招請
膨れ上がる光芒は白銀に輝き、呆然と見つめるマークの心をも真っ白に染め上げた。
ジャックは背後を振り向き、話しかけた。
「しっかりしろ、マーク。何かおかしい」
わずか二メートルという至近距離の爆発。しかし爆煙も破片もなく、ただ白銀に輝くのみだ。
光が薄れてきた。やがてエアバイクが見えてくる。
バイクには二人の人間が乗っていた。
「上等だ、てめえ。俺のミリィに手を出しやがって。本来なら破片も残さずぶっ壊してやるところだが、てめえは証拠品だ」
運転席のミリィをタンデムからしっかりと支え、しゃべっているのはスレッジだ。
「……」
頬を真っ赤に染め上げたミリィは無傷だった。
マークは音を立てて安堵の溜息を漏らした。しかし、ほぼ同時にジャックが警告の叫び声を上げる。
「やばい! 黒ロボットの奴、もう一発ぶちかますつもりだぞ」
バイクを受け止めた姿勢のまま、【ダークパペット】が口を光らせていた。
しかし、スレッジの方が早い。彼は右手を無造作に振った。
白銀の光がダークパペットの頭部を包む。すると、【ダークパペット】の口から光が消え、淡く発光していた両眼の部分も暗くなった。ぐったりとエアバイクに寄りかかった【ダークパペット】は、完全に機能停止してしまったようだ。
「悪い、ジャック。俺、右足折れちまってて。この黒ロボットを運んでくれ」
リラックスした様子で話しかけてくるスレッジに対し、ジャックが答えるより先にマークが周囲を警戒しながら答えた。
「いいですけど、他にも敵がいるんじゃ……」
「こいつで最後だ。まあ、ほとんどの奴はユキが片付けてくれたんだけどな」
そこまで言ってからスレッジは若干焦った口調になり、早口で告げた。
「おっと、そんなことよりジャックたちの残り時間、もうほとんど残っていない。急いで処置しないと。同調しろ、マーク」
同調と言われてもよくわからないマークだったが、半年前にスレッジやミリィと共に同じビジョンを共有した時のことを思い出し、精神を集中した。
「いいぞ、うまくいく。俺がジャックの脳を覗き、マークの念動力を借りてナノマシンを排除するんだ」
思わず聞き返すジャックに対し、答える者は誰もいない。
スレッジの両目が白銀に輝き、マークの全身も淡く発光している。
居心地悪く視線をさまよわせるジャック。その間、時間にしてほんの一分のことだったが、数倍にも引き延ばされたかのように感じてしまう。
スレッジの口からおよそ気負いのない宣言が発せられた。
「よし、終了だ」
「しゅ、終了って何が?」
「聞いてなかったのか。ジャックの脳に埋め込まれてたナノマシンを除去したんだよ」
あっさりと告げられ絶句したジャックだったが、今は迷ったり疑ったりしている時ではない。それが本当なら彼女も助けることができる。
「スレッジさん、クレアがまだ……、あいつもよろしくお願いします」
「ったり前だ。あの野郎が張った自在空フィールドが消えるまでに処置しなけりゃ間に合わん。行くぞ、マーク」
スレッジは左足でエアバイクのステップを蹴ると飛び降りた。間髪容れず、マークも同じように飛び降りてしまう。
「なっ!?」
慌てながらも傾くエアバイクをなんとか姿勢制御させるジャックを気にも留めず、賞金稼ぎの二人は空中で肩を組んだ。視線だけでミリィとジャックに挨拶を寄越した次の瞬間、白銀の光に包まれて斜め下方へと飛び去っていく。
「エアバイクなしで、空を飛んでいる……」
連続で驚かされてばかりだ。疲れ切った表情で白銀の光を見送るジャックは、自分のエアバイクがごそごそ揺れていることにようやく気がついた。いつの間にかミリィがジャックのタンデムシートに自分のエアバイクをぎりぎりまで寄せ、【ダークパペット】をロープで括り付けていたのだ。
振り向くと、ミリィがウインクしながら言った。
「ほらジャック、僕らも行くよ」
* * *
満身創痍の【ポメラニアン】はネオジップ湾に浮いていた。
目を開けたデジルはあまりの眩しさに手をかざした。青空が見える。
「ぬう? たしか天井が崩れてきて、それからどうなったんだ」
もはや夢か現実か定かではないが、記憶に残る最後の場面を思い返す。
確か、頼りの耐衝撃フィールドシステムが過負荷を知らせる警報を鳴り響かせていたはずだ。その直後、激しい揺れに襲われて――
身体を起こしたデジルは、船内の惨状に派手な溜息をついた。天井の一部が崩れており、瓦礫の隙間から覗く壁や床からは配線が剥き出しになっている。
「んげ。俺の退職金が――」
「お目覚めですか、ヒルズさん。修理は中央情報局でお引き受けしますよ。まるごと建造するのに近い費用がかかりますが、必要経費ですのでご安心を」
デジルの呟きを青年の声が遮った。振り向くと、五分刈りの黒髪と黒目の青年が立っていた。
「あんたはたしか、マーチン?」
「はい。中央情報局特殊工作中隊所属、マーチン・デービス大尉であります。連絡の途絶えていた【ポメラニアン】からの救難信号をキャッチしたので、ネオジップ海軍に手を回して直接救援に来ました」
半年前にネオジップ陸軍への潜入捜査をしている際、マーチンはユキにも身分を隠し、彼女と同い年の下士官を演じていた。ユキより四つ歳上の上官というのが本当の彼の身分なのだ。
因みにユキの本当の階級は特務小隊中尉であるが、彼女の任務は専ら局上層部からのメールや文書で下命される。一部の特務小隊メンバーを除き、局員同士といえどもほとんど面識がなかったのである。
「ぶー。せっかく戻ってきたと思ったのに、スレッジったらユキさんと一緒に研究所にとんぼ返り。つまんないよ」
背後からミリィの声がして、振り向いたデジルは乗組員たちの無事な姿を認めた。
ミリィとマーク、カナとゲイリー、ジャックとクレア。
「みなさんがご無事で何よりでした」
彼らに声をかけた後、マーチンはもと“被験体”の二人に話しかけた。
「君たちがジャックとクレアか。我々と一緒に来てもらうよ」
その言葉に身構えるジャックたち。苦笑したマーチンは、穏やかに微笑むと言葉を続けた。
「大丈夫だ。君たちには何の罪もないし、もし望むなら職業を斡旋する用意もある。我々の目的はバレリー博士とベイリー大尉であって君たちではない。参考人として研究所でのことを聞かせてもらいたいだけだよ。君たちの存在を公開することもない」
「心配するな。この男は信用できる」
横からデジルが請け負うと、ジャックとクレアはおずおずと首を縦に振った。
マーチンはデジルへ向き直り、告げた。
「チンピラが警察に逮捕されました。【ポメラニアン】への破壊工作を自白しています」
人間の犯罪者では不可能な規模の破壊工作だ。デジルを始めとする一同の雄弁な視線にあっさりと頷き、マーチンは話を続けた。
「前科者ですが、おそらくはベイリー大尉が事前に用意しておいた身代わりでしょう。名前は――」
デジルにはマーチンが告げた前科者の名に心当たりがあった。以前スレッジが捕まえた賞金首である。おそらく前科者はベイリー大尉から催眠暗示をかけられ、濡れ衣を着せられたのだろう。
本気で調べれば多くの矛盾点が見つかるはずだが、多分闇に埋もれるに違いない。なぜならネオジップの警察は、滅多なことでは本気を出さないからだ。
「身元不明の少年と少女が巻き添えを食って死亡。【ポメラニアン】に搭乗していたデジル・ヒルズ及びスレッジ・マークスの二名は全治二か月の怪我。公式にはその内容で間もなく……、いえ、先ほど報道されました」
思わず自身を指差すジャックとクレアを後目にデジルが呟く。
「おいおい、それじゃ二か月も街中に飲みにいけねえじゃねえか。下手に顔出しゃ賞金稼ぎ仲間に出くわしちまう」
「ご心配なく。【ポメラニアン】修理には最低でもひと月はかかりますから、その間は中央情報局の施設をご利用ください。宿泊施設はもとより、ショッピングモールから娯楽施設に至るまで一通り揃っていますよ。それらの費用まではご用意できませんが、ネオジップのどの施設よりも格安です」
満足そうに頷いたデジルは、シートを被せられた物体を見た。その物体は海軍の牽引船にカムフラージュされた中央情報局の船に積み込まれようとしている。
「あいつが【ダークパペット】か。それにしてもペイジの野郎が生きていたとは。しかも宇宙人ときやがった」
「それについては慎重に調査しますよ。尤も、疑いようのない証拠が続々と見つかっている状況ではありますがね」
マーチンは表情を引き締め、グレートザップ超心理学研究所が建つ方角を睨むように見据えた。
「大詰めまであと一歩です。スレッジさんのお陰でうちの工作員たちはほとんど疑われることなく証拠集めに専念できました。おそらく、明日一日潜入していてもらえれば任務完了となるでしょう。ご協力感謝いたします」
突然ジャックが話に割り込んだ。
「あれ? でもたしか、スレッジさんって今、足が折れているはずじゃ……」
「なんだって」
これまで冷静に話を進めてきたマーチンが、初めて焦った声を出した。
「いや、大丈夫さジャック。あいつはバカだが、何の勝算もなく無茶をやらかしたりはしない……はずだ」
そういうデジルの額には汗が光り、語尾は小さくしぼむような声になってしまった。
* * *
ノーラことクローン八十六番の個体が、再びバロウに話しかけてきた。
(あたしはダフネ。この個体を教育しているプログラムです。この八十六番は特別な個体なのです)
「プログラム? クローン自身が起きているわけじゃないのか」
今バロウが行っている作業は、クローン覚醒の最終フェーズを制御するプログラムのチェックである。実際にはほぼ終わっており、スレッジとの交替から三時間と少し経過した今、彼が担当すべき作業は終了したも同然だった。
(マスターと侵入者が自在空の中で戦闘を行い、その影響でこちらの個体が一体ダメージを受けました。間もなく一騒動起きます。あなたは何もしなくても構いません。九十七番の個体はもう助かりませんが、どうか冷静さを失わないでください)
「……ごめん、言ってることほとんど理解できないんだけど」
そう言うバロウには答えず、別のことを伝えてきた。
(さて、あたしはこの子にできる限りの教育を施したつもりですが、この星の常識を把握しているわけではありません。あたしの役割はまもなく終わります。ここから先は、明日の覚醒に向けて作業に集中いたします。後は頼みます、マニー・バロウ)
それを最後に話しかけて来なくなった八十六番は、他のクローン達と同じく人形のように沈黙した。
「いや、まだ聞きたいことだらけなんだがな……」
仕方なく、残っていたわずかな作業に没頭したバロウは、間もなく全ての担当分を終えてしまった。まだ少し早いが、軽めの夕飯を摂って休んでしまおうと思って同僚に声を掛けた。
「よーし、ひと段落ついた。明日の昼までには余裕で間に合うよ、デイビッド」
「いやあハンス。きみがここに来てくれて本当に良かった。前任者のバロウくんも優秀だったけど、どこかのんびりした男だったからね。彼だったら間に合ったかどうか」
「あははは……」
同僚からの思わぬ本音に触れ、バロウは乾いた笑いを返した。
「じゃ、少し早いけど私は今日はこれで休ませてもらうよ。何かあったら呼んでくれ」
立ち去ろうとしたバロウを、不意に鳴り始めたアラームが引き留める。あわてて計器をチェックしたバロウは、九十七番シリンダーの生命維持装置が暴走しているのを知った。
「九十七番、生命維持装置に異常だ。このままでは個体が死んでしまう。デイビッド、システムの再起動を――」
「間に合わん、予備システムを九十七番に接続する」
彼らは同時に九十七番シリンダーへと駆け寄っていった。先に着いたデイビッドがシリンダー横の操作パネルに手を伸ばした途端、パネルが火を噴いた。
火花の量は意外に多く、瞬間的には最大で人の背の高さまで飛び散った。鼻先を焦がす火花に驚いたデイビッドは派手に尻餅をついてしまう。
そのとき、部屋の照明が数回明滅した。反射的に天井に目を遣ったふたりの研究者が再び視線を九十七番シリンダーに戻したとき、操作パネルのパイロットランプが緑から赤へと色を変えていた。
「そんな! し、心停止――」
「どいてくれ」
腰を抜かしたように座り込むデイビッドをまたぎ、バロウはシリンダーに駆け寄った。緊急蘇生装置を起動しないと、九十七番クローンが死ぬ。
「くそ、スイッチが!」
先ほどの派手な火花は治まっていたが、その影響だろうか。ケーブルが一本千切れて垂れ下がり、その切断箇所から床に向けてシャワーのように火花が降り注いでいる。
これではまるで緊急蘇生装置を起動するスイッチを覆い隠す火花のカーテンだ。
「ええい!」
精一杯の気合いと共に、バロウは火花のカーテンに右手を叩き込む。
殴るようにスイッチを押すと、バロウは火花のカーテンから引き抜いた右手を振った。すると、小さな炎の塊が床に落ちて燃え尽きた。
「………………っ」
遅れて襲いかかる火傷の痛み。
声にならない悲鳴を上げながら、バロウはたった今床で燃え尽きたものの正体に思い至って己のミスを呪った。
マークが作ってくれた、指紋センサーを誤魔化すための透明な手袋。彼はずっとそれをつけたまま仕事していたのである。
続いて鳴り響く冷酷なアラームが、バロウの気分をさらに深く奈落へ突き落とす。
「九十七番、死亡……」
そのときになって、バロウはようやく彼女からの忠告を思い出した。
(九十七番の個体はもう助かりませんが、どうか冷静さを失わないでください)
我知らず毒づいた後、彼はその場に立ち尽くした。
どのくらいそうしていただろうか。一分かも知れないし、十分かも知れない。
動こうとしないバロウのかわりに、立ち上がったデイビッドが所長室に内線をかけた。
「え、研究所全体が原因不明の停電だったのですか。……はい、こちらにも重大な影響が。……大変申し上げにくいことに、クローンが一体死にました。……いえ、ノーマル個体、九十七番です」
やがて受話器を置いたデイビッドが近付いてきて、バロウの肩に手を置いた。
「気を落とすな、我々の責任じゃない。それに死んだのはフィールド能力を持たないノーマル個体。バレリー所長は全く気にしていないそうだ」
「気にしていないだと……」
「ああ、気にしていないって言ってた。それよりハンス、火傷したんだろ。すぐに冷やしておけよ。今日はもういいから休んでくれ」
クローンとは言えひとり死んだというのに気にしていないと言うのか。所長も同僚も、クローンの生命ではなくフィールド能力の有無だけを気にしていたと言うのか。バロウは唇を噛んだ。
手袋がなければ部屋に入れない。だが、この場所にも居たくはない。バロウはデイビッドに対し、何も答えないまま部屋を出て行った。
バロウはまず真っ先に医務室へ向かった。右手を包帯でぐるぐる巻きにしてもらったのである。
包帯の内側には患部を冷やすための薄い湿布が入れられている。
「火傷の場合は患部を温めるのはよくない。なるべく早く包帯を外しなさい」
医務室の医師はそのように忠告した。しかしバロウは、少なくとも明日の朝まではそれに従うつもりはない。右手を包帯で巻いてしまえば自室に入室するための指紋センサーを利用できない口実になるからだ。
バロウは早速医務室からバレリー所長に内線をかけ、今夜だけは所員IDで自室に入室できるように変更してもらった。作業の進捗状況をデイビッドから聞いていたバレリー所長は大層機嫌が良かったが、そのことが逆にバロウにとって不愉快だった。
だが、バレリー所長は生身の人間にさえ平然とナノマシンを埋め込むような人物なのだ。おそらく彼女にとっては、クローンが生き物であること自体念頭にないことだろう。
まだ日没までには時間がある。外の空気でも吸わないと気が滅入るばかりだ。バロウは屋上へ上がることにした。
グレートザップ超心理学研究所の地上部分は三階建てなので、屋上に上ったところで大して眺望が良いわけではない。
バロウは屋上の手すりに背を預け、深呼吸した。
「仕方ないよな。嫌で飛び出した場所なんだから」
自分の感覚は所長や同僚とは徹底的に合わない。スレッジたちの感覚が限りなく近い。それなのに、陰口を言いたくなるような研究の手伝いをずっと続けてきたのだ。
そんな過去も、この気持ちも、できることならすっきりと消えてほしいのに——
「どうして、消えてくれないんだ」
「罪悪感が、かね? ……それはきみが地球人だからだよ」
「!」
誰かに聞かれることを期待せずに呟いた独り言なのに、返事がきた。
背筋を這い上がる氷塊が一気に脳天まで到達する。
間近で声がするのに相手の姿が一切見えないのだ。
「身構えることはない。君が優秀な人材だから、スカウトに来たのだ。私のところに来れば、きみは純粋な研究者でいられる。何より、煩わしい人間関係を気にする必要もない」
バロウは身動きどころか声ひとつ出すこともできず、膝を震わせながら目だけで周囲を探った。
「姿を見せずに申し訳ないが、今のところ見せられる身体がないのでな。ああ、名乗るのが遅れたね。私はペイジ。バート・ペイジ」
* * *
自在空フィールド内の移動においては、景色が変わることもなく、ほとんど空気の流れを感じることもない。しかし、移動しているかどうかについてはある程度体感できる。スレッジは今、全く移動していないように感じたため、隣で肩を組んでいるユキに話しかけた。
「どうした、ユキ。自在空フィールドを使えばあっという間に着くはずだろう。俺たち、止まってないか?」
ユキは苦虫を噛み潰したような顔をして、すぐに答えてきた。
「道が閉ざされている。ペイジの奴め……。あまり考えたくはないが、あのタヌキおやじ、研究所から離れた振りをして、また戻って来たんだろう。研究所と【ポメラニアン】をつなぐ通路を作ったのは奴だ。通路を作った以上、閉ざすのも造作ないはず」
スレッジは小さめに声を立てて笑った。
ユキは不思議そうに聞いた。
「なにがおかしい」
「いや、すまん。タヌキおやじときたか。いつも冷静なユキも熱くなることがあるんだな、と思ってさ。もしかして、俺の悪影響か」
微笑みかけてくるスレッジと目があったユキは、ほんのりと頬が赤く染まっていることを自覚しているのかどうか、珍しく語尾を曖昧に呑み込むような返答をした。
「べ、別にそんなことは……」
表情を引き締め、進行方向を睨み付けたスレッジはリラックスした声で告げた。
「道がないならこじあければいい。ノーラから移植されたユキの能力――増幅能力が有効なうちに、急ぐぞ」
「そうか。私は第二世代ではないから、いつまでもこの力を使えるとは限らないわけか」
ユキの呟きを聞いたスレッジは、苦笑混じりに微笑んだ。
「能力が消えると決まったわけじゃないが、もし消えたとしてもユキはユキだ。俺を【ダークパペット】の群れから救い出してくれたのはきみの能力じゃない、勇気だ。俺は本気で感謝してるんだぜ、もっと自信を持てよ」
なぜかため息をつくユキ。スレッジが彼女の顔を不思議そうに覗き込むと、次に目を合わせたユキの顔は笑顔になっていた。
「ふう。あなたの勘違いを指摘したところでミリィに申し訳ないだけだからな。よし、スレッジ。最大限に増幅するぞ。研究所へ急ごう。……え、えっ?」
スレッジは体勢を入れ替えるとユキの背と膝を抱え、あっという間にお姫様抱っこしてしまった。
「な、何のつもり」
「悪いが協力してくれ。この方が力が出るんだ」
「本当に?」
上目遣いに覗き込み疑わしげに聞いてくるユキに、スレッジは歯を見せて悪戯っぽく笑った。
「出る……ような気がする」
「…………ばか」
ユキは視線を逸らし、真っ赤になりつつスレッジの首に腕を回した。
* * *
研究所の屋上でヘルマン中尉が声を張り上げた。
「何者だ! ルーデルから離れろ」
バロウの頭上を光条が迸る。中尉が光線銃を撃ったのだ。
五発、六発――しかし、それらはバロウの頭上を通過することはなかった。ことごとく虚空に吸い込まれ、消失してしまう。
当のバロウは光線銃などどこ吹く風、その呆けたような表情を見たヘルマン中尉は苦々しげに吐き捨てた。
「おのれ催眠術か。これほどまでに強烈なフィールドの揺れ。貴様、フィールド能力者か」
彼は屋上でのフィールド能力による波動を感知し、駆けつけたのである。
「どういうつもりか知らんが、ルーデルを連れ去るのは許さんぞ」
返事がないが、中尉は油断無く身構えつつ言葉を続けた。
「我々は身体を透明にできる特殊能力が存在することも知っている。だが、いつまでも透明のままではいられまい。さあ早く姿を現せ」
意外にも、ヘルマン中尉があたりをつけた場所――バロウの頭上ではなく、バロウの背後から返事があった。
「やあ、第二世代。どうやら貴様、わが妻バレリーに気に入られているようだな」
「まさか! その声はペイジ中佐? お亡くなりになったはずでは」
ヘルマン中尉は陸軍情報部に所属した経験こそないものの、彼とは面識がある。当然、バレリー所長の夫であることも知っている。そして、公式発表によると中佐は【アースシェイカー】と戦って殉職したはずであることも。
「短期間とはいえ軍に籍を置いておりましたので、公式発表と真実が食い違うことがままあることは知っています。ですが、奥さんに何の相談もなくルーデルを連れ去ろうとするのは解せません。失礼ながら、あなたがペイジ中佐だという証拠はありますか」
「残念ながら、ない。信用するもしないも貴様次第だ。だが、貴様はナノマシンによって飼い慣らされたままでいるつもりかね。私が言うのも何だが、あの女の強欲ぶりは異常だぞ」
ヘルマン中尉は姿の見えない相手への警戒を解かず、光線銃を構えたまま腰を落として慎重にバロウへと近付いていった。
無言で近付く彼に、ペイジの声が話し続ける。
「バレリーは……。あれの頭には、目先の金儲けしかない。それが証拠に、私があんなに反対した【バレリーズ・パペット】を実用化前提で研究しただけでなく、商品にまでしてしまったのだからな」
ヘルマン中尉は立場上、【バレリーズ・パペット】の呼称がどちらかというとネガティブな意味合いを含むことを知っている。ナノマシンの倫理面に懐疑的な研究者による陰口が元となった通称なのだ。
夫婦とは思えぬほどの、いやむしろはっきりと敵対するかのような言葉の数々。ヘルマン中尉の中で、決断の振り子が大きく振れた。彼はすっと目を細める。
声の主はその様子を仔細に観察しているのか否か。変わらぬ様子で話し続けている。
「フィールド能力も異星人の技術のひとつ。勿体ないと思わんかね? しかるべき時まで秘匿し続ければ、軍事王国を築く礎とさえなり得るほどの超技術なのだぞ」
バロウの真横に立ったヘルマン中尉は額から汗を流した。間近で声がするというのにペイジの気配がどこにもないのである。
「探しても無駄だよ、第二世代。私には肉体がないからね。今のところ、私がそちらに送り込めるのは声だけだ。中央情報局は、もう妻に目を付けているよ。このままテロ組織どもと無事に取引できるとは思わんことだ」
ヘルマン中尉は声が聞こえてくる方向――バロウの背後を睨み付けつつ、バロウの肩を掴んだ。
「ペイジ中佐を騙る者よ。貴様が何者かは知らん。だが、今すぐ捕まえてやる。そして、背後の組織ごと素性を白状してもらうぞ」
断定口調の中尉はもはやペイジの言葉に耳を傾けるのをやめたようだ。
「どうせ我々の取引相手と敵対する組織の回し者だろうがな。おそらく、偶然手に入れたフィールド能力を制御するために科学者が必要なのだろう。そんな奴になどルーデルは渡さん。絶対にだ」
「どうやら、いくら言葉を尽くしても通じないようだな」
「どこまで知っている。この私を相手にして生きて帰れると思うなよ」
低い声で唸るように言うヘルマン中尉に対する興味を失ったのか、姿なき声は熱が冷めたような声で告げた。
「これ以上の問答は無駄だ。バロウを連れて行く」
姿なき声は幾分小さくなり、しかも言葉の途中からヘルマン中尉の頭上へと移動していった。
あわてて頭上を仰いだ中尉の目に、渦を巻く黒い霧が飛び込んだ。頭上二メートル程の高さから徐々にバロウを目がけて下りてくる。直径一メートル程の不気味な霧は、さながら小さなブラックホールを想起させた。
ヘルマン中尉はバロウの肩を掴んだまま黒い霧を光線銃で撃った。が、いずれの光条も霧に吸い込まれるかのように消えてしまう。
「エネルギーの無駄だよ、第二世代」
その声がヘルマン中尉の耳に届いた途端、彼の身体はバロウごと持ち上がった。
「ぬう!? おのれ、離すかっ」
視界が闇に埋めつくされ、暴風に似た轟音が聴覚をも阻害する。ヘルマン中尉は身体を大きく振り回され、バロウの肩を掴んでいるのかどうか、光線銃を握っているかどうかさえ定かではなくなった。
「バロウ!」
この場に新たな声が割り込んだ。しかしその声が届いた時にはすでにヘルマン中尉の両眼は閉じ、手足は弛緩していた。彼の意識はこの場への新たな参加者の声と、それに対するペイジの返事を聞くことなくブラックアウトしていった。
「これは驚いた。もう来たのかね、スレッジ」
研究所の屋上に出現した小さなブラックホールは、バロウの身体をほぼ飲み込み、彼の肩を掴んでいたヘルマン中尉の上半身も飲み込んでいた。
自在空フィールドの通路を通って研究所の屋上に出現したスレッジは、ヘルマン中尉の両脚にタックルする格好で飛びついた。すると、飲み込まれていたヘルマン中尉の上半身がブラックホールから引き抜かれ、頭から真っ逆さまに落ちていく。
落ちてきたヘルマン中尉の頭を支えた後、怪我をしないように屋上に横たえたのはユキだ。彼女は、制服の肩につけられた中尉の肩章をめざとく観察する。
「ジム・ヘルマンは中尉へ昇進か。おっと、それより」
ユキはスレッジを見上げた。精神を集中するが、身体が浮き上がらない。
「く……飛べない。もう、能力が消えてしまったというのか……?」
自在空フィールド能力もなければフィールド能力の増幅もない。その状態で敵の自在空フィールドに飛び込めば、スレッジに勝ち目はない。
「戻れ、スレッジ。深追いはだめだ!」
ユキの声がスレッジに届いたのかどうか。スレッジの身体はブラックホールに飲み込まれることなく落ちてくる。
スレッジの身体を受け止めたユキは彼もろとも屋上に倒れ込んでしまった。彼らのすぐそばに、スレッジがバロウの胸から引きちぎってきたのか、所員IDが落ちてきた。
「スレッジ! 右手が……」
「油断した。バロウに撃たれたが、幸いかすっただけだ。あいつ、どうやら催眠術をかけられているらしい」
スレッジは右手に火傷を負っていた。おそらくバロウを掴むためにフィールドの外に手を出したのだろう。至近距離で当のバロウから撃たれたとあっては、避けられるものではあるまい。
「お、おいしっかりしろ! 撃たれたのは手だけじゃないのか」
スレッジの意識が朦朧としている。彼は自分の怪我を治すためにフィールド能力を発動することさえままならないようだ。
「もしかして――」
あまり長時間にわたって能力を増幅すると、副作用があるのではないか。ユキはその思いつきにぞっとした。
「私の力では運べない。医務室の先生をここに呼ばなくては」
「ルー……デル、無事か。よかった、そこにいたか」
ヘルマン中尉が立ち上がった。二、三回頭を振った後、頭上を見上げて叫ぶ。
「おのれ、逃がさん」
腰の高さで両拳を握り、頭上を見上げるヘルマン中尉の瞳が光る。
「うおおおお!」
「――!」
閃光と轟音に反応し、ユキは咄嗟にスレッジに覆い被さった。
消えていくブラックホールを中心に、爆発が起きたのだ。それはおそらく、ヘルマン中尉の特殊能力。
「爆砕……能力」
爆発が収まった。呟きながら見上げるユキの視線の先で、ヘルマン中尉は悔しそうに歯がみしている。
「くそっ。逃げられた」
「ヘルマン中尉。ルーデルさんの右脚が折れています。先生を呼ぶより、できれば医務室に運びたいのですが、人を呼んでいただけますか」
「ほう、コーエン少尉。私の昇進をご存知か」
ヘルマン中尉は意外そうに片眉を上げ、ユキを見下ろした。
「肩章を見ました。ベイリー大尉に何かあったのですか」
「私から説明できることは何もないが、大尉が所長の不興を買ったのは事実だ。ところで少尉、なぜここに?」
「先ほどハンス……いえ、ルーデルさんが見舞ってくれました。私はまだ少し頭痛がするのですが、ルーデルさんから屋上に行くことを聞いておりまして、私も外の風に当たろうと思って上がってきたところなのです」
ユキはちらりとスレッジの方に視線を遣りながら答える。彼女の仕草はヘルマン中尉の誤解を誘うことに成功した。
「そういうことか。君は色んな意味でラッキーだったようだな。よし、ルーデルを医務室へ運ぼう。なに、彼ひとりくらい私だけで運べる」
ヘルマン中尉はひとりで軽々と昏睡状態のスレッジを抱え上げると、屋上を後にした。
* * *
ヘルマン中尉は所長室の机の前に直立し、屋上での一件を報告している。バレリーは机に両肘をつき、組んだ両手の上に顎を乗せた姿勢で口を挟まず静かに聞いていた。
「夫が肉体を失った状態で生きている、ですって。何者が夫の名を騙ったにせよ、とんだ茶番ね。ありえない、くだらないわ」
その感想に対し、ヘルマン中尉は否定も肯定もしない。バレリーから求められない限り、彼はただ自分が見聞きした事実を私見を加えず淡々と報告するのみだ。
「で、あなたの意見は?」
「は。我々の取引相手は未だにフィールド能力に興味を示していません。彼らの要求はあくまで脳にナノマシンを埋め込まれた忠実な兵士です。したがって、今回の取引ではノーマル被験体のみを売り渡すという選択肢も考慮に入れるべきかと。
一方、先ほど屋上に現れた未知の敵がペイジ中佐だとは私も考えておりません。奴はフィールド能力について知悉している様子であり、技術の独占をも狙っているかの如き論調でした。取引の現場を襲撃されないとも限りませんので、延期を提案します」
「延期は無理よ。先方にナノマシンの有用性を確かめてもらって、研究所ごと買ってもらわないと、この研究所は国の施設になってしまうわ。取引の時期を可能な限り前倒しして、ノーマル被験体を売りつけましょう」
バレリーは手の上から顎を離し、椅子に座り直した。
「ところで、ルーデルくんの容態は」
「右手の火傷は軽傷でした。右大腿部骨折とのことですが、所内の施設でリハビリ可能です。なお、デイビッド・ジョンソン研究員によるとルーデルの担当作業分はすでに完了しており、明日のクローン起動には何ら支障がないそうです」
「そう、さすがね。給料分の働きはしてくれたわ。彼のそばには誰かついているの」
「コーエン少尉が。まだ頭痛がするそうですが、歩き回らなければ問題ないそうです」
「やはり、頭痛は消えないのね。まだ仮説だけど、第二世代以外の人間にナノマシンを埋め込むと、脳への負担が大きい。気の毒に、彼女の寿命あと一年もつかしら」
内容とは裏腹に、バレリーの口調は明日の天気を占うような何気ないものだった。
* * *
昨日までユキが寝ていた病室はあっという間に片付けられ、今はスレッジの病室となっている。
ユキはベッド横の椅子に腰掛け、ブレザーのポケットから透明のケースを取り出した。
「もしこれが埋め込まれたままなら、私のフィールド能力は消えなかったのだろうか。もっとあなたを助けたかったが、今の私は無力だ」
未練がましくケースを見つめる。もちろん、その呟きに根拠はない。たとえ第二世代であっても、ナノマシンを埋め込んでもフィールド能力が発現しない者の方が多いのだ。
ため息をつき、ケースをポケットに戻した途端――
「うぐ」
ユキは背後から口と鼻をハンカチで覆われた。強い薬品の臭いがする。
気を失い、床にくずおれたユキを見下ろす人物が独り言を呟く。
「バロウごときに奪われてたまるか。貴様は俺の女だ。このトム・ベイリーのな」
欲望が催眠暗示の強制力を上回っている。病的な笑みを浮かべるベイリー大尉の太い両腕が、昏睡するユキへと伸びていった。