第21話 邪魔
自動応答の宣言の直後、俺達を日本の蒸し暑い空気が出迎えてくれた。肌にまとわりつく湿気を含んだ空気は、それだけで人を不快にする。
午前4時過ぎ。まだ太陽は地平線から顔を出しておらず、住宅街に灯る光は電灯だけだ。人と巨人しかいない鏡面世界ではこの暗い中でも、電灯の周りに虫すらいない。いつもなら鬱陶しいだけだが、居ないと寂しい物がある。
3人は住宅街に姿を現すと同時に動き始めて。腕時計から爆音が轟くのを未然に防いだ。早速歩き始め、巨人の動向を探っていく。
「……近くには居ないみたいだな」
呟きを聞いてメイと堂本も肩の力を抜く事が出来た。転移直後に巨人が居る可能性も否定できず、武器を構えて転移していた。
各自構えを解いて、力を抜いて歩き始めた。
「……面倒だな。4体全てを把握するのか……」
やや信頼性に欠けている『耳』で各自の動きを把握するのは、些か神経を使う。すると微妙な音が聞こえてきている。素足で地面を歩いているのではなく、ゴムと砂利が擦れているような音だ。
「誰か生きてるぞ」
「ホント?新藤さんじゃない?」
「あいつですね。しぶとい奴っすね」
しかし集中すると足音が複数あるような気がする。一歩進む瞬間すぐに、次の足音が聞こえる。明らかに速すぎる。次の一歩が速すぎて、走っているのとも違うようだ。
「……2人だな。複数いる」
「どうすんの?正直言えば新藤さんかも分からないよ?違ったら足手まといだ」
メイの意見は中々に厳しいが、それがこの『巨人』の現状だ。ほぼ足手まといが決定している人間を連れて行っても邪魔になるだけだ。しかし、新藤であった場合は戦力として申し分ない。あいつが居ると居ないとでじゃ、巨人との戦闘の危険性が段違いになってくる。
「遠くから確認する。新藤が居れば接触するぞ。堂本もいいな?」
「この状況で我儘なんて言わないっすよ」
メイも納得して、人間が居る方向へと歩きだした。
やや歩いていると、対象の人物たちが危険な状態になり始めた。巨人の気配に気づかずこのままでは、はちあわせしてしまう。
途端に進む方向から爆音が住宅街に鳴り響き始めた。それに従い残り3体の巨人達が大移動を開始した。
巨人の移動経路から急いで離れて、接触を回避していく。
「大丈夫なの?」
メイが言葉を圧縮して聞いてきた。
新藤は大丈夫なのか。これを切り抜ける事はできるのだろうか?
「……これが新藤だったなら、3時間前の巨人達も切り抜ける事が出来たんだ。どうにかすんだろ」
「だと良いけど……」
発信源から遠く離れて、『耳』でも戦闘状況を観察していく。アマリの音の大きさに『耳』を使う必要は無いが、依然断続的に音が響いている。止まったり、動いたりして途切れ途切れに音が耳に届いてくる。
「……一人離れて行ってるな。逃がしてるのか?見捨てたか?」
最低でも二人で行動していたが、音源からどんどん離れて行っている。好意的に解釈するなら一人が囮になって逃げている。悪意的ならそいつに巨人を押しつけて逃げている。どっちにしろ逃げているのは確実で、一人は自分の命を懸けて戦っている。
助けに行きたいのはやまやまだが、そこにはさらに3体の巨人が向かっている。4体同時など数の優位が消えて、こちらの優位性が皆無になる。勝ち目ゼロ。一人で切り抜けてもらうしかない。
歩き続ける事1分程度。
爆音が消失した。
「柊さん……」
「ちょっと待て……」
耳を澄まして小さな音に集中する。か細い音が一定のリズムで俺の耳を駆け抜けていく。それが2つはある。
「……すごいな。あの状況から逃げたのか」
「大丈夫なの?」
「ああ、ちゃんと逃げてる。そいつの方が早いな」
巨人の走力に打ち勝ってどんどん2つの音の距離が離れて行っている。9時間歩き続けてなお、巨人より早く走るか。相当鍛えている証だ。一般の人ができる芸当を越えている。
「十中八九新藤だな。しぶとい奴だ。合流するか」
「オッケー」
「生きてやがったか」
逃げていった奴は俺達から離れているが、新藤と思われる奴はこっちの方向に走ってきている。そいつは住宅街をぐねぐね走る事で、巨人を振り切る事に成功したみたいだ。凄い体力だな。
移動速度が減退しており、こちらも走って合流に向かう。
金属製の大きな盾を持つ一人の人間のもとに、3つの足音が近づいていく。盾を持つ人物は先程巨人と激闘を行い、さらには動き続ける事でかなり疲弊していた。疲れから顔は自然と下を向いてしまい、体は酸素を求めて呼吸を激しくする。不自然な音にようやく反応して見ると、見覚えのある3人が居た。
「……無事だったんですね」
新藤の様子は明らかに平時の状態ではなく、格好はボロボロであった。持ってきた暴徒鎮圧用の盾はボコボコに凹んでいて、何とか盾としての機能をまだ維持しようとしていた。誇りを持って着ていた警官の制服は、土やほこり、自分の血で汚れてしまっている。
「お前はギリギリだな」
リュックの中に入れていたペットボトルを差し出し、新藤はためらいも無く飲み干していく。乾ききった砂のように水が吸収されていき、すぐに水は無くなってしまった。
ブハッと生き返ったような声を出して、ぎりぎり自分の命を繋ぎとめた。
「……助かりました。転移がどうとか聞こえましたが、どこかに行ってたんですか?」
自動応答は他に他言するなと言っていたが、明確にどれを言うなと言っていなかったので、迂闊にいう事が出来ない。転移した場所を言うだけでも、その瞬間死が訪れる可能性も否定できない。
「悪いな。それは言えないんだ」
「……まぁ良いでしょう。メイさんも無事のようで何よりです。ヤクザはどうでも良いですが」
メイは労いの言葉をかけ、堂本は売り言葉に買い言葉で新藤と口喧嘩し始めた。堂本はどこか活き活きとしており、ストレスを発散しているようにすら見える。真正面からぶつかってくる新藤と言う存在は、この状況で堂本にとってもやや特別な役割を演じている。それは新藤にとっても同じようで、敵対者である堂本に弱みを見せまいと、格好を正して堂本と口論をしている。
それを見ていたメイは最初こそ嬉しそうな顔をしていたが、あまりにも止まらない口げんかに表情が変わっていく。頬がひくひくと動き始めると、これ見よがしに足をタップし始めた。
2人は宿直室での一件を思い出し、『靴』の餌食になる前に喧嘩を辞めてメイに謝り事なきを得た。
歩きながらこの3時間の事を聞いていく。
「巨人は盾で撃退できました。偶に飛んでくる蹴りに合わせて、残る片足に突撃しました。さしもの巨人も重心を崩されては立ってはいられず、その隙に逃げました」
「危ない事するな」
「それはそうですよ。蹴りが飛んでくるまでは命懸けです。その証拠に盾もこの通りですよ」
新藤はベッコベコのボッコボコになった盾を指し示す。良く見れば黒い盾には少しではあるが血が付着している。
「この血は?お前のか?」
新藤は頭から少量ではあるが、出血している。そこまでの量は流れておらず、今は止まっている。しかし盾の前面に血が付着しているのは少しおかしい。
「巨人のですよ。思いっ切り殴って来るんで、途中で拳が砕けたみたいです。それで吹き飛ばされて頭をけがしたんですけどね」
「……なるほど」
「いやいや、なるほどじゃないよ。盾構えてても衝撃は来るでしょ。あの巨体の一撃は相当な物だと思うけど」
人を三倍にした巨体から繰り出される拳の重みはどれだけの物だろうか。さらに体長差もあり必ずと言っていいほど、拳は打ち下ろしとなってしまい威力の逃げ場が無くなり、最大限の威力を発揮する。
「『服』ですね。頑張って耐えました」
「……適当ですね。無くは無いですけど」
『服』の防御力を鑑みれば直撃しない分なら、何とかなりそうではある。『黒い人物』での『服』は全員身を持って体験しており、新藤の『服』も同程度ならばそんな芸当ができたとしても不思議ではないのかもしれない。
『耳』で辺りを確認しながら進んでいく。
4体とは言え近づいてくる個体の存在に注意すれば、そこまで危険では無くなり、慣れてきた。近づかれれば走って離れて行き、そうでなければ歩いて適当に時間を過ごしていく。
午前5時。
意識の外に行っていたが、生き残りが居た事を足音で思いだした。
曲がり角から勢いよく姿を現した一人の男がこちらに近寄ってきた。
「ここに居たのかよ。どんだけ彷徨ったと思ってんだ」
男が新藤の方をばしばし叩き、なれなれしい態度を取る。
新藤の話ではこの男以外はすでに死亡しており、歩いている途中で何体もの遺体を発見した。囮をなり10人を逃がしていたが、新藤だけでは一体を抑えるのが限界であり、他の2体が力のない人間を蹂躙してしまったそうだ。
この男を見れば、メイにボウガンを寄越せと言ったクソ野郎である。性格上クソ野郎が生き残りやすいゲームではあるが、コイツは面倒だ。
「さっさと行くぞ」
男を無視して新藤の方を押して、先へ進んでいく。
しかし男は後ろからついてきており、邪魔以外の何物でもない。
首だけで後ろを見て、男に言い放った。
「邪魔だ。付いてくるな」
男の眉がピクリを動いて表情が険しくなっていく。
不穏は空気を新藤が感じて、俺達の間に割って入り仲裁しようとする。
しかしそんなものは無視してどんどん話を続けていく。
「新藤は俺達が貰う。自分の身は自分で守れ」
「何言ってやがる。そいつは警察だろ。俺達を守る義務があるだろうが」
「『選別』中は法・倫理は適用外だ。そんなものは無い」
「だとしてもお前らが独占する理由にならんだろうが」
「今まで何人見捨てた?そんな奴が近くにいるだけで死亡率が上がるんだよ。分かったら失せろ」
図星を突かれたような反応を示し、新藤の首根っこを掴んで引き摺って行く。
それでも男は俺達の後ろをついてきて、全く離れようとはしない。かなり鬱陶しい。
30分、1時間。
新藤は男にも声を掛けるが、俺やメイ、堂本は完全無視だ。
すでに午前6時。そろそろ巨人を倒したいがあの男が居れば邪魔される可能性すらある。それだけの態度を俺達は取っている。
どうしようかと迷っていた時、クソ野郎は予想外の行動をとる。
後ろから爆音が鳴り響き、男はその場から一歩も動こうとしていない。
全員驚いて振り返り、信じられないような表情で男を見つめる。すると男が口を開いた。
「……お前ら巨人を倒したんだろ?そんで、どっか避難所みたいなとこに行ったんだよな?俺も連れてけ」
転移条件の音声は他の奴にも聞こえていて、コイツにも聞こえていたらしい。
爆音は住宅街に鳴り響き、自分の命の警鐘を鳴らされている。あまりの音が自己の冷静な判断を容易に押し崩し、焦りが出てしまう。
俺もメイも、堂本、新藤もあっけにとられ、どう動いていいのか分からない。
するとようやく新藤の意識がこっちの世界に戻って男に呼びかけた。
「何やってるんですか!?早く動いてください!!」
「はっ!やだね。お前たちは俺に使われればいいんだよ!!」
新藤の言葉も無視して動こうとする気配すら見せない。
『耳』を使えば四方から巨人がこちらに向かっている。あまり時間が無い。
あの豚野郎と同じだ。糞だ。
これは『巨人』が、『選別』が抱えている問題だ。
他人を使って自分は生き残る。そういう奴らを排除するための『巨人』な訳だが、この9時間ではこいつは死ななかった。『選別』中は何をやっても咎められる事は無い。あいつの行動は誰にも罰せられないし、俺のやった事も咎められない。
持っていた槍を構えて走り出し、男の腹に突き刺した。
全く動こうとしていなかった男は俺の動きに合わせる事が出来ず、二本の刃物が腹を突き破っている。
「ぎゃあああぁぁっぁあああ!!!!」
男が地面に突っ伏し、あふれ出る血を止めようと腹を押さえている。
新藤は慌てて俺を取り押さえて、これ以上させないようにしている。
「な、何やっているんですか!?」
後ろから抱え込んで止めようとしている新藤に向かって考えを言ってやる。
「邪魔だから」
そこで一発新藤の拳が俺の顔に命中して、俺も新藤もその場に立ち止る。
2人の腕時計からも音が鳴ってしまい、辺りは3重奏の様相を呈している。
「……新藤、何か勘違いしているみたいだな」
「……何がですか」
真正面から向き合う二人の視線はぶつかり合い、今にも取っ組み合いが始まりそうだ。
「お前は全員救いたいようだが、俺はそうじゃない。メイだけが安全ならばそれでいい。他の奴は知った事じゃない」
首を回してみるとメイと堂本がどうすれば良いのか分からない様子だ。『耳』での誘導が無いと安全に移動できない。
視線を新藤に戻して、続きを話した。
「これは黒沢夫婦の最後の願いだからだ。正真正銘の命を懸けた願いだ。……それにだ、新藤。お前は確実に失敗している」
「……どういう事ですか」
「全員救いたいならお前は『刃』『棒』『靴』のどれかを取るべきだったんだ。『服』を取った時点でお前はお前自身しか守る事が出来ない」
「それは……」
「それにコイツの行動を見たか?ワザと立ち止まり俺達を窮地に追い込んでいる。邪魔だ。存在がすでに悪だ。こんな奴は速く死んでもらって、人口が半分になるための人柱になるべきだ」
地面に横たわり血を撒き散らす男を見やる。
腹のど真ん中を突き、背中にも穴が開いている。
「お前がこいつを守るのは止めない。その場合は4体の巨人が相手になるがな。勿論俺達は逃げさせてもらう。お前が居ないのは困るが、居なくてもこっちはどうにかなる。難易度の問題だ」
新藤は下を向き、出血多量の男に目を向ける。
「自覚しているか知らないが、お前は本当に失敗だらけだ。ここに居た11人の人間は守りきれず、自分だけが生き残っているぞ?」
「ぐっ……」
新藤は大きく目を見開き、何か言い返そうとはしたが、自分の行動の結果を思い出して歯噛みするだけだった。
「つーか、お前メイを守るって言ったよな?なに?見捨てんの?それが誇り高い警官のする事なの?」
「……」
新藤はメイと男に視線を交互させて、葛藤している。死にかけの男か、メイか。
新藤を置いていくと言ったが、そんな事はさせたくない。こいつは使える。
「仮に巨人を撃退してもお前、コイツを直せるのか?俺は腎臓を貫いたぞ。出血多量に加え、その内毒素が体中を満たしていく。コイツの死は確定している。俺が言ってもあれだがな」
「……『選別』が終わったらあなたを逮捕しますよ」
苦渋に満ちた表情で俺にそう宣言する。
俺としても罰されるのはどうという事は無い。その前に警察が無くなっていると思うが。
「勝手にしろ」
新藤は男の近くまで行って、お別れの挨拶をした。
「山崎さん、残念ですが私達はあなたを見捨てます。それでは」
山崎と言う男に死刑を告げるとそのまま新藤はメイと堂本の方に走っていく。
『耳』で最後に巨人の移動状況を精密に確認して、俺も走り出した。
「お、おい!!!……何やってんだあぁぁ!!戻って来いいいいい!!!!」
「メイ、左だ」
「オッケー」
『靴』で先を行くメイに逃走経路を教えていく。
するとメイが首だけこっちに向けて、軽く笑った。
「柊さん、結構厳しいね。私には甘いから驚いちゃったよ」
「言ってろ」
メイはハハッと笑い、前を向いて脚を動かしていく。
目の前でほとんど殺人現場を見せられたに等しいが、まったく動揺している様子が無い。
どう思われるか心配だったが杞憂のようだ。
「アニキがやらなくても俺がやったのに」
「そう言うなら安心だ。お前の覚悟も問いただす気だったしな」
おー怖っ!、と言ってメイの隣まで行って先頭を走り出した。
一番後ろに居た新藤が俺の隣まで来て、喋りかけてきた。
「……あの人は理性がありませんでした。……あの人は他の人を犠牲にして最後まで生き残っていたようだったので」
「そうか」
「逮捕すると言いましたが、警察があるかなんて分かりません。無罪放免かもしれませんね」
「その前にここでは罪に問われないんだよ」
「……そうでしたね」
住宅街に轟いていた爆音はいつの間にか消えていた。
感想を待ってるぜ




