体が火照っていく。体を弄り、肌を撫で、口づけを深くしていく。
しかし二人のうちの男がそれより先に行く前に、口を開いた。
「メイ、遠くに行こう」
「うん、良いよ」
男がそう提案すると、女は素直に従った。
すぐにその場を離れ、二人は暗い住宅街に姿を消した。
そこは豪華絢爛と言って良い様式美の部屋であった。
しかし今はその姿を変え、機能美にあふれている。真っ白な壁に天井。まるで無菌室のような清潔さだ。
部屋には大きな机と本棚、あとは照明位しかない殺風景な物だ。
部屋の主は全世界の人間が一度は目にしたか、耳にしたかのどちらかであろう。
男とも女とも判断がつかないその外見と声。
そんな形をしていたが、その人物は非常に重要なポジションについている事だけは誰でも分かった。『選別』の開催を宣言し、毎度の如く現れるその人物こそ、この部屋の主だ。
彼、または彼女は1枚の紙を手にしている。
非常に簡潔な報告書だ。
『選別』成功。
これだけである。
しかしその人物にとってはそれだけで十分だった。
その人物は立ち上がって全面ガラス張りの窓まで近づいて、眼下に広がる街を見下ろす。このビルの入り口にたくさんの死体があった。『黒い人物』の犠牲者だ。
『選別』が開始されたとき、国際連合本部ビルにはたくさんの人が殺到した。当然ではあるが、中に入られても困るので、大量の黒を投入して皆殺しにしている。
それを見ると他にもたくさん転がる死体を見て、その人物は満足げに頷いた。それからもその人物は死体を見つめ続け、何が面白いのか笑い続ける。
そして独り言を喋り始めた。
「遺体を埋葬するのはなぜでしょうか。死者を弔う事もその一つでしょう。しかし」
その人物は得意げに人差し指を振って、指揮者ぶっているかのように振る舞う。
「その実は遺体を放置すると感染症や疫病の温床となるからではないでしょうか?1日2日程度だったら問題ない。一人だったら問題ない。でも何日も何十億人も放置されたら生き残った人類はどうなるんでしょうか?」
その人物は本当に楽しそうに笑い、まだ話を続ける。
「87億5,000万人もの遺体は誰が処理するんでしょうか?動物?その動物は何か感染しないんでしょうか?それを食べた人間は何かに感染しないんでしょうか?……分かりませんけどね。でもHIVなんて感染したら、それこそ終わりじゃないでしょうか?」
そこでその人物は真顔に変わり、もう少しだけ話を続ける。
「まだ『選別』は終わっていません。第四のゲームを始めましょう。ゲーム名『感染者』。ゲーム満了条件は、人類が全滅するかしないかです」
一息入れ、眼下に群がる死体を見て、目の前を見つめた。
どこかに生き残る12億5,000万人に向かって。
「人類よ、貴様らは増えすぎた」
これにて終わりです。
本当は何話かに分けようかと思いましたが、一気読みしてほしかったので、合体させました。ちょっと読みづらかったかもしれませんね。
1か月にも満たない間でしたが、皆さんありがとうございました。
感想を頂けると今日1日使った甲斐があるというモノです。
新作です。
ノアの方舟
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